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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

(2017)「6月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2017年06月22日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「唱歌・童謡・名歌を歌う会」の6月例会に行って来ました。 今回は梅雨の時期に因んだ曲(雨降り、てるてる坊主、雨、雨降りお月、蛙の笛)など5曲を始め、16曲を歌いました。No.6の「雨(北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲)」は、歌詞が5番までありますが、すべて“雨がふります 雨がふる”ではじまります。特に5番の歌詞は“雨がふります 雨がふる 昼もふるふる 夜もふる 雨がふります 雨がふる”となり、梅雨の“じめじめしたうっとおしさ”が感じられます。すばらしい描写です。 私が子供の頃は北原白秋がこの歌詞で表現したようなうっとおしい毎日が続いていましたが、昨今は梅雨入りしてもカラ梅雨の年が多いです。梅雨の時期はいやなうっとおしい季節というのは、今の子供には実感できないのだろうと思います。


1、港(旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲)
2 かっこう(大浦正美作詞・ドイツ曲)
3、かたつむり(作詞・作曲者不詳)
4、雨降り(北原白秋作詞、中山晋平作曲)
5、てるてる坊主(浅原鏡村作詞、中山晋平作曲)
6、雨(北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲)
7、雨降りお月(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
8、蛙の笛(齋藤信夫作詞、海沼実作曲)
9、ほたるこい(わらべうた、坊田かずま編曲)
10、ないしょ話(結城芳夫作詞、山口保治作曲)
11、ゆりかごの歌(北原白秋作詞、草川信作曲)
12、みかんの花咲く丘(加藤省吾作詞、海沼実作曲)
13、大きな古時計(ヘンリー・ クレイ・ワーク作曲、保富康午作詞)
⒕、モーツアルトの子守歌(ベルンハルト・ フリース作曲、堀内敬三作詞)
15、花の街(江間章子作詞、團伊玖磨作曲)
16、フニクリフニクラ(清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)わらべうた


「雨降りお月」は、雑誌『コドモノクニ』の大正14年(1925年)正月号に野口雨情の「雨降りお月さん」(中山晋平の譜面付き)が発表されました。上記歌詞の一番の部分です。大好評だったので、3月号に「雲の陰」を発表しますが、『雨降りお月さん』の続きと紹介しています。これは、上記歌詞の二番の部分です。昭和4年にレコード化された時には、「雨降りお月~雲の陰」として、この2つの曲が1つの曲のように収録されています。1番と2番は、よく似たメロディですが、2番は歌詞のアクセントに合わせ高低を変えたメロディになっており、1番と2番とではメロディが微妙に異なっています。歌い方がなかなか難しくなっており、正確に歌うにはピアノの伴奏をよく聞かなければならないと感じました。

さて、『お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで傘(からかさ) さしてゆく』という歌詞は不思議な情緒を感じます。日本では嫁入りの時には、一般的には、“嫁入り行列”が組まれていたと思いますし、現に雨情の婚姻の時にも、(現在の)栃木県さくら市喜連川から高塩武の三女ヒロが、白無垢で馬の背にゆられながら花嫁行列で、(現在の)茨城県北茨城市磯原にある野口家の大門の前まできました。大門の前には、大きな菊水の提灯を掲げて、雨情をはじめ多くの村人がヒロの到着を迎えたと言われています。(出典「さくら市ゆかりの詩人 野口雨情」企画展図録)

雨情は、「雨降りお月」の詩を作るにあたって、自分の婚姻の時の様子を思い浮かべたとも言われていますが、「花嫁が一人で嫁入りする」という情景は何とも物悲しいものがあります。この辺りの雨情の心情やいかに、と思います。
なお、この歌は、平成19年(2007年)に『日本の歌百選』に選ばれています。

「雨降りお月」
作詞:野口雨情、作曲:中山晋平 「大正14年(1925年)」

(一)(雨降りお月さん)
   雨降りお月さん 雲の蔭
   お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
   ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
   傘(からかさ)な いときゃ 誰とゆく
   シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
   お馬にゆられて 濡れてゆく

(二)(雲の蔭)
   いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
   手綱の下から ちょいと見たりゃ
   お袖でお顔を 隠してる
   お袖は濡れても 干しゃ乾く
   雨降りお月さん 雲の蔭
   お馬にゆられて 濡れてゆく








