BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【Nスペ】途上国化ニッポン?

2007年12月10日 | テレビ

途中から観ただけだけれども、
「NHKスペシャル」
「ワーキングプア」を
観ていたのですよ。

そういえばちょうど昨年、
「文化の社会学」という
主題科目を受講していて、
この問題にも触れて
いたのですよね。


【1】

働けども、報われない。
かつての高度経済社会の
働くだけ報われるという
常識が通用しなくなった。

報われないのならば、
その先には
労働意欲の喪失がある。
これが、
民主主義社会なのか。
まるで共産主義の崩壊を
観ているかのようではないか。

徹底したコストの削減を
追求するあまりに、
本来の日本の強みであった
技術力ならびに高品質
というものが
疎かになっていやしないか。


【2】

繊維・アパレル業界の厳しさ。
途上国からの安くて
時に不当な労働力
(↑就労者・雇用者各々に
 当てはまるケースがある)
に雇用が奪われている。

繊維自体、
日本の「自給率」は
どれくらいだろうか。
それに加えて、
人材の「自給率」は
如何程だろうか。


【3】

「自分のためだけ考えて
 一人大学に行くわけにはいかない」
そう語る、貧しい家庭の
大学入学が決まった
女性が語っていた。

それに比べて自分は
本当に自分ひとりのことしか
考えていないな、と
反省を促される。

おかげさまで
安定した雇用を
授かった身だ。
それでももっと自分の
やりたいことを探したり、
今の仕事を放棄したがったり
している我儘な奴だ。

それでも自分の夢
とやらを捨てる気は無いが、
少なくとも今の自分の
おかれた環境には、
感謝をせねばならない、
と思わずにはいられなかった。


【4】

しかし本来人間は、
貧しくても豊かな
生活を織り成して
きたのではなかったのか。

ものが無くても、
十分生きていけた
時代があったはずだが。
今なんて、
フリーターでも十分に
生きていくことができる、
なんて言われてはいなかったか。

それがどうした、
今では家庭崩壊だの
虐待だのなんだのって、
この廃れぶりは何なんだ。
経済的な豊かさも失われたら、
次は心の豊かさも
失われてしまったか。
助け合う世間というのも
なくしてしまったか。

その先には日本文化も、と
言えなくも無い、か。


兎に角深刻な問題だ。
そんな中で自分には
一体何ができるのだろうか、と
考え込んでしまう。
まるで途上国の貧しさに
何か手を貸したい、と
思うのと同じように。


余談:
それをどう
解決していくかについては、
ワタクシは個人的に
ケフラー氏の「第3の波」を
ヒントに見出したいと
思っているのですがね。

前に書いた記事はコチラ。
これもまたNHKの番組。


1年振りに鰯を捌く

2007年12月09日 | 食生活

去年の今頃の日記
見ていたらですね、
鰯を捌いて料理した
記事を見つけましてね。

おいしそうだったんで、
鰯を買ってきて
醤油で煮付けてみました。

醤油が薄かったか、
味付けがイマイチ。
それに煮崩れして、
何か見た目がキタナイ。

そして、
お皿があんましないから、
鍋からそのまま
食べるというのも、
なんだか。

今よりも、
去年の方が何だか
豊かだったんだなぁ。


回帰したような気がして─

2007年12月09日 | 凡日記

いやぁ自分でも
驚いてしまったわ。

この3週間、
部屋の掃除が
ままならなかったから。
よくよく見たら
埃とか毛とかが
山積しているじゃないの。
不潔な話でゴメンナサイね。

ようやく、ようやくながら
今日の日曜日になって
いっぺんに掃除したのですよね。

部屋も片付け、
食器も洗ってしまい、
溜め込んだ洗濯物も
洗ってしまった。
そしてなにもかも
綺麗になった。ような気がした。

ヘンな話、
あぁ生きているなぁと
感慨に耽ってしまいます。

掃除と洗濯は
人間らしい営みの
根源に位置する
生業ではないだろうか、と
思ったりするのですよね。
どの地域や国に行っても、
洗濯物が軒に
干されているでしょう。
その基本的な、
人間の営みをなしていると
人間本来の生き方に
回帰したような気がして
歓喜しているのでございますね。

言いたいコトは
伝わっていますかね。

 

