ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『11時間』

2007-08-01 | 読書
『11時間――お腹の赤ちゃんは「人」ではないのですか――』

(江花優子著、小学館、2007年7月3日、1575円)

この本は 第13回 小学館ノンフィクション大賞 最優秀賞を受賞している。



ノンフィクションは 
最相葉月の『絶対音感』、
あれを「面白い!」と思って読んでいたが
最後まで読み通せずに ブック○FFに返却(?)した過去がある。。

あれも小学館ノンフィクション大賞受賞作だった。







今年も可愛く色づいた トウガラシ。
きょうの記事は あまり楽しくない。
楽しくない記事は読みたくない、という方は ここまで。






麻疹の流行から予防接種などなど、
引き続きで胎児の魂について、 
うやむやながら 何事かを考えていたちょうどその時に
新聞に広告が載っていて 

その3日後に 4年半検診で 出かけた時に
大きな町の 大きなデパートの 大きな書店で 購入してきた。

やはり それなりに 重たいテーマであり、
暗いお話の部分も多いが
帰りの電車で読み始めたら 止まらなかった。



主な内容は 
2003年12月の自動車事故で怪我をした夫婦、
その奥さんのお腹に宿っていた小さな命について。

車に乗っていて 自動車事故に遭った若夫婦。

運転していた夫は大怪我、奥さんはもっと大怪我。

そして胎児は・・・。



事故による衝撃で 子宮というものは収縮するらしい。

元気だった心音が弱ってくる。

帝王切開。

重症仮死状態。

気管内挿管。 人工呼吸。 心臓マッサージ。 強心剤投与・・・。



カテーテルをはずされた赤ん坊は 
夫の腕の中で 次第に冷たくなっていく。

少しでも温かいうちに、と 
ストレッチャーの上で身動きができないまま新生児集中治療室に来ていた
妻の胸の上に乗せる。

妻は 何とか動く右の手だけで わが子を抱きしめる。

死亡時刻、午前9時38分。

新生児遷延性肺高血圧症からの呼吸循環不全によるものと考えられる。

妊娠31週4日。

体重1400g、慎重30cm、
誕生から わずか10時間53分の命。

妊娠10週で女の子とわかっていたから、
生まれる前に「桜子」と命名。

予定日が 春だったから。



冷静だったのは、医師。

「刑事裁判になると思われます。

 重篤な合併症などによって死亡したのではない
 ということを証明するためにも、
 解剖したほうがいいかと思われますが・・・。」

「お母さんのお腹にいる赤ちゃんも、
 外に出てきた赤ちゃんも、
 同じ命で 赤ちゃんの価値は変わりありません。

 お母さんから栄養と酸素をもらっているか、
 外に出て 自発呼吸をしているかだけの差にすぎません。

 ただ、お腹のなかにいるときに事故に遭った場合、
 刑事裁判では 胎児は“人”と見なされず、
 致死罪にならないことになっているんです。」(p25)




これか!

これがこのタイトルの本ができた理由か!

胎児を殺しても 殺人にならない!?

胎児は・・・・・・人ではないのか?!
 


もうひとり、冷静だったのは、父親。

我が子にしてあげられることが何にもなかった、父親。

仕事を辞め、妻のリハビリに協力し、
裁判に伴うもろもろの雑事をすべて引き受けた。

意見陳述書に貼り付けられた、
人工呼吸器と何本ものチューブをつけた桜子ちゃんの写真を撮ったのも
父親。

母親が退院できないままに出した我が子の葬儀の遺影は
解剖の傷を隠すため、
病院側がかぶせてくれたニット帽をかぶった桜子ちゃん。

我が子を撮るために買ったカメラで写した遺影の写真さえ
・・・・・・死に顔だった。

いや、冷静ではなかったから、
さまざまな困難を伴う眼前の問題や 書類の作成に
没頭したのかもしれない。



それは、「悲しみ」と、もうひとつ、「憎しみ」。

役所に出向き、
出生届けと死亡診断書を提出。

検察庁に出向いて上申書を提出、
業務上過失致死での立件を訴える。

早産で 世に出てくる未熟児の命が
医療の格段の進歩によって助かるようになった今も
何故か 刑法では 胎児は“人”ではない。
 
胎児は 母親の身体の一部であり、
たとえ早産で生まれても 問題なく成長するはずだった
健康な胎児の命を奪っても
その罪は 業務上過失傷害。

「本件は 母体内で危害を受けたことが原因で死亡したため、
 “人”として扱われない。」
との回答が出たのは 1年8ヶ月後。



父親は 
胎児の人権などにも言及した意見陳述所を作成して
裁判所に提出した。

控訴事実では
「身体の一部である胎児」とされていた表現が

諭告では
「各器官の備わった 十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児」
に変わっていた。

けれど、業務上過失傷害。

求刑は 禁固2年。

判決には それに執行猶予が4年。

たとえ戸籍があっても 
裁判では 桜子ちゃんは“人”としては扱ってもらえなかった。






きゅうりのピリ辛漬け。
フレッシュ唐辛子を使ったのは初めて! でもちゃんと辛かった。





みな月の なごしのはらへ(夏越の祓) するひとは

ちとせ(千歳)の命 のぶといふなり



きのうは千日参り、
無病息災を祈って 茅の輪(ちのわ)くぐりをした人は
多かったろうか。

子を持つ親がお参りしたのなら
そのほとんどが
我が子の無事な成長を願ったのではないだろうか。

長くなってしまったので、後編に続くことにする(苦笑)。


『カオス レギオン』

2007-06-05 | 読書
主人公は
ただひとこと 
「否。」 
と返事をした。

私は噴き出した。

息子からのメールの
「諾。」
「否。」
「肯定。」
「否定。」
という チョー短い返事は、これのマネだったのか?




今年のテーマカラー、純白のアリッサムの中から 
今年の純白のビオラが こぼれ種から芽を出した。
きょうのこぼれ種シリーズは、先月始めに撮影したアリッサムを見てね。






『カオス レギオン』。

(冲方 丁(うぶかた とう、と読む)著、富士見書房、
 富士見ファンタジア文庫→こんなの

息子が貸してくれたから、これは読まなくちゃ、と思えて。

ファンタジア文庫。

そう、息子は 誰に似たのか? ファンタジーが大好き。

この本にも ピーターパンの ティンカーベルみたいなのが出てきて、
とっても可愛い。

(でも この妖精は ゲームには不向きだったようだ。)

文庫本だから、出かける時に もう一冊、と カバンに放り込める。

同じ言い回しが出てきて ひどく興ざめだったりはするが
物語の構成はまあまあで
楽しく読める。



主人公は ジーク・ヴァールハイト、
黒印騎士団(シュワルツ・リッター、と読む)と呼ばれている
赤い髪の男(の子)。

たったひとりなのに 騎士団とは、これいかに?

彼がしょっている銀色のシャベルには
彼の元同僚の騎士たちの魂が入っている(らしい)。

ジークの左手に 白熱する雷花が咲き乱れ、
にわかに迸る(ほとばしる、と読む)稲妻の奔流とともに、
辺りに風が吹き荒び、
ジークの口から 烈声が迸る。

「ジーク・ヴァールハイトが 解き放つ!」

すると 銀色のシャベルに変身?していた騎士たちの魂が
水銀のように溶けて飛び散り、
 
シャベルの中から 銀に光る剣が現れ、その柄をジークが握り締める。

飛び散った銀の輝きは 
禍々しい(まがまがしい、と読む)姿となって
凶悪な咆哮を上げる。

つまり、シャベルになっちゃった昔の仲間(凄魔;ギルドと読む)と合わせて、
「騎士団」なのだ。

まあ、笑っちゃうくらい、オドロオドロシイ雰囲気を造り上げようとしていて
それはもう ものすごく大げさというか ド派手というか ご大層というか、

もう、とにかく、た~~~いへん!なのだ(笑)。

だからなのか、
この小説が 雑誌(月刊ドラゴンマガジン)に連載開始後まもなく
カプコンがゲームにした(→こんなの

なるほど、これはゲームだ。




去年のテーマカラーのクリーム色のアリッサムにクリーム色のビオラ。
仲良しだったんだね。






たとえば、最近読了した『カオス レギオン 04――天路哀憧篇』では。

ジークが 左手を地面に叩きつける時のセリフ。

「無念の魂よ!

 海刻星(ネプトウーニ、と読む)の連なりの下、
 迅魔オウディウムとなりて 我が敵に走れ!」p93



「悲憤の魂よ!

