姉は もうず~~~と ボランティアで 日本語を教えている。
教え子も 随分変わってきているから
延べ数で言ったら けっこうな人数になってるかも?
女性がほとんどのようだ。
これは 姉の‘生きがい’ともいうべきもので、
ず~~~っと死ぬまで続けたい、と言っている。
決して治ることのない難病をかかえ、
くも膜下出血に倒れ、
時として後遺症に苦しみながらも
‘生きる喜び’として 続けている。
私には これがうらやましくて仕方がない。
おねえちゃん、シアワセだねえ~。

価格調整のため?出荷しなかったキャベツの
花畑になっているところもあるが
懲りずに(苦笑) またキャベツを植えている。 性!
生徒たちの中には
中国へ遊びに行った姉を 案内してくれた女性もいたし、
強制送還された後に
すぐに名前を変えて戻ってきた、なんていう
犯罪者か?と思うような女性も。。(汗)
一時期は 姉は 日本語を教える代わりに英語を教えてほしい、と
欧米人と時間を共有していたこともあった。
日本語を教えてもらえる、ということで
東アジアや 南米からの生徒が増えてきた。
そして教室では
会話の上達に伴って
ことばを教えると共に
背景にある文化というか ‘考え方・感じ方’について
ことば足らずではあっても 言及することになってくる。
そうした時に
「ああ、わかりました。」
と生徒が答えたとする。
その時
姉は 欧米の人たちは
ことばだけ、上っ面だけ、頭の中だけ、理屈だけの
理解だと感じるようになったという。
それに対して アジアの国々からの人たちは
ああ、本当に、魂の底の方から 理解してくれたなあ、
と感じるのだという。
これは何なのだろうか?

冬の間 ネギ畑だったところ。今度は何を作ってるんだろう?
ネギ苗だったりして(笑)。
あるいは
仏教という共通するものがあった場合。
あるいは
年長者を理屈ぬきで敬う、そういう儒教の教えが 文化の根底に
共通して流れていた場合。
そういう類似性があるからなのかなあ?
というのが 私の推測だった。
けれど 中にはイスラム教徒もいたらしい。
イスラム教徒でも アジアの人間の間には
はっきりとは言えないけれど何か、
何かが共通していて
深く理解しあえると 感じるのだという。
儒教?
「子 のたまはく」?
「三尺下がって師の影踏まず」?
「長幼の序」?
古い!
私はそう言って
古い価値観に青少年期から反発して 生きてきた。
親の世代は
価値観の転換を目の当たりにして
しかも 日本人は愚かだ、などという教育?のされ方をしてきた。
自信を持って それまでの教育を子どもにできなかった。
もちろん、父や母がそんなことを言い出すようなら
私も姉も バカにして笑い飛ばして いうことを聞かなかったろう。
けれど。
もしかしたら
人間の価値というのは
時代が変わろうと 主義・主張が変わろうと
そう大きく変わるべきものじゃないのかもしれない。
年長者を敬うことを刷り込まれていれば
電車の中で 足の長い若者の前に
つり革に手の届かない老人が立ち続けている姿は
見ずにすんだかもしれない。
「げーぶ(外聞)わりィ」
という母の言葉に
姉も私も 充分に縛り付けられたり 傷つけられたりしてきた。
外聞。
大嫌いな言葉だ。
他人からどう見えようが 他人にどう思われようが
かまわないじゃないか!
けれど
外聞を気にしていた時代には
電車の中でお化粧するワカイノや 座り込むワカイノや
それから
聞いただけで「恥ずかしくないの?」と思ったり
聞いたこちらが恥ずかしくなるような
そんな犯罪は
ずっとずっと少なかったんじゃないか?
自由主義。
民主主義。
なによりも、政治に対して 勝手きままに批判することができること。
私達が 今ではもう 当たり前のこととして
享受しているありがたいものを
私は決して否定しないし
特に職場において
柔軟な考え方や対処の仕方ができない年配者が上司にいる場合の
‘老害’を憎むし
年長であるというだけで
立場が上というだけで
不当に 目下に対して尊大な態度をとったり
蔑むように対処する人たちを恨む気持ちは
変わったりしないけど
なんだろう?これは
もしかして 倫理とか 道徳とかいうものなのかな?
私達が 発展の影で
どこかに置き忘れてきてしまった大切なものが
アジアの他の国々には ある、という事実。
それが羨ましいという 後悔に似た感情。
これは
古くから日本にあった
私が大キライだった 儒教の教えに似たものが 遠因となって
人間を人間たらしめていたことの証なのかな?
うまく言えない。
考えが あっちへ行き、こっちへ行きして とりとめもないが
理解の深度には そんなこんなが裏にあるかな、
と 考えた、きょうは 立夏の日。
教え子も 随分変わってきているから
延べ数で言ったら けっこうな人数になってるかも?
女性がほとんどのようだ。
これは 姉の‘生きがい’ともいうべきもので、
ず~~~っと死ぬまで続けたい、と言っている。
決して治ることのない難病をかかえ、
くも膜下出血に倒れ、
時として後遺症に苦しみながらも
‘生きる喜び’として 続けている。
私には これがうらやましくて仕方がない。
おねえちゃん、シアワセだねえ~。

価格調整のため?出荷しなかったキャベツの
花畑になっているところもあるが
懲りずに(苦笑) またキャベツを植えている。 性!
生徒たちの中には
中国へ遊びに行った姉を 案内してくれた女性もいたし、
強制送還された後に
すぐに名前を変えて戻ってきた、なんていう
犯罪者か?と思うような女性も。。(汗)
一時期は 姉は 日本語を教える代わりに英語を教えてほしい、と
欧米人と時間を共有していたこともあった。
日本語を教えてもらえる、ということで
東アジアや 南米からの生徒が増えてきた。
そして教室では
会話の上達に伴って
ことばを教えると共に
背景にある文化というか ‘考え方・感じ方’について
ことば足らずではあっても 言及することになってくる。
そうした時に
「ああ、わかりました。」
と生徒が答えたとする。
その時
姉は 欧米の人たちは
ことばだけ、上っ面だけ、頭の中だけ、理屈だけの
理解だと感じるようになったという。
それに対して アジアの国々からの人たちは
ああ、本当に、魂の底の方から 理解してくれたなあ、
と感じるのだという。
これは何なのだろうか?

