東日本大震災により、多くの企業が甚大な損害を被り未だに操業を再開できない状態で
す。このために、日本国内の企業はもとより海外の子会社、さらに、海外の取引先でも部
品の調達が出来ずに操業に支障をきたしていると報じられています。 北関東から東北地
方にかけては、半導体、自動車、機械部品、化学製品などの日本を代表する多くの企業の
工場が立地しています。これらの企業は世界のトップシェアを占めるところも多く、供給
停止により、世界経済に大きな影響が及ぼす可能性がありますし、なにより、日本の経済
的な基盤が大きく揺らぐ恐れがあります。 これらの企業が操業再開した時には、他の外
国企業が入り込んでおり、従来のシェアが取り戻せないことも考えられます。
これに追い打ちをかけているのが、福島原子力発電所の事故に伴う放射能汚染問題です。
世界中が放射能汚染に敏感になり、日本からの農産物の輸入を止めたり、工業製品も放
射能汚染のないことを証明するように求められてきています。場合によっては、日本から
の調達を見合わせるところも出てくるものと考えられます。
このような未曾有の国難ともいえる状況にあって、菅総理が谷垣自民党総裁に電話で大連
立を持ちかけたと報じられていますが、真剣に日本国家、日本国民のことを考えた上での
大連立構想とは到底思えません。報道されているように、単に、政権延命のためだけなの
でしょう。 現体制では乗り切れない、長年の経験のある自民党の力が必要と本気に考え
ているのであれば、腰を低くしてお願いするなり、直談判するのが普通の感覚だと思いま
す。
菅総理はかつて、観音霊場である四国八十八か所のお遍路をしたと報じられていました。
八十八の観音菩薩と向き合って何を感じたのでしょうか? 観音菩薩の教えとは全くか
け離れた「我執」の権化になっているように感じられます。
『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』
[意味]
一身を犠牲にするだけの覚悟があって初めて、活路も見出せる。
[解説]
和歌や川柳から出たことわざは少なくないが、これもその一つ。
空也上人(くうやしょうにん)(903~972)の作と伝えられる
『 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ 』
(山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそやがては浮かび
上がり、こうして広い下流に到達することができたのだ)
(『空也上人絵詞伝』)という歌が出典。
「浮かむ瀬」は原歌では、仏の悟りを得る機縁、成仏の機会の意だが、これを窮地から脱
して安泰を得るという、世俗一般のこととして、このことわざは使われる。
自分を大事と思って、我(が)に執着していてはなかなか道は開けてこないというのであ
る。
(『成語大辞苑』主婦と生活社)
「わが身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺の意味を虚心坦懐に考え、今は、日本国
家百年の大計のために身を引くことにより、新しい日本建設への礎となっていただきたい
と願っています。
私がその昔関西に勤務していた時に、週末には奈良や京都などをはじめ関西方面の寺社巡
りをしていましたが、薬師寺の第127代の管主であった 高田好胤師 の色紙(勿論印刷
したものですが)を頂いたことがあります。今も実家に飾っていますが次の内容です。
『かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ
ひろく ひろく もっと ひろく
これが般若心経 空のこころなり』
(2011年4月5日 ☆きらきら星☆)