 地刻星(アーノス、と読む)の連なりの下、
 厳魔ヘイトレッドとなりて 我が敵を払え!」p156



「水刻星の連なりの下、凄魔ギルトとなりて 我が敵に見せしめよ!」p238



そして 「山羊座の陣!(ハナエル、と読む)」、
「蠍座の陣!(バルビエル、と読む)」、
などと指令を出している(らしい)。



ゲームだよね~。

そんなことより、難しいよね~。

ジークは騎士になるために 幼い頃から訓練したというけれど
これは相当、言葉の勉強もしたねえ。。




うっすら赤紫色のアリッサム。いったい何年前のこぼれ種?



感心なことに、バトルが終了した後、(もちろん 主人公は必ず勝つ!)
ジークは必ず この銀のシャベルで 死者を埋葬するのだ。

大勢の敵を倒すけれど、

死者の魂の声を聞くことができる、という特技(?)を生かして
死者のひとりひとりの 宗教や出身地の習慣に従って
埋葬してくれるのだ。

優しい! というか、丁寧!

何百人も死んでそうなのに、あっという間に穴を掘ってしまう。

きっと 怪力で 穴を掘るのが上手で
そのうえ シャベルの機能も優れているのに違いない。

(そういえば 鳥葬・風葬・火葬は出てこなかったような気がする。

 場所は ヨーロッパの、ゲルマン系の言語の地域なんだ、きっと!;笑)



この「天路哀憧篇」には

死と苦しみに 真実を見ようとするのは 根源を見ようとする試みだ、
というセリフが出てくる。

「死は、生命がどこへ行くのかを暗示してくれる。

 死と苦しみに触れた時・・・・・・
 生命の源に・・・・・・
 一瞬だけ、手が届く気がするんだろう。」



これはジークではなくて レオニスという少年のセリフなのだが

「死」というものと「生命」というものとが

類似しているというか

延長線上にあるというか

同時には味わえないけれど、一緒、というか

「死」と「生命」とは 仲良し、というか

「死ぬこと」と「生きること」はおんなじ、
という私の感覚と共通したものを感じて

ちょっと嬉しかった。

<北方>という冠

2007-01-31 | 読書
「ハードボイルド」と言う言葉を聞いて思い出すのは、
今でも 内藤陳の「オラ、ハードボイルドだと!」(爆)。

それくらい、
私は本来 ハードボイルドという分野には縁がない。

一方で、私も 北方謙三という作家(→こんな人)が
ハードボイルド作家と呼ばれていることぐらいは知っていた。

だから 彼が『三国志』(集英社文庫、2001.6.18~2002.6.18、571円)
を書かなけりゃ 
彼の著作には手も出さなかったろう。

北方謙三という作家は‘漢(おとこ)’を書くことに優れた作家なのだそうだ。




文庫版『三国志』とクラさんのブロッコリー。
ブロッコリーの芯は、もちろん、ぬか漬けに(笑)。



『三国志』を文庫で楽しんだ後、
待ちに待っていた『水滸伝』の文庫版の配本が 
ようやく始まった。

(現在、4巻まで。 集英社文庫、2006.10.25~、630円)

ちなみに、第9回 司馬遼太郎賞受賞。

文庫化に際し、著者はかなりの手入れを行ったと言われている。



ファンはこれらに 
『<北方>三国志』 とか
『<北方>『水滸伝』 とか

<北方>という冠を付けて呼んでいる。

それまでの『三国志』や『水滸伝』とは
一線を画している、と言いたいのだろう。

それは私にも理解できた。



いや、実は『三国志』も 『水滸伝』も 
横山光輝のマンガでしか読んでいないので

それまでに出版されたいくつもの小説と
どう違うのかまでは 私にはわからない。

わからないけれど、
それまで持っていたイメージとは随分違うのだ。



わたしは 
かつて 『<北方>三国志』を読んだ時、

次々に出てくる登場人物に
次々に感情移入してしまい、

それがまた 敵や味方だったりするものだから
エライ、フクザツな気持ちになって困惑したものだった。



それは 人物の書き方も 物語の流れも自然なので
人々が 実際に そこに生きて 呼吸をしていて 
体温があるかのように感じられるから。

そして 感情移入して読んでいれば
つい応援してしまうものだと思うのだが

次の章に入ると
また別の国の別の武将や参謀の感情の揺れに
自分も揺さぶられる、という感じ。

すると さっきまで敵の人物になりきっていた自分と
心の中で葛藤が生まれてしまって
非常に困ったものだ。 



その中でも 一番 印象に強く残っているのは 
呂布の最期。

不覚にも 涙ぐんでしまった。

息子に 『北方三国志』を薦めながら 

「私、これ読んでると 次々に主人公が変わって、

 そのたびに その主人公が好きになるのよね~。

 一番好きなのは、呂布!」

と話していると、

亭主は 「敵じゃないか!」と笑ったのだが

敵だろうと何だろうと 魅力的な‘漢’は魅力的なの!

そして 呂布の最期は 哀れを誘う。



こんな読者は珍しいのか?と思っていたら、
『青春と読書』(集英社)2006年11月号の特集の中の
北方謙三との対談で

ロックンローラー・吉川晃司が
「『北方三国志』では 呂布が一番好きなんです 云々。」(p10)
と発言していたので

ああ、私だけじゃない、と安心?した(笑)。







さて、『水滸伝』という物語は、
なんでも 900年も前の中国の
民間説話の寄せ集めみたいなもので、
70回本、100回本、120回本、などがあるそうだ。

それぞれに 矛盾するところ、不自然なところがある。

著者はこれを解体し、再構築し、一から書き直したので
その労力は膨大なものだろう、
時間と、筆力と、勇気が必要だ、ということだ。
(北上次郎 『水滸伝』1巻解説 p385)

そして そのためには 
中国版にはない人物・組織を取り込み、
キャラクターを変え、背景を作り直し、
新しい挿話、新たな人物を創作し、
独創的な物語を作り上げる必要がある。
らしい。
(同 p386)



そもそも『水滸伝』というのは、

‘替天行道(たいてんぎょうどう)’の旗を掲げて
梁山泊に集った豪傑たちが
「腐敗した時の政府に対して反乱を起こし、
 壮大な戦いを挑む物語」(吉田伸子 『青春と読書』同p18)
なのだが

結末は哀れ。

志をもって集まった英雄・豪傑たちが
次々と闘っては死んでいく(はずだ)。



だからこそ ‘漢’の物語なのであり、

重要なのは‘死にざま’なのであり、

要するに つまり 人は‘生き方’なのであり、

「ひとの生き方の物語、

 人生の物語として 読んで欲しい。」

(北方謙三 『青春と読書』 同p13)

物語なのだ。




第2巻の帯に

「人間の想像力が及ぶかぎりの、
 壮大な物語を書きたい。
  
 私という創造者の矜持をかけて。」

という著者の言葉があるが

壮大と言えば壮大、

だって 梁山湖に浮かぶ天然の要塞、名づけて‘梁山泊’は

その横幅が 湖の幅より広かったりするのだ!(爆)
(『青春と読書』2006年12月号、p104所収  「世界でひとつだけの地図」)



文庫版の第3巻のはじめに地図が載っているが
そういった原文の随所に見られる矛盾点を
一枚の地図に収めてしまうがごとく、

大胆 且つリアルに再現された 
もうひとつの 別の物語と思った方がいいのかもしれない。

その再構成力が <北方>という冠に表れているのだろう。



その再構成力のおかげで
状況や舞台設定、登場人物などを 
容易に想像できるのはいいのだが
各巻頭の こういった人物像は



・・・・・・ちょっと困る。

東洋人なのだから、
なにも ジュリアーノ・ジェンマに似てなくてもいいのだが。。



先に述べた対談の中で 北方氏は

「小説の中での死に対して、
 俺はある種の憧憬を持っている。

 だから 死に方というのが 大事なんだよ。」

と語っている。

その‘死に方’が これから次々にでてくるはずで、

ある書店員さんなどは

「そのたびに涙を流していたので、

 電車の中や休憩時間に読むことができなかった」
(『青春と読書』2006年11月号 同p16)

そうなので、

いつも 電車に乗る日は読書の日、と楽しみにしている私は、

どうしようかな~と迷っている。

『八甲田山 死の彷徨』

2006-12-04 | 読書
9月に風邪を引いた時、
私は 『八甲田山死の彷徨』を読んでいた。
(新潮文庫、1978.1.30)

