万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自らの国の将来を語る自由-一党独裁は劣悪な体制

2019年11月16日 16時39分16秒 | 国際政治
香港では、習近平主席からの弾圧要求に従うかのように、警察による抗議デモへの暴力がエスカレートしています。命を落としたり、傷を負う市民の数も日ごとに増しているのですが、北京政府をバックとした香港行政府の強硬姿勢は緩みそうにもありません。こうした流血の事態を目の当たりにしてふと思うのは、そもそも権力と云うものには、国民が自らの国の将来を語る自由を奪う権利があるのだろうか、という素朴な疑問です。

 誰にでも、‘こうした国や社会に自分は住みたい’という希望や願いがあるものです。人間に備わる理性の本質からしますと、一個の人格として個々の尊厳が認められ、自らのことは自らで決めることができ、考えていることを自由に述べられる国や社会に住みたいはずです。そして、皆に関わる事柄、及び、争いや対立があれば、暴力ではなく、話し合いやルールを決めることで解決できる国や社会を理想とすることでしょう。自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった人類普遍とされる諸価値は、その響きからすれば形式ばったお固いイメージを受けますが、それほど難しいことではなく、普通の人々が思い描く理想から抽出されたものです。いわば、人類の理想郷の全体像を複数の角度から立体的に分析して本質を導き出し、そのそれぞれを単語として並列的に列挙した言語表現なのです。しかも、これらの諸価値は、統治機能を果たすに際して相互調整や調和を要しつつも、互いに分かちがたく結びついています。自由なき世界には民主主義もないように…(自由と平等は両立しないしばしば言われますが、自由の範囲を平等に定めれば両立する…)。

 このように考えますと、自由、民主主義、法の支配、平等・公平といった諸価値の全てが適切に調和され、かつ、制度として具体化されている国家こそ、全ての諸国の国民が望む人類の理想的な国家体制と云うことになりましょう。否、如何なる国も、理想にできる限り近づくべく、この方向を目指して日々国制改革に勤しむべきとも言えます。そして、政治思想やイデオロギー、並びに、それに基づく国家体制は、これらの諸価値を基準としてこそ評価されるべきであり、そのうちの一つでも欠損していれば、それはすなわち欠陥を意味することとなるのです。

 それでは、共産主義思想、並びに、それに基づく一党独裁体制はどのように評価されるのでしょうか。共産主義思想は、一般的には平等の実現を優先価値とする思想とされています。しかしながら、その平等の価値でさえ全く実現はしておらず、富の格差のみならず、共産党と云う特権階級が存在する権利の格差も著しい不平等国家です。自由、民主主義、法の支配、平等・公平の何れの項目を基準にしても、国家体制としての評価は低いと言わざるを得ないのです。劣悪な国家体制の下にある国民が、現体制に対して不満の声を上げたり、理想を求めて政府に改善を要求するのは当然です。自らの国や社会を善くして行こうとする国民の声を力で封じ込めようとする政府は、国民の自らを発展しようとする力を削ぐのですから、国民にとりましては障害物でしかないのですから。国家体制の正当性は普遍的な諸価値の実現を以って問われるべきであり、決して偏狭なイデオロギーを基準にしてはならないと思うのです。

 習近平主席が、民主主義や自由を求める香港市民を国家に対する反逆者として糾弾し、一国二制度を破壊しているのは香港市民であると訴える時、自由主義国とは異質であり、価値観までもが逆転してしまった中国という国家の姿が見えてまいります。そして、この倒錯性、すなわち、自らの国の将来について自由に語るという当然のことが許されない体制こそが、人々が中国による世界支配を怖れる最大の理由なのではないかと思うのです。

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コメント (10)
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