BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

Good and evil can be compromise.

2009年01月16日 | 雑感散文


太平洋を挟んで、
向かい側にある大国の
大統領の「最後の演説」
の中でね。

あ、遠まわしに言っているのは
特にたいした意味は無いんだけれども、
なんとなくこうネット上の
エチケットというか、遠慮というか
そんな空気を感じたんで
そうしているのでございますよ。

でね、その大統領が。

“I have often spoken to you about good and evil.
 This has made some uncomfortable.
 But good and evil are present in this world,
 and between the two there can be no compromise.”

 "The New York Times" January 15, 2009 より


なんてことを仰(おっしゃ)ってね。
世の中には、善と悪しかなくて、
これらが歩み寄ることは
ないんだって。

そんなことは無い、
と中庸文化の日本に育った
我々は思うのではないでしょうか。
私とてその一人。
ですから上の発言、
本当に引っかかるものでありました。


この世の中には、
善、と悪、それだけしか
ないんだろうか。
そして果たして
それら2つに大別することが
出来るものなのだろうか。

「雨」なんてさ、
水田には不可欠だけれども
塩田にとっては厄介じゃない。
「バイオエタノール」だってさ、
持続可能なエネルギーだけれど
穀物高騰と飢餓の問題が
出てきたわけじゃない。
イスラエルとガザ、
どっちが悪いだなんて
言えない訳ですよ。

世界は多様であり、
二分出来るもんじゃない。
だけれども21世紀初頭ってのは、
二択でもって世の中を
選択していたと思うと
怖いですね、杞憂ですか。
杞憂であった方が幸いです。


Good and evil can be compromise.

だけどそもそも
世の中は善と悪の交じり合い。
だからこの文章も、
善と悪をあらかじめ立ててから
融合しうるといっているから、
あまり好い文じゃないけれどもね。


分数カウントダウン方式─

2009年01月15日 | 凡日記


1月もね、
とうとう真ん中まで
きちゃいましたよ。
1年の24分の1を
過ぎてしまったわけ。


でね、
分数はね、
1月がものすごく早く
過ぎていくという実感が
沸くのですよ。

1月1日が過ぎれば、
1年はあと365分の1。

けれども2日が過ぎれば、
一気に188分の1に
なっちゃうのですよ。

1週間が過ぎれば
およそ52分の1、
10日過ぎれば36分の1。

そして半月が過ぎれは
24分の1となり、
一月立てば12分の1よ。


どう?
1月なんてあっという間よ。
それどころか、
2009年という年を
大事に過ごそう、なんて
思わないですか?

名付けて
「分数カウントダウン方式」とでも
しておきましょうかね、
長ったらしくて覚えにくいってか。
じゃぁ提唱者の名前を取って
「ユースイ式」とでも。
ライプニッツ式にユースイ式。
意味が分かりませんね、却下ね。

とにかく、
早く1年が、もしくは
1月が経って欲しいと思うならば
このやり方は有効よ。
ワタクシとてつい最近
早く会社辞めたくて
9月から、90分の1から
カウントしていたもの、
効果絶大。

けれども今現在の心境は、
早く過ぎ去って欲しくない
のですけれどもね。


雑誌コーナーに─

2009年01月14日 | 凡日記


地元の図書館に行きましたら、
雑誌コーナーに異変が。

「○○は休刊しました。」

それだけではなくて、
「最終号」と書かれた
雑誌もありました。
出版不況は、確実に
現れているのでございますね。

そんな中で、
大好きな「バカ旅作家」の
椎名誠編集長 『本の雑誌』
を読んだのですよね。

シーナ氏の「今月のお話」。
思い出話とかが書いてあって
あれどうなすったのかな
なんて思ったらですね、
休刊の危機になるかもしれんと
書いてあったのにびっくりしました、

えー!
本当に驚いた時って、
心のそこでひそかに
えーって言っちゃいますね。

大変だなんて知らなんだわ、
頑張ってほしいです、
と言いつつも、
シーナファンとしては
実質編集に関わってないんじゃ
あんまし意味が無いんですがねぇ。
でも「お話」のとおり、
これから再び積極的に
関わるとなれば話は別ね。


 