これを読んでいる間中、
耳には吹雪の音が聞こえるようであり(耳鳴りか?)、

まだ暑くて 時おりクーラーが入る電車内で
ホット・フラッシュによる汗を
背中にたらたらと流しながら読んでいたので

それで風邪を引いたんだ、と
本気で思っている。



9月の大和芋畑。もうちょっと待って。


『八甲田山死の彷徨』の著者は 新田次郎。

気象学者で 気象台の職員であった。

富士山頂の測候所建設当時の担当課長だったという。

登山家でもあり、山岳小説をいくつか書いている。

歴史小説としては 『武田信玄』が
私にとっては馴染み深い。

ただし、横山光輝のマンガで(笑)。

その彼の書いた本書は
本当に読んでいる間中 吹雪の中にいる気分だった。



物語は 日露戦争前夜。

徳島大尉(高倉健)率いる弘前第三十一連隊と
神田大尉(北大路欣也)率いる青森第五連隊は、
真冬の八甲田山を雪中行軍することに。

一人の犠牲者もなく成功させた弘前第三十一連帯と
遭難した青森第五連帯。

明暗を分けたその理由は それほど単純ではなかった。

士族・華族出身がほとんどだった将校、

教導団を経た平民出の将校が
青森第五連隊の神田大尉だった。



映画の『八甲田山』は
なんとなく見たような気がするけれど はっきりしない。

高倉健、三国連太郎、丹波哲郎、北大路欣也らで 
1977年公開だそうだが
雪の中の高倉健というと
『ぽっぽや』なんかと重なってしまって・・・(苦笑)。



今回 読んでいて一番印象に残ったのが、
なんと、布地のこと(笑)。

この本の中に出てくる布地がどんなものなのか、
本当は私は知らないな、と思うものがあったのだ。

羅紗はいくらかわかる(ような気がする)。

でも羅紗外套というものの雰囲気はわからない。

将校は 黒の羅紗服に 黒の羅紗外套、
下士官は 紺の羅紗服に、カーキ色の羅紗外套。

今の人には(本当は私だって充分今の人なのだが)
わかんないだろう、と思う。



そして 私にもわからない生地が出てきた。

「兵卒は 小倉の服を着ていたから 寒さは一段とこたえた。」

小倉の服とは何だ?

コクラ? オグラ? アズキの種類か?

見当もつかない。



油紙は知っている。

脚絆も知っている。

若い人には 知らない人も多いだろう。

かんじき、みのぼっち、雪沓(つまご)、
これらは 歴史の一部としての知識しかない。

触ったり使ったりしたことがなければ
本当にわかるとは言えないかもしれない。

こうして 
本を読んでいても その理解の度合いには
自ずと差が出てくるんだなあ、と思った。



そう言えば
『若草物語』に出てくるドレスの生地の

モスリンとか ポプリンとかって
どんなんだろう?

と思いながら読んでいたっけ。

でも キャラコっていうのは知ってる。

確か白足袋の生地だもの(笑)。

フランネルは 八甲田山では 襟巻きだった。



それから
ゴム長靴が 雪中行軍には非常に有用だったけれど
高価で買えない軍人が多かった、とあった。

とにかく水分が中に入ってこない装備、というのは
重要なのだ。

ゴム長がふつうにある現代に生きる私たちは
幸せなのだ、なんて思ってしまう。



11月下旬の大和芋畑。収穫を待つばかり。


どんどん関係のない話になるけれど
新田次郎の奥さんが、藤原てい。

『流れる星は生きている』はベストセラーになり、
ドラマにもなった。

これは 新田次郎の奥さんが
子供たちを連れての
旧満州からの引き上げの話。

随分前に読んだなあ。



この子供たちの中の、下の男の子が、正彦。

数学者。

と言うより、
ベスト・セラー、『国家の品格』の著者。
(新潮新書141、2005.11.20、714円)

この本のカバーで
えくぼをみせて人懐こい笑顔を見せているが

私には 
ああ、あの時 引き上げてきた、下の坊ちゃん。。。
と思えてしまう(笑)。



新潮文庫のカバーにある 新田次郎の顔写真は
和服を着て
にこりともしないで
やや上の方に視線をやっているものだが

にこやかな藤原正彦とおそろいの丸顔なので

新田次郎が真面目な顔であればあるほど
可笑しくなってしまうんだよなあ。




今朝は真っ白に霜が降りた。
散歩に出たのは8時頃だったので霜が残っている所を探して撮影。

『東京タワー』

2006-10-02 | 読書
2006年 本屋大賞受賞作品、と帯にある。

『東京タワー --オカンとボクと、時々、オトン--』
(扶桑社、2005.6.30、1500円)、

著者はリリー・フランキー。

って、リリー・マルレーンの従姉妹の歌手?
みたいな名前で、

そしたら ヒゲの生えた若めのオッサンで、びっくりした!



そういえば最近テレビになった?

同じく帯によると
あの故・久世光彦氏が
「これは、ひらがなで書かれた聖書である。」
と劇画化を応援してたらしい。

ドイツやアメリカが出てくる国際的な物語ではないから、
テレビロケもしやすかった?



本屋大賞というのは、
「全国書店員さんが選んだ 一番!売りたい本」
に贈られるようで、

きっと選ばれた本は 間違いなくいい本だと思う。

だけど 
『博士の愛した数式』(小川洋子著、新潮社、2003.8、1575円)
が2004年に受賞した時、

ある方が「泣ける」とブログでおっしゃってたので読んだが
私は泣けなかった。

だから、いくら久世氏が
「泣いてしまった・・・。」
とおっしゃっても 泣けるかなあ、と疑っていた。

それでも買って読んだのは
山八屋さんが
「私のいどころ」で 
いい、とおっしゃってたから。



結果は。。。
泣きました。
何度も。

私も義母を失ったばかりだったので。

きっとハマったら 号泣しちゃうと思う。



この本は 著者の自伝的小説。

著者の記憶を 子どもの頃からたどっている。

そのほとんど全ての記憶に
母が関与してくる。

当然かもしれないが。

オカンは昭和6年生まれ、私の母と同世代。

そして、文字通り、時々、オトンも出てくる。

著者はこの本を
母の死の直前に書き始め、

書き続けているうちに、
いちばん無防備な状態で
写生をしているように書いていくのがいい

とわかったのだそうで、

たしかに そんなふう、
つまり淡々と写生している
素直な子どもの姿を連想させるような物語だった。



読んでいて あちこちで ちょこっとずつ泣いたのだが

私は 例によって例のごとく?
へんてこな文章に惹かれる。

たとえば。



たった一度、数秒の射精で、親子関係は未来永劫に約束されるが、
「家族」とは生活という息苦しい土壌の上で
時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである。
しかしその賜物も、たった一度、数秒の諍いで、
いとも簡単に崩壊してしまうことがある。(p.30)

私はこの夏、「家族」というものについて すこ~しだけ、考えていた。



貧しさは 比較があって目立つものだ。
この町で 生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、
社会的状況は違っても、客観的には
どちらがゆとりのある暮らしをしているのかも
わからない。
金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。(p.46)

これは、真実だ。

私が生まれた頃の 私が育ったムラの様子は
まさに こんなだった。

状況はそのあと、極端なスピードで変わったけれど。



子供の頃に予想していた自分の未来。--略--
しかし、当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、
自分には起こらないことがある。
誰にでも起きている「当たり前」。
いらないと思っている人にでも届けられる「当たり前」が、
自分には叶わないことがある。
難しいことじゃなかったはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。
人にとって「当たり前」のことが、
自分にとっては「当たり前」ではなくなる。
世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、
自分にとっては「奇蹟」に映る。
--略--
かつて当たり前だったことが、
当たり前ではなくなった時。
平凡につまずいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。(p.68~)

子供の頃に予想した未来というものを
思い出しそうで思い出せない(涙)。

この ヒトの宗教心の発端とも言えるものについて触れた部分は
最初?だったけれど
そういえばそうかなあ、と。

当たり前に享受してきたことが
とてつもなく大きな幸運だったと気がついた時にも
ヒトは 手を合わせて 祈るかもしれない。



日進月歩、道具は発明され、
延命の術は見つかり、
私たちは過去の人類からは想像もできないような
「素敵な生活」をしている。
--略--
どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、
ヒトの感じることはずっと同じだ。(p.89)

そうだ!(笑)。

ヒトはそうそう変わらない。

たとえ科学や医療が進歩しても。

ヒトの幸福というものは
昔も今も あまり大きくは違っていないんじゃないか?



