そもそもは二の丸の城が建てられていた場所だと思われるが、江戸時代初期の火災以来、江戸城に天守閣以下城らしい建物はほとんど建てられなかったようだ。しかし、徳川家の本拠地なので御殿は建てられたようだが、それも江戸末で終わったようだ。
現在の二の丸庭園は1968年に、皇居の東御苑の一般公開のために整備されたもののようだ。1968年といえば、それなりに感慨深い年に当たるが、あえて皇居の公開に踏み切ったとは、少し驚かされる。
湖畔の松もそれなりに育ち、その背景の松は今や貫禄を示す姿である。
その時代背景がそうさせたのかは分からないが、意識して宗教性を捨てている庭であり、歩いていて楽しいが深みがない。
水は、いかにも重力の法則で落下するという、風情である。
滝の前の州浜から、ひろびろとした庭園を撮影しようと思うと、タイミングを相当に待たなければならない。
日本庭園の文脈から大きく外れた観光客の姿が入ってしまうと、この庭が伝えようとしたことも伝わらなくなるように思うので。
明治末に建てられた「諏訪の茶屋」の豪華さは、この場所が宮城と呼ばれた歴史にふさわしい。
茶屋の脇の梅の華が見事であった。
現在の二の丸庭園は1968年に、皇居の東御苑の一般公開のために整備されたもののようだ。1968年といえば、それなりに感慨深い年に当たるが、あえて皇居の公開に踏み切ったとは、少し驚かされる。
湖畔の松もそれなりに育ち、その背景の松は今や貫禄を示す姿である。
その時代背景がそうさせたのかは分からないが、意識して宗教性を捨てている庭であり、歩いていて楽しいが深みがない。
水は、いかにも重力の法則で落下するという、風情である。
滝の前の州浜から、ひろびろとした庭園を撮影しようと思うと、タイミングを相当に待たなければならない。
日本庭園の文脈から大きく外れた観光客の姿が入ってしまうと、この庭が伝えようとしたことも伝わらなくなるように思うので。
明治末に建てられた「諏訪の茶屋」の豪華さは、この場所が宮城と呼ばれた歴史にふさわしい。
茶屋の脇の梅の華が見事であった。