『聖徳記念絵画館(明治神宮外苑)』17

2017年06月03日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
明治神宮外苑にある『聖徳記念絵画館』に行って来ました。明治神宮外苑に行ったことのある方でもこの絵画館を知っている方、中に入ったことのある方は案外と少ないのではないでしょうか。
<明治神宮外苑>
明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を後世に伝える目的で、全国民からの寄付金と献木、青年団による勤労奉仕(ボランティア)により、旧青山練兵場跡に聖徳記念絵画館を中心に、憲法記念館(現明治記念館)、運動場、野球場などの施設が整備され、大正15年(1926)10月に明治神宮に奉献され、明治神宮の敷地の一部とされました。内苑の明治神宮に対して外苑と呼ばれています。外苑内にある陸上競技場(現国立競技場)は、明治神宮から切り離され国有になりました。


<聖徳記念絵画館>
明治時代の歴史的事跡が年代順に紹介されており、順路にしたがって日本画、次いで洋画が各40枚、計80枚の壁画が展示されています。建物は、東西112m、南北34m。 鉄筋コンクリート造り2階建て(一階は事務所・絵画館学園。展示室は二階)、外壁は岡山県万成産花崗石。画室を除く壁面と中央大広間は国産大理石と一部タイルを使用。入館に際しては、「施設維持協力金」500円を支払います。2011年に明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定されています。



【聖徳記念絵画館の外観】





聖徳記念絵画館は展示室は撮影禁止ですので、展示内容は次でご覧ください。
【聖徳記念絵画館のホームページ】
http://www.meijijingugaien.jp/art-culture/seitoku-gallery/


【探検コム:明治神宮外苑聖徳記念絵画館】
http://www.tanken.com/meiji/


追記:聖徳記念絵画館の近くに【樺太国境画定標石】が展示されていました。これは、外苑創設に際して樺太庁が外苑に標石を模造して寄進したものです。










(2017)「5月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2017年05月26日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
5月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。5月にちなんで、鯉のぼり、背くらべ、朧月夜、若葉、夏は来ぬなど15曲を歌いました。
“鯉のぼり”で思い出すのは、沖縄に住んでいる知人が男児誕生して庭先に鯉のぼりを掲げたところ、近所の方から、「吹き流しは何ですか」といわれたとのこと。沖縄は文化的には長い間大陸中国の強い影響を受けてきたため、門松や鯉のぼり始め日本の伝統的な風習がないのです。最近は、こうした日本の風習も都会を中心に沖縄でも少しづつ浸透しているようですが。

1、鯉のぼり(作詞・作曲者不詳)
2、背くらべ(海野厚作詞、中山晋平作曲)
3、朧月夜(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)
4、春の唄(喜志邦三作詞、内田元作曲)
5、ひらいたひらいた(わらべうた)
6、故郷を離るる歌(吉丸一昌作詞、ドイツ民謡)
7、森の水車(清水みのる作詞、米山正夫作曲)
8、若葉(松永みやお作詞、平岡均之作曲)
9、山の歌(久保田宵二作詞、長谷川良夫作曲)
10、茶摘み(作詞・作曲者不詳)
11、夏は来ぬ(佐佐木信綱作詞・小山作之助作曲)
12、森へ行きましょう(東大音感訳詩、ポーランド民謡、荒谷俊治編曲)
13、待ちぼうけ(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
14、椰子の実(島崎藤村作詞、大中寅二作曲)
15、フニクリフニクラ(清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)


「コトコトコットン コトコトコットン ファミレド シドレミ ファ」の歌詞がでてくる『森の水車』は、よく知られていますし、私も大好きな歌の一つです。
『森の水車』は、昭和17年(1942年)9月に高峰秀子の歌で大東亜レコードからレコードが発売されましたが、太平洋戦争の真っただ中(昭和16年12月真珠湾攻撃で日米開戦)で、軍歌や戦時歌謡以外許されない時勢であり、時局にふさわしくないという理由で、内務省警保局(現在の警察庁)から発売4日後に発禁処分を受けました。この辺りの事情を作曲者の米山正夫が、昭和58年(1983年)1月に音楽之友社から発行された『歌をたずねて――愛唱歌のふるさと』のなかで、次のように述べています。

【軍歌しか認められない時代で『森の水車』のメロディが米英調だという理由です。当時の作曲家たちはいろいろ隠れて工夫して、いわゆる『米英調』の歌を作っていたんです。この歌は実はドイツの作曲家アイレンベルクのメロディを拝借しているんです。内務省の最初の検閲では枢軸同盟を結んでいるドイツの曲ならよい、ということだったんですが―。 すでに物資が不足して、レコードといってもボール紙のシンが入っている。千枚も売れなかったはずだけど、今でもこのレコードを持っている人がいるでしょうか」(『歌をたずねて』愛唱歌のふるさと(音楽之友社:昭和58年1月)抜粋)。】

