ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

私たちは、傷ついている(2)

2015-03-23 | 考えたこと
先日の記事は、
アタマの中のグニュグニュが 形を成さないまま、記事にした。

どうも、ココロ優しい人達は 
一緒にグニュグニュにお付き合いしてくださっているように思う。



私のこのマーブル模様のグニュグニュは、
〇〇から70年、といニュースが
去年 頻発した当たりで始まっている。

最初の特攻から70年、
東京大空襲から70年、

戦艦武蔵が見つかった、etc.etc...

おまけに、サリンから20年だの、
いろんなのがあって、

4年目が来る、となったら、

吐き出さなきゃいられなくなった。






大きなきっかけになったのは、

どうも 北朝鮮による拉致の問題で、

直接は関係がないのに、
被害者やそのご家族に申し訳なく思ってしまい、

日本政府に代わって 罪の意識を持ってしまっている、

という話を聞いた時だった。



「へ~~。」

「ふ~~ん。」

「そうなんだ?」

「うそでしょ?!」

そう思うじゃない?



しかも、その人は、意識せずに、
つまり、無意識のうちに、って話だ。



そして、とても「生きにくさ」を感じてしまっている、と。



そんな事があるんだ?



拉致された人々と 年齢が近く、
親の年齢も近く、
当然、子供たちの年齢も近くて、
拉致を他人事とは思えない時期があった私には、

それは とても ショックな話だった。



でも、無意識って・・・?






そうしたら、
東京大空襲から70年の日の 新聞の人生案内に、
「<イスラム国>事件に心痛める」というのが載った。

「イスラム国」、最近では「IS いすらみっくすてーと」と呼ばれている。

紙面では 若い相談者が 
「イスラム国」による日本人人質事件のショックから 抜け出せない、
と訴えている。



「宗教とは、人間の本質とは、何ですか。

 非情な争いは なくなりませんか。

 やりきれなくて、悔しくて、悲しいです。」



「この心の苦しさを どうしたらよいでしょうか。」



この事か?!!!



この相談者は まるで 殺害された人質の親類縁者のように
傷ついてる。

が、
もしかしたら、
これは ニュースを知った私達全員の心の痛みなのかもしれない、
と思った。



あの日。

私達は 大きな、あるいは 小さな 胸の痛みを
感じたはずだ。



だったら、北朝鮮による拉致被害と同様に、

自分では意識しないまま、
大きな傷を心に負って
これから「生きにくさ」を感じる人が出て来るのかもしれない。



てか、「無意識」って、何だ!?






新聞の解説者は、
「私たちに出来ることは、 
 <どうしたらこんなことが起きないようになるのか>
 を考えることだと思います。」

と語っている。



そうして、私は、もうひとつ、

私たちには≪祈る≫という貢献ができる、

と考える。






最近、私は、アヤシイ宗教者だ(爆)。




13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ジョルジュさん ()
2015-03-24 13:04:28
色んな出来事が、次から次へと起こり、怒ったり、悲しんだり、絶望的になったり、心穏やかでいられる日は少ないですよね。

地域でも、家庭内でもそれなりに問題は起きてくる。
その都度その都度、わがことのように嘆き苦しんでいたら、それこそ身が持たないという私は冷酷おばさんかもしれないが、そのことで健康を害してしまえば、その人につながる方々にも幸せはもたらさないし、よいことはないと思います。


まあ、それにしてもそんなことがあるのかと思うような、事件や事故、今までは考えられない災害、祈りに心ゆだねたくなるのかもしれません。

どうすれば、こういう凶悪な事件が起きなくなるか、それは考える必要がありますが、事件が起きるたび、有識者と言われる方々が、ああでもないこうでもないと論議しますが、無くなるより益々凶悪化しているような・・・

根本はやはり人間の心次第と思う私です。
地域で、社会で仲間外れを作らないそんなことからが大事かもしれないと思う私です。

纏まりなくすみません(汗)
返信する
こんばんは (ジャジャ馬)
2015-03-24 19:42:20
私が想像していたことなんかよりずっと壮大なテーマだったんですね~。

