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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

(2018)「6月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2018年06月30日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「唱歌・童謡・名歌を歌う会」の6月例会に行って来ました。今回は季節がら梅雨に因んだ曲が7曲(てるてる坊主、蛙の笛、雨降りお月、など)を始め18曲を歌いました。「蛙の笛」は海沼実作曲の名曲です。歌唱指導の方は海沼実が創設した「音羽ゆりかご会」出身ですが、「蛙の笛」に関し、次のようなエピソードを披露して下さいました。
『安田祥子さん(由紀さおりさんの姉)が、「蛙の笛」をレコーディングすることになっていたが、何らかの理由で出来なくなったために、急きょ、当時小学6年生だった自分(指導の先生)に白羽の矢が立ち、レコーディングした。これは自分にとって初のレコーディングだった。この時の音源は、LPレコードで今でも残っている。』と話されました。
出席者から是非聞きたいとの要望がありましたので、来月の定例会では、この音源を聞かせて下さるのではないかと、淡い期待を持っています。

ところで、今月の歌の中で、「小鳥の歌」と「早起き時計」はこの童謡の会を欠席がちの私はあまり歌ったことがなく、新鮮に思いながら歌いました。
「港」(旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲)は、文語調の歌詞が素晴らしく、改めて好きになりました。作詞者は「旗野十一郎((はたの たりひこ)で、国文学差らしく文語体の七五調の格調高い詞で、出征兵士が出航する港だった広島県の宇品港の様子を詞にしたとされているようで、宇品には歌碑が建っています。 旗野十一郎の出身地の新潟県阿賀野市にも、「港」の歌碑があります。 作曲は吉田信太、3拍子の軽快なリズムです。発表された明治29年(1896年)ごろには3拍子は珍しかったのではないでしょうか。 昭和19年(1944年)に、二番の歌詞が林柳波により新たに作られています。 戦後の占領政策の一環で歌詞が変更された例は多くありますが、戦時中に歌詞が変更されたというのは、他に例がないのではないでしょうか。文語体の歌詞が小学生には難しいこと、港の光景が帆船中心から汽船中心に変わっていたこと、などが理由とされているようですが、林柳波が改作したのは昭和19年ですが、昭和18年2月にガダルカナル戦闘で決定的な敗北を喫するのを機に敗戦が続くようになり、学徒出陣が始まるなど厳しい戦時体制になります。このような時代背景から軍部の要請を受けていることは容易に推測できますが、軍部の要請(命令)がどのようなものだったのか興味がわいてきます。



1、小鳥の歌(与田準一作詞・芥川也寸志作曲)
2、かっこう(大浦正美作詞・ドイツ曲)
3、早起き時計(富原薫作詞、河村光陽作曲)
4、肩たたき(西条八十作詞、中山晋平作曲)
5、港(旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲)
6、ちんから峠(細川雄太郎作詞、海沼実作曲)
7、ゆりかごの歌(北原白秋作詞、草川信作曲)
8、故郷を離るる歌(吉丸一昌訳詩、「ドイツ民謡」
9、池の鯉(作詞・作曲者不詳)
10、かたつむり(作詞・作曲者不詳)
11、てるてる坊主(浅原鏡村作詞、中山晋平作曲)
12、雨(北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲)
13、蛙の笛(齋藤信夫作詞、海沼実作曲)
14、雨降り(北原白秋作詞、中山晋平作曲)
15、雨降りお月(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
16、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


「港」 旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲
  明治29年(1896年)5月「新編教育唱歌集(三)」。二番は昭和22年に林柳波が補作。
(一)
空も港も 夜ははれて
月に数ます 船の影
端艇(はしけ)の通い にぎやかに
よせくる波も 黄金(こがね)なり

(二)
林なしたる 帆柱に
花と見まごう 舟旗章(ふなじるし)
積荷の歌の にぎわいて
港はいつも 春なれや


(二) 林 柳波 作詞
響く汽笛に 夜は明けて
何時か消えゆく 空の星
大漁のうたも いさましく
朝日を浴びて 舟帰る



「ソプラノ黒澤明子さんのミニコンサート」18

2018年05月30日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「日本のうたとオペラのアリア」と題して、ソプラノ歌手 黒澤明子さんのミニコンサートが開催されました。ピアノは南雲竜太郎さんです。

<黒澤明子さん>
大阪芸術大卒後、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの専属歌手。イタリア声楽コンコルソ金賞受賞、2004年マダム・バタフライ国際コンクール in長崎ファイナリスト、など。現在は、新国立劇場合唱団メンバー、びわ湖ホール声楽アンサンブルソロメンバー、大阪芸術大学講師。