戦後は荒井恵子が、昭和24年(1949年)4月にNHKラジオの『陽気な喫茶店』で毎回『森の水車』を歌い、さらに、昭和26年(1951年)4月から放送された“NHKラジオ歌謡”の中で荒井恵子が歌い全国に広まりました。しかし、レコード化は、昭和26年(1951年)5月に日本コロムビアで並木路子により行われました。

作曲家の米山正夫が述べているように、『森の水車』は、ドイツの作曲家リヒャルト・アイレンベルク(Richard Eilenberg)の有名な管弦楽曲「黒い森の水車」(Die Mühle im Schwarzwald ディ・ミューレ・イム・シュバルツバルト)を基にして作曲されていますので、曲調が欧米的であることは当然ですが、「ファミレド シドレミ ファ」という歌詞
も、発売禁止の口実になったものでしょう。



「森の水車」
作詞:清水みのる、作曲:米山正夫、唄:荒井恵子・、並木路子
(一)
みどりの森の 彼方から
陽気な唄が 聞えましょう
あれは水車の まわる音
耳を澄ましてお聞きなさい
コトコトコットン コトコトコットン
ファミレド シドレミ ファ
コトコトコットン コトコトコットン
仕事に励みましょう
コトコトコットン コトコトコットン
いつの日か楽しい春がやってくる

(二)
雨の降る日も 風の日も
森の水車は 休みなく
粉挽き臼の 拍子とり
愉快に唄を つづけます
コトコトコットン コトコトコットン
ファミレド シドレミ ファ
コトコトコットン コトコトコットン
仕事に励みましょう
コトコトコットン コトコトコットン
いつの日か楽しい春がやってくる

(三)
もしも貴方が 怠けたり
遊んでいたく なった時
森の水車の うた声を
ひとり静かに お聞きなさい
コトコトコットン コトコトコットン
ファミレド シドレミ ファ
コトコトコットン コトコトコットン
仕事に励みましょう
コトコトコットン コトコトコットン
いつの日か楽しい春がやってくる








「尺八とギター演奏会」

2017年05月07日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
近所のホールで「尺八とギター演奏会」が開催され行って来ました。TVの音楽番組で尺八と洋楽との共演は数回聞いたことはありますが、生演奏を聴くのは初めてです。 ギター、ベースギター、ドラムスと一緒に洋楽を奏でる尺八におどろかされました。尺八奏者である素川欣也氏の技量によるところが大であることは当然ですが、尺八の音色に魅了されました。日本音階を演奏する楽器の尺八が、西洋音階を奏でるには特別な技法が必要ではないのでしょうか? 素川欣也氏がごく自然に尺八で西洋音楽を奏でているのを見て、聞いて不思議な思いに駆られました。“ 尺八素晴らしい!” を実感させられた演奏会でした。

尺八の素川欣也氏のホームページから借用します。
『尺八本曲を軸とした演奏活動の他、演歌、ゲーム音楽、映画音楽、CM音楽、等さまざまな 分野で活躍している。BS日本のうた、NHK歌謡コンサートなどに出演、五木ひろしや島津亜矢など有名演歌歌手のコンサートにも参加。日中韓の民族楽器で構成された「オーケストラ アジア」団員。』

<オーケストラアジア・ジャパン:ホームページより引用>  
「「日中韓3国の伝統楽器群による管絃楽団「オーケストラ アジア」の日本メンバーによる邦楽アンサンブル。邦楽、雅楽で使われる和楽器を網羅した特色ある楽団として、「オーケストラ アジア」の大管弦楽団活動と並行して、国内外の演奏活動をはじめ、邦楽普及を目的とした公演や青少年のための楽器体験ワークショップの開催などにも力を注ぐ。」日中韓伝 日中韓の伝統楽器群による管絃楽団「オーケストラ アジア」の日本メンバーによる邦楽合奏団。


〔オーケストラアジア ホームページ〕
http://www.orchestraasia.net/



〔演奏者名〕
尺八:素川欣也
ギター:小池進
ベースギター:和田カエル
ドラムス&パーカッション:太田ヒロ



〔演奏曲〕
01、エリーゼのために(ベートーベン) 
02、ピアノソナタ第8番『悲愴』第2楽章(ベートーベン)
03、ピアノソナタ第1番(ブラームス)
*尺八が加わる*
04、蘇州夜曲(服部良一)
05、リンゴ追分(米山正夫)
06、悲しい酒(古賀政男)
07、花祭り(フォルクローレ)
08、哀愁のバイオレット(DEPAPEPE)
09、冷静と情熱の間(葉加瀬太郎)
10、情熱大陸(葉加瀬太郎)
~休憩~
11、愛と書いた物語?( ?  )
12、熊蜂の飛行(リムスキー・コルサコフ)
13、キャラバン(ベンチャーズ)
*尺八が加わる*
14、鶴の巣ごもり(尺八の古典曲)
15、少年時代(井上陽水)
16、さとうきび畑(寺島尚彦 )
17、Calling you (映画『バクダッド・カフェ』より)
18、Tamacun・タマカン(ロドリーゴ&ガブリエーラ)
19、リベルタンゴ(ピアソラ)
20、スペイン(チック・コリア)

