ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

2006-10-04 | なんでもないこと
今回は 少しは違う色にしたかった。

ピンクもイエローもブルーも
落ち着いたいい色の見本があった。

できたら 
今までの色調で
今までよりも 少し濃い目の色にしようか
とも思っていた。

決める時に
たまたまそこに娘がいて
意見を求めたら
濃い色はイヤだ、といわれてしまった。

それで、今までより薄い色に決めた。



これは 10月4日の
午後3時の玄関わきの壁。

「なかぬり」とかナントカ言って、
さらに上に同じ色を塗るらしい。

これまでより、少しは違う色(笑)。

昨日は この 中塗り?を終わらせて
塗装業者は帰った。



窓という窓、
すべてこんな感じで養生してあり、

換気扇はまわるけれど
窓を開けることはできない。

窓を開けられない生活というのが
どれほど息苦しいものなのか、
ということがわかった(タメイキ)。。。

費用

2006-10-03 | なんとなく仏教?
『東京タワー』の中で

「息を引き取ってそれほど時間も経たないうちに、
 様々なことが他人主導で行われることに憤りを感じながらも、
 かといって自分ではなにをしていいのかもわからない。」(p.385~)

と書かれている。

これは 身内の死に接した人の
ほとんどが感じることではないだろうか。



続けて

「この葬儀屋の中年男性は礼節だけはわきまえているが、
 その他の感情は一切表面に出さず、
 ただてきぱきと動く。

 こうすることがボクたち遺族とのバランスを取るための
 マニュアル的行動なのだろうか。」

とある。

義母が亡くなった時に来てくれた業者は
女性だったけれど
笑っちゃうほど、本当に こんな感じだった。


EEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE

画像は 夏の間中、そして今も咲き続けて
ず~っと見ごろのままの
ゴマノハグサ科 アンゲロニア属 エンジェルラベンダー。

PPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPP


オカンは 毎月三千円ずつの90回払い、
一番安い27万円の葬式プランに加入していて
もう70回くらい「払うとった」。

けれど 
葬儀の請求書は 200万くらいに「なっとった」。

「なんでもかんでもオプション料金になっとる。」(p.418)



私は 14年前の父の時も
今回の義母の葬儀にも
いくらかかったのか、まったく知らない。

ただ 遅れて着いた娘と私の前で

義母が「枕直し」をした部屋の隣で

義父や義弟や亭主が
業者と話して 次々といろいろなことを決めていくのを 

半ばぼうっとしながら
見ていたり 聞いていたりしていたのみ。



その中でも 時々
「それは オプションになります。」
という言葉を聞いた覚えがある。

オプション料金であることを
はっきりと業者は伝えるべきだし

たいていは伝えているだろうと思う。

そして
それらを合計した見積もりを
キッチリと計算して
提示しているだろうと思う。

世の中、
悪い業者はいるものだけれど
それほど多くはないだろうと思う。



ただ 

身内が亡くなった時というのは
何故かうろたえるものだし

予想もしていなかった死、という場合は
もう何が何だかわからないし

はっきり言って
何がどうでもかまわない、
という気分になるかもしれない。



以前テレビで 
役所広司が出演していた番組で
(たぶん 今年8月15日の「ガイアの夜明け」)、

喪主役の役所広司が 悲嘆に暮れて 
葬儀屋の社員に向かって
「もう、なんでもいいから、おまかせします!」
とやっていた。

それでも 見積もり金額は
キッチリ出してもらって
よ~く確かめて
うんとよく考えなければならない。かもしれない。

そのテレビ番組では
何年か前の葬儀費用、
全国平均は236万円、と言っていたと思う。

今はもっと少なくなっているような気がする。



これが 葬祭業者だったら
見積もりが出るからまだいいのかもしれない。

お寺さんに渡すお布施となると
それがない。

ないのは当然なのだ、
出す側が いくら渡す、と決めるものだから。

商品をお買い上げになるわけではないから、
定価が決まっているはずもない。

布施というのは 修行のひとつで、
私たちが その修行を お寺さんを相手に
「させていただく」ものなのだから。



戒名料も同様。

金額が決まっていることの方がおかしい。

決して
戒名料をたくさん払うのはイヤ、
でも 院号をつけてほしい、
なんてことは思ってはいけない。

戒名料は いくらでもいいのだ。(建前は。)

