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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「(2017)3月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2017年03月28日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
3月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。 春にちなんだ歌には素晴らしい歌が多数あります。今回は15曲を歌いました。
『思い出(久しき昔)』は、イギリスの古い歌曲で“Long, long ago”が原題で、日本には明治時代にもたらされ、様々な歌詞がつけられています。 この会では、古関吉雄版で歌いましたが、他に、近藤朔風作版、津川主一版、などがあり、それぞれ歌われているようです。古関吉雄版は、「垣に赤い花さく」で始まる歌詞です。「かき(垣)に)」が「ファ ファ ソ」 であり、柿のアクセントになっているために、“かき(柿)と思い込んでいた”、という方が多いと指導者が話されていました。 『この道』では、「あーあーそうだよ」というところは、思い出したような雰囲気を出してゆっくりと歌うように指導がありました。
『時計台の鐘』は久しぶりに歌いました。題名だけではどのような歌かわからなかったのですが、「時計台の 鐘が鳴る 大空遠く ほのぼのと」と歌い出すと昔歌ったことを思い出しました。

1、どこかで春が (百田宗治作詞、草川信作曲)
2、早春賦 (吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、思い出 (久しき昔)(古関吉雄作詞、イングランド民謡)
4、故郷の廃家 (犬童球渓作詞、ヘイス作曲)  
5、時計台の鐘 (高階哲夫作詞・作曲)
6、荒城の月 (土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
7、この道 (北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
8、思い出のアルバム (増子とし作詞、本多鉄麿作曲)
9、仰げば尊し (作詞・作曲者不詳)
10、今日の日はさようなら (金子詔一作詞・作曲)
11、花かげ (大村主計作詞、豊田義一作曲)
12、霞か雲か (加部巌夫作詞、ドイツ民謡)
13、さくらさくら (日本古謡)
⒕、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、フニクリ フニクラ (清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)


『時計台の鐘』は、当時、新進のバイオリニスト高階哲夫(たかしな・てつお)が1923年(大正12年)、27歳の時に作詞・作曲しました。1923年に、高階は札幌出身の声楽家の妻ます子と共に札幌で演奏会を開き、大盛況でしたが、地元紙の北海タイムスが厳しい評価を掲載しました。傷心の高階を演奏会場でもあった時計台の傍らにある豊平館の支配人が札幌の街や郊外を案内して励ましました。東京に帰ってこの時の印象を基にして作曲したのが『時計台の鐘』です。昭和6年(1931年)4月に、高階ます子の歌でレコード発売されています。
札幌観光の名所といえば、「時計台」があげられます。明治11年(1878年)に札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場が建設されました。(1階は研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室。2階は「演武場」として兵式訓練や体育の授業に使われるとともに中央講堂として入学式、卒業式、催事場として使われた)。  当初時計台はなく、3年後の明治14年(1881年)年8月に完成し、鐘の音と正しい時刻を告げ始めました。 明治39年(1906年)に札幌市が演武場を買い取って、現在の位置に移しました。 鐘は、1時は1回、2時は2回.、12時には12回、1日に156回鳴ります。札幌市民憲章の前章には、『わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です』とうたわれ、昭和45年(1970年)に、国の重要文化財に指定され、さらに平成8年(1996年)には環境庁の「日本の音風景百選」に選定されています。


「時計台の鐘」
  作詞・作曲:高階哲夫
㈠時計台 の 鐘が鳴る
大空遠く ほのぼのと
静かに夜は 明けて来た
ポプラの梢に 日は照り出して
きれいな朝に なりました
時計台の 鐘が鳴る

(二)時計台の 鐘が鳴る
アカシヤの木に 日は落ちて
静かに街も 暮れてゆく
山の牧場の 羊の群も
黙ってお家へ 帰るだろう
時計台の 鐘が鳴る




「(2017)1月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2017年01月29日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
1月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。「唱歌・童謡・名歌を歌う会」が平成15年(2003年)に発足し、今年で14年になるとのことです。出席者の中に初回から参加されている方も数名おられました。魅力的な会の証拠だろうとおもいます。
新年初回の今回は、初年度の「故郷」からの順に毎年の課題曲(毎月の練習曲の最後に一年間歌う曲)14曲を歌いました。14曲はいずれも日本人に親しまれている歌ばかりですが、「故郷」や「浜辺の歌」などの唱歌、「あざみの歌」や「青い山脈」などの古典的な歌謡曲、「涙そうそう」や「花は咲く」のような、比較的最近ヒットした歌、「夕方のお母さん」のような童謡、「エーデルワイス」や「フニクリ フニクラ」などの外国の歌、など、広い範囲にわたっています。