平日のお昼です、
図書館は賑わっていました。

休日じゃないのに、と
思いつつも、
しかし地元の文化力は
高いじゃないかええじゃないか
と感心した次第であります。


高校時代の地域貢献

2009年01月13日 | 雑感散文


雪が降っております、
寒いです。
─長崎人としては。


 


今、ある本を読んでいまして、
まぁ後々ブログ1で
紹介することになるのですが、
その中で高校生の
世間の中での閉塞感というか、
社会から隔絶したような感じに
なってしまう云々が
書かれていたのですよね。

翻って自分の場合、
高校時代はどんなだったかなぁと
思い出していたのですよ。

確か日曜日だったか。
クラブ活動か補講だか、
用事は忘れたのですけれども
やや遅い朝に登校して
いたときのお話。

いつもね、ご近所の
特にお年寄りに挨拶を
していたんですよ、
それでいつものように
おはようございますと声を
掛けますれば、
「あんたはいつもよう
 挨拶ばするねぇ
 ありがとう」
と言われたことが会ったのを
思い出したのですよ。

そうですか、はは、
エライでしょうなんて
喜んでいたんですがね。

でもそれって裏を返せば、
他の高校生は挨拶をしない
ということなんでしょう。
いつも挨拶をする自分が
珍しいからそう言われただけ。

そう考えると、うちの高校は
ご近所さんとの付き合いが
なんと希薄なことでしょうか。
ただでさえ、ご近所の神社に
タバコの吸殻が見つかって
イザコザが起きてんのにね。

そんな中で運のいいことに
その頃ボランティア部の立ち上げが
計画されていて、
そこで初代部員となって
地域清掃を通して、
徐々にご近所さんと
付き合いが出来るように
なったんですよね。
しかしその時すでに3年、
受験勉強のために長くは
活動できませんでしたが。

自分の周りの社会が
狭い時期、というのが
高校時代なんだそうです。
幸いにも自分は
そうはならなかったけれども。
(その代わり友人関係は
 狭い方だったか?蛇足。)

まずは挨拶ですよ、
挨拶から地域との
付き合い、つながりが生まれるのです、
そこから自分の世間を、
世界というものを広げていくことが
出来たらなんとも
お手軽ではございませんか。


ましてやね、
今大学や会社なんかは
地域貢献とか言われて
久しいではございませんか。

特にね、地域に根ざすと
公言した鳥大に
在籍する皆様におかれましては、
まずはご近所さんに朝の挨拶を持って
地域交流の第一歩を
踏み出しておかれますことを
お願いするのでございますよ。

鳥大の面目のため、では無くて
自分の世界を広げるためにですよ、
でなきゃいつまでも
高校生の閉塞感を抱くまま。


高校時代を思い出していたら、
大学で活動的に変わりたいと
そういう思いを抱いていたことを
思い出しましてね、
それを何とかいくらかは
達成できましたんで、
その喜びを共有したく
書いてみた次第です。


おらは観たいだ─

2009年01月12日 | 凡日記


住んでいる所がね、
地上デジタルの電波が
さっぱり届かなくてですね。

いつもパソコンのワンセグで
世界遺産の番組を
録画してはもう一回見て、
世界遺産の神秘と貴重さに
うっとりするんですがね。
それが出来なくて。

今日の世界遺産は
スペシャル版だったのに。

ちゃんと観たから良いけれども。
でもやはり録画して、
特に今回は複数の遺産が
出てきた上に、
知らない所が幾つかあったから
覚えなくちゃいけないのに、
それが出来なくて、
うーむ。
まぁそれはそれとして。

「俺、ツヨシ、地デジ、よし」
地上デジタル、
お急ぎください
って言うんだったら、
電波をちゃんと届けてください、
せめてNBCとNHKを
おらは観たいだ
と言いたかった訳ですよ。


ゆずり派と新HP

2009年01月11日 | 【大学時代】環セミ


【追記】

 鳥取大学「環境セミナー」の企画
 「ゆずり派でいこう」を検索して
 このページに迷い込まれた皆様へ。

 「ゆずり派」は以下の公式HPにて
 情報が掲載されております。

 「環境セミナー」(http://kansemihp.web.fc2.com/index.html)


