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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「日ごろのコミュニケーションで信頼関係を築くことが重要――体罰問題に思う」

2013年03月05日 16時41分17秒 | ちょっと気になること
大阪市立桜宮高校の体罰での自殺事件以来、教師の児童・生徒への接し方が議論百出しています。さらに、また、日本柔道連盟に対する女子柔道選手15名の暴力告発もあり、スポーツ界の体質が問われています。こうした中、国の『教育再生実行会議』がいじめ対策と体罰防止に関する提言を取りまとめ、安倍総理に提出したと報道されています。

いじめ対策として、道徳教育の「教科化」を図ることが記載されているようです。 全国同じ道徳教育を行うという意味で良いことです。ただし、道徳教育の成績をつけることは慎重に進めるべきです。 子供の成長が個々に違い、道徳の体得も大きく異なります。 授業による道徳教育の充実を図ることは、意義あることと思いますが、家庭、地域などでの日常における躾や 生活体験に勝るものはありません。道徳向上に向けて家庭や地域と学校との連携強化を目指す工夫をすべきと思います。

体罰防止では、「指導と体罰を区別し、部活動において体罰の根絶を目指し、国は子供の自発的行動を促す部活指導のガイドラインを策定する」ことが記載されています。
ガイドラインは指導の一応の目安にはなるでしょうが、ガイドラインはマニュアル人間には実に便利なツールでしょうが、道徳を体得していないような教師が自信を持って生徒を指導できるのでしょうか。はなはだ疑問に思います。確固とした教育上の信念を持たない、ガイドライン頼みの教師が増えるばかりではないでしょうか。 スポーツ上達には、“愛の鞭”が当然としてとして関係者は誰も疑うことはありませんでした。しかし、元巨人軍の桑田氏が「体罰では上達しない。子どもたちの育成につながる指導方法を考えるべき」と指摘しています。体験に基づく非常に重たい言葉です。

教育的な配慮での指導と体罰の線引きはなかなか困難です。 根底に求められるのは、教師と児童・生徒間のコミニュケーションの密度ではないかと思います。われわれの小学校時代は、家庭内・地域・子供同士での密なコミュニュケーションが当たり前でした。 私の育った田舎には塾など存在しておらず、放課後に校庭で先生も一緒に遊んでいました。 しかし今は、ゲームや携帯端末などに一人で夢中になっている子供がほとんどです。人間同士でのコミュニケーションが極めて少なくなってきています。対人関係の不得手な子供が激増しているのではないかと思っています。

学校では、まず、教師と児童・生徒との、1対1での細やかなコミュニケーションを工夫する必要がありそうです。多忙(?)とされている教師にさらに追い打ちをかけるようですが、どうしても教師のほうからコミュニケーションを図らなくてはなりません。家庭でも同様で、家族間でのコミュニケーション不足が懸念です。

『やる気というのは、実は個人の能力ではなく人間関係から生まれるものなんです。つまり、相手にやる気を出してほしいときや自分の気力を高めたいときは、褒めて認めて人間関係を良くすることが鍵となるといえます。これは職場でも家庭でも同じ。』
「褒めて、やる気を高めよう」(産経新聞」2月26日:気楽に生きよう)

クレージーキャッツに「学生節」という歌があります。作詞は西島大、作曲は山本直純。テンポの良い曲で植木等と谷啓などメンバーが軽妙に歌っていますので、コミック・ソングのように捉えられがちですが、どうしてどうして、西島大の歌詞は非常に含蓄に富んでいます。西島大は脚本家で、多くの映画やTVドラマの脚本を手掛けています。

(西島大の脚本:Wikipediaより抜粋)
白魚(1953)
さらばラバウル(1954)
嵐を呼ぶ男(1957)
青春の抗議(1957)
明日を賭ける男(1958)
僕は泣いちっち(1960)
夢がいっぱい暴れん坊(1962)
事件記者(1959〜1962)
Gメン’75(1975〜1982)<TV>

しゃれっ気のある軽妙なタッチを信条とする脚本を手掛けているかと思えば、社会の深層に迫るような重たい硬派の脚本も手がけているようです。『学生節』は1962年発売です。クレージーキャッツは、前年の1961年にかの有名な「スーダラ節」が大ヒット、1962年からは『無責任シリーズ』も始まりました。日本はまさに高度成長まっしぐらの時代で、都市化、核家族化が進みはじめた時代で、日本の伝統的な地縁や家族の崩壊が危惧されるようになりました。 