<南雲竜太郎さん>
大阪芸術大学卒業、同専攻科終了、東京芸術大学大学院修士課程修了。浜松国際ピアノコンクール入賞。NHK―FM「名曲コンサート」、「名曲リサイタル」に出演。現在、昭和音楽大学、洗足学園音楽大学講師。

黒沢さんのすみきったソプラノの声に魅了されましたが、地声は低い声で、ご本人は地声での説明の時に現実にもどってしまいます、と話していました。
第一部と第二部の合間の南雲さんのピアノ演奏は、プログラムにないもので、進行の方の依頼により実現したものです。「ショパンの幻想即興曲」にしびれました。



~プログラム~
第一部
さくら横ちょう   :加藤周一作詞、中田喜直作曲
しぐれに寄する抒情 :佐藤春夫作詞、大中恩作曲
平城山       :北見志保子作詞、平井康三郎作曲
(みんなで歌おう)朧月夜:高野辰之作詞、岡野貞一作曲

<ピアノ演奏>   ショパン作曲 幻想即興曲

第二部
オペラ「フィガロの結婚」より
   愛の神よ、お救いください  :モーツアルト作曲
オペラ「ラ・ボエーム」より  
   あなたの愛の声に呼ばれて出た家に :プッチーニ作曲
オペラ「蝶々夫人」より    
   ある晴れた日に  :プッチーニ作曲
オペレッタ「こうもり」より  
   チャールダッシュ  :ヨハンシュトラウス作曲

<アンコール>
マスカーニ作曲 アヴェマリア 




「国際バラとガーデニングショウ」18

2018年05月20日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
埼玉県所沢市のメットライフドーム(西武ドーム)で開催中(5月18日~23日)の、「第20回 国際バラとガーデニングショウ」に行って来ました。場所が自宅から遠くないこともあり、この国際バラ展には毎年足を運んでいます。
入り口から一歩入ると正面には、南フランス・プロバンスの街並みを再現した「ウェルカムガーデン」があり、バラや緑が彩る高さ4mの展望ブリッジがあり、会場全体が見渡せます。会場内には、1千種100万輪のバラと最新のガーデニングが紹介されているおり、「SNSで紹介しましょう」などの掲示もなされているなど、今年のテーマでもある「SNS映え」を反映する展示になっています。



(入り口付近)






(鉢植え)













(シダレ)




(ハンギング;壁掛けと吊るし)







(バラのガーデンと様々なガーデニング)























「18年4月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」18

2018年04月26日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「唱歌・童謡・名歌を歌う会」の4月例会に出席してきました。季節がら春~初夏にちなんだ曲(春が来た、春の小川、春の歌、花、緑のそよ風など)の他、“わらべうた”や“童謡”など15曲を歌いました。“赤い靴”と“かもめの水兵さん”は、この会で近々、横浜での音楽史跡探訪ツアーが予定されていることにより取り上げられたもので、横浜では7曲を歌うと事務局の方から説明がありました。

「とんび」(葛原しげる作詞、梁田貞作曲)は、曲名だけではどんな歌だったか思い出しませんでしたが、歌うにつれて思い出しました。「ピンヨロー」という、とんびの鳴き声を模した擬声語が効果的で、とんびが大空をゆっくりと、悠々と飛んでいる様子が目に浮かび、改めて素晴らしい歌だと思いなおしました。
「とんび」は、『大正少年唱歌 第一集』(目黒書店)』に大正7年(1918年)に掲載されました。また、昭和52年(1977年)から小学校音楽共通教材(第4学年)として選ばれています。

なお、“とび(鳶)”が正式名で“とんび”は俗称。「タカ科トビ属」の猛禽類。人里近くで生存してきており、『鳶に油揚げを攫われた』、『鳶が鷹を生む』、『鳶も居ずまいから鷹に見える』などの諺にもあるよう古くから人と深いつながりを持つ鳥です。 とんびは、動物の死骸や小動物を捕食しますが、最近では、海水浴場の客の食べ残しで味を覚えたのか、とんびが食事中の海水浴客の背後から食べ物かすめ取る映像が報じられていました。 人と鳶が長く保ってきた距離感を、心ない人によって壊されているのです。


