ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

乳がん患者とセックス

2004-10-16 | 乳がん
こんなタイトルで 何か文章を書く事になるとは 思っていなかった。
けれど 増える一方の乳がん患者のひとりとして、
これは 書かずには いられない、と 思うようになった。

私と亭主との間の ベッドルームの中でのことが 
他の人の 何か参考になるという 確信があるわけではないが、
参考にならないと言う確信が あるわけではないので、
思い切って 今日書いてみる事にする。

私の場合は 温存手術であったので、
胸筋温存乳房切除術、あるいは 胸筋合併乳房切除術であった人とは
かなり違いがあるのかもしれないが、
私には私自身の事しかわからないので、
私の場合を なるべく素直に 書いてみる。



退院して しばらくの間、
私は セックスに関して 最も穏やかな日々を過ごした。
年末ということもあり、亭主は 毎日 疲れてへとへとだったし、
ちょっかいを出すそぶりもなかったから。

私の中には 寂しさがいつも強くあったから、
初めは 疲れた亭主に遠慮していたが、
徐々に ワガママぶりを発揮して、
無理矢理 亭主のてのひらを ひっぱってきて、
冷えて痛む ひじや手首を暖めてもらいながら 眠った。
亭主はいつも バタン、キュ~で眠っていた。

そのうちずうずうしさを発揮して、
亭主の布団に入っていって、
からだ丸ごと 暖めてもらうようになった。
先に風呂から出て 布団に入っていた亭主は あったかくて、
甘えたくて、ひっついていった。
亭主は 何も言わないで 私の体を 引き寄せてくれていた。
こういう関係が、前から好きだった。
それ以上何もしないのが よかった。
いつもだったら、 亭主のベッドに 私から入っていったら、
亭主は 何か勘違いをして、
心静かに 安らいでは いられなくなるのだ。

私は 心の中に 悲しみが 固まりになって 
冷え冷えと そこにあるので、
悲しい、悲しいと 胸の中でつぶやきながら
亭主の腕や肩や胸に すがっていた。
泣きたい気持ちもあったけれど、
さめざめと泣いたら きっと 慰めてもらえたろうけれど、
涙が出なかったので、
そうやって 体と心の両方を あっためてもらっていた。

じっとしていて、気が済むと、
あるいは 同じ姿勢に疲れると、
または 眠くなると、
自分のベッドへ行って眠る。
ほとんどは、ホットフラッシュがきて、
暑い、暑いと 逃げ出すのだ。
亭主は ホッとしていたかもしれないが、
ちょいと残念そうにしてくれていた。

もっと ずうずうしくなると、
私は 直接亭主のベッドに行くようになる。
相変わらず眠い亭主が ベッドで 本を読んでいる所へ、
風呂上りの ほてりの取れた私が まっすぐ向かい、
上に乗っかって 読書の邪魔をするのだ。

「本読んでていいよ。」
といつも言うのに、亭主は 本を閉じて、
掛け布団ごしに 私を抱きしめてくれた。
嬉しかった。
背中を撫でてくれた。
気持ちの良いものだ。
そのうち その姿勢に疲れるか、眠くなるか、
寒くなるか、または 暑くなるかして、
私が 自分のベッドに入ると、
また 本の続きを読み出すのだ。
この儀式は 結構長く続いた。
亭主は 布団の上でなく、中に入るように
いつも 言ってくれていた。



そうして 布団の中に入っていったのが いつだったのか、
それはまったく覚えていない。
日記にも書いていない。
その晩、亭主は とても優しくしてくれた。
優しくすると 決めてあったようだった。
亭主は とにかく気を遣う。
使わなくて良い所まで気を遣う。
そして 優しく気を遣ってくれているとき、
私は 気を遣わせてあげているのだ。

実に久しぶりの セックスの後、
亭主は お前は何も変わっていない、
前と同じだ、と 言葉に出して伝えてくれた。
そう言って慰めたいと 前々から思っていたのではないだろうか。
それでも その時の私は 
冷え冷えとしたものが 胸にあったので、
半分しらけて聞いていたのだが、
気を遣うタイプの男でよかったかな、という安心感を覚えた。
そして、それを 言葉にして伝えてくれた事が、
何より嬉しかった。 

そうしていても 私の心の中には、
悲しみの塊、淋しさの塊があって、
寒かった。
その塊が
亭主の優しさで きっと 少しずつ あったまっていったのだ。




私は おっぱいを 「寄せて、上げて」していてもらうのが
好きだった。
術側の胸は それができない。
硬く、変形して 胸にへばりついているから。
亭主の手は しばしば 術側の胸にも行ったけれど、
決して気持ちよくないし、感じないし、
触れられると その不完全な胸の存在が はっきりするので、
悲しみの塊が 大きくなる。
冷たさが増す。
術側の胸のほうに 亭主の手が行くと、
私はいつも 払いのけた。
それでも はっきり 「いや」というまで、
亭主の手は 懲りずに伸びてきていた。

