ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

音楽教室(1)

2006-02-17 | こどものこと
2歳半で娘は 保育園に入った。

「赤ちゃん組」と呼ばれる、3歳未満児のクラスだった。

間もなく私の出産のためにいったん退園し、
イバラキへ行った。

イバラキの実家では
度々亭主の両親が来ては
娘を連れ出してくれた。

両親の都合がつくと 娘を数日預かってくれ、
都合が悪くなると 実家に連れてきた。

娘は 精神的に不安定になりやすい時期に
生活も不安定になった。



出産から当地へ帰って来ると
娘はまた保育園に通い出す。

私は 家の近くで 保育園バスに娘を乗せるだけなので
全く知らなかったが

保育園では 
娘が休んでいたわずかの間に 
3歳未満児、それも1歳前後の赤ちゃんが増えていて
クラスの担任の先生も 一人増えていた。

そして 以前に娘の面倒を見てくれていたベテランの先生は
赤ちゃんの面倒を見る側に移ってしまい、

娘達2歳児は 
同じ教室の中だけれど 別の先生が担当してくれるようになっていた。

やっと家に帰ってきた娘は 
安心と安定をもたらしてくれるべき人を
家でも 園でも 赤ちゃんに奪われてしまっていた。



それから始まる、登園拒否。

娘は いつも保育園バスがくるところまでは
私と素直に家を出る。

バスが来ると 「行かない。」と泣き出す。

娘が居ない方がラクな私は
バスに乗って来た先生に
無理矢理 娘を 荷物のように持たせる。

先生も 慣れたもので
暴れる娘を 片手でがっしりと抱き取って 
残る片手で バスのドアを閉める。

年度当初なら 泣く子は何人かいるが
途中からの入園なので
先生もさして苦労ではなさそうに見えた。

切ない気分にはなるが
園についてしまえば
ニコニコと 友達と遊んでいるのだというので
何も気にせずに 預けていた。



ところが
度胸が据わっているように見えていた娘が

それからは 私が行事で保育園に行くと
泣いて私のそばを離れようとしなかったり

どこかへ連れて行ったときに
私の姿が見えないと泣いていたり

ただでさえ 我が強く 扱いにくかった子が
いっそう手におえない子供になってしまった。

これには参った。

困ったし、それに 不憫でもあった。

私の身体が元気だったら
子供ふたりくらいは 抱えて走り回れるだろうに。



平日は 
早く、早くと せきたてられながら支度して
朝8時半ごろにバスに乗って保育園に行き、
夕方忙しくなる頃にバスに乗って帰って来る。

土曜休業が 急速に定着してくる時代だった。

先生も半分お休みになれば お友達も登園しなくなってきた。

園バスが出なくなったり。

土日・祭日こそ忙しい我が家では
娘を充分に遊ばせてあげられないばかりか
充分に触れ合う事さえできていなかった。




幸い ふたり目の男の子は
娘と違って(笑)おとなしくて 扱いやすかったので
娘のためになんとかしたい、そう思うことができた。

娘は 母親との一体感に飢えている、と思った。

母子分離不安。

なんとか娘と一緒の時間を作りたい。

けれど 平日は 娘は保育園だ。。。



苦悩の時期を1年近く過ごしたあと、
娘の音楽教室は始まった。

週に一度 園を休ませて
ママと音楽教室に行くのだ!



片手で息子を抱き上げ、
ルンルンと走り出しそうな娘の手を引き、
肩からは紙おむつなどを詰めたカバンをさげ、
髪を振り乱しながらも

私は‘おでかけ’ができて 嬉しかった。

娘はもっと嬉しかったに違いない。



3月生まれの娘が
音楽教室の3歳コースに入ったのは 3歳の秋。

最初はY○○に問い合わせたが
秋には開講するクラスがないと言われた。

K○○に聞くと 
どうぞ見学においでください、という。

そこで初めてお会いした高○先生に
こんなに長くお世話になるとは思わなかったが

教えてくれる先生が
子供が好きで 子供に教える事に慣れていて

言う事を聞かない子供をなだめるのも上手で
何事も子供に押し付けない人だったのは
ほんとうに幸運だった。



周りのお友達は 一学年下の子達だった。

いつも 大きな、そして 進んでいるお友達の中で
オドオドとしながらみそっかすでいるような感じだった娘は

ようやくここで 少人数ながらも
対等に遊べる‘クラスメイト’を持った。

わがままを言ったり すねたり 
言うことを聞かない子は いくらでもいたが
厳しくも優しい高○先生は
腹も立てずに 上手にクラスをリードしてくださった。

という、長い前置き(笑)。

6 コメント

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胡蝶蘭 ()
2006-02-17 15:22:24
一輪目が開くところでしょうか。蕾が沢山着いているので咲くと見事でしょうね。