イスラム教やキリスト教や仏教や、あらゆる宗教を超越するような、人類愛にもとずいた宗教が起これば解決するでしょうか。
そうは上手くいかないでしょうね。

でも、最近のニュースを見ていると、社会はますます混沌として来て、
何が起こってもおかしくないような世の中になりつつあるような気がして仕方ありません。

救世主を待つ気持ちが湧いてくるのはこんな時代かもしれませんね。
返信する
今でも、まだグルグル (ジョルジュ)
2015-03-27 16:29:29
風さん、
人はやはり、できる場所で できる事をするしか、できません。
風さんのおっしゃる事もよくわかりますし、
実は私も 何もしてはいないのです。
が、「わかっている」事と「わかっていない」事とは違いますし、
できるなら 私は どうせたいした事は何もできないとしても、
「わかって」いたいのです。
なのに、なかなか 「わからない」・・・。
私たちは もしかしたら もっと知らなければならない大事な事が
いっぱいあるのかもしれません。
しなければならない大事な事もいっぱいあるのかもしれませんが、
「できる」事は、それほど多くはありません。
人は本来、善良であると信じたいですし、
善良なままではいられない人が 善良な人に戻る事ができたらいいな、と思います。

ジャジャ馬さん、
私にとっては壮大すぎて、手に余ります(大汗)。
ひとりひとりが 救世主にならなくてはいけないのかもしれません。
人々が それぞれの宗教を信じて、
そのまんまで 理想のあるべき姿に近づいていければ
それがいいのかなー、なんて。
ただ 人を殺すのは どんな教義に基づいて考えてみても、
どんな屁理屈をこねてみても、
正義であるはずはありませんよね?
宗教に名を借りた暴力だけは 許せないと思います。
彼らが 彼らの帰るべき本来の宗教に戻って、
そうして 彼らも幸せになれますように。
返信する
Unknown (トト)
2015-03-28 08:25:17
ジョルジュさんの「マーブル模様のグニュグニュ」?

無限ループに入り込んでいるようで・・・答えは無い?

悪く言えば!

何の努力も無く、地面から湧いて出る、神様からの贈り物の国。

神様からの贈り物を奪い合う国。

自国が豊かになろうと、他国を侵略する国。

自国を守ろうと言って、過剰に他国を攻撃する国。

自給自足だけで成り立っている国。

そこには、色々な考え方がある、違って当たり前だと思う、個人の性格も似たようなもんで、これじゃ、喧嘩にもなりますよね?

社会の変化に人間の脳みそが対応できないように思います?

人間が破壊した環境で絶滅危惧種の動物がいるように、人間は自分たちが造った環境、便利さと引き換えに、自分たちが住みにくい環境になっている?

少し不便にはなるが、ポケベル時代くらいまでに戻ってみてもいいような。

昔、私達の若い頃、今の時代よりも圧倒的に情報量は少なく、判らない方が多かった、なのに自分の進む道はなんとなく判った、そんなに暗くはなかった。

今の時代、あり過ぎる情報量と細っていく日本、どんな未来になるのか、まったく見えない?判らない?薄暗い夜道のようです。

だから、その場、その場でネットで調べて判断もする・・・悪くはないんですがね~、すべてじゃない。

悲しい情報ばかり脳味噌に残っていたら、たまったもんじゃない!

人間の欲?ですかね。

そんな私も欲の恩恵にあずかっている、お金も欲しいし、自分の住みやすい環境や生活を送りたいと望んでる、皆さんも同じだと思います。

勝手なもんですよ!

あの頃のジョルジュさん

コメントのやり取り、数行の文章で私の心は穏やかになりました、そんな力があるんですよ、捨てたもんじゃない・・・

うちの嫁さん、せんべい食べてテレビ観てますよ(笑)

花の画像でも載っけてくださいな?

あ~長くなって、すみません。






返信する
ず~っと書き込めずにグルグルしてました。。 ()
2015-03-29 11:43:27
ジョルジュさん 長くなっても良いですか?(笑)

「わたしたちは傷ついている」この言葉に救われました。
「私」ではなく「あなた」ではなく「わたしたちが傷ついている」
生きている事は死に向かって歩んでいる事だから、生きている時間をよりよく生きていたい。
わたしたちが傷つく理由はそれぞれですよね。でも理由は違っても みんな傷つくし 傷ついて良いんだ。というメッセージを私は受け取りました。
今日泣いても、明日は笑う。明日笑えても明後日は泣いているかもしれないけれども 生きていれば泣いても笑えるんだということは大きな希望です。