徐々にセックスが いつもの頻度になると、
新たな悩みが 出てきた。
痛むのだ。
ひりひりして、翌日いっぱい不快なのだ。
それほど頻繁ではないとは言え、我慢できない。
私は亭主に ゼリーというやつを 使って欲しいと言った。

次の機会に亭主はちゃんと ゼリーを用意していて、
初めて使った。
使う事は 苦ではなかった。
ただ、ゼリーは 思いっきり冷たかった。
よし、今夜は、ということであれば 
暖めておくのだろうけれど、
私たちは そういうふうには していなかったので、
いつも 思い切り ひゃっこいゼリーを 使う事になった。



もう若くはないし、
これからは ずっと ゼリーを使うのだろうな、
と思っていたが、
術側の胸が ようやく 柔らかさを 取り戻したあと、
ゼリーなしでも 大丈夫になった。
女性ホルモンの分泌を止めていても、
どうやら ゼリーなしのセックスは 可能なようだ。
ただし、それまでに 一年半くらい かかった。

胸が柔らかくなって、感覚もだいぶ戻り、
触られても 不快でなくなり、
そうやって 段々に 
術側の胸も 可愛がってもらえるようになった。
一年では 感覚は 戻らなかった。

術後間もない読者が いるとしたら、
もっと 書き連ねたいところだけれど、
もう 思いつかない。

乳房や 子宮などの病気で 摘出手術をした後は、
気を遣ってくれる亭主の方が いいのかも知れず、
気を使われると かえって傷ついてしまう女性のほうが
多いかも知れず(私もすこしは)、
人により、相手によるのだろうが、
しばし わがままを許してもらえたほうがいいと思うのは、
私だけだろうか。

女性特有の病気や 癌にかかわらず、
すぐに完治しない病気に家族がなった場合、
家族の絆が 試されるとか、
絆がいっそう深まったとか 聞く事もあるけれど、
私たち夫婦は 実は あまり 変わっていないと思う。
(ほら、もともと ラブラブだったし。)
強いて言うなら、私がいない間に 苦労をした
娘と亭主の絆は 何らかの変化があったのではないか。
息子は 少々大人になりそびれたようだ。

ただ、困難に直面した時に、
どういう態度をとるのか、
どう対処するか、
たとえば いざという時 逃げ出すか 立ち向かうか、
が はっきりすると思う。
我が家の場合は、亭主と娘は 立ち向かう派、
私と息子は なんとなくやり過ごす派、のようだ。

頑張ってくれた 亭主と子供達に、
ここでもう一度 言っておきたい。
ありがとう。






2015.09.06 
この「乳がん患者とセックス」が、どういうわけか、いつも
アクセスページのトップにある。
嬉しいような、恥かしいような。
そして 残念なような。。。

参考にしたいという方は、どうぞコメント欄も 
気楽にというより、気長に(苦笑)、どうぞ。



また、「ついでに」という思いのある方は、
このブログの中で「セックス」という言葉を検索ワードに入れて
検索してみてほしい。

「もう一度セックスについて」とか、「オリモノ」についてとか、
医学書には書いてなさそうな事を書き連ねておいたから。

「セックス」と書くのが、一番恥ずかしくなかったんだよね。

今でも 少しは恥ずかしいよ、まだ。

(どんどん面の皮は厚くなってるけどね。)

乳がん患者とセックスについて 一度書いちゃったものだから、
責任なんかも感じてたりして、
一応、マジメに、できるだけ正直に書いてきたつもり。

これから書く事なんて、もうそんなにないと思うけどね(笑)。



27 コメント

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これはちょっと (mino)
2004-10-16 19:27:56
コメントしづらいなー。(笑)

ラブラブな関係がよっく判りました。

で話題を変えて、中高年のセックスについて調べたアンケートによると、女性は閉経後の52歳を境に、性欲が薄れていき、男性は60歳後半まで性欲が続くそうです。それで男女の間に性の不一致が起こり、問題になるケースも有るとか。これはアンケートの統計なので、あくまでも目安ですが、事前に知っておいて、話し合う事も必要だと思います。
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一歩踏み込んだね (arfa)
2004-10-16 19:29:17
・・ちょっと前の世間には女はかくあるべしという観念から

「出戻り」「嫁(ゆ)きおくれ」等々・・さまざまな差別用語が存在する。

(最近はあるお笑い芸人のおかげで変わってきたが)

乳房切除を含めて、それらのことがまるで

その人の「どうにもならない」人間的欠陥であるかのように思う人もいるだろう。

その証拠にそれらの言葉を口にするとき、必ず声を潜めるだろう。

確かに人間的欠陥に原因している場合もあるだろうが

それは算数が苦手だったり、競歩が下手だったり

転んだり転ばされたりしたことと

本質的にはナンの変わりもいないことなのだ。



なぜ人は「つまずき」を怖れるのか?

