秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

エッセイ  夢の剣山へ   ai-moeさん寄稿

2010年08月19日 | Weblog
剣山「1955」の標識前に辿りついた。

霧雨の中、「やった!」「万歳!」雲が流れて行く。
遠くの峰峰が、木々の緑が清清しい。

五十余年の時を経て夢が叶えられたのだ。

子供の時から四国の名峰と言われる「皿ガ嶺」や「石鎚山」を
見上げて暮らし、その頂に憧れていた。

「あの頂の雲を掴んでみたい」と思った少女時代。
高校生になって、皿ガ嶺、石鎚山登頂実現。

大学一年の夏休みだったかな、小学校の同級生グループで、皿ガ嶺キャンプを
したときのこと、山通の友が、「徳島の剣山、素晴らしいよ」と語った。
「次は剣山に連れてって」なんて青春の一こま。

登頂の夢は未遂のまま半世紀もの年月が流れてしまった。それでも剣山への
想いは消えることなく、折々に頭をもたげていたのである。

この春の高校同窓会総会のときである。三十年卒同期生の間で「剣山登山」の
話が持ち上がった。

「チャンス到来!」期待と不安が行き来する。
彼らは熟年登山の経験者らしいが、この私、好きとは言え、二十代以降
登山らしい登山はしていない。

「行きたいけど、、、」即答は出来かねる。

「みんな、ゆっくり登るんだから大丈夫よ」と背中を押されて決心する。
そして「夢の実現だ!」などと独り密かに盛り上がる。

二週間後、剣山登山は実施された。男性6人、女性5人の七十代熟年パーティーである。

登山口に着いた時、いつになく車酔いした私の体調は最悪であった。
「下で休んでいてもいいよ」と気遣ってくれた人もいたが、「絶対登る!」
と意を決した。

ダウンして人に迷惑かける懸念を抑え、山の気を頂けば元気になれると
信じることにした。

リフトでの十五分間、大きく深呼吸を繰り返した。
標高差330m。ぼんやりした脳、体、目に白い霧が、緑の風が沁み込んできた。
回復出来そうだ。降車して1955mの頂上を目指す。

上り坂は苦手、息が上がる。先達の丁寧な誘導に従って、一歩一歩踏みしめて登る。
なだらかな道になると意気揚々。霧雨が肌に心地よい。
最後の行程、木道を踏みしめ、踏みしめて頂上に到着。

七十代熟年グループ、楽々1955m登れる訳ない。己が姿の可笑しさを笑い、
励ましながらの登頂。楽ではなかったが、悦びは格別だった。

「今日は人生最良の日!」頂上を極めたのは、不調な肉体を抜け出した私の
「魂」だったのかな。と思えたりする。     ai-moe















コメント
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