この城の建設には、いろいろと紆余曲折があるようだが、日本でも珍しい安土、桃山期に建てられた、国宝なのだ。
見事な石組みまで含めて、戦略上の理由もあり、相当に短期間に建設されたらしいが、石組みに使われている確かな技術を見るとき、なんとも不思議な気持ちになる。
戦国武将にとって、城は戦いの現場であり、いかに美しくとも敗れれば、悲惨な運命が待ち受け居ることは、明らかであった。このような宿命もあり、琵琶湖東岸にはいくつもの絢爛たる城が建てられては、廃墟と化していった。
それぞれの城でも、この程度の大手門は築かれていたのだろう。門の両側の大石が見事である。
城は遠くから見れば、今にも飛びたたんばかりの気配を漂わせるが、天守閣の三層、最上階の屋根を支えるのは、このような力強い柱や梁である。基本的には、民家と変わらないように感じた。
やはり天守閣ともなれば、使われている瓦も最高のものである。それが手に取れるような窓の先に、琵琶湖がまったりと広がっていた。
見事な石組みまで含めて、戦略上の理由もあり、相当に短期間に建設されたらしいが、石組みに使われている確かな技術を見るとき、なんとも不思議な気持ちになる。
戦国武将にとって、城は戦いの現場であり、いかに美しくとも敗れれば、悲惨な運命が待ち受け居ることは、明らかであった。このような宿命もあり、琵琶湖東岸にはいくつもの絢爛たる城が建てられては、廃墟と化していった。
それぞれの城でも、この程度の大手門は築かれていたのだろう。門の両側の大石が見事である。
城は遠くから見れば、今にも飛びたたんばかりの気配を漂わせるが、天守閣の三層、最上階の屋根を支えるのは、このような力強い柱や梁である。基本的には、民家と変わらないように感じた。
やはり天守閣ともなれば、使われている瓦も最高のものである。それが手に取れるような窓の先に、琵琶湖がまったりと広がっていた。
以前に鑑賞したはずなのに、一体自分は何を見てきたのだろう。
近江商人郷土館と併せて観て来ようと思います。
これは個人的な経験なのですが、天守閣のような見通しの効くところに登ると、まずは見渡せる風景の事が頭に一杯になり、自分のいる建物の内部になど気持が行きません。
私はたまたま、彦根城を訪れた時に重いカメラを抱えていたので建物の内部にまで気持が行ったのですが、覚えていなくても全く不思議はないように思います。