大手町の武家屋敷から程遠からぬ浅野川を渡れば、花町の面影を残す東茶屋の街並みがある。
格子窓が並び、いかにもそれらしい雰囲気をかもしている。
その中で「志摩」さんは、1820年に建てられた姿をそのまま残しており、内部の見学が可能である。
二階が客間になっており、いくつかの座敷が互いに干渉しないように据えられている。
座敷は、金沢の蒸し暑さを意識して涼しさを感じさせるとともに、芸妓の婀娜姿が生える粋な造りになっている。
客が床の間を背にして座り、その正面の襖を開けば、控えの間が姿を現す。
その控えの間を演舞の場として、琴、三味線、舞などが披露されたという。
今年三百六十日
半在胡姫一酒楼
蜀山人の狂歌を地で行ったような粋人も、そしてそれにつり合った芸妓もいた事だろう。
坪庭を取り囲む二階の廻り廊下から眺めれば、屋根の造りは非常に複雑に入り組んでいる。
御簾の使い方が、いかにも涼しげである。
坪庭を囲む離れの方から、母屋を眺める。
こういう見事な背景があると、ついつい想像力が逞しくなってしまう。
一階の奥座敷は、仏壇などもあり、この廓の主人の居間であったろうと想像される。
この坪庭も、それなりの見ごたえはあった。
格子窓が並び、いかにもそれらしい雰囲気をかもしている。
その中で「志摩」さんは、1820年に建てられた姿をそのまま残しており、内部の見学が可能である。
二階が客間になっており、いくつかの座敷が互いに干渉しないように据えられている。
座敷は、金沢の蒸し暑さを意識して涼しさを感じさせるとともに、芸妓の婀娜姿が生える粋な造りになっている。
客が床の間を背にして座り、その正面の襖を開けば、控えの間が姿を現す。
その控えの間を演舞の場として、琴、三味線、舞などが披露されたという。
今年三百六十日
半在胡姫一酒楼
蜀山人の狂歌を地で行ったような粋人も、そしてそれにつり合った芸妓もいた事だろう。
坪庭を取り囲む二階の廻り廊下から眺めれば、屋根の造りは非常に複雑に入り組んでいる。
御簾の使い方が、いかにも涼しげである。
坪庭を囲む離れの方から、母屋を眺める。
こういう見事な背景があると、ついつい想像力が逞しくなってしまう。
一階の奥座敷は、仏壇などもあり、この廓の主人の居間であったろうと想像される。
この坪庭も、それなりの見ごたえはあった。