希望を込めて想う“いつか”は
いつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、
恐れている“いつか”は突然やってくる。(p.403)

天変地異もそうだろう。

人の死というものも、
身内にとっては いつも突然だ。



福岡なまりの話し言葉満載のこの本に
オカンが好きだったという相田みつをの詩が
一編の詩が載っている。

それとは別に
こんなオカンのメモの言葉がある。

誰の言葉だろう?


母親というものは無欲なものです
我が子がどんなにえらくなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです(p.442~)

ほんとうにそうだなあ、と思う。

子供たちにも読んで聞かせたいよ。

でも中には強欲な親もいるように思うけど。

そんな親なら 泣かしてもいいのかなあ。

『ボクの学校は山と川』

2006-09-28 | 読書
矢口高雄というマンガ家をご存知だろうか?

『釣りキチ三平』でおなじみかと思う。

他にも 
『マタギ』『おらが村』『ふるさと』などの著書がある。

著書と言っても もちろんそれはマンガで、

『ボクの学校は山と川』はその矢口氏のエッセイ。

(白水社、1987.9.1、1000円)

帯には
「『釣りキチ三平』の著者が、
 そのおおらかな少年時代をいきいきと描く
 好エッセイ!」
とある。



巻末に第二エッセイ集として
『ボクの先生は山と川』の宣伝がある。

『おらが村』(翔泳社、1995.4.10、上・下巻)
の巻末の著者紹介分のなかでは
「白水社刊『ボクの先生は山と川』のエッセイ集は
教育界に話題を巻き起こした。」
と書かれているので

もしかしたら
『ボクの学校・・・』よりも『ボクの先生・・・」の方が
優れた著作なのかもしれないが、
私はそちらを手にしたことはない。



この本で 矢口氏は 自身の出身地(秋田県)を
「村の真ん中を一本の川が流れている。
 秋田の名川雄物川の支流の支流で、
 橋の上からイワナが釣れるという
 どんづまりの源流部である。」(p10)
と紹介している。

「ふるさとの印象を一言・・・・・・」
「雪!」
とも述べている。

「昨日も・・・・・・今日も雪・・・・・・である。
 見上げれば白・・・・・・見渡せば白・・・・・・である。」(p160)



そんなふるさとで過ごした日々を
「忙しい少年だった」と言う。

釣りキチはもちろん、
蝶の採集、山菜採り、キノコ採り、
勉強もよくして委員長に生徒会長、
農作業を手伝って、 
それにマンガ少年で。

生き生きと描かれる矢口少年の様子は
まるで白黒映画のような感じで
私の目に映って見える。



矢口氏は1939年の生まれ。

私よりもだいぶオジサンだ。

服装は 大部分が和服にモンペ、
草履か下駄履きだった、という。

栗の木につくクリムシが繭をかける直前に採集し、
腸を搾り出しては酢で固めながら引き伸ばして
釣りのためのテグス糸を作る。

毎朝 朝食前に朝露をたたえたキャベツ畑に行き、
キャベツの葉を1枚1枚めくりながら青虫をつぶす。

この仕事は 2、3年後に DDTやBHCが出てきて
つぶさなくてもよくなった、
こころからDDTとBHCに感謝した、と言う。

冬の間、囲炉裏にデンと腰を据えて
来る日も来る日も 
おじいちゃんはワラジを作り、
母は縄をなった、という。



時代の波の来るのが遅いイバラキの田舎育ちとは言え、
私にとっても あこがれの田舎生活のように見える。

私の家には囲炉裏はなかったし
ワラジも草履も自分でこしらえることができる矢口氏と違って
私はどちらも作ったことがない。



けれど 私の時代の 私の田舎の子どもたちも
工夫を凝らして遊んでいたのは確かで

勉強はともかく(つまりできなくても)、
そういう工夫で
大人顔負けの獲物を収穫することのできる子どもは
尊敬の対象だった。



この本の一番秀逸なところは
タイトルではないかと思う。

少なくとも私は 
このタイトルに引かれた。

「学校は、山と川」。

「先生は、山と川」。

幼い娘の手を引いていた頃の私にとっての
理想の子育ては
この本のタイトルが示していたように感じていた。



後に 
娘の通う学習塾の送り迎えに忙しくなってからは
「ああ、私の理想の教育は
 どこへ行ってしまったんだろう?」
と思うこともあった。

そんな時にやはり
強いあこがれと共に思い出すのは
矢口氏の子どもの頃のような 
自然に教えられ、鍛えられ、
周り中の大人たちに育てられる
そんな田舎の子どもたちの姿なのだった。

けれど 
始めてしまった塾通いは
後戻りはできなかった。

『新・お葬式の作法』

2006-04-29 | 読書
副タイトルは「遺族になるということ」。

著者の碑文谷創という人の名前には覚えがある。

以前にも この人が書いた葬儀についての本を読んだのだ。

碑文谷、という都内の地名と同じ苗字が印象的で。

葬儀ジャーナリスト、あるいは 葬送文化評論家、という職業に
「そんな仕事もあるのか!?」とびっくりもして。

葬送専門雑誌『SOGI』の編集長をしている人らしい。

そんな雑誌は見たことがないが。

思えば 日本の葬儀のありようが
急激に変わっていった頃に 出版された著書、
あるいは創刊された雑誌かと思う。

それにしても そんな本を買って読んだ、なんていう私は
けっこう変わり者だ。

そして 今 一番興味のあるのは
お葬式について、なのだ。

そしたら またこんな本が出ていたので
迷わずに買って読んだ、というわけ。

平凡社新書314、2006.3.10、740円。



お寺に生まれても
お葬式を出した事は ほとんどない。

葬儀とはどういうものか、ということも 
ほとんど知らない。

こうか、ああか、と想像する事はできても
本当にそうか、と問われると 確信がもてない。

もっとも 
葬儀とは「正解」がどこにも無いもの、とも言える
と思っているので

ハウツー本のように
「こうです!」
とあっても
「ああ、そうか!」
というわけにはいかないが。



この本によると
日本における葬儀の95.2%は仏式なのだそうだ。

神道は1.5%、
キリスト教は1.2%、
ごくごくわずかな少数派に過ぎない。

私は 神道での結婚式は2度 出席した事があるが
ご葬儀はない。

キリスト教のものも その他の宗教のものも
あるいは 無宗教のものも
ご葬儀はもちろん 結婚式さえ 出席したことがない。

私が 葬儀を語るとき、
それは 自動的に仏式のものを意味する。
(「フランス式」とは読まないで。)



私は田舎のお葬式が大嫌いだ。

なぜならそれは葬儀を出す当家の意向を
全く無視した
地域の住民によるお祭り騒ぎに過ぎないから。

けれど それは
年寄りが寝付いて
「あとどれくらいだ?」
「そろそろか?」
と噂されてから亡くなった時に。

毎日毎日 家と 田んぼや畑との往復で
語り合えるものは
家族の他は 幾人かの近所の人、
あとは 虫や鳥。

そうして
そういった退屈?
あるいは 少なくとも 変化に乏しい日常に
変化と興奮とをもたらしてくれるもの、

それが 葬儀だった場合のことなのかもしれない。

だから 私が 葬儀に対して
もしかしたらとんでもなく的外れな嫌悪感を持っていたのは
これは
とても幸福なことだったのかもしれない。

いま 再び 葬儀は変化の時期を迎えているように思う。



それを著者は

「かつて葬儀は、
 地域の「共同体」が 死者の「家」のために
 おこなうものだったが、

 最近は、
 家族という「個」が 死者「個人」のために
 行うものへと 変化してきている。

 習慣や風習も 文化ということでは尊重されるべきだろうが、
 個の意志もまた 尊重されるべきである。
 
 これまでは どちらかといえば 共同体の習慣が重視されてきたが、
 これからは 個の意志も 充分に尊重されるべきであるように思われる。」

と言い表している。

小さな新書版に いっぱいに詰まった葬儀の知識。

勉強になった。。。

そして、
今の私には とても興味深く、面白い本だった。

『足んこの歌』

2006-02-21 | 読書
『足んこの歌』と書いて、「あしょんこのうた」と読むらしい。
(ルビがふってある。)

ふとしたことで存在を知り、
全部を読みたくなって ネットで注文。

『第三詩集 足んこの歌』、らくだ出版
(2005.9.20、1260円)

著者は 高野つるさん、今年81歳になるおばあさんだ。

千葉県で農業をするかたわら同人誌に作品を発表し、
詩集を出してきた。



誰が書いたものか、カバーには

「高野つるさんの詩は、内面の怒りを封じ込めた独白である。
 
 村の因襲や秩序を充分に尊重し、
 実践すればこそ、その束縛に抗う。

 自己に忠実であり、はっきり自己の気持ちを表にだすこと.....」

とある。



厚さは1センチにも満たない薄っぺらな本だけれど

つる婆ちゃんの詩集は

詩も そして 絵も すべて つる婆ちゃんの手になる。

この表紙の絵もタイトルも つるさんがご自分で書いたもののようだ。

その瑞々しい感性には 驚きを禁じ得ない。



   小さい方がいい

花は小さいほうがよがっぺ

なんでだって?