3年目の課題曲に「希望のささやき」が入っています。聖歌的な美しい調べと素晴らしい歌詞に魅了され、好きになった歌のひとつです。この歌を私が知ったのは2年位前ですが、調べてみると、「希望のささやき」として歌われている歌詞には2種類があります。私が所属している歌の会で歌っている歌詞は「津川主一」訳となっていますが、他の一つは「緒園涼子(おぞのりょうし)」訳となっています。
「津川主一」訳の歌詞は、昭和26年(1951年)楽教科書に「希望の歌」として載り、歌われるようになっています。緒園涼子(おぞのりょうし・本名:内藤健三)訳の歌詞は、昭和29年(1954年)の『中学校音楽』二年生用の教科書に「希望のささやき」として掲載されています。津川主一訳の歌詞のタイトルが「希望のささやき」になったのは、緒園涼子訳が出た後なのでしょうか。
なお、アリス ホーソンのこの曲は、二宮龍雄の訳詩の「夏の光」というタイトルで、昭和25年(1950年)の『髙等学校用音楽一』に掲載されているようです。この歌詞もなかなか素晴らしいです。


1、故郷(高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
2、浜辺の歌(林古渓作詞、成田為三作曲)
3、希望のささやき(津川圭一訳詩、ホーソン作曲)
4、エーデルワイス(オスカー・ハマースタインⅡ作詞、リチャード・ロジャース作曲、阪田寛夫日本語詞)  
5、涙そうそう(森山良子作詞、BEGIN作曲)
6、すべての人の心に花を(喜納昌吉作詞・作曲)
7、灯台守 (エドムンド・H・シアーズ作詞、勝 承夫日本語詞、リチャード・S・ウィリス作曲)
8、あざみの歌 (横井弘作詞、八洲秀章作曲)
9、アンニーローリー(堀内敬三作詞、スコット作曲)
10、花は咲く(岩井俊二作詞、 菅野よう子作曲)
11、美しき天然(武島羽衣作詞、田中穂積作曲)
12、青い山脈(西條八十作詞、服部良一作曲)
13、夕方のお母さん(サトウ ハチロー作詞、中田喜直作曲)
14、フニクリ フニクラ(清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)


『希望のささやき』 昭和26年(1951年)の『高等学校音楽1』掲載。
   訳詞 津川主一
   作曲 アリス ホーソン(ALICE HAWTHORNE) 

一、天(あま)つみ使いの 声もかくやと
  静かにささやく 希望(のぞみ)のことば
  闇あたりをこめ 嵐すさめど
  やがて日照りいで 雲も拭われん
    ささやく 希望(のぞみ)のことば
    うきにも よろこびあり

二、あたりたそがれて 夕べ迫れば
  空に見えそむる あかき星かげ
  夜(よ)はいよよ更けて 心しずめど
  照る日さしのぼる 朝(あした)まぢかし
    ささやく 希望(のぞみ)のことば
    うきにも よろこびあり


『希望のささやき』 昭和29年(1954年)の『中学校音楽2年』に掲載。
   訳詞 緒園凉子(おぞのりょうし)
   作曲 アリス ホーソン(ALICE HAWTHORNE) 

一、あまつ御使いのことばさながら
  声もひそやかに 希望ささやく
  やみはよもにこめ あらしたけれど
  明朝(あした)陽はのぼり かぜもなごまん
   希望の あまき言葉
   うきにも幸はひそむ

二、あわきたそがれに まやみせれば
  くらき世の空に 星はまたたく
  いよよわけゆきて 胸はいためど
  よわにしのびよる 朝の光よ
   希望の あまき言葉
   うきにも幸はひそむ



『夏の光』昭和25年(1950年)の『髙等学校用音楽一』に掲載
  訳詩 二宮龍雄
  作曲 アリス ホーソン(ALICE HAWTHORNE) 
  (昭和15年(1934 年)ビクターから「夏のひかり」としてレコード化)
  