冬の間 ネギ畑だったところ。今度は何を作ってるんだろう?
ネギ苗だったりして(笑)。
あるいは
仏教という共通するものがあった場合。
あるいは
年長者を理屈ぬきで敬う、そういう儒教の教えが 文化の根底に
共通して流れていた場合。
そういう類似性があるからなのかなあ?
というのが 私の推測だった。
けれど 中にはイスラム教徒もいたらしい。
イスラム教徒でも アジアの人間の間には
はっきりとは言えないけれど何か、
何かが共通していて
深く理解しあえると 感じるのだという。
儒教?
「子 のたまはく」?
「三尺下がって師の影踏まず」?
「長幼の序」?
古い!
私はそう言って
古い価値観に青少年期から反発して 生きてきた。
親の世代は
価値観の転換を目の当たりにして
しかも 日本人は愚かだ、などという教育?のされ方をしてきた。
自信を持って それまでの教育を子どもにできなかった。
もちろん、父や母がそんなことを言い出すようなら
私も姉も バカにして笑い飛ばして いうことを聞かなかったろう。
けれど。
もしかしたら
人間の価値というのは
時代が変わろうと 主義・主張が変わろうと
そう大きく変わるべきものじゃないのかもしれない。
年長者を敬うことを刷り込まれていれば
電車の中で 足の長い若者の前に
つり革に手の届かない老人が立ち続けている姿は
見ずにすんだかもしれない。
「げーぶ(外聞)わりィ」
という母の言葉に
姉も私も 充分に縛り付けられたり 傷つけられたりしてきた。
外聞。
大嫌いな言葉だ。
他人からどう見えようが 他人にどう思われようが
かまわないじゃないか!
けれど
外聞を気にしていた時代には
電車の中でお化粧するワカイノや 座り込むワカイノや
それから
聞いただけで「恥ずかしくないの?」と思ったり
聞いたこちらが恥ずかしくなるような
そんな犯罪は
ずっとずっと少なかったんじゃないか?
自由主義。
民主主義。
なによりも、政治に対して 勝手きままに批判することができること。
私達が 今ではもう 当たり前のこととして
享受しているありがたいものを
私は決して否定しないし
特に職場において
柔軟な考え方や対処の仕方ができない年配者が上司にいる場合の
‘老害’を憎むし
年長であるというだけで
立場が上というだけで
不当に 目下に対して尊大な態度をとったり
蔑むように対処する人たちを恨む気持ちは
変わったりしないけど
なんだろう?これは
もしかして 倫理とか 道徳とかいうものなのかな?
私達が 発展の影で
どこかに置き忘れてきてしまった大切なものが
アジアの他の国々には ある、という事実。
それが羨ましいという 後悔に似た感情。
これは
古くから日本にあった
私が大キライだった 儒教の教えに似たものが 遠因となって
人間を人間たらしめていたことの証なのかな?
うまく言えない。
考えが あっちへ行き、こっちへ行きして とりとめもないが
理解の深度には そんなこんなが裏にあるかな、
と 考えた、きょうは 立夏の日。
例えば 敗戦という物事の結果には必ず原因がありますが、私たちは物事(歴史)をそういう風にとらえることを苦手にしています。だからやられた・負けたことだけが戦争体験として語り継がれてきました。南京陥落で提灯行列で祝ったことはあっても 他国への侵略がどういうものであったのかを 庶民の立場で考えた人はどれほど居たでしょう。
指導者たちは戦後も責任をとらず、戦前の価値観と体制をそのままに アメリカの都合のよいままに きょうに至っています。そういう物事の事実を子供たちに伝えようとしなかった。さらに必要性も感じなかった。 わたしも真実から目をそらせた人たちから 教育を受けてきました。さらに言うなら 貧困の中でその事さえもなかったこととして 経済成長や効率万能の御旗の元で育ってきました。そういう人たちが現在の上司であり 指導者なのです。そういう人たちに育てられたのが 今の若者です。
違いは地理的要因もあるかも知れません。東南アジアの人たちは隣国との通商や人的交流は 日本人が想像する以上に 不可欠なものです。
背伸びした ジョルジュさんの主旨とは大分かけ離れたコメントになっちゃいました。
私が書きたかったことです。
arfaさんのコメントを受けて
もう少し 続きを記事にしようかと思います。
が、もう考えるのに疲れました(爆)。
戦後 日本人はご飯を食べてたから負けた、
アメリカ人のように 小麦で作ったパンを食べた方が頭がよくなる、
などの ヘンテコな信仰があったそうです。
私も ご飯を食べるから 日本人は胴が長くて足が短い、という説を信じてましたが
足が長い方が優秀で 足が短いことが劣等だという信仰は
今も残ってますね。
変ですね。