愛知県刈谷市内を散策。近代建築を探しながら少し郊外の幹線道路沿いに辿り着くと「さかゑ食堂」という地味だがそそられる食堂があったので休憩がてら寄ってみた。中に入ると土間にはテーブル席が並び、小上がり席も3卓ほど。賄っているのは女性2人(親子かな)。小上がりには家族連れ、テーブル席には2人と親し気に喋る地元と思しき人達や、労働者が腰掛けている。壁には「中華そば」などの麺類、丼物、そして洋食もあって惹かれる。どれも値付けが安い。残念ながらご飯物を食べる程お腹は空いていなかったが、すっかり喉が渇いていたので休日特権で「ビール」と「どて」をお願いする。
すぐにキリンラガーの大瓶と、小鉢に入った「どて」が運ばれる。「どて」は薄く切った大根と一緒に煮られていて、見た目よりはあっさりとした味噌の味付け。外は寒いが好天で、空気が乾燥しているところに朝からずっとウロウロとしていたので冷たいビールが旨い。水のように胃の腑に吸い込まれていく。どてをつまみながらあっという間に1本空になってしまった。隣のおじさんが食べていた串カツとかも旨そうだったので追加も考えたが、1人で4人掛けのテーブルを占拠していたし、後から何組も客が入ってきたので勘定にしてもらった。瓶ビールも安くてびっくり。(勘定は¥880)
↓ 「愛知県立刈谷高等学校正門(旧・愛知県立第八中学校正門)(大正8年・1919・建造)◇。旧制中学の校門がそのまま残っている。
↓ 街中で見つけた漆喰塗りの建物(建築詳細不明)◇。奥にも同様の建物が並ぶ。こちらT字の突き当りにあるのだが、なぜか外壁に時計が。何かの商家だったのかな。
↓ その向かいに建つ建物(建築詳細不明)◇。近づいてみるとかつての商店の看板建築外壁ははモザイクタイルで覆われていた。
↓ 自転車を必死に漕いで、市街地から遠く離れた「依佐美送信所記念館」(平成19年・2007・建造◇)へ。昔の建物は壊され、現在は資料館と公園になっているが、昭和4年(1929)に運用が開始され、戦後は米軍に接収された強力な通信設備があった場所。遠くヨーロッパまで長波短波で通信が出来、つい平成5年まで米軍の所有だったという事実にびっくり。残された通信塔はこれでもかつての10分の1の高さだという。
大衆 さかゑ食堂
愛知県刈谷市富士見町4-310
( 刈谷 かりや さかえ食堂 麺類食堂 大衆食堂 ラーメン 定食 うどん 丼物 洋食 近代建築 産業遺産 近代化遺産 機械遺産 よさみ送信所 )
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