そりゃ きまってるがな

萎んだ時のこと考えでみろや
いが
大え花は 悲しみもまた大えからよ
しあわせ
幸福も やっぱり小粒がよがっぺ

なんでだって?

そりゃ きまってるがな

大え幸福 つかんでみろや

有頂天になっちゃって

おらの目ん玉さ 他人の涙が

見えなく なっちゃうからよ


    私が小学校4年生の時、ばあちゃんがいったこと(p16)



   春だもんな

土の中から

地べた どっついているのは

だれっぺな?

それは わらびの げんこつだがな

だって 春だもんな


枯れ草の中さ

青空ばきざんで ぶんまいたのは

だれだっぺな?

それは 山のすみれだがな

だって 春だもんな

―――後略―――

              「びわの実学校」掲載(p36)



その訛りの懐かしさと確かさは
私のふるさとを思い出させてくれると同時に

昔 教科書で読んだ
やはり方言を使って力強くげんこつを書いた詩を思い出させる。


ひともと
「一本の桔梗」という詩(?)(p66)に書かれていることによれば、
つるさんの夫の甚之助じいさんというひとは
宮城県の仙台は秋保(あきう)という温泉のある村で生まれた。

日立製作所で 電子顕微鏡の製作に携わり、
その技術は神業と称えられた。

召集令状も2度来たが
優れた技術者であったため、兵隊にはならなかった。

終戦の頃には
東北大学工学部には航空学科が設置されており、
成瀬政男教授のもとで
航空ギヤーの研究を手伝っていた。



終戦になると
爆弾や焼夷弾の中を 命がけで疎開させた研究資料や機械は
トラック3台ぶんの荷物となって 没収されていった。

研究者達の心には ぽっかりと 大きな空洞が。

そのとき 教授は

「皆 よく聞いてくれ!
 
 敗れたりとはいえ 日本民族、
 MPには 毅然たる態度で接して欲しい。」

と訓示なされたとか。



荷を積み終わったMPたちは 
整列していた甚之助爺さん達の前で挙手の礼を取り、
さらに隊長は教授にむかって

「貴方の精魂こめられたこれらの研究資料、
 これからは 
 世界平和の為
 大切に使わせて頂きます。」

と言い、
教授の手を両手で握り締めたということだ。



つるさんは 
孫達に語りかける体裁をとるこの詩を
 ばあ
「私ちゃんの一生のお願いは、

 故里を大切にする事と

 地球上から 戦争をなくすることですよ。」

と結んでる。

アメリカ合衆国の皆さん、このふたつの事は
あなたがたにもお願いしたい。



つるさんの瑞々しい心は 遠い昔の記憶も 瑞々しいままで
傷ついた人の心の痛みは 鮮血がほとばしりそうだ。

父を突然失った自分。

夫を失ってしまった母。

暮らしを支える母の細腕。
(それはその後 つるさん自信の腕にかかってくる。)

息子を失ってしまった祖母。

その悲しみの一方で
家庭を捨てて出て行ってしまった息子を
どうすることもできない自分を不甲斐なく思う祖母。



働いて 働いて 働いて
そうして 立てなくなった母を看る娘、つるさん。
   ほねがら
母を「骨殻大師」とよんで泣き笑いをする。

そうして ようやく 安楽の世界へ旅たつ母に

これらは全部「一幕の芝居」だったな、と語りかけるつるさん。

「馬鹿正直でそんな役柄をもらって
                       
 これが自分の十八番と腹を定め

 地べたを這うような 下手な芝居を

 精かぎり魂かぎり続けてきただもんな」



この世は芝居、人はみな役者、
あんな駄目お父も
芝居の役柄では 恨めない、
という つるさん。

「性学育ち(大原幽学先生の教え)のばあちゃん」が
幼いつるさんや 妹さんに教えてくれたものが
おばあさんだけんでなく 
つるさんの言葉や 行動のはしはしからも
キラキラと煌いて見え隠れしているこの詩集。

またとない宝物を手にした気分だ。

『病気にならない生き方』

2006-01-08 | 読書
副題に「ミラクル・エンザイムが寿命を決める」とある。

以前に 私の食養生・『粗食のすすめ』
の中に登場した、胃腸は語るの著者、新谷弘実医師の著書。
(サンマーク出版、2005.7.20、1600円)



ビワキューの先生がおっしゃるのだ。

生ものを食べよ、と。

ことに 忙しい女性にも 簡単に作れる、サラダを、と。

ビワキュー信者の友人も サラダ、サラダ、と言う。

サラダ嫌いだったご子息が
ビワキューの先生のところで買った
ビワの何かが入った飲み物を使ったドレッシングを
使うようにしたら
もりもりサラダを食べてくれるようになったとか。



「食べてる?」

「私、あまり食べないようにしているの。」

「どーして?!」

「だって、生ものって、身体を冷やすって、言うじゃない?」

身体を冷やすし、
たくさん食べるには 熱を通した方が 
いっぱい食べられるじゃない?



そしたら、
なにもサラダでなくても、
熱を通さなければいいらしい。

漬物や 果物でも、いいんだって。

ああ、そんなら。ホッ。

「とにかく、加熱すると 酵素がなくなっちゃうの。

 酵素を摂らなきゃ、だめなのよ。」

はい、先生。

ん?

これって、新谷弘実氏の本に書いてあったのと同じ事?



新谷氏は 去年 この本を出して
結構注目されていたと思う。

多分この本もそこそこ売れたろう。

『頑張らない』のひげのお医者さん、
鎌田實氏との対談を
雑誌で見たりもした。

この本に書かれているのは、
‘健康で長生きする方法’。

健康の鍵は、‘エンザイム’にあるという。



エンザイムというのは、‘酵素’のこと。

最近話題の 
コエンザイムQ10のコエンザイムとは、‘補酵素’。

酵素を補うもの。

だから、エンザイムは コエンザイムよりもエライ?



エンザイムは 必要に応じて 体内で生成されるが、
氏の推論では
何にでもなりうる‘ミラクル・エンザイム’というのが存在して、
必要に応じて特定のエンザイムが作られるのだとか。

ある特定のエンザイムが大量消費されると、
身体のほかの部分で必要なエンザイムが不足する。

たとえば、お酒を飲みすぎて
肝臓でアルコール分解エンザイムが大量に使われると、
胃腸で消化吸収に必要なエンザイムが不足する。

「つまり、エンザイムというのは、何千種類のものが、
 それぞれ決まった数だけつくられるのではなく、
 原型となるエンザイムが先に作られ、
 それが 必要に応じて作り替えられ、
 必要な場所で使われているのではないか」p7

そのエンザイムの原型を
氏は‘ミラクル・エンザイムと名づけた。

(なんとなく、‘エロイム・エッサイム’を思い出すのは、
 私だけ?)



「ミラクル・エンザイムを補う食事をし、

 ミラクル・エンザイムを浪費しない生活習慣を身につけることが

 胃相・腸相をよくすることは、

 臨床に裏づけられた事実です。」p8

なあんて言われても、これだけの実績のある(らしい)医師に言われると、
反論できない。

少なくとも、
「胃相・腸相の悪い人に 健康な人はいません。」p28
との言葉には
ああ、本当にそうなんだな、と思ってしまう。



「よく 病気になってから、
 〈なぜ、こんな病気になってしまったのだろう〉
 と嘆く人を見かけますが、
 病気は神仏が課した試練でも罰でもありません。

 自分が積み重ねてきた日々の悪い習慣の結果なのです。」p23

と言われると、
‘生活習慣病’と呼ばれるビョーキになった私は
うなだれつつ 頷いてしまう。

そうか!
これは 神仏の与えたもうた試練などでは、ないのだ!

