花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「華僑・客家の東南アジアの血のネットワーク」

2012年11月12日 16時35分29秒 | ちょっと気になること
11月8日、中国共産党大会が始まりました。 胡錦濤総書記・国家主席、温家宝首相が退任し、15日に新たな指導部が選出されます。 次期党総書記・国家主席就任が確実視されている習近平氏について、11月14日付けの日本経済新聞の『習氏の陰に僑人脈 中国政権に節目で影響力』と言う記事を掲載していますが、改めて、華僑の東南アジアにおける人脈のすごさを感じています。

この記事によると、習近平氏が中国共産党のトップに就任するには、インドネシア華僑の大富豪「ジュハル・スタント(林文鏡)」氏との繋がりが影響していると指摘しています。
林氏は、出身地である福建省福州市に中国初の華僑による経済開発区「洪寛工業村」を成功させ、林氏の事務所には、「開発区を訪れた歴代の国家主席や首相である江沢民、楊尚昆、朱鎔基、李鵬の各氏に加えて、習氏の写真が飾ってある。林氏を通じて知り合った党長老の幅広い支持を得た。習氏は最近、江沢民氏の薦めで、シンガポールのリー・クアンユー(李光耀)元首相に頻繁に会って帝王学を学んでいる。」と指摘しています。

習近平氏は北京生まれですが、一族のルーツは河南省トウ州市習営村。一族は、約640年前の明朝初期に始祖とされる習思敬がこの地に居を構え、習近平氏は一族の第18代に当たるとされています。

ところで、習近平氏の人脈の、ジュハル・スタント(林文鏡)氏は、インドネシア華僑財閥「サリムグループ」の創始者、スドノ・サリム(林紹良)氏とは同郷であり、林文鏡氏は、林紹良氏の片腕として辣腕を振るった人物です。両者ともいわゆる『客家』ですし、一緒に写真に写っている李鵬元首相も『客家』です。 江沢民氏の勧めで指導を仰いでいるシンガポールのリー・クアンユー(李光耀)元首相は『客家』華僑の総帥的な立場にある人物です。 Wikipediaによると江沢民氏は客家人名簿には出てきませんが、客家と緊密な関係にあることは確かなようです。ひょっとしたら、隠れ『客家』の可能性も否定できないように思います。フィリピンのコラソン・アキノ11代大統領(ベニグノ・アキノ3世現大統領の母)も客家です。


先般、NHKテレビの「ファミリー・ヒストリー」で、女優の余貴美子のルーツを辿る番組が放送されましたが、祖父・余家麟が昭和7年(1932)、日本に渡りましたが、台湾で余一族のことを調べていくうちに、余一族のルーツは中国広東省にあるとのことで、余の外国人登録証に記載されている「中国広東省鎭平村(100年前に官坪村に変更)」を調査して、余一族が、350年前に広東より台湾に渡った『客家』であることが判明します。 「族譜」に一族の系譜が文書で明瞭に残されていることにびっくりすると共に、うらやましくも思えます。  わが日本の一般家庭で家系を遡れるのは通常は3~4世代くらいまでで、これ以上はなかなか遡れない、といわれています。 確かに、我が家でも曾祖父の名前は分かっていますが、どういう人物だったかは全く分かりません。

客家も含めて漢民族は、華僑(華人)として多くの人が海外に住んでおり、今でも一族のルーツを誇りにし、硬い絆で結ばれています。  特に、南シナ海に面する東南アジア諸国の華僑とは地理的な近さもあり、極めて密接な関係を保っていると思われますので、中国にとっては、南シナ海は無意識的に自国の一部との認識があるのかも知れません。  中国が、このような華僑の強い血のネットワークと領土を区別していないところに、東南アジア諸国との領土紛争があります。  尖閣問題も含めて、中国には近代的な領土の考え方を認識してもらいたいと願っています。  


