花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「やはり野に置け ‘民主党’」

2011年01月15日 09時48分26秒 | ちょっと気になること
「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」 (滝野瓢水)


「瓢水が遊女を身請けしようとした友人を止めるために詠んだ句で、蓮華(遊女)は野に

咲いている(自分のものではない)から美しいので、自分のものにしてはその美しさは失

われてしまうという意味。 転じて、ある人物を表舞台に立つべきではなかったと評する

意味合いでも使われる。」(ウィキペディア)



自由民主党議員から.「民主党には政権担当能力がない」と批判されるたびに、民主党議

員は「国民の皆さん、一度政権をとらせて見てください。そうすれば分かります。」と反

論していたのを思いだします。 

族議員が跋扈し、利権政治に堕した自民党政治に飽き飽きしていた国民は、民主党に新し

い息吹を感じ、そのリーダーであった小沢・鳩山・菅氏に日本の進路を託したのでした。

2009年9月の政権交代から1年4カ月経ちましたが、この3名は政争に明け暮れるばかりで、

国民が期待した変革への大胆な取り組みは掛け声だけで、なんら実施されていません。 

「前政権の負の遺産が大きいから」という発言が今もってなされています。 一国の政治

を担うという心構えや気概に欠けているとしか言いようがありません。 


‘脱小沢’が管総理の最大の活路とも言われています。 昨年[2010年]の正月の小沢邸で

の恒例の新年会の模様がテレビで放送されましたが、出席者の中に管氏が映し出されてい

たのを思い出します。 小沢氏にすり寄っていた管氏が今や脱小沢だけが政権維持の頼み

の綱。 管氏は確固とした政治的信念、将来を見越した展望など持ち合わせておらず、そ

の場しのぎの政治家であることを示しています。 昨14日、菅改造内閣が発足しました

が、あまりの無節操な人事にコメントする気にもなれません。



管総理の「今までは仮免許だった」発言には唖然としました。総理大臣に就任した瞬間か

ら即本免許でなければなりません。めまぐるしく動く国際情勢の中で、有効な対策が打て

ずに、‘にやにやとした締りのない顔’しかできない‘仮免許総理’に比べて、韓国の李

明博大統領の凛とした表情、毅然とした対応に比べると、一国の指導者としての資質に歴

然とした差を感じるのは、私だけでしょうか。

総理が1年足らずで変わるのは国際的に見ても良くない、などどいう理由で管総理続投を

擁護する声がマスメディアから流されており、あやうく洗脳されそうですが、「野にいる

のが似つかわしい人」に「1億国民の命・財産、国土・領海」を託してよいのでしょう

か。

日本国民の民度がこの程度のリーダーで十分だということであれば、なんと哀れなことで

しょう。



有田芳生「酔醒漫録」(2011年1月11月号)