なぜ取り返しのつかぬ事と思うのだろう?

なぜ不幸は隠さねばならぬことのように考えるのだろう?



人生のつまずきは、さらなる新しい人生へ向かう

一つの契機に他ならないのではないか。

小さな子供が運動会で転んで、再び起きあがり

懸命に走っていくとき、人は感動して拍手を送る。

なのに女がつまずくと、人は目をそらす。

なぜだろう?



女ひとりの子育てなどの

「がんばり」に対しては非常に強い賛美の精神があるが

子供を捨てて再婚した女は冷ややかな身勝手者として批判されやすい。

私にはどちらが善い悪いとは言えないと同様に

どちらが「がんばり」に優ってるかとも言えない。



なぜなら現状を自分の力でこわしていくことは

本当に勇気のいることだと思っているから。

どんな苦痛の生活も連続している間は耐えやすい。

苦しいながらも惰性が前へと進めてくれるからだ。



もっとも大きな苦痛というものは

堪え忍ぶということよりもむしろ

「断ち切る」ことにあるとわたしは思う。

それによって人を傷つけ、

また自分も傷つくことの苦痛を踏み越えなければならないからだ。



踏み越え、新しく進んでいく力をふるいおこす時、人は

本当にその人生を豊富にすることが出来るのだろう。

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読み返して・・補填 (arfa)
2004-10-16 19:51:53
・・どんな苦痛の生活も連続している間は耐えやすい・・で

病床に伏しているスチエーションは考えておりませんので

どんな苦痛もと書いたのは間違いです。
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コメント、ありがとうございます。 (ジョルジュ)
2004-10-16 21:31:56
mino さん、

コメントしづらいですよね、スミマセン。

でもおかげで勉強になりました、中高年のセックス。

確かに私、60歳代後半までは 性欲は続かない自身があります。男性とは 随分 生理が違うんですね。



arfa さん、ありがとうございました。

確かに 現状を壊して 先へ進むことは 

大きな勇気が必要で、怖いです。

自分も、周りの人も 自分の行動で 傷つくなんて、

こんな怖い事はありません。

それでも 自分が幸せでないと、

周りに(特に自分の子供に)

幸せを 分けてあげる事は できないと思う。

自分の人生が 自分の思い通りにいっていないと、

まあ、思い通りにいかないのが 普通だとは思うけれど、

少なくとも 納得した人生を送っていないと、

不幸のパワーを振りまいてしまうし、

結局 周りに シアワセならぬ シワヨセが いくと思います。

私は自分が ある程度シアワセでないと、

子供達に 優しくしてやれませんでした。

不満だらけで生きていく事では、誰もしあわせになれないのです。

幸せになるためには、ヒラキナオリは 手っ取り早い

有効な手段です。

女性は・・・これからは、幸せな人が 増えていくと思う、増えて行ってもらいたい。

そうすれば、オトコも 子供達も 

幸せな人たちが増えますよ。

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深~い (mican)
2004-10-21 20:51:44
いろんな意味で、「深い」です

私自身も閉経状態に10年しているし、黄体ホルモン系のホルモン療法で子宮はかちかちになってるし・・・

好きな人ができたらどうしよう~(ハナの独身です ふふふ)っていつも心配。

心配が現実になっていないのも、淋しいのですけど(笑)



『うらやましいぃ』これ本音。いたわりあえる人がそばにいてくれるなんて、いいな

夫婦が病をこえても、変わらないというのも、自然でいいわ~
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おいでいただいて (ジョルジュ)
2004-10-21 21:27:41
光栄です、mican さん。

元気に10年めを目指す私たちの希望の星!

