秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(春爛漫続きの・独り言)

2021年03月31日 | Weblog
前略。
まだまだ、祖谷は春爛漫。
そんな毎度毎度の春の、お墓に纏わるお話ですが(私は本当に仏様ネタばかりで、失礼します)
ヴヴヴの家の屋号は、古寺といいます。昔、隣にお寺があり、
お寺は何度かのお引越しをして、今は他の集落に在ります。
その繋がりで?ふるでらと呼ばれていました。

昔、水害でお坊さんのお墓が流されたそうです。正確に言えば、墓石が流されたそうです。
その流れた墓石を、一つ一つ、祖父が背中に負い上げ、今の場所に祀ったと
昔、叔母さんに(ヴヴヴ)教えてもらいました。
「じいやんって、信心深い!エライなあー」
って、私は普通に感心しておりました。

その話を別の叔母さんが自分の子供に伝えた内容は、少し違っておりました。
「エライんじゃあない、欲なんじゃ、自分の畑に墓石が流れてきて、
畑が狭うなったけん、元に戻しただけなんじゃ!」
真実は一つなのに、そう、真実は当人しか知らないのに、見る側の受け取め方で、
真実のカタチは全く異なり伝えられます。歴史上の名を連ねた方々がそうであるように、
様々な一面が半世紀経ち、古文書であったり、当事者の子孫の方々の口から、語られています。

同級生が数人集まり、昔の話をしていても(正直、わたしは特に興味がないのですが)
それぞれの記憶が、少し違っていて、その時感じたことの記憶も、個々に違っていて、
こんな感じでそれぞれの記憶が残っていくんだな…と感じた時の、歯痒い気持ち。

本人のいない場所でする話は、仏様の話をするくらい、気の毒であり、私は余り、好きではありません。
自分が直接関係した話をするのは判りますが、第三者として見聞きした話を、
何十年も経過して話すのは、ルール違反じゃないの?と思ってしまう。
子供の頃の話とか、若い頃の話を、今更話のネタにされては、当事者にすれば、
時効の無い思い出話に、いつまでも脅かされるみたいな、歯痒い。

で、話はそれに逸れましたが、祖父が仮に畑が狭くなり、墓石を移動したのであれば、
わざわざ傾斜のキツイ坂を負い上げなくても、隅に纏めて積んで置けば良かった筈です。
今の場所に、15基位の墓石を負い上げて収めたのは、やっぱり祖父の仏様への慈悲ではなかったのでしょうか。

気持ちです。ほんの気持ちです。とか、これからの時代は、多分口にしない大人が増えていくのではないかと、危惧致します。
義理とか人情とか、そんな言葉もいつか死語になる、そんな気が漠然と致します。
気持ちを大切にしないことは、ニンゲン社会の関係性を、益々劣悪にしてしまいそうな、不安を感じます。
そんな社会に、そんな大人を形成したのは、見えない埃を日々の中で撒き散らしてきた、日本のカタチ、即ち政治家。
そして、古〜い古〜い未来に責任を持たない方々。国民。

適当に呟いていたら、終わり方がワカラナクなったでごじゃる。
とりあえず、山々の桜を届けたく(届かなかったら、ごめんなさーい)
呟いてみました。
明日から、4月。
東京で頑張る事になった、姪の長男の門出を祝いながら、心配もしながら、
それなのに、まだお祝いをしていないことを懺悔しながら、
心より4月からの新入社員の皆様に、エールを送ります!
フレー フレー みんな
悩むな!人生は長い!
とりあえず、食べて寝る!
頑張っても、頑張らなくても、生きていれば、明日は必ずやってくる!

         アーメン




























































コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菜菜子の気ままにエッセイ(... | トップ | 花散りて新緑にしずかな心地... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事