『中曽根康弘元首相の情勢分析が新鮮だ。 「政治制度というものが成熟するには3年、

5年かかります。新しい路線を目指して進むという以上は、国民にも忍耐する義務があ

ると私は思いますね。」「あと1年くらいたてば、政権も3年目で、落ち着きと慣れが出

てくる。そうすれば独自の戦略も生まれてくるかな。しかし、首脳部の力量不足が目に

つく」 』




滝野瓢水は、江戸中期(貞亨1年・1684年~宝暦12年・1762年)の俳人。父は運輸業「叶

屋」を営む。 4代目滝新右衛門有恒と称して家業を継ぐが、経営は番頭に任せきりで金

を届けさせ、放蕩三昧の生活を送り財産を使い果たした。78歳で大阪で没。遺骸は大阪市

天王寺区の持明院に埋葬。句碑のあるのは、持明院のほか、鶴林寺(加古川市)、宝蔵寺

(加古川市)、禅昌寺(神戸市須磨区)。



*朝日日本歴史人物事典より

『通称は、叶屋新之丞 のち 新右衛門。 別号は、富春斎、一鷹舍、剃髪して自得。 

播磨国別府(兵庫県加古川市)の富裕な船問屋。 一代で没落させた。

俳諧においては、小西来山系の前句付作者として出発、のち松木淡々に師事。おおむね郷

里を中心として雑俳点者の地歩を固めていった。』



*近世畸人伝(正・続)より

『 播磨加古郡別府村の人。 滝野新之丞、剃髪して自得と言ふ。  富春斎瓢水は俳諧

に称ふる所なり。 千石船七艘もてるほどの豪富なれども、遊蕩のために費しけらし。 

後は貧窶になりぬ。 生得無我にして酒落なれば笑話多し。 酒井侯初めて姫路へ封を移

したまへる比、瓢水が風流を聞し召て、領地を巡覧のついで其宅に駕を留め給ふに、夜に

及びて瓢水が行方ヘしられず。 不興にて帰城したまふ後、 二、三日を経て帰りしか

ば、いかにと問ふに、 其夜、月ことに明らかなりし故、 須磨の眺めゆかしくて、 何

心もなく至りしと言へり。  又近村の小川の橋を渡るとて踏はづし落たるを、其あたり

の農父、もとより見知リたれば、おどろきて立より引あげんとせしに、川の中に居ながら

懐の餅を喰ひて有しとなん。  京に在し日、其貧を憐みて、如流といへる画匠初、橘や

源介といふ。  数十張の画をあたへて、是に発句を題して人に配り給はば、 許多の利

を得給んと教しかば、大に喜び懐にして去りしが、 他日あひて先の画はいかがし給ひし

と問ふに、されば持かへりし道いづこにか落せしと言ひて、如流がために面なしと思へる

気色もなし。 所行、大むね此類なり。 俳諧は上手なりけらし。 おのれが聞ところ風

韻あるもの少し挙。


ある堂上家へ召れし時、

 「消し炭も 袖味噌に付て 膳のうへ」


何某の大納言殿賜し御句

 「名はよもに ひびきの灘の一つ鷹」

といへる、に答へ奉りて、

 「ひとつ鷹 狂ひさめたり 雪の朝」


大坂の知己の者遊女を請んといふを諫て

 「手に取るな やはり野に置 蓮華草」


母の喪に墓へ詣でて、

 「さればとて 石にふとんも 着せられず」


駿河の白隠和尚賞美の句のよし、

 「有と見て 無は常なり 水の月」


達磨尊者背面の図に題す

 「観ずれば 花も葉もなし 山の芋」


京の巴人といふもの病すと聞てのぼりしに、伏見にてはや落命したりと聞きて、

「嘘にして いで逢ふまでの 片時雨」


生涯の秀句と人のいへるは、

 「ほろほろと 雨そふ須磨の 蚊遣哉」
 

七十六、七ばかりにて終れりとぞ。 』



その他の有名な句はつぎの通り。

 「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」

 「蔵売って 日当たりのよき 牡丹かな」

 「本尊は 釈迦か阿弥陀か 紅葉かな」




さだまさし歌う「指定券」と言う歌に、「やはり野におけ れんげ草」というフレーズが

出てきます。 青春のヒトコマですね。


作詞・作曲・歌:さだまさし


「指定券」

もうこれまでねと 君はうつ向いて

左の頬だけで ひっそりと笑った

北口改札を 仔鹿の様に

鮮やかにすりぬけて 出て行った

せめてもの お別れに

一度だけ 振り向いてくれたのに

丁度今着いた 修学旅行の

制服達が 君をかき消して

最後の声さえ 喰べてしまう



長いエスカレーター 昇って降りて

やっとの思いで 出した答え

はじめる前から 終わる旅もある

やはり野におけ れんげ草

せめてもの はなむけに

一度だけ 手を振ってみせた

うしろ姿を つつむ紙吹雪

それは僕の ふるさとゆき

季節はずれの 指定券



(2011年1月15日  ☆きらきら星☆)
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