 本家HPよりもこのサイトが
 検索で引っかかりやすくなって
 いるようです。
 ご迷惑をおかけいたします。







【以下、オリジナル文章】


さて、
このブログをお読みの
おそらく3~4割は
鳥取大学在学中の方々と
推測されますんで、
ここにお知らせがあります。

えぇ、
環境セミナー
「ゆずり派」の件です。

今年鳥取を離れる方で、
電化製品や家具、
本や食器などを手放す方は、
「ゆずり派」という
物品のリユース・ごみ減量と
4月の新入生応援のための
物品提供に、
ご協力くださいますよう
よろしくお願いいたします。

詳しくは環境セミナーの
HPをよく読んでくださるよう
お願いいたしますね。



 * * *


「環境セミナー」の旧HPは、
掲示板が大いに荒らされ容量を食われ、
閉鎖に追い込まれてしまいました。

ですんで、
後輩のぷぅさん他
新しい世代の手で、
新しいHPに生まれ変わりました。

新HP
 →http://kansemihp.web.fc2.com/


よって、
当ブログの過去の
「環境セミナー」カテゴリの中の
環セミのリンクは全て
旧HPのURLのため
リンクが無効です。

ご注意くださいませ。


次雪を─

2009年01月11日 | 凡日記


久し振りにブログ1
更新させたんで、
読んでね、というお知らせです。


 


初雪、はたしか元旦に
見たんでしたっけね、
じゃぁ次雪、とでも
いっていいのでしょうか、
今日は次雪をこの目で
観測しました。

長崎ではね、
結構雪を珍しがるから
こういう風にわざわざ
報告する次第なのですよ。

鳥取の皆々様におかれましては
もう雪なんてウンザリで
ございましょうけれども。


かなり遅れを─

2009年01月10日 | 凡日記


「iKnow!」という
無料の英語勉強SNSに
加入して丸1年。

3月に寮の移動でネットを
解約して以来、
ぜんぜん勉強が進んで
おりませんでした。

んで、
久々に英語の勉強を
と思いまして、
今宵より復活いたしました。

いつのまにやら
ユーザー登録数が増え、
かなり遅れをとっております。
これはまずい。

今年こそは!
英語の勉強をしっかり
行う決意であります。


 


今目指していることとは
異なるのですが、
もっと自分の可能性や見識を
広めるために、
また失業保険(雇用保険)の
関連で、地元の
ハローワークに行きました。

ものすごい混んでいました。
社会情勢を肌で感じた時でした。

皆さん大変なのでございます。
お互いに頑張りましょう、と
励まし合いたい心持です。



九州人向けに─

2009年01月08日 | 凡日記


九州朝日の深夜番組で
「ドォーモ」という
人気番組があるんですよね。

東京で言う「タモリ倶楽部」
大阪で言う「探偵!ナイトスクープ」
名古屋で言う「ノブナガ」
北海道で言う「水曜どうでしょう」
に匹敵するものなんですね。

ただ九州ネタばっかりだから
九州外では放送されていないのが
至極残念なのですがね。

とにかく九州では人気番組
なのですよね。


その中で、
『九州男児の解説書』
なるものが紹介されていましてね。

それがなかなか面白かったわけ。

今日は九州人向けに書くのですよ。
関西勢は適当に流してね。



九州人は九州から出たときに
「ブラックモンブラン」や
(特に都会では)「ジョイフル」が
無いという事実を知り、
衝撃を受けるのですよ。
(ちなみにこれらは
 佐賀と大分に本社あり。)

でもワタクシの場合はこの逆に、
「リンガーハット」や「長崎カステラ」が
九州外にびっくりするくらい
氾濫していることに驚きましたね。
リンガーハットは大阪で何件か見ました。
カステラは、文明堂と福砂屋が
本家というか、メジャーどころね。