 四方の山に野に
 光かがやき
 緑さわやかに
 夏ははや来ぬ
 露踏み分け行けば
 朝風かをりて
 見よ青葉のにほひ
 空をこめたり
 せきれい翼ひたすや
 せせらぎ水も澄て
 涼しき夏のすがたよ
 さやけき夏の光



『Whisperig Hope』

1.Soft as the voice of an Angel, Breathing a lesson unheard,
  Hope with a gentle persuasion Whispers her comforting word.
  Wait, till the darkness is over. Wait, till the tempest is done,
  Hope for the sunshine tomorrow, After the shower is gone.
  Whispering hope, Oh how welcome thy voice,
  Making my heart in its sorrow rejoice.

2.Hope has an anchor so steadfast, Rends the dark veil for the soul.
  Wither the Master has entered, Robbing the grave of its goal.
  Come then O come glad fruition, Come to my sad weary soul.
  Come Thou O blessed hope of glory, Never O never depart.
  Whispering hope, Oh how welcome thy voice,
  Making my heart in its sorrow rejoice.

3.If, in the dusk of the twilight, Dim be the region afar,
  Will not the deepening darkness Brighten the glimmering star?
  Then when the night is upon us, Why should the heart sink away?
  When the dark midnight is over, Watch for the breaking of day.
  Whispering hope, oh how welcome thy voice,
  Making my heart in its sorrow rejoice.




「地域の第九コンサート」

2016年12月28日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
私の住んでいる市で行われている年末恒例の『第九合唱団』のコンサートに行って来ました。今回も500席のホールは満席、市民の関心の深さがうかがえます。今回は隣接市在住の日本を代表するオペラ歌手の一人である 関 定子さん を迎えてのコンサートでした。 
関さんは、ソリストによるオペラアリア名場面集で、ヴェルディ作曲の「椿姫」より『ああそは彼の人か~花から花へ』を歌いました。司会の三村卓也氏が、ご本人の了解を得ているとして、“昭和20年生まれ”と紹介する中で関さんがステージに現れると、71歳という年齢を感じさせない若々しい声、衰えぬ美貌、気品のある衣装、さらに、きりっとした佇まいに、会場からワ~という歓声が上がりました。また、スターだけが持つ“オーラ”と圧倒的な存在感を感じさせました。私の後ろの席のご婦人から、「あこがれる」という声が漏れました。

「みんなで歌いましょう♪」のコーナーでは、プログラムとともに配布された『歓喜の歌』の楽譜(ドイツ語歌詞にカタカナで読み方がついている)で、三村さんから歌唱指導がありました。ドイツ語の発音が正確にできなくても、とりあえず、カタカナで歌ってほしいとのことで、2小節ごとの読み方と歌を繰り返し、ゆっくりしたテンポで練習したあと、バスの押川浩士に歌ってもらい、発音とリズムを確認し、そのあと、3回ほど譜面を見ながら練習しました。会場の皆さんにとって初めてのドイツ語の歌だったと思いますが、なかなか上手に歌っていたと思いました。


~プログラム~
指揮    :三村卓也
ピアノ   :比留間千里
ソプラノ  :関 定子(二期会)
メゾソプラノ:田辺いづみ(二期会)
テノール  :寺田宗永(二期会)
バス    :押川浩士(藤原歌劇団)

(第一部)
ソリストによるオペラアリア名場面集
 カルメンより (ビゼー作曲)
  ハバネラ   ~恋は野の鳥    田辺いずみ
  闘牛士の歌            押川浩士
  花の歌              寺田宗永
  椿姫より   (ヴェルディ作曲)
    ああそは彼の人か~花から花へ   関 定子

みんなで歌いましょう ♪♪ 「歓喜の歌」

(第二部)
第九合唱団演奏
  ナブッコより    行け黄金の翼に乗って  (ヴェルディ作曲)
  レ・ミゼラブルより 民衆の歌 (シェーンブルグ作曲 岩谷時子訳)
  カンタータ<土の歌>カラ 大地讃頌 (大木敦夫作詞、佐藤眞作曲)
  交響曲「第九」ニ短調 より 第四楽章「合唱」(ベートーベン作曲)