・・・・・・悪いのは、私。
の、生活習慣。



そして 
一般的に 健康によい、と言われているのに
新谷氏によると かえって健康に害をおよぼす、
というのには
次のようなものがある。

・腸のために 
 毎日ヨーグルトを食べるようにしている。

・カルシウム不足にならないよう、 
 毎日牛乳を飲んでいる。

・果物は太りやすいので控え、
 ビタミンはサプリメントでとるようにしている。

・太りすぎないよう、ご飯やパンなど炭水化物は
 なるべく控えるようにしている。

・高たんぱく低カロリーの食事を心がけてる。

・水分はカテキンの豊富な日本茶でとるようにしている。

・水道水は残留塩素を抜くために、必ず一度沸騰させてから
 飲んでいる。

これらが全部、間違っているのだと言う。

けっこうショックを受ける人は 多いと思う。

   (つづく)

『糸井重里のつくって食べようおいしい野菜』

2005-12-26 | 読書
お野菜を 自分で作って 新鮮なうちに美味しく食べる。

これは 私の究極の願いと言ってもいい。

そんな私を応援してくれそうな本を見つけて読んだ。

著者:糸井重里、永田照喜治、こぐれひでこ、
   NHK「糸井重里のおいしい野菜つくっちゃいました」制作班、
NHK出版、2005.4.30、1200円



本の帯に
「NHK総合テレビで2004年8月8日にほうそうされた
 〈糸井重里のおいしい野菜つくっちゃいました」が
 本になっちゃいました!!!」
とある。

そんな番組があったとは知らなかった。

また 
「あの永田農法で 究極の野菜づくりに挑戦!
 さあ、あなたも この本を見ながら
 おいしい野菜つくって食べちゃいましょう!」
とある。



永田農法。

聞いたことがある。

パラパラとめくってみる。

著者の中の 永田さんと言う人は
「永田農法」を確立させた人だという。

え?

「永田農法」ってのは、永田さんが作った農法だから
「永田農法」っていうのか?

じゃあ、読み方も 「えいでん」とかじゃなくて、
「ながた」でいいんだ!

やっぱり何も知らない私。

お手軽な読み物としても楽しめそう、と
たしか 上野駅のブックガーデンにて購入。



農地は 周囲に山ほど(山はないけど)あるが、
畑を持たない我が家。

食いしん坊で 野菜の収穫を楽しみたいけど
階段の上り下りをも厭う私。

日当たりのいい二階のベランダで作れば 
それなりの収穫ができそうだが
なるべく二階に上がらずに生きてゆきたい。

とりあえずこの本を読んで作れば
日当たりの悪い我が家の庭でも
美味しい野菜が作れるかもしれない?



こぐれひでこというイラストレーターの名前にも
覚えがあった。

しばらく考えていたが
夕刊に載る 「おいしい画帳」という
食べ物のイラストつきの 食いしん坊なエッセイの主じゃないか。

なるほど、食いしん坊そうな
太目のオバチャンだ。(親近感!)

写真は 「おいしい画帳」に影響されて作った、
ダシを濃くひいて作ったとろろ。



この本は 冒頭の写真でびっくりする。

野球チームのメンバーらしい子供たちが
紫色のタマネギに群がるところ、

そして 齧られた紫タマネギ。

そこに書かれた、
「そのタマネギは まるでナシのよう」
の一文。

信じられない。
だって、タマネギだろ?



永田さんの指導で 50坪の石ころだらけの農園で
こぐれさんが農作業を始める。

石ころだらけだから、野菜作りに向いているのだという。

「永田式」では、
必要最低限の栄養分で作物を育てる、
肥沃な土壌はいらないのだとか。

うそ?!



土は 植物が根を張るためのもの、

しっかりと根を張ることができれば
植物は自分で 土の中から微量要素を取り込む。

水分も最低限しかやらない。

野菜たちは 水を求めて 根を伸ばし、成長する。

それは、わかる。

しかしそれでは 
土作りに精魂傾けている人たちとはまるで逆?

栄養も水も 
化学肥料やスプリンクラーで
そら、そら、と どんどんぶちまけるような
現代の農業とは またずいぶんと違っているようだ。

過保護な野菜にゃ用はない?



そのかわりに 液体肥料をやる。

・・・え?

あの高価な、
うす~~~く薄めて10日に一回とかやる、
あの液肥?

そういえば薄めながら水まきできるキカイが
園芸雑誌のカタログにあったなあ。



苗の植え付け。

なに?

ポットから出した苗の根っこについた土を
きれいに落として洗って 

それからハサミでチョキンと3分の1に切る?

そんなことして、いいの???



ビックリの連続!

春にプランターに植えたパプリカが
ほとんど収穫できなかった私は
悔しい気持ちで 熟読。

     づづく


『生協の白石さん』

2005-11-15 | 読書
久々に ハマった本だった。

いったい なんのツボにはまったというのだろう?

確かに おかしくて面白いけど 
爆笑、というほどのものではないし。

(著者:白石昌則・東京農工大学の学生の皆さん、
 講談社、2005.11.2、952円)




どうやら この本は
『がんばれ、生協の白石さん!』なるブログ
もとにしたものらしい。

いや、それでは不正確。

東京農工大学という大学(農学部と工学部しかないらしい?)の
工学部キャンパス、
そこの生協で働く白石さんという人が、

生協に対する意見・希望を書いて投函する
「ひとことカード」に
真摯に対応しているその回答を

面白がっているだけなのだ。

もちろん、白石さんに限らず、
他の職員も「ひとことカード」への対応に取り組んでおり、
白石さんでなくても 楽しい応酬(?)はありそう。



それでも とにかく、
丁寧な言葉で 
ふざけた質問に対しても 
極力 真面目に対応するその態度。

おまけにそのユーモアに、
私としては 
読んでいて
とっても嬉しくなってしまった本なのだ。



ネットで有名になってから
白石さんに 楽しい回答を書いてもらおうとして
生協に関係のない質問が増えた、

ということだが
それでも
掲示できないような悪ふざけはほとんどなかったという。



有名になったのに、

そして 東京農工大学工学部の生徒のほとんどは
白石さんの素性を知っていたか
あるいは知りうる立場だったのに、

誰も 白石さんの正体を明かさなかった。

性別すらも。



これには 驚く。

「あたし、知ってるよー。」

「なに、お前、知らないの?」

そんなちょっとのことで得られる優越感にさえ
人は浸りたいものなのに。

東京農工大学の生徒の レベルの高さを物語る、
とも言えそう。



私の乳がんも、
私達が人を選んで相談したり伝えたりした
一部の人たちからは
全然 ウワサになって広まったりせずに
二年以上経過したのに

亭主の以前の上司から
ムラのひとりの人に伝わると、
そのひとから 親しくもない人たちに
あっという間に広まった。

「なに、おめえ、そんな近所に住んでて、
 知らねえ?」

「何やってんだ、
 あすこんちに出入りしてて、知らねえのか?」

と言われてびっくりした人や

「本当ですか?」と聞いてきた業者や

「病気だって聞いたけど・・・。」
とつぶやきつつ、
ガーデニングに汗を流す私の姿を見て
拍子抜けする人などが続出。



東京農工大学は
大根踊りで有名な私立の東京農業大学と
混同される事が多いらしいが、
さすが国立、
5科目7教科入試を制して入学した学生達!

そこは そっと 「優しい無関心」を発揮。

いいなあ。こういうところ。



さて、
肝心の 「ひとことカード」でのやり取りというのは、
たとえば、こんなものが。

「生協への質問・意見、要望

   青春の一ページって
   地球の歴史からすると
   どれくらいなんですか?」

   「生協からのお答え
      
      皆さんは 今まさに 
      1ページずつめくっている最中なのですね。
      羨ましい限りです。
      地球の歴史と言うよりも、
      私の歴史からすると、
      目次でいえばかなりまえのほうです。
      いつでも呼び出せる様、
      しおりでも挟んでおきたいものです。
               担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   自分の自転車がパンクしたので
   友達のを借りたら
   友達のもパンクさせてしまいました・・・。」

   「生協からのお答え
   
      ご自身の不遇さを憂うご様子がつたわってきます。
      パンクは破れた箇所を修理すれば直ります。
      お友達との関係が破れていないのなら、
      それで良しとしましょう。   
                担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   オラオラオラオラオラ―――!!
   裁くのは俺のスタンドだー!!」

   「生協からのお答え

      勇ましい意思表明、なによりです。
      このような裁判官がいたら、
      かのマイケル・ジャクソンも
      ムーンウォークで逃げ出したに違いありません。
      しかし、ここは生協の掲示板です。
      折角の志高き思い、当店でくすぶるよりも
      広く全世界に発信してみてはいかがでしょうか。  
                担当:白石」



「生協への質問・意見、要望

   エロ本おいて下さい。」

   「生協からのお答え
      
      ご要望ありがとうございます。
      大学生協は
      学生さんや教職員の方をはじめとした組合員の
      勉学研究支援および生活支援に取り組んでおりますが、
      煩悩の分野は支援できません。
      あしからずご了承ください。
                担当:白石」



こんな調子。

ストリートファイター関係のものは 
私にはよくわからなかったが

プロ野球チップスについて
(特に 中に入っているらしい、
 土橋選手のカードについて)のやりとりも
ほのぼのと 可笑しく、ほほえましい。



ブログの管理人が 本書のなかで語っているように、

「『東京農工大学?