今日もまた
昼過ぎまで寝ておりました。
夕方になった今でも
まだ眠いんですけれども。
余程疲れを
溜め込んでいたのですかね。

夢を見ていました。
田舎に移って、
なにやら畑を管理する
仕事をしてるっぽい。

その田舎というのがね、
実にのんびりとしていて、
それでいて人も多くて
賑やかなのですよね。
気の知れた仲間が集まって
楽しく営んでいく村のカタチ。

現実ではそうも
いかんもんなのかねぇ。

眠るときに見る夢ではなくて、
ゆくゆくは是非叶えたい
夢でございますよ。
いや、退職後とかそんな
遠い未来ではなくてさ、
出来れば早いうちに。


節度の無い生活を─

2007年12月09日 | 凡日記

何日か前にですね、
風邪を拗らせたと言って、
「皆さんもノロには気をつけて」
と言ったかと思うのですよね。

すんません、
ライノの間違いです。
ノロは昨年末に罹った
(と疑われる)ビョーキでした。

いずれにしろ、
両方に注意が必要ですがね。

相変わらず風邪が治りません。
治らない中でも、
3時間ばかり会社に行きました。
仕事が色々と残っていたので。
そして今、
また夜更かししちゃってます。

節度の無い生活を
繰り返しております。
そりゃぁ治らんわぁ。

 

今NHKで、
「新人演芸大賞」を
見ておるんですわ。
若手芸人ブームに
蔭りが生じている
昨今ではございますが、
実力のある人は
ちゃんといるわけで。

それにしても、
もっと面白かったのが、
NHKらしからぬ
「笑金」のよーな演出。


【水どう】3度目のフィヨルドの

2007年12月08日 | テレビ

もう、3回も観ちゃった。
どうでしょうさん
「ヨーロッパリベンジ
 美しき国々の人間破壊」。

もうね、3年くらい
前ですかね。
サンテレビで、
リターンズで観たのが。

その時、コレを観て
完全なるどうバカと
なってしまったわけね。

そして同じサンテレビで、
今度はクラシックで、
またまた観て笑っちゃった
わけですよね。


連続テレビ小説



フィヨルドの恋人



もうねぇ、
バカだねぇ。

それを何回も観て
何回も笑うほうも
バカだねぇ。


この回を見て、
大泉さんが
「毎年北極圏に
 来ているけど」と
語っていて、
ん?と思いましたね。
すごい旅番組だ、と。
そして終わりのテロップに、
「北海道テレビ放送」が
表示されるでしょ、
意味不明でしたからね、
当時は。
何でそんなローカルが
世界中を旅しているんだ、と。
そして何で、
近畿で放送されて
いるんだ、と。

後々になって知りましたね、
この番組の事は。

早くDVD化
されんかなぁ、
多分今のペースのままだと
2年後になっちゃうよ。


【ふしぎ】青海(実は湖)

2007年12月08日 | テレビ

 そういえば大学1年だったか、同期でチベットを旅してきた奴がいて、その時の話を聴いてものすごく興味が湧いた。同じく、別の大学の人だけれども旅先(上海)で会った人もまたチベットを旅してきたと言い、その話にやはり興奮した覚えがある。
 そんな中で、前者の同期の奴との話の中で、何年後かにチベットまでの直通鉄道が開通するらしいことを聞いた。その時は是非、それに乗って世界遺産のポタラ宮殿を見に行きたいものだ、と話した覚えもある。

 現在では、すでにその鉄道が開通してしまったのはご存知の通り。
 あの頃は好い話だとは思っていたのだけれども、今となっては色々と問題があって、嘆かわしく思っているのは前の記事にも書いた

 今まさに、ポタラ宮殿前では観光開発が急速に進められているという。地元の人たちは、どう思っているのだろうか。そこが非常に気になるところだ。少なくとも、自分にとっては嘆かわしいところだが。
 それでも、ラサ(拉薩)駅の近代的な建物は、周囲の景観と割合調和して、近代的ながらもシンプルなつくりで、とてもいいなと思った。

 本日の「世界ふしぎ発見!」(TBS)は、青海チベット鉄道の旅。チベットの王妃・文成功主が唐の都(長安)から3年も掛けて旅をした道を、わずか25時間で駆け抜けてしまうという。
 鉄道だけではなくて、従来の道も少しだけ紹介されていた。ラサへ入るには、その荒れた土地を突き抜ける舗装された道を、バスで揺られるしかなかった。巡礼者は勿論、この道を使う。
 鉄道の開通後でも、「過酷な」バスでラサに入るのは無論可能だ。しかしながら、その「秘境」に入ったら、出迎えたのは真新しい立派な駅舎、だったら何だか寂しいではないか。