「(2016)12月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2016年12月20日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
12月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。歌が始まる前にミュージカルの「サウンド オブ ミュージック」の中のよく知っている音楽とともに映像が流され、ほんのひと時ですが、なつかしい気分になりました。今月はサウンド オブ ミュージックから2曲、季節にちなみクリスマス、冬、正月の曲を中心に全部で15曲を歌いました。「ドレミの歌」と「エーデルワイス」は、サウンドオブミュージックの映像を思い浮かべながら感情を込めて歌いましょうという指導があり、皆さん、なかなか上手に歌っていたように感じました。

「村の鍛冶屋」についてです。現在の歌詞になるまでに数回にわたって変更がなされています。末尾にオリジナルの歌詞を記載しました。大正2年に発表されていますが、戦後まもなくして生まれた私たちの世代でもかろうじて読める漢字が多く使用されていますので、もっと若い世代になると、まず読むことができず、当然ながら、意味も分からない漢字が随所に出てきます。例えば、“鞴(ふいご)”、“馬鋤(まぐは)”、“作鋤(さくぐは)”、“懶惰(らんだ)”などです。“鋤(すき)”、“鉈(なた)”も同様でしょう。さらに、“いっこく”(一刻)の意味も分からない世代が多いと思われます。「一徹者」と同義で、頑固者という意味ですので、歌詞では、頑固一徹な昔気質の鍛冶屋の老爺(おやじ)を表現しています。昭和22年の改正で、“いっこく老爺”は““働き者”に変更されるなど、全体的に平易な表現に改められました。鍛冶屋という職業も消えてしまった等々の理由で、「村の鍛冶屋」は、昭和60年(1985年)ごろになると、義務教育の音楽の教材から姿を消したようです。

子供時代に論語の素読をさせることが重要であると専門家から指摘されています。音楽でも同じことが言えるのではないかと思います。歌詞を少々理解できなくても、リズムに合わせて歌い、歌を覚えることで、年齢を重ねたある時点で懐かしい歌としてよみがえってくるのではないでしょうか。歌詞では、“鋤(すき)”、“鉈(なた)”などの“平和のうち物”’(すなわち農具)を、心を込めて“惰(らんだ)の敵”作っているとなっているように実に素晴らしい歌詞です。このような意味からも、「村の鍛冶屋」を学校で歌い続けてほしいと願っています。

平成元年(1889年)頃までは、地域に包丁や鉈,鎌などを作っていた鍛冶屋さんがおり、私も自宅用、贈答用に包丁を買い求めたものです。 この鍛冶屋のおやじさんは、絵にかいたような“一刻老爺”で、近づきがたい雰囲気がありました。 ここの包丁は、軽くて切れ味抜群、しかも、長持ちするので、大変評判が良かったのですが、当時で60歳を過ぎていたように思われますので、其の後、10年もたたないうちに廃業したのではないかと思います。

稲荷神社は鍛冶の守護神といわれ、鍛冶屋、刀工、鋳物師など「鞴(ふいご)」を使う職業にとっては、旧暦で11月8日は特別な日で、仕事を休んで稲荷神社に詣で、「鞴祭り」を行いました。また、風呂屋、彫り物師など火を使う商売の家でも稲荷神社に詣でてお札を受け、仕事場にかざりました。 現在でも11月に「火焚祭」が行われている神社、寺院が多くあります。稲荷神社の総本宮の「伏見稲荷大社」で11月8日に行われる「お火焚祭」は、「鞴(ふいご)祭り」とも呼ばれ、全国の崇敬者から十万本以上の護摩木(火焚串)が寄せられ、炊き上げられます。全国一のスケールで毎年多くの観光客で賑わうお祭りです。


1、ドレミの歌(オスカー・ハマースタインⅡ作詞、リチャード・ロジャース作曲、ペギー葉山日本語詩)
2、エーデルワイス(オスカー・ハマースタインⅡ作詞、リチャード・ロジャース作曲、阪田寛夫日本語詞)  
3、牧場の朝(作詞者不祥、船橋栄吉作曲)
4、リンゴの独り言(武内俊子作詞、河村光陽作曲)
5、村の鍛冶屋(作詞・作曲者不詳)
6、雪(作詞・作曲者不詳)
7、たき火 (巽聖歌作詞、渡辺茂作曲)
8、ふじの山 (厳谷小波作詞、作曲者不祥)
9、冬の旅(作詞・作曲者不詳)
10、雪の降る町を(内村直也作詞・中田喜直作曲)
11、ペイチカ(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
12、きよしこの夜(由木康作詞、グルーバー作曲)
13、お正月(東くめ作詞、滝廉太郎作曲)
14、蛍の光(作詞者不祥、スコットランド民謡、中田喜直編曲)
15、フニクリ フニクラ(清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)


