14世紀半ばの建立。当時の時の人、足利尊氏と夢窓疎石が関わった寺である。
南面の庭は、特別な物は見られない。
方丈の東に位置する霊光殿を回り込むと、西側の心字ヶ池を中心とする庭が目に飛び込んでくる。
その西側の庭の東半分は沢山の石が組まれて、とても饒舌な庭である。
山梨の庭も思い返され、夢窓疎石の作庭意図が脈々と残されているように感じた。
西側の庭自体は、池泉回遊式庭園。北面の庭園の西奥には茶室が立てられている。
これから見ても、西側の庭は江戸も相当後になってからの手が入っている事が感じられる。少なくとも、禅寺の瞑想の庭の視線に入る場所に、いかにも人為的な建物を持っては来ないだろう。
作庭年代がどうで、その後手がどうと言っても、この西側の庭はなかなか華やかで魅力的である。
据えられた石も、ちゃんとした力を持っている。
東側の庭はより古い様式を伝えると言うが、それを読み解くのはなかなか難しかった。
南面の庭は、特別な物は見られない。
方丈の東に位置する霊光殿を回り込むと、西側の心字ヶ池を中心とする庭が目に飛び込んでくる。
その西側の庭の東半分は沢山の石が組まれて、とても饒舌な庭である。
山梨の庭も思い返され、夢窓疎石の作庭意図が脈々と残されているように感じた。
西側の庭自体は、池泉回遊式庭園。北面の庭園の西奥には茶室が立てられている。
これから見ても、西側の庭は江戸も相当後になってからの手が入っている事が感じられる。少なくとも、禅寺の瞑想の庭の視線に入る場所に、いかにも人為的な建物を持っては来ないだろう。
作庭年代がどうで、その後手がどうと言っても、この西側の庭はなかなか華やかで魅力的である。
据えられた石も、ちゃんとした力を持っている。
東側の庭はより古い様式を伝えると言うが、それを読み解くのはなかなか難しかった。
小さめの石が配され
ごちゃごちゃしたイメージが感じられます
嵐山の天竜寺の庭は広大なのであまり感じられませんが
こちらは庭が小さいので詰め込み過ぎという感じがしてしまいますね
そういえば
こちらの近くに
とても量の多い店があったな(笑
夢想国師の庭を意識したことでしょう。
そちらはあまり手をつけず、
そのままの状態で
保存されたのでしょうね。
夢窓国師の庭、石の迫力が素晴しく、整理されていていると思います。
それぞれの石が想いを持ち、その集合体は印象として洗練のきわみを思わせます。
この場所に茶室を持って来るのは、無理があるように思います。
そんなことを平気でする庭師が、本当に国師の庭を尊重したかは、かなり疑わしく思っています。