そもそも鬼子母神はインドの夜叉神の娘なのだが、この寺は室町時代の起源だそうだ。
境内の樹齢600年の公孫樹の樹も大変なものだが、参道も只者ではない。
おそらく史料が残されていないだけで、境内の公孫樹に引けを取らないように思われる。
ある時点で、バッサリと切られてもその後に蘇る生命力が凄いと思う。
お堂は、昭和50年代に江戸期の姿に戻す修理が行われ、現在はすっかり落ち着いた様子。
鳥居のトンネルが有難味を感じさせる。
境内の樹齢600年の公孫樹の樹も大変なものだが、参道も只者ではない。
おそらく史料が残されていないだけで、境内の公孫樹に引けを取らないように思われる。
ある時点で、バッサリと切られてもその後に蘇る生命力が凄いと思う。
お堂は、昭和50年代に江戸期の姿に戻す修理が行われ、現在はすっかり落ち着いた様子。
鳥居のトンネルが有難味を感じさせる。
実際に目にした事はありませんが
周囲の住宅やビル群に囲まれた一角にありそうな感じですね
伽藍は江戸時代のものと聞いていますが
写真で拝見するにもう少し古い感じがしますね
参道の風景
新旧が一カ所に詰め込まれた風景
って感じですね
どういう所かは知りませんでした。
かなり歴史が古い、
由緒あるお寺のようですね。
参道がどんどん圧迫されてきているのが、
何とも都会らしい光景です。
室町の起源だとか、600年の樹齢だとか、要するに江戸開幕よりも相当に前の年代からの史跡です。
江戸を開くに当たり、徳川は相当な水利事業を行い、それでやっと江戸城周辺の土地を確保したように聞いています。
台地の上にある、このような寺は、それ以前の江戸を見てきた筈なのです。
この目白台は、大正まで灌漑事業がうまく行かなかった早稲田地区を見下ろすような場所にあります。
浅草には遠く及びませんが、それなりの歴史を参道の並木が物語っているように思います。
その並木の下にできたお店も力を蓄えた後は、どんどん姿を変えてしまいます。