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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

MY 乳がん-乳腺フォロー

2004-07-12 | 乳がん
2002年11月6日。
乳腺フォローなるものが、最後にあった。
なんだろ、これ。と思っていたが、
癌と宣告されて、初めて癌センターに来た人に対する、
精神的な方面からのサポートだった。

ご自身は「看護婦です。」とおっしゃる女の人で、眠れますか、食欲はありますか、
などと 聞かれた。
カウンセラーという立場は 公式には取れないのかもしれないし、
癌についての基礎的な知識も必要なのだろう。
看護婦、ということは、看護婦の業務も こなしているんだろうか?
まさかね。そしたら、カウンセリングなんて時間は、とれっこないもの。

でも、そんな対応がある、というだけで、嬉しい。
お医者さんとの対面も、食堂でのお昼も終わって、
ほっとしてたし、リラックスして、
よし、わかんない事は、全部、この人に聞いちゃおう、という気持ちになった。

毎晩良く眠れてたし、モリモリ食べてた私に、
ちょっと拍子抜けした(&あきれた)ようだった彼女だが、
たっぷり2時間、私たちにつき合わせてしまいまった。

入院自体は出産で二度経験しているが、麻酔やメスは使っていない。
手術は、13歳の時の盲腸以来です。不安は、山ほどありました。
私は、退院した後、水着でプールに行くと、外から見てわかるかどうか、を気にしていた。
プールの話で彼女と盛り上がったりして。

執刀を先生にお願いした事を話すと、
あの先生なら、安心ですよ、みたいなことを言われた。
機械による検査でも 判別できないくらいのしこりの時、
あの先生の 「気になる」の一言で 切って調べてみると、
癌が見つかったりするんだそう。

始めは外科でも他の部門を志していたらしいけれど、
おっぱい一筋になって、三十年近く。
今や、「あの先生の手は、キカイより精確」と言われるんだそう。

この話は、嬉しかった。
聞いて、とっても 嬉しかった。
たとえ、嘘でもいい、手術の前には、こんな風に
医師の良い評判を 聞きたいものです。
私の主治医に対する信頼の、大きなきっかけになった、乳腺フォローだった。


ところで、私の家の近所に、Ko 医院がある。
アメリカ帰りの、ある部門においては、それなりの権威の先生なんだそうだ。
お会いしたも事あり、とてもステキな、尊敬できる先生だと思っている。

そして、近所に、Sa さんという人がいた。
Sa さんは、前年、つまり2001年の秋ごろに
このKo 先生のところで、検査で乳がんが見つかり、告知を受けた。
もう、手の施しようがありません、と。

彼女は、元気で、働き者で、明るくて、みんなの人気者だった。
野菜や 花を育てて 出荷しながら 子供を育て、
じいちゃんとばあちゃんを 見送った所だった。
よそから 嫁に来た人だが、嫁ぎ先の親戚中でも、一番の人気者の 若いオバちゃん。
私とそう年も離れていなかったと思う。

暮れに一度、お会いした。相変わらず、元気で、明るい人だった。
「お元気そうですね。」
「ええ。でも、・・・そうなんですよ。」
ニコニコしてましたが、それ以上、何もおっしゃらなかった。
私も、それ以上、何も聞けなかったし、
なにも言ってはあげられなかった。
近所中にうわさは 広まっていたのだろう、ウチにまで飛んで来てたんだから。


どんな気持ちだったのだろう。
もうすぐ、あなたは、死にますよ。
夫も、子供も残して、あなた一人で、死ぬんですよ。
実家の父親も母親も元気だけど、あなただけは、死ぬんですよ。
今は毎日元気そうで、コロコロ笑って、いつもと同じように生活しているけれど、
もうすぐあなたは、死にますよ。

Sa さんの気持ちを想像してみたかったけど、できなくて、やめた。
他人の私には、手も口も出せないし。
第一、どうしていいかわからないし。
家族が、しっかりしてらっしゃるから、
きっと、おかあちゃんを 支えてあげて くれるだろう。


春、三月。Sa さんは、旅立った。
家族にとっては、突然の死と 同じようだった。
やっぱり私には、なんにもできなかった。
そして、Sa さんのことを、忘れていた。

やっと、思い出したのだ。

Sa さんは、どんな気持ちだったんだろう。
やっぱり、想像できない。
Sa さんは、Ko 先生に、どんな風に 伝えられたんだろう。
その後の彼女の感情を、病院は、どう受け止めてくれたんだろう。

Ko 先生は、真摯な哲学者であり、
ステキなロマンチストであり、
立派な文学者であり、ときどき 雑文をかきためては 本にしておられる。

最近の著書に、
「こういう大事なことは、本人に正確に話さなくてはいけない、と私は思っております。」
との一文があった。
腰痛で来院した、極めて悪性度の高い軟骨肉腫の 元看護士に、
手術と、その結果失われる可能性のある機能について、説明した、
というくだり。

それは、そうだと思う。
自分の体の事だもの、一番知る権利があるのは、本人だろう。
でも、その状態が 回復の見込みがなかった場合や、
末期的だった場合、
本人に告げて、さようなら、では、やはり、おかしい。

私の大好きな、Ko 先生は、いったい、どうしていたんだろう。
アメリカ式に告知をするのはいい、でも、その後の 精神的なフォローを、
決して 忘れないでほしい。
世の中、私みたいな ノーテンキばかりではないのだから。