花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

『体の機能の変化とリハビリ』

2012年01月13日 08時12分36秒 | リハビリ・健康管理

脳内出血で半身麻痺になって以来、麻痺足には補助装具をつけ、杖を使って歩きます。 発症して満3年になった昨年秋くらいから、自宅近くでの散歩の時には、足の補助装具は外していますが、杖は使っています。 通勤のときは、電車の乗り降り、発進・停止時の対応、階段の上り下りなどがありますので、いまだに装具をつけています。

歩くということは、健常者にとっては、当たり前のことであり、無意識に歩きますが、半身麻痺の障碍者にとっては、体の左右のバランスが取れず、麻痺した足や腕・手もぎこちない動きになりますので、スムーズに歩くことが出来なくなります。 麻痺した足が前に出ないので、腕を振るようにすることなどを、常に心がけていますが、ついつい、腕を忘れて足だけで歩くようになっています。

リハビリ病院に入院しているときに、私の担当の理学療法士(Physical Therapist・PT)が、常に体の重心がどこにあるのか、また、歩くときの骨盤の動きを確認させていました。 即ち、「体の中心に重心を置き」、「腰で歩く」ことを教えてもらいました。


1月3日の読売新聞の「編集手帳」に大女優の杉村春子さんの逸話を紹介していました。即ち「“走る”演技をするとき、役柄の年齢で走り方を演じ分けた。いちばん若い頃はアゴで走る。年齢がいくにつれて、胸から走る、膝から走る、腰から走る…」

なかなか興味深い内容です。体の機能の変化(衰え)に伴って、走るという体の機能が変わるということを言っています。杉村さんの高齢者の「走る」を、半身麻痺の人は「歩く」に置き換えるとよいのです。半身麻痺の障碍者は体の機能が寸断されているので、高齢者が「腰から走る」ように、われわれは「腰から歩く」のだろうと、杉村春子さんの言葉に納得しています。


なお、手についてはリハビリ病院に入院中から医師や作業療法士(Occupational Therapist ; OT)に話して、洗面や歯磨きなど、日常生活で必要なことを両手を使って行うようにしてきましたし、いまでも両手を使うようにしています。 両手を使うのが自然ですが、麻痺手が利き手の場合には退院後の実生活の問題がありますので、病院によっては、利き手交換という方法も行われているようです。 特に主婦や一人暮らしの方に利き手交換が有効と考えられて、行われているのではないかと想像しています。 

手の麻痺の状態によって、リハビリの方法が変わってくるものと思います。 私の場合は麻痺手には強い硬直と、きつい痺れ感覚がありましたし、現在も変わっていません。他方、麻痺手には全く感覚が無く、単に腕が肩にブラ下がっている状態の方もいます。 

私のような状態の場合には、麻痺手は短期間のリハビリである程度の機能回復が可能な場合があるのではないかと推測しています。 他方、私の知人の男性で一人暮らしをされている方は、利き手の右手が全く感覚が無く、本人の言うところによれば、「腕が肩にブラブラとついているだけ」というように完全に麻痺し、全く動きません。入院中には麻痺手のリハビリを受けたそうですが、入院は短期間ですので、機能の改善はほとんど見られなかったようです。このような状態の場合は、機能回復にはある程度の長期のリハビリが必要なのではないでしょうか。 退院後は麻痺していない左手をなんとか使っていますが、未だに字も書けないとのことで、一人暮らしでもあり本当に不自由です。パソコンや携帯電話は使ったことがないとのことです。 麻痺手のリハビリと共に、利き手交換の指導を受けていたら、もう少し良い状況になっていただろうにと思います。


現在の回復期リハビリ入院期間の考え方を考え直す必要がありそうです。 退院後は、体の状態も少しずつですが変化していきますので、この変化を見極めて毎日のリハビリに生かしていく必要があります。



「読売新聞 編集手帳(2012年1月3日)」

『今は亡き名女優の杉村春子さんは“走る”演技をするとき、役柄の年齢で走り方を演じ 分けたという。ある対談で語っていた。「いちばん若い頃はアゴで走るんです。年齢が いくにつれて、胸から走る、膝から走る、腰から走る…」 ◆箱根駅伝の選手は10代 から20代にかけての青年である。胸から、の年齢だろう。きのうの往路、どの選手も タスキ掛けの胸を冷たい風に張って走っていた。 ◆スポーツ用語「駅伝」の名付け親 は、歌人の土岐善麿といわれる。初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」(1917年)を主 催した読売新聞の社会部長だった。 ◆その人に印象深い一首がある。〈いっぽんの杭 にしるせる友が名の、それも消ゆるか潮風の中に〉。いま聞く耳には、震災の犠牲者を 偲ぶ歌のようにも響く。つらい山坂のあること、ひとりの力ではゴールにたどり着けな いこと…人生というものが二重写しになってテレビ画面にちらつく今年の箱根駅伝であ る。 ◆のぼりの勾配はきつそうだが、とにもかくにも今年という年を走り出さねばな るまい。ときに上半身が置いてけぼりにされる、不肖「腰から」組の身なれども。』


(2012年1月13日  花熟里)
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