相当びっくりしたのは、大阪産の
「長崎」カステラが堂々と
売られていたことですね。
大阪の人たちの商魂には
脱帽いたしました。
産地偽装も甚だしい。


なんっかね、
つい最近も書きましたけれども
九州人は九州をかなり
誇りに思っているのですよね。

それをさらに裏付ける
ものでございました。


かなり遅れているようにも─

2009年01月07日 | 凡日記


今色々と勉強を
進めているのですがね。

世界史と日本史に疎かったワタクシ、
大学で世界遺産を調べるうちに
幾許かは習得したとはいえ、
それでもたぶん高校レベル以下でしょうから
弟の教科書をちょいと読んでいたんですよ。

そしたらね。

中国が隋に統一される前の南北時代、
北朝と南朝に分かれていたのね。

日本でも、鎌倉時代と室町時代の間に
京都の光明天皇と
吉野の後醍醐天皇に分かれた
南北朝時代があったわけですよね。

アメリカでも北の共和党と
南の民主党に分かれた
南北戦争時代があった。

ベトナムでは大戦後に
北ベトナムと南ベトナムの
開放民族戦線で悲劇が繰り広げられて
しまったわけでしょう。

以上、列挙した歴史を
紐解いてみますとね、
共通点があるわけですよ。
ねぇ、世界史を選択された
皆々様におかれましては
お分かりでござんしょう。

こういう風にね、
歴史を俯瞰して見られるようになると、
なかなか楽しいものですしね、
なんったって覚えやすい。


 


勉強の方はぼちぼち進んでおります。
けれどもペース配分としては
かなり遅れているようにも思えます。
もう、すでに。

半年は長いようで
短いことは承知してますから、
ちょいとこのままでは
まずいのではないか、
でも頭がついていかないんだから
しょうがないでしょうがと
自分に怒っていたりしています。

不毛だ。


ついでの雑学─

2009年01月07日 | 凡日記


さぁ気がつけば新年も
1週間が経とうとしております。

「光陰矢のごとし」とは
古の人が言ったわけですが、
果て誰が言ったんだっけか。
こういうときにネットって便利ね。
李益(りえき)という
中唐の詩人だそうです。
 →参考「くろご式ことわざ辞典」

まぁ、こういう雑学も、
いいよね。


それよりも、
「光陰矢のごとし」と
検索をかけてみたら、
左側にブログの検索結果も
併記されるんですけれども、
それの多いこと多いこと。

みんな、使うんですね、
みんな、感じていらしゃるのですね。

歳をとると、
時間の流れが速くなると
実感しやすくなるという話を
よく存じておりますゆえ、
いよいよワタクシも、
歳をとってきたんですなぁと
しみじみ思うのですね。

しみじみ…ったって、
未だ20台の半ばだってのに。
でもあれよ、
あとちょっとしたら、
四捨五入で30よ。
…だからなんだ。


 


元日の記事でね、
丑不在の十二支のイラストを
お披露目いたしましたけどね。

巨匠・南方熊楠の著作
「十二支考」では、
寅から子まで記されるも、
如何せん明治の動乱期、
都合、丑が執筆されること無く
相成ったそうでございましてね。
これぞ元祖・丑不在。


あと、Jさま、
熊楠が天皇に奉献したときの
箱はキャラメル箱でした、
健康を願って名前に付けられる漢字は
楠、熊ともうひとつは藤でした。
南方熊楠ついでに記します、
12月の旅行で出た疑問、
調べていましたんで。

ついでの雑学も、いいよね。


 


寒かったり暖かかったりの
繰り返しの日々が続きます。
皆々様もお風邪をひかぬよう
重々ご注意くださいませ。



以上、それぞれが全く
脈絡の無い話でございました。
今年もこんなんばっかよ。


目標が達成できますよう─

2009年01月06日 | 凡日記


今日もまた、
年賀状を頂きました。
会社の方からでした、
有難うございますね。
返事の年賀状を
早速書いて投函しました。
いつ届くんかな、大阪に。
水曜日くらいか、半端な
年頭の挨拶になっちまっただぁ。

さて仕事始めです。
去年の今頃は、
社長の年頭の挨拶があって
そこに列席していたわけで
ございますけれども。
今年のワタクシは、
家で過ごしておりました。


今日いただいた年賀状に、
「勉強は進んでいますか?」
「お互い夢に向かって頑張ろう」
とメッセージが添えられていました。

ありがたいことでございます。
自分のため以外にも、
応援してくださる方のためにも
頑張らなくてはいけない、と
俄然張り切るのでした。


努力というのは
なかなか外に表れないものだから
他の人にこの苦労を
認めてくれる人がいないんじゃないかと
思ったりすることが
しばしばかと思いますが、
そんなことは無いのでございます。

