もともとは越後の豪農斎藤家の屋敷であった。本館は孝順寺の寺院となっている。
建物の規模に比べて、玄関は控えめに造られている印象がある。ちょっと庭に出て、建物の全貌を見てしまえば凄い規模の屋敷であることは直ぐに見てとれてしまうのだが。
写真では分りにくいかと思うが、この屋敷の障子の桟はすべて面取りがしてある。そして、少しだけ写っている月見障子の細工は本当に細かく見事である。
主人の部屋の隅には、天然の四方竹を使った、お茶席でも設けるのにふさわしいコーナーが設置されている。
掛け軸は八一。
随分大きな池のほとりに建てられた、御殿風な建物である。ここには、農家の伝統的モチーフは微塵も見当たらない。
水辺に乗り出す松は、まるで船石のようだ。形造るには、自然の素材が相手なので時間がかかりそうだが。
池を廻って行くと、風景も展開し、公開されていない総二階建ての凝った屋根の造りの別棟が見えてくる、
本館の前に立つ樹齢数百年と思われる松。
廻り廊下を備える、贅沢な建物。
明治から昭和初期にかけて不思議なほどの財力を蓄えたという。
建物の規模に比べて、玄関は控えめに造られている印象がある。ちょっと庭に出て、建物の全貌を見てしまえば凄い規模の屋敷であることは直ぐに見てとれてしまうのだが。
写真では分りにくいかと思うが、この屋敷の障子の桟はすべて面取りがしてある。そして、少しだけ写っている月見障子の細工は本当に細かく見事である。
主人の部屋の隅には、天然の四方竹を使った、お茶席でも設けるのにふさわしいコーナーが設置されている。
掛け軸は八一。
随分大きな池のほとりに建てられた、御殿風な建物である。ここには、農家の伝統的モチーフは微塵も見当たらない。
水辺に乗り出す松は、まるで船石のようだ。形造るには、自然の素材が相手なので時間がかかりそうだが。
池を廻って行くと、風景も展開し、公開されていない総二階建ての凝った屋根の造りの別棟が見えてくる、
本館の前に立つ樹齢数百年と思われる松。
廻り廊下を備える、贅沢な建物。
明治から昭和初期にかけて不思議なほどの財力を蓄えたという。
この屋敷を知ったのは「越後豪農めぐり」なる小冊子で見たからです。版元は新潟日報事業社。公開されている数少ない施設の一つに入っています。ところが、実際に孝順寺を訪れてもどのような経緯でお寺になったのかの説明は一切ありませんでした。
実は、財産税などの対策ではないだろうか、と考えていたのですが、そんな付け焼刃には思われない深い想いが感じられる造りでした。
全くのノーチェックでした。
こんな広大な庭園が新潟にあるんですね。
豪農といっても、
桁違いの広さです。
驚きです。
今はお寺。
これもユニークです。
どういう経緯でそうなったんでしょうか。
その辺りも興味が湧きます。