<客家人>(Wikipedia、「客家」講談社現代新書、他より作成)
[中国本土]
 孫文:中華民国初代総統
 宋慶齢:孫文夫人
 宋美齢:蒋介石夫人
 朱徳 :中国共産党初代元帥
 小平:元中華人民共和国中央軍事委員会主席
 葉剣英・葉選平:元中国共産党元老・元広東省長の父子
 廖承志;元中日友好協会会長
 李鵬 :元国務院総理
 朱鎗基:元国務院総理
 郭沫若:全人代副委員長、文学者、元中日友好協会会長
[香港]
 李嘉誠(リー・カーシン)・李沢楷(リチャード・リー):長江実業(ハチソン・ワン ポア)グループ(香港最大の財閥)の総帥・IT産業牽引(息子)
 胡文虎・胡仙:タイガーバーム創設者/星島日報グループ創設者・現総帥(娘)
〔台湾]
 李登輝:第8~9代総統
 陳水扁:第10~11代総統
 呂秀蓮:第10-11代副総統
 馬英九:第12~13代総統(現)
 王永慶:台湾プラスティック・グル〜プ(台湾最大の財閥)総帥
[シンガポール]
 リー・クァンユー(李光耀):初代首相、現顧問相、南洋客属総会の永久名誉顧問
 ゴー・ケンスイ(呉慶瑞) :元第一副首相、小平と親密。
 ゴー・チョクトン(呉作棟):第2代首相、現上級相。
 リー・シェンロン(李顯龍):第3代首相(現職)、南洋客属総会顧問。
[タイ]
 陳弼臣(チン・ソポンパニット)・陳有漢(チャトリ・ソポンパニット):バンコク銀 行グループ創業者・現総帥(息子)
 タクシン・チナワット、インラック・シナワトラ元首相、現首相(娘)。チナワット家 は1860年に広東省から渡来。
 アピシット・ウェーチャチーワ:元首相、
[マレーシア]
 ロバート・クオック(郭鶴年):クオック・グループ(シャングリラホテルなど)総  帥
 ロイ・ヒャンヒョン(雷賢雄)、ロイ・ティックガン(雷徳雁):マーポーグループ(マ レーシア最大の金融会社)の創業者と現総帥(息子)
[インドネシア]
 スドノ・サリム(林紹良)とアンソニー・サリム:サリムグループ創業者と現総帥(息 子)
 ジュハル・スタント(林文鏡):スドノ・サリムの片腕
 ワヒド元大統領: 500年前に福健省から渡来
[ミャンマー]
 ネウィン:ビルマ(現ミャンマー)初代大統領。
[フィリピン]
  コラソン・アキノ、ベニグノ・アキノ3世:第11代大統領と第15代大統領(現)。コラ  ソの曾祖父が1861年に福健省から渡来。


<客家の数>(「客家」講談社新書:高木桂蔵著、他より作成)
*世界客属総会の発表では、客家人総数は中国に4千万人(うち香港・マカオに150万人)、海外に5百万人。日本には ?(30万人)。+
*主な海外の客家。( )は華僑の人口
 シンガポール40万人(人口470万人)、台湾4百万人(人口23百万人)、ベトナム:50万人(150万人)、タイ:40万人(5百万人)、ミャンマー:10万人(15万人)、マレーシア本土:80万人(600万人)、 東マレーシア&ブルネイ:35万人(50万人)、インドネシア:150万人(4百万人)、フィリピン:数千人(30万人)、インド:4千人(3万人)、タヒチ:人口の半分以上が客家、ハワイ:2万人。



<日本経済新聞:11月4日>
『8日に始まる5年に1度の中国共産党大会でトップに就任する予定の習近平・国家副主席。中国の建国に功績のあった党幹部の子弟「太子党」として注目を集めるが、なぜ数多い太子党の中でも習氏が最高権力の座に登り詰めたのか。その背景を探ると福建省時代に親密となったインドネシア華僑の大富豪、ジュハル・スタント(林文鏡)氏の存在が浮かび上がる。