深いかな~と思って読み返そうとしましたが、

じっくり読めませんでした。恥ずかしいです。

とりあえず 助け合って生きてる家族ではあります。

家族がいてくれるのは ありがたいです。

mican さんにも、そろそろ弱みを見せられるオトコが

出現する兆しが見えてくるとの、当てにはならない、

私の予感。

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すごい記事ですね。 (由紀)
2004-10-25 10:00:12
こうも、堂々と性について語っていらっしゃる。

ジョルジュさんだからこそ、の記事ですね。

勉強になりました。

鬱と癌、そしてもうひとつ。。。きついですよね。

しんどい時もあるでしょうに・・・



PS:スキンシップのあり方は、色々とありますよね。

返信する
堂々と・・・ね。 (ジョルジュ)
2004-10-25 12:26:08
そうかな?

なるべく書いてて恥ずかしくなく、という意識はありましたが。ちゃんと読み返すと、ドキドキしちゃうかな、恥ずかしくて。

でも 乳がん患者は 若い20代、30台が増えていると言うし、結婚&出産を巡る年齢の人の乳がんは、

やっぱりいろいろあると思う。



先日新聞に載っていたのは、結婚直後に直腸がんか何かで人口肛門になった女性が、

「人工肛門だったらお前とは結婚していなかった。」と発言した夫と別れた話。

その女性は その後知り合った男性と、人工肛門である事を知ってて付き合いだし、結婚したというので、

読んでて救われた思いがしましたが。



実際 配偶者(またはパートナーと言うの?)の怪我や病気で 一番支えを必要としている時の 私たち人間は、素直になれなかったりして、不必要に 人を傷つけたり 自らを傷つけたりしている事が 多いのではないでしょうか。

治療で元通りになれば、一緒にすんでいる者同士は なんとなく 関係まで元通り、ということもありますが、体が完全に元通りでなかったり、傷つけあった心が 冷えたまま、ということも あろうかと思います。



なにを言ってるんだろう。

たぶん、一番言いたかった事の一つは、

セックスの問題からも 目をそむけては ならないのではないか、ということ。かも。



おっぱいは、子供を育てた後も、必要です。

女性の心理として、なくてはならないものです。

けれど、

なくなってしまった人も 生きてゆくのです。

支えてあげたい人は、堂々と支えてあげてほしい。

支えが必要な人は、堂々と 支えを要求した方がいい。



支えてもらえた 幸運な私が いろいろ書くと、

ムカつく人もいるかもしれないけど。

要求。甘え。求めて得られるとは 限らないけれど、

求めるべき時は求め、甘えられるときは 甘えてしまっていいんじゃないでしょうか。

人間は みんな 弱くて 淋しい 生き物です。
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初めての書込みです (いづみ)
2004-10-25 14:57:53
ジョルジュさんのH.Pは読みごたえがありますね。

文面も感情を入れ過ぎない淡々とした感じで、読みやすく私には心地良いH.Pでした



母の乳癌をキッカケに、あちらこちらのH.Pを覗く様になったのですが、ジョルジュさんのH.Pも本当に勉強になります。

特に本人の心の問題が多く取り上げられていて、なってみないと分からない部分(ごめんなさい)に目からウロコです。

母も同じように感じているんだろうな~なんて。



どこに書き込んでよいやら分からず、ここで失礼させて頂きましたが、私もこれを機に自分の事として考えて行きたいと思っております。



ちなみに私の旦那様は、亭主関白タイプ。

ジョルジュさんの御主人の優しさ、羨まし~な~。

隣の芝生は青いのでした
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隣の芝生、ですよ。 (ジョルジュ)
2004-10-25 16:36:49
いづみさん、

いらっしゃいませ。

こちらで お会いできて うれしいです。

講演会で聞いた話。

「先生、私ももう、いつお迎えが来てもいい歳ですから、その前に、温泉に行きたいと 思いましてね。」

そう言って 乳房再建に やってきた、元・乳がん患者。90歳代だったそうです。



お母様も 周りの人たちも、

今はまだ 入院・退院の直後、

ほっとしたり、

ああ、これからもっと大変だ、なんて

気合を入れたりして、

とりあえず 再発・転移さえなければ、

あとは 贅沢は言うまい、と言う気分から、

だんだん 落ち着いてくる。

すると、

なくしたものが 恋しい。

そんな風になってくるかも知れません。

みんなが持っているの者を、

私は持っていない・・・。

これは なんであれ、カナシイ事です。

おっぱいって、

女が自分でさわっても、

や~らかくて、気持ちいいですよね。

片方でも それがなくなると、

淋しいです。

お母様、お大切に。



それから、ウチも 亭主関白。

娘が高校生の時、

「友達に、ウチは亭主関白だよって言ったら、

 みんな、ウソ~って言って、

 信じてくれないんだよ。

 ほかに 亭主関白の家なんて、

 ないんだよ~。」

と言っていたので、

もしかして いづみさん宅も ウチも、

希少価値?
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