花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「脳卒中の後遺症を持つ人の一人暮らし」 

2011年02月05日 11時39分15秒 | リハビリ・健康管理

若くして(30歳台~40歳台)脳卒中を発症して片麻痺になった方の中には、一人暮らし

を余儀なくされた方が案外多いのではないかと思ったりしています。

というのは、私がリハビリ病院に入院していたときに、たまたま私と話しをした男性

患者の中に2回目の入院という方が4~5名いましたが、その中に離婚して家族がいな

いという方が2人いました。 すなわち、入院患者40名強の中で、再入院が10%程度、

離婚して一人で生活をしている方が5%程度でした。


<Aさんのケース>

Aさんは元建具職人で、10年前、40歳半ばで脳出血を発症、右半身麻痺。 妻と離婚、

その後はアパートで一人暮らしだそうです。 本人曰く。 「家とわずかな財産も、

そして子供も、なにもかも全部妻に渡した。自分は体一つでアパートに移った。」 

右手はほとんど動きませんが、幸いにもなんとか歩くことができました。


<Bさんのケース>

Bさんは、元建設現場の監督をしていた方で、7ー8年前に50歳で脳梗塞を発症、左半身

麻痺。 妻と離婚後、現在までアパートで一人暮らしとのこと。 左手はほとんど動

かず、少々歩ける程度。


Aさん・Bさんともにケアマネージャーと連絡をとっており、介護保険の様々なサービス

を利用しているとのことで一応安心です。



<Cさんのケース>

Aさん・Bさんとは違いCさんは入院中に知り合ったのではなく、外出した時にたまたま

出会い、どちらからともなく挨拶を交わして知り合いました。 Cさんはごく普通の

サラリーマン(不動産会社勤務)だったとのことで、本人によれば、「40歳そこそこで

脳梗塞を発症し、右半身麻痺になってしまい、妻と離婚、一人娘も妻が引きとった。 

母親と同居したものの暫くして母親も他界、その後 10年以上も一人で生活している。 

別れた娘はたまに顔を見せる。 娘が尋ねて来た時が最も嬉しい 」 という状況の

ようです。

現在でも、右手は全く動かずに、ブラブラしている状態です。 歩くときは、杖を使っ

ています。 なんとか一人で生活できているので、介護保険のサービスは全く受けて

いない。買い物等生活上の必要から、毎日2時間程度の外出・散歩をかさないとのこと

です。 

昨年の春ごろには足に金属製の補助装具をつけていましたが、重いので、思い切って

装具を外したとのことでした。 歩き方も以前より姿勢が良くなっているように見え

ます。発症して20年近くなって足の補助装具が外せたという事実に驚きます。

半身麻痺になって20年近くになり、一人での生活が10年続いていますが、途中で絶望に

襲われることもあったのではないでしょうか。 実に大変なことで、体力はもちろんの

こと、精神力に頭が下がります。 



上記はほんの一例に過ぎませんが、全国では、半身麻痺・離婚という似たようなケース

が結構あるのではないでしょうか。 夫が30歳・40歳そこそこで半身不随になった場合、

妻としてはその後の生活のことなどお先真っ暗になったことと思います。さらに、様々

なことが重なり、図らずも離婚ということになってしまったのでしょうか。 半身麻痺

の方が社会生活を送る上での不自由さ、苦しさなどは本人なければ、なかなか分かり

づらいと思います。 


一人暮らしを選択せざるをえなかった方の例は、半身麻痺など脳卒中後遺症の影響の大

きさ、深刻さを考えさせます。



生島ヒロシ氏のTBSラジオ番組「おはよう定食・一直線」で、昨年9月初旬にCD発売に

先立ち、生島ヒロシ氏の歌う「もしもしお父さんです」が流れた時には、思わず目頭が

熱くなりました。

離婚して母親とともに去って行った娘に、上京した父親が思い切って電話をかける。  

まず、台詞がすばらしい。 「もしもしお父さんです。 もしもしお父さんですよ 」

で始まる。  「出ないなぁ どうしたんだろう 」と言いながら電話を続けるが、

結局、娘は帰宅せず、「もう帰るね」と言って最終電車に乗って去って行ってしまう

父親。 

斬新でせつなく、父親の娘に寄せる深い愛情に満ちている歌詞もすばらしい。  早速、

CDを買いました。 何回聞いても涙が出てしまいます。  ラジオ番組の中で、生島

ヒロシ氏はこの歌で紅白を目指すと言っていましたが、昨年は残念。しかし、この歌は

瞬間的に爆発的にヒットするのではなく、息長く、じわじわと人気が出てくる名曲なの

ではないでしょうか。 今年の紅白に期待したいです。



作詞:里村龍一

作曲:森山慎也

編曲:谷田部正

歌 :生島ヒロシ


「もしもしおとうさんです」


(台詞) もしもしお父さんです….. もしもしお父さんですよ


 1、今年の10月で お前は21

   可愛さ美しさ  輝く頃だろう

   顔見て帰ろうと 思って電話した

   最終列車まで  時間があったから

   逢いたいね 久しぶり 食事でも しませんか

   困ってることないか 欲しいもの何かある

   お前の母親とは   別れはしたけれど

   お前はお父さんの  一生子供だよ


(台詞) もしもしお父さんです…… もしもしお父さんですよ

    でないなぁ  どうしたんだろう         


 2、留守電むなしいね 便利なものだけど

   この手に届かない 手紙のようだよね

   お前を思わない  時などなかったさ

   住所も知らないで 探した日もあった

   血液型はA型で  母親と同じだね

   目と鼻とやさしさは 父さんに似ているね

   あの頃もう少し  我慢出来たらね

   お前を泣かさずに 済んでたはずだろう


   この腕に抱いて寝た 温もりが残っている

   この次は逢ってくれ お小遣いあげるから

   お前の母親と    俺とは他人でも

   お前は父さんの   大事な宝だよ


(台詞) 最終の時間だ 待ったけどもう帰るね



(2011年2月5日 ☆きらきら星)

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