いくらでもいいのだったら、
どんな戒名でもいい、と思わなくてはならない。

(ただし、お寺としては
 戒名料も お布施の額も
 高額の方が やっぱり、嬉しい。。)



私の考えでは
戒名というのは
現世において どれだけの功徳を積んだか、によって
選び 付けられる 出家後の法名であって、

それを 
亡くなった人の代わりにお願いして
亡くなった後に付けてもらうということは
代わりに 慌てて 功徳を積む事が必要。

だから
はっきり言えば それは 現金で いくら渡すか、
という問題になる。

お金がなくても
功徳を積んだ人ならば
良心的なお寺さんなら
立派な戒名をつけてくれるはずだ。

そして 
立派な戒名というのは
これは 世間の常識とは違うのかもしれないけど
長けりゃいい、というものでもないような気がする。



個人の見解の問題だけれど
私は
感性に合って 
すんなりと受け入れられる文字と音の戒名がいいな、と思う。

故人を髣髴とさせる戒名、というものがあるのは、事実。

要は 文字と 発音した時の音、だと思う。

ちなみに私は

遺影は撮ったけど
戒名を付ける準備はあまりしていない。

好きな文字を考えてはいるんだけど(笑)。

(義母の戒名には 
 義父の意向で
 「明」の文字が入った。
 
 ネアカそうな字を入れたかったようだ。)



最後に。

お寺さんも 受け取ったお金に対しては
領収書を書いてくれる。

相続などの際に必要になることもあるらしいので

遠慮なく領収書を要求すればいいと思う。

まさか 怒り出したり 断ったりする坊さんは
いないと思うのだが。

(セカンド・オピニョンをとる、と言うと
 怒り出す医師もいる、という話だから
 わかんないけど。)

『東京タワー』

2006-10-02 | 読書
2006年 本屋大賞受賞作品、と帯にある。

『東京タワー --オカンとボクと、時々、オトン--』
(扶桑社、2005.6.30、1500円)、

著者はリリー・フランキー。

って、リリー・マルレーンの従姉妹の歌手?
みたいな名前で、

そしたら ヒゲの生えた若めのオッサンで、びっくりした!



そういえば最近テレビになった?

同じく帯によると
あの故・久世光彦氏が
「これは、ひらがなで書かれた聖書である。」
と劇画化を応援してたらしい。

ドイツやアメリカが出てくる国際的な物語ではないから、
テレビロケもしやすかった?