人の痛みを我が事のように感じて辛いのは、その人の性格もあるし 成育歴も大いに影響しています。その鋭敏な感性は本人には辛いことだけれどある意味で仕方ないです。あとは自分がどうやってそんな自分に折り合いをつけるか。。

無意識のうちに傷つくとしても その人が生き辛いほど傷つく理由は何かあるのよね。
同じように心が優しくても自分のココロと身体をちゃんと守る事を知っている人もいるのですもの。。

ジョルジュさんは なぜ、この節目に 吐きださなければならないと思ったのかなぁ~と考えていました。
確かに言わないと、なにも残らないし、起こらないし、私が一緒にグルグル出来ないのだけどネ


私が今、グルグルしているのは、自分が少なくても東日本大震災までは 長い歴史からみたら平安な時代(環境)にのほほ~んと生きてきて、のほほ~んとしているうちに年だけとったことにちょっと焦っているからかも。
ずっと前から十分に大人なのにのほほ~んと生きたことで 自分の生きた環境より厳しい環境になりそうな世の中をこれからも子供たち世代に手渡していいのかなぁ・・という気持ちがあります。
それって随分無責任じゃないかな~って・・・これが一番大きいグルグルかなぁ。

***

さて・・・そんな自分に折り合いの付け方はいろいろあって・・
(これは今の私の分け方です。知識が足りないのでもっとたくさんあるかもしれません)

1、宗教的に・・やれるところまでやってあとは神様にお任せ(原理主義的だと私の考えとは違ってる可能性あり。私の場合あくまでも日本人的な意味合いです)
2、哲学的・・哲学を勉強したことがないのでジョルジュさんにお任せ的な側面はありますが、宗教と哲学はちょっとちがいますよね。流行りのアドラーは哲学でないという説もあったような気がしますが「何処までが自分の課題かを考える」というのは、今の私のお気に入りです。
3、心理学的・・カウンセラーの所に行って、自分の考え癖(グルグルが行き過ぎると 偏って袋小路に追い込まれる)を認識する。
4、社会的解釈・・社会学的に起こっている問題を分析することで、自分が何に対して(どんな情報に接して)立ち止まってしまっているのかを知る。どんな情報も発信手の意図はあるので、発信側と受け手で解釈に齟齬があるかもしれないし、そもそもの分析が間違っている可能性も多い。
5、脳生理学的・・情報を一旦遮断する。左の脳を使わずに右脳を使うことで 脳の中の情報を整理する。

それが。。うまく出来てないんだけど


今、「開沼 博」さんの 「はじめての福島学」を読んでいます。私は福島の人たちの気持ちに「自分の心の痛み」を感じている一人です(反原発とかそういう意味ではないです)
窓で話題になっているグルグルの分野とは別かもしれませんが ジョルジュさんの仰る「わかること」ということはどういうことかということについて、何かヒントになるのではないかと思います。
返信する
おおっ、これは長いな、手ごわいゾ(笑) (ジョルジュ)
2015-03-30 14:24:19
トトさん、よいお日和です。
ついこの前まで、安全と水はただだった国、ニッポンの住民です。
人は、「みんな違って みんな良い」、と思っていれば、
喧嘩にはならないはずなのですが。
人間の脳みそは 思いのほか 単純にできているのではないでしょうか?
対応できないどころか、理解不能?!
そこを なんとか 理解しようとしなくてはならないのかもしれません?
私には辛い作業になりそうです(大汗)。
春爛漫のニッポンです。 
花の画像は そこいらじゅうに溢れていますよ!(笑)
返信する
おおっ、これは長いな、手ごわいゾ(笑)part2 (ジョルジュ)
2015-03-30 14:58:43
結さん、桜はほぼ満開です!
「今日泣いても、明日は笑う。
 明日笑えても明後日は泣いているかもしれないけれども 
 生きていれば泣いても笑えるんだということは
 大きな希望です。」
ステキなメッセージをありがとうございます。

のほほ~~んと生きてきた私も いろいろ焦ってみたりするのですが、
結局、何もできないし、何も変わらない、そう思ってきました。
けれど もしかしたら、何かできるのかもしれない!? 
と気づいた訳です。

それは、私が乳がんになったおかげ、パソ子を手に入れたおかげ、ブログを始めたおかげ、たくさんの人と ネットで出会えたおかげ、
などなど、さまざまな因子が絡み合っての事なのですが、
確かに、どれもが関係しあっていて、
確かにどれか一つが欠けても実現し得なかった出会いや気づき、
これが、山ほどあるのです!

