きょうは良いお天気だった。
空が青くて 陽が照って 暖かかだった。
春が来た。
先日 雨水の日に 雛人形の飾り付けをすると
良縁に恵まれる、というのを読んでから
あわてて納戸に行って 出してきた 真多呂人形の立ち雛。
娘は義父母にとっての初孫だったから
人形はたくさんあるが 私はこれが一番好き。
ひとりで出せるし(笑)。
滑り止めの「い」「ろ」は 合格。
第1志望の大学を最初にうけた「は」は 不合格。
「に」は合格。
「い」と「ろ」の入学金の納入期限の日、
「ほ」は 補欠合格だった。
さて、どうするか。
入学手続きのことだ。
「に」の手続きの締め切りは まだ先。
だから 第一志望の二回目の受験「へ」とか「と」とかの
結果を待っていられる。
考えて 考えて 考えて、
悩んで 悩んで 悩んで、
「い」と「ろ」を捨てた。
(ママの母校だったんだけどね。苦笑)
これで 残りが全滅だったら、「に」に決まりだ。
「に」。
よく受かったと思うよ。
いい大学、かもしれない。
でも、場所が、関西。
姉のところの上の娘も 奈良(現在、結婚して千葉)。
長男は東京(通えないから、下宿。)
次男は京都。(現在、大阪。)
次々と 子供達は家を出て行った。
それより先に 私達姉妹も ウン十年前に
高校を卒業して 出て行ったわけだけど。
だから 子供は いつか 家を出て行く、という大前提で
私は居る。
だから 息子が出て行ってもかまわない。
でも。
「大学は 家から通う。」と はっきり言っていた息子。
「なんで、この大学?」との質問に
「家から通うのに、近いから。」
と答えていた息子。
え~~~! 今、出て行っちゃうの? 聞いてないよ~~!! の私。
でも いつかは出て行くんだよねえ。。。。。。。。
数日ごとに 近い将来の図式が変わる。
それは、仕方のないこと。
心積もりが 覆される。
その都度 ツモリを積みなおさなければならない。
果たして私に 耐え切ることができるだろうか?と。
夢のカルチャーおばさんになれるのなら
そちらに打ち込んで 寂しさを紛らわすこともできるだろうから、
まあ 大丈夫だろう、という自信がある。
ただ 費用の面で 続かなくなる可能性も。。
それより 亭主が
このごろではもう 家に居ないことが普通になってきていて
私は 家から出られないでいる。
それが まだしばらくは続く。
息子が出て行った後、亭主の例の 請負仕事が終わるまでは 半年以上。
その間が、難しい。
受け皿を「に」に絞ったと聞いて 娘はやたらと心配してくれた。
「ママ、大丈夫?」と。
「4月になったら 私もいなくなるし、
○○(息子)までいなくなって、ママ、大丈夫?」
「しょうがないじゃん。」と答える。
しょうがない。
子供には子供の人生がある。
いつまでも一緒にいられるわけじゃない。
でも。。。
「お婆さんも 伯母ちゃんもなったんだから、
ママもなるんじゃない? エンプティ・ネスト・シンドローム。」
と答える。
「子供が巣立つ時って、
母親はちょうど更年期なのよね。
おまけに、ホルモン療法してるし!
空の巣症候群、うつにもなるんじゃない?」
「どうすんの?」
「しょうがないじゃない。
自殺する前に きっとなんとか直るわよ。
パパには言ったの。
今みたいに 毎日、毎日、毎日、家に居ると、
私、絶対うつになる、って。
そしたら 贅沢だ、とか ワガママだ、とかって言うし。
なるわね。」
「自殺したら ダメじゃん。。」
とかいいつつ、
もしかして、お前、
実は 自分の一人暮らしを 突然 解約されるんじゃないかと
そっちを心配しているね?(爆)
そんなこんなの数日を経て、「へ」と もうひとつ「と」の発表の日。
朝「と」を見たら 不合格だった。
このぶんでは、「へ」もダメだ、と あきらめた。
ショックだった。。。
お腹の力が、少々、抜けた。
何も手につかずに、うろうろしていた。
「へ」の発表は午後からだった。
シラー・チューベルゲニアナ
なんと! 受かっていた!
シンジラレナ~イ!
息子もケータイで確認した後
自分でも シンジラレナイから、と パソコンで再確認。
あとで 私も 再々確認、再々々確認。
よかった~~。
娘からのメールには、「よかったね、ママ」と。
ママのため(と、自分のため)に良かった、と 喜んでるわけね?
よかった!!!!!
少なくとも しばらくは 息子が家から通うから?
