加賀前田家の直臣野村家の屋敷跡に建つ館である。
奥の間である。おそらく、大正以降に奥の上段の間が移築されるまでは、武家屋敷の最高に位の高い座敷として機能してきたのであろう。
奥の間からの庭の姿も、それなりに完結している姿を見せる。
ただ、奥の間の座敷の位置からは庭は大分低い位置に設定されている。
見下ろすのは良いが、少し不自然である。
その構造がなぜ必要であったかを雄弁に説明する、上段の間の庭。
奥の間の庭よりは高い位置にあり、上段の間との位置関係はしっくりくる。
庭の途中で石段もなく、区切ってしまうのは、私は他で見たことがない。
上段の間は、繊細だがいかにも作りの良い建具が使われている。
太陽が傾き、沢山の日差しが上段の間の庭に入り込んできた。
奥の間である。おそらく、大正以降に奥の上段の間が移築されるまでは、武家屋敷の最高に位の高い座敷として機能してきたのであろう。
奥の間からの庭の姿も、それなりに完結している姿を見せる。
ただ、奥の間の座敷の位置からは庭は大分低い位置に設定されている。
見下ろすのは良いが、少し不自然である。
その構造がなぜ必要であったかを雄弁に説明する、上段の間の庭。
奥の間の庭よりは高い位置にあり、上段の間との位置関係はしっくりくる。
庭の途中で石段もなく、区切ってしまうのは、私は他で見たことがない。
上段の間は、繊細だがいかにも作りの良い建具が使われている。
太陽が傾き、沢山の日差しが上段の間の庭に入り込んできた。
現在の屋敷の上段の間は、この土地に合わせて建てらのではなく移築である事を知って全くびっくりの世界でした。
というのも、流れの水を豊富に使う庭の中の池は上段の間の脇で上下にダムのような仕掛けで分割されており、その上側の敷地は限られた範囲の建物しか移築するにしても難しそうだからです。
大変なセンスがないと、このような仕事はできないのだろうと推察しました。
まだアップしていませんが、
去年、街道歩きの会で金沢を歩いたとき、
ココにも行きました。
この庭園は、
廊下と池が近く、
また、変化に富んだ地形に作庭されていて、
実にオモシロいです。
金沢の文化の高さが分かる庭園です。