1、春が来た (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
2、春の小川 (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
3、めだかの学校 (茶本茂作詞、中田喜直作曲)
4、春の歌 (野口雨情作詞、草川信作曲)
5、おぼろ月夜 (高野辰治作詞、岡野貞一作曲)
6、ひらいたひらいた (わらべうた、中田喜直編曲)
7、歌の町 (勝承夫作詞、弘田龍太郎作曲)
8、花  (武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
9、仲良し小道 (三苫やすし作詞、河村光陽作曲)
10、赤い靴 (野口雨情作詞、本居長世作曲)
11、かもめの水兵さん (武内俊子作詞、河村光陽作曲)
12、とんび (葛原しげる作詞、梁田貞作曲)
13、月の沙漠 (加藤まさお作詞、佐々木すぐる作曲)
⒕、みかんの花咲く丘 (加藤省吾作詞、海沼実作曲)
15、緑のそよ風 (清水かつら作詞、草川信作曲)
16、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


「とんび」:葛原しげる作詞、梁田貞作曲
(一)
飛べ飛べとんび 空高く
鳴け鳴けとんび 青空に
ピンヨロー ピンヨロー
ピンヨロー ピンヨロー
楽しげに 輪をかいて

(二)
飛ぶ飛ぶとんび 空高く
鳴く鳴くとんび 青空に
ピンヨロー ピンヨロー
ピンヨロー ピンヨロー
楽しげに 輪をかいて







「2018年3月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」18

2018年03月29日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
          
3月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。卒業シーズン、そして春にちなんだ歌を含め、15曲を歌いました。
「出船」は常にリクエストがあると歌唱指導の方が話されました。大変好きな方がおられるようです。歌詞はなんとも寂しく切ない内容ですが、勝田香月が「出船」を作詞したのは僅か18歳(大正7年・1918年)のときです。切ない歌詞と短調のメロディが日本人の心に響き、多くの人を惹きつけるようです。大正6年には、ロシア革命が勃発し社会主義のソビエト政権が樹立され、翌大正7年には日本では、全国的な規模で米騒動が頻発、鎮圧のために軍隊が投入され、数万が検挙されました。 また、シベリア出兵も行われるなどなど、騒然とした世相となっていました。このような中、石川啄木を慕っていた18歳の香月は、北上河畔の啄木の碑を訪れた後、北海道の小樽、秋田の能代・大館・十和田湖などを訪れた際に、この歌の着想を得、大滝温泉の宿で歌詞を作ったといわれていますが、18歳という多感な年齢の香月がこのような悲しく切ない歌を作った心情は量り知れません。

「出船」は、大正11年(1922年)に作曲家の杉山長谷夫が曲を付け、昭和3年(1928年)に藤原義江の歌でレコード発売され、ヒットしました。香月は23歳(大正12年・1923年)の時に「出船」を載せた詩集「心のほころび」を出版し 
ています。 後年になって、藤山一郎や三橋美智也、倍賞千恵子などがカバー、現在でも、多くのクラシック歌手がコンサートで歌っています。まさに名曲中の名曲となっています。

香月は、昭和4年(1929年)29歳の時に東京市中野町〈現在の中野区〉の町会議員に当選(社会民衆党)、社会民主運動に身を投じますが、昭和41年(1966年)、67歳で死去しました。やはり、18歳という多感な時代に起こった米騒動やロシア革命の影響強く受けていたのだろうと思います。


1、どこかで春が (百田宗治作詞、草川信作曲)
2、早春賦 (吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、荒城の月 (土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
4、砂山  (北原白秋作詞、中山晋平作曲)
5、出船 (勝田香月作詞、杉山長谷夫作曲)
6、ともしび (楽団カチューシャ訳詩、ロシア民謡)
7、この道 (北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
8、思い出 (久しき昔)(古関吉雄作詞、イングランド民謡)
9、思い出のアルバム (増子とし作詞、本多鉄麿作曲)
10、仰げば尊し (作詞・作曲者不詳)
11、霞か雲か (加部巌夫作詞、ドイツ民謡)
12、さくらさくら (日本古謡)
13、花かげ (大村主計作詞、豊田義一作曲)
⒕、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
15、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


「出船」

作詞:勝田香月
作曲:杉山長谷夫
歌 :藤原義江
(一)
今宵出船か お名残り惜しや
暗い波間に 雪が散る
船は見えねど 別れの小唄に
沖じゃ千鳥も 鳴くぞいな
(二)
今鳴る汽笛は 出船の合図
無事で着いたら 便りをくりゃれ
暗いさみしい 灯影の下で
涙ながらに 読もうもの