習近平氏(左)と林文鏡氏(林氏が経営トップの不動産開発大手、融僑集団のホームぺージより)
 「習氏の出世は林氏との出会いから始まった」。習氏をよく知る太子党の仲間に教えられて訪れたのは福建省福州市。中心部から南東に車で1時間走ると、林氏が董事長を務める中国初の華僑による経済開発区、「洪寛工業村」にたどり着いた。
 開発区の事務所1階に林氏の簡素な執務室があった。中に入って驚いたのは壁にずらり並ぶ記念写真の数々。江沢民、楊尚昆、朱鎔基、李鵬の各氏ら同村を訪れた歴代の国家主席、首相らと林氏の写真だ。最も多く写っているのが習氏。地元トップ時代、林氏と最高指導部の写真に一緒に入ったからだ。習氏が国家副主席就任後撮影した最近の1枚は林氏と手をつなぎ、親子のように親密にみえる。

林氏とは何者か。1928年福州市生まれ。同市で最も貧しいとされた福清出身で、7歳の時に家族でインドネシアに渡った。その際同じ船に乗り合わせたのが、同郷のスドノ・サリム(林紹良)氏。サリム氏はその後、スハルト政権時代にインドネシア経済を牛耳った華僑財閥、サリム・グループを築き上げるが、林氏はその側近としてグループのかじ取りを担った。
 転機は90年だった。習氏が福州市書記に就いたその年、林氏は故郷に父の名前を冠した開発区「洪寛工業村」を設立したのだ。
 折しも中国では89年の天安門事件で海外からの投資が急減していた。林氏は習氏と「福清貧困脱出計画」と銘打ったプロジェクトを始める。「洪寛工業村」はその中核事業で、林氏は海外企業の工場誘致に奔走。福州市は全国トップレベルの経済成長を達成した。林氏も十分な利益を得たうえ、習氏の行政手腕の評価にもつながり、両氏の間に固い結びつきができた。
 習氏はその後、「林氏を通じて知り合った党長老の幅広い支持を得て」(太子党の仲間)、福建省、浙江省、上海市トップ、国家副主席へと階段を駆け上がった。一方、林氏も習氏の出世に歩調を合わせるかのように不動産開発事業を全国に拡大。2012年の華僑富豪番付では、林氏の資産は250億元(約3200億円)で世界4位だ。
 「衣錦還郷(故郷に錦を飾る)」。その思いと指導者とのパイプによる商機獲得という行動原理が華僑にはある。中国側にとっても華僑の資金力と人脈は魅力的だ。
□  □
 中国現代史の節目で華僑が果たした役割は大きい。辛亥革命で華僑の資金支援を受けて清朝を倒した革命家、孫文は「華僑は革命の母」と称賛した。毛沢東は福建省出身でシンガポールでゴム王と呼ばれたタン・カーキー(陳嘉庚)氏と親しく、陳氏は中国成立後に帰国して華僑をとりまとめて毛氏を支えた。
 中国の経済改革を担ったトウ小平はタイの華僑財閥チャロン・ポカパン(CP)グループのタニン・チャラワノン(謝国民)会長と信頼関係を構築。天安門事件で海外企業が中国から撤退するなか、トウ氏は謝氏に「中国の改革開放は100年間不変だ」と説明し、華僑の支援を得て経済成長の完全失速を回避した。
 今や世界2位の経済大国となった中国も、国内では党幹部の腐敗や貧富の差拡大など共産党独裁を脅かす危機が進行する。そんななか習氏は最近、江沢民氏の薦めで、シンガポールのリー・クアンユー(李光耀)元首相に頻繁に会って帝王学を学ぶ。歴代の中国指導者と水面下で結びつく華僑ネットワーク。リー氏が授けた処方箋をもとに習氏が新体制でどんな新機軸を打ち出すのか注目を集める。』
(重慶=多部田俊輔)

(2012年11月13日  花熟里)


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