本屋大賞というのは、
「全国書店員さんが選んだ 一番!売りたい本」
に贈られるようで、

きっと選ばれた本は 間違いなくいい本だと思う。

だけど 
『博士の愛した数式』(小川洋子著、新潮社、2003.8、1575円)
が2004年に受賞した時、

ある方が「泣ける」とブログでおっしゃってたので読んだが
私は泣けなかった。

だから、いくら久世氏が
「泣いてしまった・・・。」
とおっしゃっても 泣けるかなあ、と疑っていた。

それでも買って読んだのは
山八屋さんが
「私のいどころ」で 
いい、とおっしゃってたから。



結果は。。。
泣きました。
何度も。

私も義母を失ったばかりだったので。

きっとハマったら 号泣しちゃうと思う。



この本は 著者の自伝的小説。

著者の記憶を 子どもの頃からたどっている。

そのほとんど全ての記憶に
母が関与してくる。

当然かもしれないが。

オカンは昭和6年生まれ、私の母と同世代。

そして、文字通り、時々、オトンも出てくる。

著者はこの本を
母の死の直前に書き始め、

書き続けているうちに、
いちばん無防備な状態で
写生をしているように書いていくのがいい

とわかったのだそうで、

たしかに そんなふう、
つまり淡々と写生している
素直な子どもの姿を連想させるような物語だった。



読んでいて あちこちで ちょこっとずつ泣いたのだが

私は 例によって例のごとく?
へんてこな文章に惹かれる。

たとえば。



たった一度、数秒の射精で、親子関係は未来永劫に約束されるが、
「家族」とは生活という息苦しい土壌の上で
時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである。
しかしその賜物も、たった一度、数秒の諍いで、
いとも簡単に崩壊してしまうことがある。(p.30)

私はこの夏、「家族」というものについて すこ~しだけ、考えていた。



貧しさは 比較があって目立つものだ。
この町で 生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、
社会的状況は違っても、客観的には
どちらがゆとりのある暮らしをしているのかも
わからない。
金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。(p.46)

これは、真実だ。

私が生まれた頃の 私が育ったムラの様子は
まさに こんなだった。

状況はそのあと、極端なスピードで変わったけれど。



子供の頃に予想していた自分の未来。--略--
しかし、当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、
自分には起こらないことがある。
誰にでも起きている「当たり前」。
いらないと思っている人にでも届けられる「当たり前」が、
自分には叶わないことがある。
難しいことじゃなかったはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。
人にとって「当たり前」のことが、
自分にとっては「当たり前」ではなくなる。
世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、
自分にとっては「奇蹟」に映る。
--略--
かつて当たり前だったことが、
当たり前ではなくなった時。
平凡につまずいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。(p.68~)

子供の頃に予想した未来というものを
思い出しそうで思い出せない(涙)。

この ヒトの宗教心の発端とも言えるものについて触れた部分は
最初?だったけれど
そういえばそうかなあ、と。

当たり前に享受してきたことが
とてつもなく大きな幸運だったと気がついた時にも
ヒトは 手を合わせて 祈るかもしれない。



日進月歩、道具は発明され、
延命の術は見つかり、
私たちは過去の人類からは想像もできないような
「素敵な生活」をしている。
--略--
どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、
ヒトの感じることはずっと同じだ。(p.89)

そうだ!(笑)。

ヒトはそうそう変わらない。

たとえ科学や医療が進歩しても。

ヒトの幸福というものは
昔も今も あまり大きくは違っていないんじゃないか?



希望を込めて想う“いつか”は
いつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、
恐れている“いつか”は突然やってくる。(p.403)

天変地異もそうだろう。

人の死というものも、
身内にとっては いつも突然だ。



福岡なまりの話し言葉満載のこの本に
オカンが好きだったという相田みつをの詩が
一編の詩が載っている。

それとは別に
こんなオカンのメモの言葉がある。

誰の言葉だろう?


母親というものは無欲なものです
我が子がどんなにえらくなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです(p.442~)

ほんとうにそうだなあ、と思う。

子供たちにも読んで聞かせたいよ。

でも中には強欲な親もいるように思うけど。

そんな親なら 泣かしてもいいのかなあ。

東京タワー

2006-10-01 | 乳がん
10月は
乳がんの早期発見と早期治療を啓発する
ピンクリボンキャンペーン月間ということで

今日 午後6時から10時まで
東京タワーが
ピンク色にライトアップされる。

六本木ヒルズの大展望台では
東京タワーライトアップ・カウントダウン・イベント
などもあるらしい。

(ピンクリボンフェスティバル

どうぞみなさん
早期発見のために
乳がん検診をお忘れなく!

視診・触診だけでなく
エコー検査やマンモグラフィーなどの
画像診断を併用するとGOOD!



きょうの画像は
ピンクリボンとは関係なく、

今を盛りと咲いていて
虫の羽音もにぎやかな、段菊。