3月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。 春にちなんだ歌には素晴らしい歌が多数あります。今回は15曲を歌いました。
『思い出(久しき昔)』は、イギリスの古い歌曲で“Long, long ago”が原題で、日本には明治時代にもたらされ、様々な歌詞がつけられています。 この会では、古関吉雄版で歌いましたが、他に、近藤朔風作版、津川主一版、などがあり、それぞれ歌われているようです。古関吉雄版は、「垣に赤い花さく」で始まる歌詞です。「かき(垣)に)」が「ファ ファ ソ」 であり、柿のアクセントになっているために、“かき(柿)と思い込んでいた”、という方が多いと指導者が話されていました。 『この道』では、「あーあーそうだよ」というところは、思い出したような雰囲気を出してゆっくりと歌うように指導がありました。
『時計台の鐘』は久しぶりに歌いました。題名だけではどのような歌かわからなかったのですが、「時計台の 鐘が鳴る 大空遠く ほのぼのと」と歌い出すと昔歌ったことを思い出しました。
1、どこかで春が (百田宗治作詞、草川信作曲)
2、早春賦 (吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、思い出 (久しき昔)(古関吉雄作詞、イングランド民謡)
4、故郷の廃家 (犬童球渓作詞、ヘイス作曲)
5、時計台の鐘 (高階哲夫作詞・作曲)
6、荒城の月 (土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
7、この道 (北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
8、思い出のアルバム (増子とし作詞、本多鉄麿作曲)
9、仰げば尊し (作詞・作曲者不詳)
10、今日の日はさようなら (金子詔一作詞・作曲)
11、花かげ (大村主計作詞、豊田義一作曲)
12、霞か雲か (加部巌夫作詞、ドイツ民謡)
13、さくらさくら (日本古謡)
⒕、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、フニクリ フニクラ (清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)
『時計台の鐘』は、当時、新進のバイオリニスト高階哲夫(たかしな・てつお)が1923年(大正12年)、27歳の時に作詞・作曲しました。1923年に、高階は札幌出身の声楽家の妻ます子と共に札幌で演奏会を開き、大盛況でしたが、地元紙の北海タイムスが厳しい評価を掲載しました。傷心の高階を演奏会場でもあった時計台の傍らにある豊平館の支配人が札幌の街や郊外を案内して励ましました。東京に帰ってこの時の印象を基にして作曲したのが『時計台の鐘』です。昭和6年(1931年)4月に、高階ます子の歌でレコード発売されています。
札幌観光の名所といえば、「時計台」があげられます。明治11年(1878年)に札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場が建設されました。(1階は研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室。2階は「演武場」として兵式訓練や体育の授業に使われるとともに中央講堂として入学式、卒業式、催事場として使われた)。 当初時計台はなく、3年後の明治14年(1881年)年8月に完成し、鐘の音と正しい時刻を告げ始めました。 明治39年(1906年)に札幌市が演武場を買い取って、現在の位置に移しました。 鐘は、1時は1回、2時は2回.、12時には12回、1日に156回鳴ります。札幌市民憲章の前章には、『わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です』とうたわれ、昭和45年(1970年)に、国の重要文化財に指定され、さらに平成8年(1996年)には環境庁の「日本の音風景百選」に選定されています。
「時計台の鐘」
作詞・作曲:高階哲夫
㈠時計台 の 鐘が鳴る
大空遠く ほのぼのと
静かに夜は 明けて来た
ポプラの梢に 日は照り出して
きれいな朝に なりました
時計台の 鐘が鳴る
(二)時計台の 鐘が鳴る
アカシヤの木に 日は落ちて
静かに街も 暮れてゆく
山の牧場の 羊の群も
黙ってお家へ 帰るだろう
時計台の 鐘が鳴る
〆
『思い出(久しき昔)』は、イギリスの古い歌曲で“Long, long ago”が原題で、日本には明治時代にもたらされ、様々な歌詞がつけられています。 この会では、古関吉雄版で歌いましたが、他に、近藤朔風作版、津川主一版、などがあり、それぞれ歌われているようです。古関吉雄版は、「垣に赤い花さく」で始まる歌詞です。「かき(垣)に)」が「ファ ファ ソ」 であり、柿のアクセントになっているために、“かき(柿)と思い込んでいた”、という方が多いと指導者が話されていました。 『この道』では、「あーあーそうだよ」というところは、思い出したような雰囲気を出してゆっくりと歌うように指導がありました。
『時計台の鐘』は久しぶりに歌いました。題名だけではどのような歌かわからなかったのですが、「時計台の 鐘が鳴る 大空遠く ほのぼのと」と歌い出すと昔歌ったことを思い出しました。
1、どこかで春が (百田宗治作詞、草川信作曲)
2、早春賦 (吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、思い出 (久しき昔)(古関吉雄作詞、イングランド民謡)
4、故郷の廃家 (犬童球渓作詞、ヘイス作曲)
5、時計台の鐘 (高階哲夫作詞・作曲)
6、荒城の月 (土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
7、この道 (北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
8、思い出のアルバム (増子とし作詞、本多鉄麿作曲)
9、仰げば尊し (作詞・作曲者不詳)
10、今日の日はさようなら (金子詔一作詞・作曲)
11、花かげ (大村主計作詞、豊田義一作曲)
12、霞か雲か (加部巌夫作詞、ドイツ民謡)
13、さくらさくら (日本古謡)
⒕、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、フニクリ フニクラ (清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)
『時計台の鐘』は、当時、新進のバイオリニスト高階哲夫(たかしな・てつお)が1923年(大正12年)、27歳の時に作詞・作曲しました。1923年に、高階は札幌出身の声楽家の妻ます子と共に札幌で演奏会を開き、大盛況でしたが、地元紙の北海タイムスが厳しい評価を掲載しました。傷心の高階を演奏会場でもあった時計台の傍らにある豊平館の支配人が札幌の街や郊外を案内して励ましました。東京に帰ってこの時の印象を基にして作曲したのが『時計台の鐘』です。昭和6年(1931年)4月に、高階ます子の歌でレコード発売されています。
札幌観光の名所といえば、「時計台」があげられます。明治11年(1878年)に札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場が建設されました。(1階は研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室。2階は「演武場」として兵式訓練や体育の授業に使われるとともに中央講堂として入学式、卒業式、催事場として使われた)。 当初時計台はなく、3年後の明治14年(1881年)年8月に完成し、鐘の音と正しい時刻を告げ始めました。 明治39年(1906年)に札幌市が演武場を買い取って、現在の位置に移しました。 鐘は、1時は1回、2時は2回.、12時には12回、1日に156回鳴ります。札幌市民憲章の前章には、『わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です』とうたわれ、昭和45年(1970年)に、国の重要文化財に指定され、さらに平成8年(1996年)には環境庁の「日本の音風景百選」に選定されています。
「時計台の鐘」
作詞・作曲:高階哲夫
㈠時計台 の 鐘が鳴る
大空遠く ほのぼのと
静かに夜は 明けて来た
ポプラの梢に 日は照り出して
きれいな朝に なりました
時計台の 鐘が鳴る
(二)時計台の 鐘が鳴る
アカシヤの木に 日は落ちて
静かに街も 暮れてゆく
山の牧場の 羊の群も
黙ってお家へ 帰るだろう
時計台の 鐘が鳴る
〆