花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「“婦人従軍歌”に思う」

2013年12月18日 15時56分12秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
コーラスグループ・フォレスタの12月16日放送の「BS日本・心の歌」は、タイトルが 
<「時代」~戦時・戦後の時代を反映した歌> で、10曲を歌いました。6曲目の「婦人従軍歌」は初めて知りましたが、歌詞に「赤十字」とでてくるので、赤十字社から派遣された従軍看護婦の歌と察しが付きました。

五番目の歌詞 「味方の兵の上のみか 言(こと)も通わぬ敵(あだ)までも いとねんごろに看護する 心の色は赤十字」 (私は、見方の兵士だけでなく言葉の通じない敵の兵士も心をこめて看護する これが赤十字の精神、と解釈しています。)を聞いて、日清戦争開戦時の大山巌司令官の出陣の際の訓示を思い出しました。この訓示のことは、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも紹介されていますが、明治27年(1894年)11月、広島陸軍予備病院に派遣され看護婦たちの陣頭指揮をとっていた新島八重は「敵なればとて、傷を受くる者、仁愛の心をもって助けよ、大山司令官閣下の訓示です。」と言って、敵である清国人も分け隔てなく看護します。

「婦人従軍歌」は、加藤義清(近衛師団軍楽隊の楽手)が、日清戦争で出征する友人を見送りに新橋駅へ出かけた時、同じく、日本赤十字社から広島市内(宇品)の病院へ派遣される看護婦たちの気品と健気さに感動した気持ちを詩にしたもので、奥好義(宮内省の楽師兼華族女学校の教官)が曲をつけた、といわれています。

日本赤十字社の従軍看護婦の博愛(仁愛)の精神を歌ったすばらしい歌です。 “忌まわしい軍歌”として戦後は排斥されて、なかなか聞く機会がありませんが、世界に紹介したい日本の誇る歌ではないでしょうか。


「婦人従軍歌」(1894年・明治27年10月)
作詞・加藤義清、作曲・奥好義
(一)
火筒(ほづつ)の響き遠ざかる
跡には虫も声たてず
吹き立つ風はなまぐさく
くれない染めし草の色

(二)
わきて凄(すご)きは敵味方
帽子飛び去り袖(そで)ちぎれ
斃れし人の顔色は
野辺の草葉にさも似たり

(三)
やがて十字の旗を立て
天幕(テント)をさして荷い行く
天幕に待つは日の本の
仁と愛とに富む婦人

(四)
真白に細き手をのべて
流るる血しお洗い去り
巻くや繃帯白妙の
衣の袖は朱(あけ)に染み

(五)
味方の兵の上のみか
言(こと)も通わぬ敵(あだ)までも
いとねんごろに看護する
  心の色は赤十字

(六)
あな勇ましや文明の
母という名を負い持ちて
いとねんごろに看護する
心の色は赤十字

<you tube>
http://www.youtube.com/watch?v=PSlQ3PuXU34

<12月16日に歌われた曲>
(1)ああモンテンルパの夜は更けて
   昭和27年(1952年)作詞:代田銀太郎 作曲:伊藤正康 
(2)燃ゆる大空
   昭和15年(1940年)作詞:佐藤惣之助 作曲:山田耕筰
(3) 空の神兵
   昭和17年(1942年)作詞:梅木三郎 作曲:高木東六
(4)ラバウル小唄
   昭和15年(1940年)作詞:若杉雄三郎 作曲:島口駒夫 
   南洋洋航路」(元歌)の替え歌「ラバウル小唄」として流行
(5)愛国の花
   昭和12年(1937年)作詞:福田正夫 作曲:古関裕而
(6)婦人従軍歌
   明治27年(1894年)作詞:加藤義清 作曲:奥好義 
(7)戦友 
   明治38年(1905年)作詞:真下飛泉 作曲:三善和気
(8)さとうきび畑
   昭和39年(1964年)作詞・作曲・編曲:寺島尚彦 
(9)もずが枯木で 
  昭和10年(1935年)サトウハチロー「僕等の詩集」に掲載
  昭和13年(1938年)徳富繁が作曲
(10)里の秋
  昭和20年(1945年)作詞:斎藤信夫 作曲:海沼実

一般の歌番組では歌詞は2番まで(せいぜい3番まで)歌いますが、フォレスタは歌詞を原曲どおりにすべて歌ってくれます。すなわち、「戦友」は、なんと、14番まで、「ラバウル小唄」は4番まで、「愛国の花」は4番まで、「里の秋」は3番まで、という風に全歌詞を歌います。 うれしい限りです。

(2013年12月18日 花熟里)
コメント
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