「村の鍛冶屋」(作詞・作曲者不詳)
(現在の歌詞:昭和22年変更)
一. しばしも休まず 槌うつ響き。
飛び散る火花よ 走る湯玉
ふいごの風さえ 息をもつがず
仕事に精出す 村の鍛冶屋

二.あるじは名高い 働き者よ、
早起き早寝の やまい知らず
永年鍛えた 自慢の腕で、
打ち出す鋤鍬(すきくわ)心こもる。

(原歌詞:文部省編『尋常小学唱歌』第四学年用、大正元年(1912年)12月)
一、暫時(しばし)もやまずに 槌うつ響
  飛び散る火の花 はしる湯玉
  鞴(ふいご)の風さへ 息をもつがず
  仕事に精出す 村の鍛冶屋

二、あるじは名高き いつこく老爺(おやぢ)
  早起早寝の 病知らず
  鐵より堅しと ほこれる腕に
  勝りて堅きは 彼がこゝろ

三、刀はうたねど 大鎌小鎌
  馬鋤(まぐは)に作鋤(さくぐは)鋤(すき)よ 鉈(なた)よ
  平和のうち物 休まずうちて
  日毎(ひごと)惰(らんだ)の敵と

四、かせぐにおひつく 貧乏なくて
  名物鍛冶屋は 日々に繁昌
  あたりに類なき 仕事のほまれ
  槌うつ響にまして高し





「旧古河庭園に行ってきました」

2016年10月24日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
旧古河庭園(東京都北区西ヶ原)の洋館を予てから見てみたいと思っていましたが、丁度バラが見ごろを迎えており、「秋のバラフェスティバル」が開催されているのに合わせて、旧古河庭園を訪れました。旧古河庭園の洋館と洋風庭園の設計はジョサイア・コンドルが、日本庭園は京都の庭師・小川治兵衛が作庭しています。
ジョサイア・コンドルは、明治政府のお雇い外国人で、工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として日本人建築家である辰野金吾(東京駅舎、日銀本店・支店、他)、片山東熊(赤坂迎賓館、東京国立博物館、他)ら創成期の日本人建築家を育成しました。また、日本文化を愛し、日本画家の河鍋暁斎に入門し、「暁英」という雅号を授与されます。明治17年(1884年)に開催された第2回内国絵画共進会に「大兄皇子会鎌足図」と「雨中鷺」を出品し受賞しています。 花柳流の舞踊家、前波くめと結婚し、67歳で東京で死去しましたが、この3年前に古河庭園を設計しており、最後の作品となりました。


『旧古河庭園の概要』 :旧古河庭園のHPから抜粋借用
「この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例であり、平成18年1月26日に国の名勝指定を受けました.
現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士(1852~1920)です。博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計し、我が国の建築界に多大な貢献をしました。
日本庭園の作庭者は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860~1933)の手によるものであり、彼は当園以外にも、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭しました。」



【庭園】
(正門の様子)


(洋風庭園の様子)







【見ごろの秋バラ】
(リオ・サンバ)


(ピース)


(黒真珠)


(シャルル・ドゥ・ゴール)


(ローラ)


(プリンセス・ミチコ:当時皇太子妃だった美智子皇后に捧げられた)


(プリンセス・オブ・ウエールズ:故ダイアナ元皇太子妃に捧げられた)


(ヨハネ・パウロ2世)


(マリア・カラス)


(万葉)





【洋館(大谷美術館が管理)】
洋館の室内見学は事前申し込みが原則ですが、申し込みをしていなかったので、見学できれば儲けものということで、ツアー参加希望を申し出たところ、ツアー人員に余裕があったので、見学に参加することができました。室内は写真撮影は禁止ですので、大谷美術館のHPより借用、転載します。

(外観)
「玄関側」


玄関階段上のステンドグラスには古河家の家紋がみえます。








(室内):大谷美術館のHPより借用
http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/gallery.html