応援してくださる方は
必ずいるわけでして、
やがて努力が結実したとき
その喜びが共有できることを夢見て、
頑張ることが出来るわけです。


そしてね、
ワタクシも皆々様の
今年の目標が達成できますよう
切に願って折るのでございます。
皆々様と来年の暁には
達成時の喜びを共有できることを
期待しているのであります。

未だ今年の目標を
決めていない人は
早く決めんさいよ、
応援の仕様がないじゃないの。


 


本家HPですが、
1年半ほどの沈黙を破り、
今年はいよいよ…と
いえるように少しずつ
動いてまいります。

ネット環境上で
表現したいこと、伝えたいこと
というのはたんまりありますから。
とはいっても今は勉学に励む身、
なかなか更新頻度を
上げることは…いかんいかん、
去年の働いているから、の言い訳と
同じじゃないかっ。

えー、ご意見番のかみきさん、
5周年企画やりますよ、
今年こそは。


書き損ねたこと─

2009年01月05日 | 凡日記


そういえば
初詣に行ったときの記事で
書き損ねたことがありましてね。

おみくじでですね、
大吉を引いたのですよ。
でもこれをどう捉えるか
人によって違うらしいですね。
これで今年は安泰だ、希望がある
と考える人と、
何だ今がピークなのか、
そんなものかと嘆く人
と正反対に分かれるのだ
そうでございますね。
ワタクシは明らかに前者。

拝殿が高い位置にありまして、
そこから子供たちが
叫んでいるわけですね。

「やっほーー」

「スタッフーーー

何が人気出るかなんて
わからないものですね。


別に書きそびれても
差し支えなかったですね。


平常を取り戻すわけで─

2009年01月04日 | 凡日記


正月3が日も終わりまして、
本日の日曜日。
翌日はもう平常を取り戻すわけで
ございますけれども。

なにやらテレビとかを観ておりますと
正月休みの雰囲気が
しないのですけれども。
いや、だらだらとした特番ばかりで
大好きな「THE世界遺産」が
無いということを勘案すると
確かに年始であるなぁと
感じられ…偏屈だなぁ。

お正月といえども、
働いている人が沢山
いらしゃるわけでしょう。
働いている人たちが
沢山テレビに映っていたのですよ。
テレビの情報だけではなくて、
近所でも開いている店の多いこと。
コンビニに、パチンコ屋。
小学校時代までそんなの
近所に無かったのに。田舎なのでね。

一方では公園で
年越しせざるを得なかった人たちが
大勢いらしゃるわけでしょう。
年末年始でそれは異常な光景でしたよ、
大災害のような、大恐慌の果て。
たかが経済がさ、って
農学部出の人間は考えてしまうけど、
それだけ日本はどっぷりと
経済至上主義だったのか。

そして世界では依然として
戦争が続いているわけですよ。
ガザ地区だけではないはず、
中東やアフリカ、中南米でも、
ニュースでは伝わらない所で。

それだけに、
正月ボケをしていられない、
けど正月の実感が無いから
ボケようも無いんですけど。

さぁ、平常な日に戻ろう、
いや今まで以上に活躍できるよう
己を切磋琢磨する、
そういう1年にしたい、
いや始めるのでございます。
まずひたすら勉強、
その一方で出来るだけ外に出て行く。

ぼんやりとした目標ねぇ毎年。


「地元」の話題

2009年01月03日 | 雑感散文


一体どれくらいの人が、
「地元」に残るんでしょうね。
そもそも、せめて帰省くらいは
しているんでしょうかね。

正月は毎年地元に
帰ってくるんですけれども、
この6年間の帰省の中で、
同級生とか知り合いの顔を
見かけたのはとうとう一度も
ありませんでした。

尤も正月は色々と
忙しいでしょうからね、
見かけないのも致し方ありません故
帰省していないのではという疑念は
抱く必要はなさそうです。
しかし、地元に残る人間は
どれくらいやという疑問は残りけり。