その気づきのひとつが、「関係ないはずの人のココロの傷と生きにくさ」であり、
また「祈りの力を見直そう。何もできなくても、せめて祈ろう」でありました。
なかなかうまく文章にする事ができませんでしたが、
せめて私らしい表現を、と願いつつ 書きました。

まれにテレビで見る有識者という人種は、
真面目くさった顔と小難しい言葉で 人を言いくるめてくれますが、
時として 「あれ? 今 この人が言ってる事、変!」
という事もあり、まして両極端な意見も噴出するような事柄では、
「これが正しい」なんて 誰にも言えないはずだし、
情報操作、情報統制もあると 私たちは充分に学んでしまっているので、
「有名な人のいう事を信じようと努力しなくていいんだ」
というのは、すごく嬉しい。
「私だけ変なのかもしれない?」と思わなくて済みます。

思うに、私のグルグルが マーブル模様なのは、

右脳と左脳が混乱を起こして 互いの領域を侵して グルグルしているせいかもしれない、
なんて思っています。

それから、「何処までが自分の課題かを考える」を、
「何処までが 現生での自分の・・・」と書き換える事も可能かと思いました。
最近の私のグルグルには そんな事まで混じってきているので、
もう、酔いそうです(爆)。

本のご紹介、ありがとうございます♪
まだ当分 手を出せそうにないのですが、私にとってはとても良い指針になります。
返信する
更新するわたしたち (えみちゃん)
2015-04-07 00:41:10
こんばんは。何かできている証が、ここにあるじゃありませんか。
ジョルジュさんのなかでふつふつ熱を持ってる事が私たちに伝わっている。だからみなさんのコメントにも熱があるわー。

私は人の意見に影響されやすく(恥_*);A自分で考えて行動するのは、ちょっと恐ろしい。こうなればいいのにと思っていても、誰かふさわしい人が行うに違いないというふうになっちゃう。

そういう面を持っているなっていうのは、「ぼくらの祖国」を読んだあとやっと認めたんですよ。(趣味が違うかもしれませんが、書名を書かせてもらいました。)
恐ろしいのは変わっていないけど、後悔を感じるものから、または目の前の課題から始めようと努力中です。

その材料のほとんどが、有名人のブログやニュースサイトだったりするので、またも人の考えや時流に流されているかもしれませんが。
返信する
えみちゃん、嬉しいお言葉を有難う! (ジョルジュ)
2015-04-09 23:27:10
確かに、熱い言葉が並んでますね。

人の意見に影響されやすい私だからこそ、
グルグルがヘンテコになっちゃってるのかもしれません。
そして 誰か 適切な言葉を上手に選べて ハッキリとモノを言える、
声の大きな人が ズダン!と立ち上がってくれるのを待っていて、
「そうよ、こんな人が言ってくれれば(やってくれれば)いいのよ!」と安心したがってします、いつも。
それこそ、小学生の頃からです。

そして 他人の意見が自分の意見と同じになっても、恥かしい事はないと思っています。
本当に それが自分の意見なら。
反対意見にも 耳を傾けるべきだとも思います。
それでも自分が 「なんか違うな」と感じたら、感じた方を見つめてみる。
そんなふうにして 自分の考えを方向付けてきた気がします。
きっかけは、何でもいいし、
何がきっかけになるか、なんて、わかりません。

面白そうな本をご紹介いただきました。
ブログのコメントに紹介された本が、私の座右の書にならないとは、
誰にも言えませんよね。
ありがとうございました。
返信する
これから読んでみようかな (えみちゃん)
2015-04-30 10:59:26
興味をもってもらえて良かったです^^
今日は別のをもってきました。
THE FUTURE TIMESの「美しき心の風景と未来」
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/hatakeyama/
創刊号が2011年で今は7号だそうです。
無料配布なので無くなったらおしまいだとか。せめてネットにある記事だけでも読もうと思って、ブックマークしました(^^
返信する

コメントを投稿