いいえ。
はっきりとした目標を 自分で見つけ出した息子が
第一志望に合格できることが 私の喜びだったから。
合格させてあげたいじゃん。
本当は 母校に入ってもらいたい気持ちもあったんだけどね。
一度ダメだと思ったものだから お腹の力が やっぱり 抜けてる。
合格とわかって、やっぱり 気が抜けて、
何も手につかないよ~(爆)。
晩ご飯は スーパーまで 頑張って行って、
コロッケを買ってきましたとさ(笑)。
空が青くて 陽が照って 暖かかだった。
春が来た。
先日 雨水の日に 雛人形の飾り付けをすると
良縁に恵まれる、というのを読んでから
あわてて納戸に行って 出してきた 真多呂人形の立ち雛。
娘は義父母にとっての初孫だったから
人形はたくさんあるが 私はこれが一番好き。
ひとりで出せるし(笑)。
滑り止めの「い」「ろ」は 合格。
第1志望の大学を最初にうけた「は」は 不合格。
「に」は合格。
「い」と「ろ」の入学金の納入期限の日、
「ほ」は 補欠合格だった。
さて、どうするか。
入学手続きのことだ。
「に」の手続きの締め切りは まだ先。
だから 第一志望の二回目の受験「へ」とか「と」とかの
結果を待っていられる。
考えて 考えて 考えて、
悩んで 悩んで 悩んで、
「い」と「ろ」を捨てた。
(ママの母校だったんだけどね。苦笑)
これで 残りが全滅だったら、「に」に決まりだ。
「に」。
よく受かったと思うよ。
いい大学、かもしれない。
でも、場所が、関西。
姉のところの上の娘も 奈良(現在、結婚して千葉)。
長男は東京(通えないから、下宿。)
次男は京都。(現在、大阪。)
次々と 子供達は家を出て行った。
それより先に 私達姉妹も ウン十年前に
高校を卒業して 出て行ったわけだけど。
だから 子供は いつか 家を出て行く、という大前提で
私は居る。
だから 息子が出て行ってもかまわない。
でも。
「大学は 家から通う。」と はっきり言っていた息子。
「なんで、この大学?」との質問に
「家から通うのに、近いから。」
と答えていた息子。
え~~~! 今、出て行っちゃうの? 聞いてないよ~~!! の私。
でも いつかは出て行くんだよねえ。。。。。。。。
数日ごとに 近い将来の図式が変わる。
それは、仕方のないこと。
心積もりが 覆される。
その都度 ツモリを積みなおさなければならない。
果たして私に 耐え切ることができるだろうか?と。
夢のカルチャーおばさんになれるのなら
そちらに打ち込んで 寂しさを紛らわすこともできるだろうから、
まあ 大丈夫だろう、という自信がある。
ただ 費用の面で 続かなくなる可能性も。。
それより 亭主が
このごろではもう 家に居ないことが普通になってきていて
私は 家から出られないでいる。
それが まだしばらくは続く。
息子が出て行った後、亭主の例の 請負仕事が終わるまでは 半年以上。
その間が、難しい。
受け皿を「に」に絞ったと聞いて 娘はやたらと心配してくれた。
「ママ、大丈夫?」と。
「4月になったら 私もいなくなるし、
○○(息子)までいなくなって、ママ、大丈夫?」
「しょうがないじゃん。」と答える。
しょうがない。
子供には子供の人生がある。
いつまでも一緒にいられるわけじゃない。
でも。。。
「お婆さんも 伯母ちゃんもなったんだから、
ママもなるんじゃない? エンプティ・ネスト・シンドローム。」
と答える。
「子供が巣立つ時って、
母親はちょうど更年期なのよね。
おまけに、ホルモン療法してるし!
空の巣症候群、うつにもなるんじゃない?」
「どうすんの?」
「しょうがないじゃない。
自殺する前に きっとなんとか直るわよ。
パパには言ったの。
今みたいに 毎日、毎日、毎日、家に居ると、
私、絶対うつになる、って。
そしたら 贅沢だ、とか ワガママだ、とかって言うし。
なるわね。」
「自殺したら ダメじゃん。。」
とかいいつつ、
もしかして、お前、
実は 自分の一人暮らしを 突然 解約されるんじゃないかと
そっちを心配しているね?(爆)
そんなこんなの数日を経て、「へ」と もうひとつ「と」の発表の日。
朝「と」を見たら 不合格だった。
このぶんでは、「へ」もダメだ、と あきらめた。
ショックだった。。。
お腹の力が、少々、抜けた。
何も手につかずに、うろうろしていた。
「へ」の発表は午後からだった。
シラー・チューベルゲニアナ
なんと! 受かっていた!
シンジラレナ~イ!
息子もケータイで確認した後
自分でも シンジラレナイから、と パソコンで再確認。
あとで 私も 再々確認、再々々確認。
よかった~~。
娘からのメールには、「よかったね、ママ」と。
ママのため(と、自分のため)に良かった、と 喜んでるわけね?
よかった!!!!!
少なくとも しばらくは 息子が家から通うから?
いいえ。
はっきりとした目標を 自分で見つけ出した息子が
第一志望に合格できることが 私の喜びだったから。
合格させてあげたいじゃん。
本当は 母校に入ってもらいたい気持ちもあったんだけどね。
一度ダメだと思ったものだから お腹の力が やっぱり 抜けてる。
合格とわかって、やっぱり 気が抜けて、
何も手につかないよ~(爆)。
晩ご飯は スーパーまで 頑張って行って、
コロッケを買ってきましたとさ(笑)。