  もちろん、知っていますよ。

  あの生協の白石さんで有名な大学ですよね?

  私、生協の白石さんの大ファンなんです。』

 という反応が返ってきてくれたらな」

と言う状況になっているオバサンが、

ここに、

約一名。

ベストセラー

2005-08-22 | 読書
私はミーハーである。

ミーハーであることは、恥ずかしい事だ、
という認識もある。

この認識は 姉や友人や 
いろんな人たちに植えつけられたもので、
私自身は けっこう B型的ミーハーである。



ずっと 
ミーハーである事を 隠してきたような気がする。

けれど オバサンになって、
「ミーハーで何が悪い!」と
開き直ってきたここ数年。

へんなところで、ミーハーよりも 
へそまがりである事が 判明した。



去年は どこの書店でも
養老孟司氏の著作、
『バカの壁』(新潮選書、2003・4・10、680円)と
『死の壁』(新潮選書、2004・4.15、680円)とが
並んで置かれていた。

養老孟司という人は、東大医学部で 
解剖学をやっていた人なのだそうだ。

この人のエッセイには
以前から注目していた。

さすが解剖学者、
視点が ちょっと 人と違ってて、面白い。

新聞や雑誌で この人が書いたものが
たいていは 短い文章だったけれど、
載っていると、
「おっ。」
という感じで 読んでいた。



それが、突然の、ベストセラーだ。

『バカの壁』が、バカ受けして バカ売れだ。

ここで、へそまがりが ムクムクと顔を出す。

マスコミで騒がれている間は、買わないぞ、と。



『バカの壁』騒ぎが一段落して
ようやく買って読んだのが、
2004年12月だった。

二冊いっぺんに買って、立て続けに読んだ。

読んだ感想は、
「日本人って、凄い?」だった。



『バカの壁』は、難しかった。

こんな難しい本が ベスト・セラーになるなんて、
日本人って、凄いんじゃない?
と思った。

難しかったが、面白い本だとも 思わなかった。

いつも面白いと思って注目していた人の本なのに、
いつもほどの面白さを感じなかった。



確かに、
オウムにしろ イチローにしろ カーストにしろ、
視点のユニークさは そのままで、

思わずクスリと笑ったり、

「そうか!」と膝をたたきそうに 
納得してみたりは するのだが、

突っ込み方が中途半端な気がして、
楽しめなかった。



『死の壁』の方が 読んで面白かった。

これは、

人間の致死率は100%、という事を、

人はわかっている、と思い込んでいるけれど

本当にわかっているのか、

と書かれた序章の段階で、

私は 著者のマジックに
幻惑されてしまったのかもしれない。

ああ! そうよね!! と。



気に止まったところに 
付箋を付けて読んでいたが、

今、
二冊とも二度目の読書をしていて、

最初の時とは 違う場所で
「ン?」 と思って 
付箋を貼り付けている。

『ラッキーマン』(2)

2005-07-20 | 読書
マイケルが 薬を飲んだのは

「それが治療に役立つからでも 
 慰めのためでもない。

 理由はただひとつ。

 隠すためだ。」p55

家族、ごく親しい友人や関係者以外の人たちに
知られてはならない。

そう思い込んでいたのだ。

スターなのだもの、当然だと思う。

周囲に癌を隠している私にも
相通じるものがあって
ハッとする。
 
彼は そうして 七年間 過ごしたのだ。



悲しみの五つの段階と呼ばれるものがある。

エリザベス・キューブラー・ロスが
著書『死ぬ瞬間』で書いたらしい。

末期がん患者が 死期を先刻されてから、
その死を受け入れるまでに、

① 否定と孤立

② 怒り

③ 取り引き

④ 落ち込み

⑤ 受容

の五段階を経るとされている。



そうか。

これは 末期のがん患者の死期の宣告に際しての
ものだったんだ。

私はてっきり
癌の宣告の時の 患者の受容に関して
言われているのかと思っていた。



いずれにせよ、

「ぼくの個人的なつらい経験が、

 ぼくが会ったこともない 
 スイス人の女性が作った
 ありふれた 長ったらしい リストに

 変えられてしまうのだ。」p274

とは 理解できる感じ方だ。

どんな人も それぞれの体験は
あくまで それぞれのもの。

①、②、③・・・と 番号を振って
そのとおりに なぞって歩いてきたわけではない。



マイケルの場合も
発祥は1990年11月。

マイケル29歳。

通常、パーキンソン病というのは
50歳から65歳のあいだに発病する。

彼の場合は 非常に珍しい 若年性のそれだった
(40歳以下の場合、らしい)。

筋肉の硬直  
動作が鈍く遅くなる
震える
まばたきが減る
顔の表情が乏しくなる
身体のこわばり
姿勢を簡単に変えられない
異常なほど長く 同じ姿勢を続ける

そして ついに患者が 医師を訪ねるきっかけは
手の震え。

その手の震えによって受診し、
診断を受けたマイケルは言う。

「同意する」と「受容する」とのあいあには
遠い道のりがある、と。



「あなたの病気は もう 治りません。」

そういわれた人の気持ちは どんなだろう?

「決して 良くなることは ありません。

 ただ 悪くなるのを なるべく抑えるだけです。

 できるだけ 動けなくなる日が 遅くなるように
 お薬で 調整してみましょう。」

それは 
死の宣告と 同じ意味をもっていたのではないか?

29歳だった彼は
「あと十年は 仕事が出来ますよ。」
と言われたらしい。

スーパースターだった マイケルが
病気の宣告を受けた時の気持ちは
私には 想像がつかない。



そう、
私は 思いがけない時に
たったひとりで 癌の告知を受けた

「もしかしたら 乳がんかもしれない。」
と 漠然とした不安を 
検査の時に 抱いていた。

それに
乳がんは 死の病ではないと 知っていた。

(大きさも 悪性度も
 こんなだとは 思っていなかったけど。)

けれど 思ったより冷静に受け止めて
シャンと運転して帰ったこれたのは

死の宣告を受けたわけではないからだ。



放射線治療に通うのが大変だとか
ホルモン療法の副作用が 無茶苦茶だとか
そんな事はまだ 知る由もない。

乳がんである事、
それだけを 受け止めたに過ぎない。

最初の総合病院の医師の
「乳がんは 今は 治る病気です。」
の言葉に表れているように、
私は 余命告知をされたわけではない。



パニックにならなかったのは
取り乱したりしなかったのは
「否定」も「怒り」も「取り引き」も
体験しなかったのは
 
きちんと治療を受けさえすれば
命にかかわる病気ではなかったからだ。



てっきり
私が ‘死’というものを
身近に感じて育ち、
‘仏の教え’と言われるものをかじり、
‘生と死’について
熟考しつつ生きてきたからだ、
と 自惚れていた。



「あなたは もう 治りません。」

「あとは 死ぬまで 悪くなっていくばかりです。」

そう告げられた人の 心のうちは
私には 想像できない。

姉も 義母も そういう種類の病気なのだ。

いつか 電話で 
姉に
「お姉ちゃんは、大丈夫よ。」
と言ったら
「そういう 根拠のない慰めは傷つく。」
と言われて 困った。

姉は マイケルと同じような
受容の道のりをたどったのだろう。

義母は たどらずに済んでいる。











『ラッキーマン』(1)

2005-07-19 | 読書
書店を逍遥する趣味のある人は
一時期 
顔の半分を手で隠すようにして
こちらを横目で見つめながら
はにかんだ笑顔の半分を見せている写真が表紙の
この本が並んでいるのを 
見たことがあると思う。

マイケル・J・フォックス。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で
大ブレイクした 
カナダ生まれの俳優。