~アンコール~
コンドルは飛んでいく(フォルクローレ)






「(2017)4月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2017年04月27日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「唱歌・童謡・名歌を歌う会」の4月例会では、春にちなんだ「春が来た」、「春の小川」、「春の歌」、「ぼろ月夜」、「花」などを中心に15曲をうたいました。今月は童謡も多く、「ちんから峠」、「あの子はたあれ」、「赤ちゃんのお耳」、蒸気機関車に関する歌3曲などです。
「ちんから峠」と「あの子はたあれ」の2曲は、ともに細川雄太郎作詞、海沼実作曲、「赤ちゃんのお耳」の作曲者は佐々木すぐるで「月の沙漠」も作曲しています。これらの童謡の名曲を知っている世代も高齢化してきていますので、今後いつ頃まで歌い継がれるのか気になります、。 


1、春が来た (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
2、春の小川 (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
3、春の歌 (野口雨情作詞、草川信作曲)
4、おぼろ月夜 (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)  
5、歌の町 (勝承夫作詞、弘田龍太郎作曲)
6、月の沙漠 (加藤まさお作詞、佐々木すぐる作曲)
7、ちんから峠 (細川雄太郎作詞、海沼実作曲)
8、緑のそよ風 (清水かつら作詞、草川信作曲)
9、あの子はたあれ (細川雄太郎作詞、海沼実作曲)
10、赤ちゃんのお耳 (都築益世作詞、佐々木すぐる作曲)
11、汽車ポッポ (富原薫作詞、草川信作曲)
12、汽車 (作詞者不祥、大和田愛羅作曲)
13、汽車ぽっぽ (本居長世作詞・作曲)
⒕、花 (武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、フニクリ フニクラ (清野協・青木爽訳詩、デンツア作曲)


「ちんから峠」は小さいころ耳にしたことがありましたが、長い間、耳にしたことはありませんでした。 この「唱歌・童謡・名歌を歌う会」でも取り上げるのは久しぶりだそうです。 昭和17年に渡邊佐和子他の歌でレコーディングされているようですが、我々が耳にしたのは、昭和23年に川田三姉妹(川田正子、川田孝子、川田美智子)の次女・孝子さんの歌です。 所謂、ヨナ抜き(ファとシを使わない)、四分の二拍子でリズミカルなメロディで、さらに、『ちんからホイ!』という、なんとも軽妙な歌詞が親しみやすく、心をとらえます。
「ちんから」が馬に着けた鈴の音を、また「ホイ!」は馬が蹄で地面を蹴る様子を想像しますが、作詞者の細川雄太郎はどのような情景を詩に込めたのでしょうか。今は馬が道を歩く姿など見ることがありませんので、「ちんから峠」の歌詞の情景を思い浮かべることは不可能ですので、歌われなくなったのも無理がないのかもしれません。
なお、子供が大好きな「ドラえもん」の『のび太の魔界大冒険』の中で、ドラえもんがひみつ道具「もしもボックス」を使って切り替わった魔法の世界で、『ちんからホイ!』という呪文を何度も言います。
意外なところで、「ちんから峠」の歌詞が生きていたものです。ドラえもん世代に「ちんから峠」を歌わせれば案外楽しんで歌うのかもしれません。

『ちんから峠』
作詞:細川雄太郎、作曲:海沼実作曲(昭和14年(1939年)
歌 :渡邉佐和子(昭和17年3月)、他
歌 :川田孝子 (昭和23年3月)

(一)
ちんからほい ちんからほい
ちんから峠の お馬はほい
やさしい おめめで
ちんからほいほい
ちんからほい
お鈴を鳴らして 通ります
春風そよ風 うれしいね

(二)
ちんからほい ちんからほい
ちんから峠は お日和ほい
ふもとの 子供が
ちんからほいほい
ちんからほい
輪まわしごっこで 遊んでる
小鳥もぴいちく 鳴いてます

(三)
ちんからほい ちんからほい
ちんから峠の お馬はほい
町から お帰り
ちんからほいほい
ちんからほい
おせなにおみやげ 花のたば
おくびをふりふり 帰ります


「ちんから峠 歌:川田孝子」
https://www.youtube.com/watch?v=gR8ZEUth1fc