西島大は高度成長に浮かれる日本人をよそに、その後の日本を冷徹に見通していたように思われます。家族の絆が薄くなり、普段は会話のほとんどない父親や母親に「一言文句を言う前に」息子・娘を信じなさいと諭しています。 サラリーマン化した先生には「あなたの生徒を信じなさい」。 対人関係の苦手な若者には、「あんたのハートを信じなさい (恋人を)信じなさい」と言っています。 1961年に、現在の日本の抱える課題に解決の手を差し伸べているのです。信じるには普段の細やかなコミュニケーションが必要なのです。

ところで、三番の歌詞に次があります。

「道徳教育今日は
  おしつけ道徳さようなら」

教育界の現状を見透かしているようにも思えますが、“おしつけ道徳 さようなら”という文言は、道徳の真髄を良くわからない教師による道徳教育を批判しています。実に鋭い指摘です。道徳教育こそまず教師にすべきです。特に、日教組活動に精を出し、生徒のことなど眼中にない教師に対して集中的に実施してほしいとおもいます。 

また、一番〜四番すべてに次のフレーズがあります。 西島大が人間関係で最も大事と指摘しているところではないでしょうか。

「あんたの知らない明日がある」

人間というのは大自然の前では小さなものであり、明日のことさえ誰にもわからない。謙虚さをもって周りの人と仲良く過ごそう、今を一生懸命に生きよう。 とメッセージしているように思います。

「どっこいここは通せんぼ
  ここには入れぬわけがある」

人には、肉親といえども、恋人といえども、入っていけない心の奥がある。そこを抉ろうとせずに、日頃のコミュニケーションを通じて、分かりあえるように信頼関係を作りなさい、と言っています。一方、現実にはどうしても心を開かずに聞く耳を持たない生徒がいることも示唆しています。言っても聞かないならば愛の鞭という声が出てきそうですが、指導される生徒に通じるようなコミュニケーション能力を高め努力が求められると、西島大が言っているようです。実にすばらしい。


「学生節」
作曲:山本直純、作詞:西島大、歌:ハナ肇とクレージーキャッツ
(一)
一言文句を言う前に
ホレ親父さん ホレ親父さん
あんたの息子を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
柳は緑花くれない
風が吹いたらナンマイダ
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある
どっこい ここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの息子を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい

(二)
一言文句を言う前に
ホレおふくろさん ホレおふくろさん
あんたの娘を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
色即是空アミダくじ
色即是空アホダラ経
あんたの知らない明日もある
ホレ明日もある ホレ明日もある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの娘を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい

(三)
一言文句を言う前に
ホレ先生よ ホレ先生よ
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
道徳教育今日は
おしつけ道徳さようなら
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい

(四)
一言文句を言う前に
ホレ恋人よ ホレ恋人よ
あんたのハートを信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
男と女はうらおもて
雨か天気か下駄に聞け
あんたの知らない明日もある
ホレ明日もある ホレ明日もある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたのハートを信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい

<youtube>
http://www.youtube.com/watch?v=tmT7nTonOLg


<「褒めて、やる気を高めよう」(産経新聞」2月26日:気楽に生きよう)>
『 あなたは褒められるのと、けなされるのではどちらが良いでしょうか? 「そんなことは言うまでもないこと」と思うかもしれませんが、日常の場で相手を褒める・認めるということをどれくらいしているでしょう。
人は褒められるとうれしくなります。また、誰かに褒めてもらえるだろう、認めてもらえるだろうと感じているときには、たとえそれがつらく苦しいことでも乗り越えていく力を発揮します。人は認められたい欲求を満たそうとして活動しているといわれています。これを心理学では「承認欲求」と言います。

欲求というのは感情です。理屈ではないんです。本当に欲しいことや言葉を受け取ると心が満たされて、すごくうれしくなって自然にやる気や気力がわいてくるんです。やる気というのは、実は個人の能力ではなく人間関係から生まれるものなんです。
 つまり、相手にやる気を出してほしいときや自分の気力を高めたいときは、褒めて認めて人間関係を良くすることが鍵となるといえます。これは職場でも家庭でも同じ。

例えば、元気のない人には、あなたから笑顔であいさつを交わし、話を聞いてあげる。そして、「つらいのによくやっているんだね。ありがとう」とねぎらいや感謝の意を伝え、相手を認めてあげることから始めてみましょう。子供の場合は、抱っこや頭をなでるなどスキンシップしながら、「頑張ってるんだね」と褒めてあげてください。
 また、相手をうまく褒めるには、まずあなた自身が自らを褒める・認めることも大事です。例えば、鏡を見ながら、「今日もよくやりました」「すごいね」などと自分を褒める。また、自分は誰に何と言われたらうれしいかを考え、その人があなたにその言葉を伝えているのを想像してみるなどの方法があります。それだけで、すっと気分が変わり力がわいて来るものです。(カウンセラー いとうしんすけ)』

(2013年3月5日  花熟里)


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