ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

七五三騒動

2010-11-03 | なんでもないこと
9月からこっち、有難いことに仕事が忙しく、
治療院へ行くのも 予定を変更しっぱなし。

明日行くのを止めて 明後日にする、という事になると
明後日に入っている予約の後に、という事になり、
治療開始が遅くなる。

開始が遅くなると、帰りも遅くなる。

夕食は外食になる。

それは、私は歓迎なのだが(笑)。







今年もキレイに咲いた段菊。






実家の母からの電話を受けた亭主が
「帰ったら電話させますから。」
と伝えたその日も
治療が遅くなった日。

ところが それから何度も、母から電話が入り、
その都度 亭主は
「帰ったら 電話させます。」
と繰り返していたらしい(笑)。

そうして、ようやく私が帰って
亭主とふたりで 和風ファミレスで晩御飯を食べていると
またまた電話が鳴った。

(家に電話がかかると
 亭主のケータイに 転送するようにしている。)




私が電話に出ると、母は 
姪っ子の七五三の時の着物が 
私の所にあるはずだ、と言う。

姪っ子の子供、母にとっては曾孫たちが
今年 七五三だというのだ。



「あっか~?」

「わかんない。」



ウチの娘が お正月に着たのだって、15年以上も昔の話。

そんなの、覚えてないよ。



「あるはずだっぺ。」

「うん、あるとは思うけど。」

「んだら、あっぺよ。」

「わかんない。」

「わがんねって、あっか!」



怒らせてしまったようだ(汗)。



「家に帰ったら 見てみるから。」

「今、どご居んだ?」

「今、晩御飯食べてる。」



母も ここは努めて冷静になってくれて、

「んだら、あどで 見でがら、明日、電話よごせ。」

「わかった。」



ふ~~~~。(タメイキ)



で、後はひたすら、食べる私。







これは、一株だけある、ピンクの段菊。






実際に タンスの引き出しを開けて 探してみたのは、翌朝だった。

あった。

電話しよう、と思った時、母からの電話がかかって来た。



「あったが~?」

「あった!。」

「あったべ~。」

「うん。」






七五三の着物は、
今 30歳くらいになる姪っ子が幼い日に 
母が誂えたもので、
濃い紫の地に 薄いピンク色の花の柄が とても美しい。

色黒のわが娘に 似合うとは言い難かったが、
貸衣装で七五三を済ませてしまったわが娘のために 
母が送ってよこしたものだった。

「女っ子は 着物が好きなもんだから、正月に着せてやれ」
というわけだった。

私も姉も 着物を着てオシャレするのが とても好きで
お正月には 毎年 着物を着せてもらっていたのだ。



姉夫婦は 姪っ子の帯と草履のセットを 
バザーに出して 売ってしまったので、
母は 帯のセットを 娘のために わざわざ新調して 
着物と一緒に送ってくれたのだった。






「帯、あっか~?」

「帯、あった!」



「帯締め、あっか~?」

「帯締め、あった。」



「帯揚げ、あっか~?」

「帯揚げ、あった。」



「んだら、早ぐ、送ってよごせ。」

「わかった。」





「でも、草履とバッグが、ないんだよね。」

「ふ~~ん、草履と、バッグが。」

「うん。」

「草履と、バッグ、な。」



ああ、今回、母は、曾孫のために、
草履とバッグのセットを、買うな!

そう直感しつつ、受話器を下ろしたのだった。



後で 姉に電話したら
すでに母から話が行った後だった(爆)。






姪っ子に似合いそうな付け下げをひとつ 私が持っていたから
草履とバッグのセットも合わせて
そっちも送ろうか?
という質問に
姉は 姪っ子に聞いてから、と言って 話はいったん終わった。

だから、七五三の着物を送るのが
ちょっと遅めになってしまったのだった。