かく言う自分だって、
大学も就職も九州を飛び出しておいて、
帰ってきた今更になって
言うんじゃねぇ、と
叱咤されればそれまでなんですがね。



地元諫早でね、
サーベル大佐と6年振りに会いまして、
今晩ちょいと飲みつつ色々と
話し込んでおりました。
都合により、
ザキ氏とぽんが氏と宇治市に
会えなかったのが残念。
というより半数以上と
会えなかったんじゃないの。

その中でね、
上述のことを話題にしていたんですよ。
九州人はなぜ九州の外に
出たがるのか。

いやその前にそれは
諫早人だけの気質ではないか、と。
長崎市だったら、長崎大学がある。
長崎人の比率も割と高い。
翻って諫早市はどうか。
大学が無い(いやあるにはある)。
けれども長崎市内まで
通うくらいだったら、
よそを選んだがまし、という
発想を持つ。
長崎大学くらいのレベルを狙う人は、
どうせなら九州脱出、と
目論見たくなる寸法である。

あまりにもローカルな議論で
申し訳ないんですがね。
でもそのような(感じの)
話をしていたんですよ。


あと、諫早自体に
魅力というか誇るものが
いまいち無い。
九州人は、「九州人」たることを
誇るのだけれども、
「長崎人」を誇る場合は
それよりもトーンダウンするかも。
ましてや、
「諫早人」ってのは
あまり誇れるものではない。

けれども一度県外に出て、
戻ってきてはじめて見えるものが
沢山あったのもまた事実。

長崎街道の要だったし、
隠田集落など昔は誇れないけれども
今となっては素敵な農村風景が
沢山残っていることにも気がついた。

興味が多方面へ
広がったというのもあったし、
他と比較することによって
初めて自我というものを
認識するようになったという
臨床心理学的な境地にまで
達したのでございますね。

地元を思う、故に地元あり。



見識が広くなった(様な気がする)
今こそ、地元への再評価というか
これまでに足りなかったものは
なんだろうかというものを
探るというのが大事になって
くるんだろうなと思うのです。

けれども多くの人が、
東京や大阪などの大都市へ
出て行ってしまう。
それも出て行ったきり。
それでは再評価など出来ない。

出て行った後は、
その土地に残るか
地元に残るかすれば良いのに、
「セカンドライフ」などといって
全然別の農村へ移るのが
流行っているというのがなんだか
理解できないんですけれども。

その点は時代背景とか
価値観が違うのだから仕方が無い
という意見も出たのですがね。
けれどもワタクシはそこんところの感覚が
どうにも解せない。

大都市に人が流れ
地方都市は衰退し、
大都市はさらに広がりを見せ、
一部農村に流れて
そこがまた都市化されたりして
新たな地方都市が現れては廃れ。
一体何なんだこれは。
あちらこちらで
「リアルシムシティ」でも
プレイされているんだろうか、と
思ってしまうのは甚だ愚考なる仕業か。

どうもそれを、変だと
感じてしまうのですよ。
けれども確かに、
かつての自分も大都市への憧れはあった。
しかし大都市に住むのはしんどかった。
しんどいと、多くの人は言う。
でもその多くの人は、
大都市に居残り、
さらにその領域を広げている。
しんどい住みにくい領域を。

もちろん、都会が好きという
人もいますからね。
それはそれでよいのです。
さらに補足しておきますが、
別に前に住んでいた大阪を
ボロクソに扱き下ろすつもりは
ありませんからね。

大阪自体は好い都市なんです。
けれどもその周辺で、
京都や奈良の山が、
どんどん切り崩してまで
都市を拡大させることに
なんだか疑問を持ってしまった。
いや、人が集まる理屈とかは
分かるんですよ、そうではなくて
おかしさというか
そればかりではないだろうという気が
するんですよね。



言っていることは
本人が思う以上に
理解されないことが常々ですから、
あまり伝えたいことが
伝わっていないかと思うのですが。

同じように、大佐にも
今日の話がどれだけ伝わったか
よく分かりませんけれどもね。

まぁ、流す程度で良いから
聞いて下さったら幸せ、と
おもうのであります。