ハリウッドの大スターの回顧録だ。



彼が 自ら パーキンソン病であることを
カミング・アウトした時には
世界中に ニュースで流れ、
私にもそれなりに興味を引かれた。

けれども それだけだったし、
忘れてしまっていた。

この本の存在を 知ったのは 
放射線に毎日通っていた時期に
いつもの食べ物屋の前の書店で
この笑顔を見ていたから。

そして 間もなく
姉が この本について 電話で語っていたから。

でも 私が読んだのは 文庫になってからだった。
(入江真佐子訳、SB文庫、
 ソフトバンク パブリッシング株式会社、
 2005.2.25、781円)



一時期、彼の人気は 想像し難いほどだった。

人は‘アイドル’とか ‘有名人’と呼ぶ。

彼自身は その頃の自分のことを
‘バブル・ボーイ’と読んでいる。

そして、ショービジネスの世界の中の有名人が住む
‘びっくりハウス’で迷子になった、と。



とんでもない贅沢もわがままも許される 
特別階級。

そんな‘びっくりハウス’には 
‘びっくりハウスのルール’というものがあって、
いつの間にか
それに慣らされてしまった彼を救ったのは
妻となったトレイシーだった。



トレイシーは この本で読んだ印象では
地味で 賢くて 芸能人というよりも
普通の感覚を持つ人。

マイケルは トレイシーのおかげで
びっくりハウスの幻想の世界を 冷静に見つめ、
現実の世界で 
地に足をつけて 生活していられるようになった。

そういう選択をしたから、
診断が下されたときに つぶされずにすんだ、
と彼は語る(p186)。

トレイシーはマイケルの病気、
若年性パーキンソン病に対しても
恐れたり ひるんだりすることも 
楽天的に見たり 放棄したりすることもなく
妻として 賢く対処している。



人気の絶頂期に発病した彼は
悩み、苦しみ、のた打ち回りながら
病気を隠し 闘病を隠して
スターであり続けた。

その間に経験し 考えに考えたいろいろな事は
かれの宝物だろう。

そして 支えてくれた 様々な人たちも。

この病気にならなかったら
彼は この10年間の 
心豊かな 深みのある人生は 送れなかった、
だから 彼は 
以前の自分には 決して戻りたいとは思わない。



マイケルは 自身の病気について

「いままでのつけが廻ってきたことを表している。

 仕返しなのだ。

 そんなことをしてもらう値打ちもない
 分不相応な宴会の後に、
 食べ散らかしたテーブルに持ってこられた
 請求書なのだ。」

と捉えている。



そして インタビューに答えて、
「この病気を 贈り物だと考えている。」
と答えて
同じ病気に苦しむ方から 批判された。

けれど 彼は 
もし それが 贈り物なら、
これからも 受け取りつづけなければならない
贈り物だ、と 訂正して
さらに

「最終的に
 ぼくに第二の道
 (被包囲心理でなく 旅に乗り出す道)
 をとらせることになったものが、
 勇気だったのか
 受容だったのか
 知恵だったのか なにかはわからないが、
 それは 明らかに 贈り物と呼べるものだった。

 そしてこの神経系の病気にならなければ、
 ぼくは この贈り物の包みを開けることは
 決してなかっただろうし、
 これほど 深く豊かな気持ちにも
 なれなかったはずだ。

 だから ぼくは 自分のことを
 幸運な男(ラッキーマン)だと思うのだ。」p8

と言っている。

そして これが本心から出た言葉であることが
読んでいると 確信できる。

彼は 本当に 幸運な男、ラッキーマンなのだ。



そう信じるに至るまでには
彼の心も 様々なところをさまよったし、
そう言えるようになるためには
いろいろな人の 手助けが必要だった。

けれど この困難な病気でさえ
人は 精神的には 克服する事ができるのだ。



精神的に 病を克服する。

これは 重要な事だ。

不治の病はあるけれど どうせ 人の命は
いつかは 終わるもの。

死亡率100%の人生をあゆんでいるのだ。

だから 心の中で 病を克服してしまえば
たとえ 人生の長さが どれほどであろうと
人生を全うしたと言えるのではないかと思う。

自分の不幸に心をとらわれたまま
生涯を閉じるなんて、
私は もったいない気がしてならない。

精一杯 生きたら
その人生は きっとキラキラと 光って見えるはず。

私はそう信じたい。



真面目な話や クサイ話は 
本当は嫌いだし苦手な私だが
この本は いろいろな事を考えさせてくれたので
ちょっと頑張って 
もう少し書いて見ようと思う。

『いばらぎじゃなくていばらき』

2005-06-22 | 読書
最近の私が 
‘茨城’を‘イバラキ’と書いたり、
方言にこだわり始めたのは、
この本の著者のサイトの影響。

滅多に帰らないふるさと・イバラキの方言が
このごろ 
やたら 懐かしく、
やたら 面白い。

この本の 一番 秀逸なところは、表紙。

(青木智也著、茨城新聞社、2004.5.25、1000円)



だから、‘イバラキ’じゃなくて、
‘イバラキ’なんだってば。

なのに 
間違えるはずのない NHKが
なぜか 昔から ‘イバラギ’と言う。

なぜか 未だに ‘イバラギ’で通している。

‘イバラキ’なんだってば!



この出版社では、取り寄せには時間がかかるだろう、
ということで、
初めて アマゾンに注文してみた。

これが先月のチャレンジだった。
(安いチャレンジで、スイマセン。)

セブン・イレブンまで 受け取りに行けば、
送料はタダ!

嬉しい、しかも、すぐ届く!

便利な世の中になったと、オバサンは感無量。



この著者のサイトに行ったのは、
茨城生まれ・茨城育ちの甥っ子が
彼のブログの中で

「茨城王:イバラキング」というサイトの中の
「茨城の常識」というのを
紹介しつつ うだうだ 書いていたのを読んで。

そう、この本は、このサイトから出来た本。



で、その、「茨城の常識」とは・・・。

茨城県民の歌が歌える。/県内全域

 あたしなんて、歌えるだけじゃなく、
 三番まで、ほとんど 踊れる!

 運動会には 毎年 踊っていたもの。

 難しかったっけ。

・筑波山に登ったことがある、
 大洗でおよいだことがある/県内全域

 小学校でも 中学校でも 卒業前に
 筑波山登山があった。
 
 卒業直前だから、 思い出深い。

・学校の校歌に必ず「筑波山」というフレーズが出てくる
 /筑波山が見える地域

 もちろん。

・いまだにJAを農協と読んでいる/農家?
 
 あたしなんて、いまだにJRを「国鉄」と
 呼びそうになるんだけど?



・家にJAの帽子がある/農家

・常陽銀行に口座をもっている/県内全域

・家の外にも トイレがある/農家

・お買い物は カスミ・グループ/県内全域

・近所の家は 屋号で呼び合う/農村部



・家には ひとり一台 クルマがある/県内全域

 あ、これは、ここも、そうだよ。

・スカートの下にジャージを穿く(女子学生)
 /県内全域

 あ、これも やってる。
 
 娘たちは、‘埴輪’と呼んでたよ。

などなど。

いちいち うん、うん、と頷くことが書いてある。



中には、

・スクーターに乗るときは できるだけ足をひらく
 /ヤング

・黄色は進む(信号)/県内全域

・なんでも「つくば」と付けたがる/県西・県南

・初午には「すみつかれ」を食べる/県西・栃木

・「きょうきゅう」が「供給」であることを
 ずっと知らなかった/日立周辺

など、「?」なことや 
「なに、それ?」なことも書いてある。

イバラキは、広い。



もちろん、ふるさと離れて ウン十年、
新しい事は わからないことだらけ。

だいたいが、天気予報で言う「ろっこう」って、
阪神の本拠地の天気か? と不思議がってたくらい。

あれは、想像では 「鹿行」と書いて ロッコウ。

‘鹿島’と‘行方:なめかた’を合わせたネーミングに
違いない。



この本の中で もうひとつ、
「マックスコーヒー物語」は 
かなり追求してかかれており、
こういう本ででもないと 書いてもらえない、
貴重な論文。

それから、時事的に 合併問題にも触れている。

子供の頃から、
イバラキと千葉が 合併したら、チバラキ県、
とか、よく言ってたなあ。



著者のユーモアのセンスは 
まだまだ 発展途上。

文章修行も もう少し頑張れ、という感じ。

けれど 懐かしくて可笑しくて。



この本は 後ろからめくると、
「茨城弁大辞典」になっている。

言語学者でもない著者が、よくここまで、と思うが、
「?」 「ん?」 「あれ?」  
と思う内容も多い。

方言は、奥が深い。
 
これからも 時々 茨城弁について
考察を重ねて行こうという決意のもと、
カテゴリーの新設を行ったのであった。
(と、堅苦しく宣言するほどのものでは、ナイ。)