慣れない土地での子育ては、大変だったと前にも拝見した事がありましたが、ジョルジュさんの奮闘ぶりが伝わってきます。



音楽教室の先生とは今もご縁があるのでしょうか。良い先生に出会えて良かったですね。泣き叫んで保育園に行く姿を見ていたジョルジュさん、楽しそうにしている娘さんを見て、一安心嬉しかったでしょう。親は何時も子どもが嬉しそうにしている姿を望みますよね。現実はそんなものではないですけどね。
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親の心 子知らず (ジョルジュ)
2006-02-17 17:22:21
とは 実家の母も思っていることでしょう(笑)。

私が一番幸せをかみ締めていたのは

天使のような寝顔でも笑顔でもなく

きょうだいが ふたり仲良くしているところを眺めている時でした。

仲良き事は美しきかな。

兄弟がもっといれば もっと美しい?

けんかをしてると 母の怒りは4倍くらい?

少子化は 女性の立場からすれば 当然でもあるし 仕方のない事でもありますが

出産できるのにしない、というのは 実はとってももったいない事、と思います。

お金には換えられないものが たくさんいただけるのに。

そして 不妊治療をなさってらっしゃる方のご苦労にも 目頭が熱くなります。

お金もかかるそうですが 世間からいろいろ言われますよね、子供ができないと。

まずは そんな世間の方が 変わって欲しいと思います。

最後に 自分の産んだ子供でなくても 子供を持つことができるんだけど、ということ。

養子制度・里親制度です。

これも 養子や里子に対して いろいろ周囲が言うでしょうけれど。

もう少し世間が 優しかったらと思うことはたくさんあります。

変な方向へ話がずれました(汗)。
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親育て。 (山八屋)
2006-02-17 17:53:25
長男一人の時には、たっぷり愛情を与えられたのに、下が双子でしたから義父母や実家の両親に甘えさせてもらいました。

あの頃の恩があるから今、こうして介護ができているのだと思います。

(義母はこれからですが・・・)



でも、あの頃私は子供達に育てられていたような気がします。

親たるもの、完璧でなくてもいいよ。って

子供に育てられた私は、いい親ではなかったみたいですが、子供達はいい子に育ってくれました。

子供の不安な気持ち。

分かりすぎるくらい分かっている自分は、絶対子供に同じ気持ちをさせない。と思っていましたし、「初心忘れるべからず。」を座右の銘にしてきました。

子供って大事です。

子供の心って一生物なんですよね。



大事に育てたつもりでも、ずいぶん傷つけてしまったかも知れません。

それも、これから生きる糧にして欲しいと勝手な親の言い分です。
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子によって親は親になる (ジョルジュ)
2006-02-17 18:07:10
本当に 我が娘には 育てられましたよ~(涙)。

山八屋さんのところは 双子ちゃんでしたから大変でしたよね。

完璧でなくていい、ですか。

私は完璧にしたい気持ちは山ほどありましたね(笑)。

でも 身体がついてゆかず、しょっちゅう寝込んだり でれ~~~っとしていたり。

そんなのをくり返して 「子育ては お母さんがラクチンなのが一番!」と悟った私です(笑)。

私こそ 子供達を 傷つけて、傷つけて、育ててきました。

祖父母もいないので 子供達には逃げ場もありませんでした。

叱られたら 叱られながら 泣くばかりです。

子供達が親になった時に どんな子育てをするか、心配です(早すぎる?)(笑)
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こんばんは (ぱぷりこ)
2006-02-17 20:01:20
>どんな子育てをするか、心配です

「育てられたように育てるものだ」というのを聞いたかのか読んだのか頭に残っていて

時々怖くなります



子供が育って振り返ってみると反省ばかりで

もう取り返しが付かない事にくらくらします(笑)

私は3人いますので反省も3人分しなければなりませんね。わーごめんなさい~~



蘭、淡いピンク優しいですね。

東京ドームで開催の蘭展に出かける予定でしたが無理かもしれなくて・・・・

沢山写真撮ってこようと思ったのですが残念です。

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蘭展 (ジョルジュ)
2006-02-17 22:48:06
行けたらいいな、といつも思っていますが

今年も行けそうにありません。もし行けたら 写真を撮ってきますけれど(笑)。

このミニ胡蝶蘭はもう3シーズンめ、去年も咲きましたが

一つ目の花が咲いた後 花をこちらに向けてしまったら

その後に咲いた花が 窓の外を向いてしまって

まとまりが付かない事になってしまいました。

今年は反省して 窓の外を向けたままにしてあります、

ちょっと振り向いてもらって、撮影しました(笑)。



子供のことは 自分に責任があると思うせいでしょうか、本当に恐いし いまだに自分を責めたくなります。。

世代が変わるごとに 少しずつでも いろんなことが 良くなっていってくれたら、と願っています。

どうなるでしょうか?
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