 それでもやはり、チベットの魅力は枯れることが無い。
 放送時間が今回は異様に短く感じられた。もっと見せて欲しかった、3時間スペシャルでもいいくらいだ。



 ところで、余談なんですけれども。
 クエスチョンの2問目に、アジャ遺跡で発掘された4000年前の中華料理は?という問題は、日本でもニュースで取り上げられていたからすぐに答えが分かったのですよね。
 坂東さんが違う答えを熱弁していたのが、予め正解がわかって観ると何だかおかしかったですね。


【探険ロ】世界遺産の役割

2007年12月08日 | テレビ

 今日の「探険ロマン世界遺産」(NHK)は、ドイツの巨大宗教建築・ケルン大聖堂
 建築にはおよそ300年もの年月が費やされ、さらにその途中300年の間建設工事がストップした。
 建物自体にも勿論価値があるわけだが、それ以上に、建造する中での人々の信仰や歴史的事件などなど、ケルンの町と共に歩んできた役割というところに、価値というものが見出されている遺産なのではないかと思えた。
 それゆえに、文化的景観が損いかねないケルン歴史や町並みを無視した「現代」の開発に対する警告として、一時「危機遺産リスト」に登録されたのも頷ける。

 しかし。
 この大聖堂の建築は、当時(14世紀)としてはまさに最先端の技術を駆使されたものであったろうし、それまでに無い景観を作り出そうとするのだから、違和感を抱く人もいたに違いない。
 下手したら、宗教界の権力増大の象徴にも見えるし、俗に言う「ハコモノ建築」ともとれる。
 そして案の定、宗教改革を提唱するルターの考えが広まった頃から、建設は休止に追い込まれることとなった。莫大な寄付が、熱心な信者からもたらされた時代から一転して。

 けれども街の景観を一変させるような、巨大建築というものは、町のシンボルとなり、住む人々の心にも影響をもたらせる。
 第二次世界大戦で、大聖堂の倒壊はまぬかれたものの、町全体が焼け野原となってしまった写真が紹介された。
 唯一焼け残った巨大建築は、町のシンボルをこえ、町のアイデンティティーならびに希望として、人々を元気付けた。この例は日本にもある。姫路城だ。城としての役割を終えた後でも、脈々と続くその地域の歴史や文化に影響を及ぼしているというのが、非常に興味深いところである。

 世界遺産そのものに価値を見出すのではなくて、それを取り巻く景観及び環境、そしてそこで営む人々の暮らしにこそ、大きな意味があるのではないかと思うのです。世界遺産に対しする、評価というものは。



 追記。
 ルターさんの趣味は、
ボーリング。
 コレ、マジですから。
 番組内容とは全く
関係ないですけれども、
ふと言いたくなったので。


休みの日の楽しみの一つ─

2007年12月08日 | 凡日記

遅く起きた土曜日の
昼下がりを満喫中です。

この2週間、
あまりにも忙しすぎて
十分な睡眠をとる余裕が
なかったのですよね。
それをいっぺんに
取り戻さんとする勢いで
たっぷり眠りこけておりました。

11時間。
そんで起きたのが
昼2時。
何時に寝たんだよ。

どろどろに汚れた
作業服を洗って、
目玉焼きを昼飯に
平らげ終わったら
もう午後の3時半。

外は晴れているというのに、
何だか少々薄暗い。
そういえば
冬至も近いんだった。

日が短い一日というのは、
何故か損した気分になるのは
ワタクシだけでしょうか。

 

そうそう、
図書館に行こうと
思っていたのだけれども、
最寄の図書館は、
移転のため
今月からお休みなのよ。

1ヶ月間、
本を借りられないという
この辛さ。

ガッツリと新書を
読みふけるのが
休みの日の楽しみの
一つだったのにさ。

そもそもねぇ、
大阪市という大都会はね、
人口と図書館の比率が
合ってないんじゃないのと
思うわけですよ。
そのかわり本屋が
充実しているのが
救いではありますがね。

もっとね、
「文化力」を向上させたいと
願うのならば、
行政なら図書館を、
民間なら本屋を
ガンガン増やす(誘致する)
という対策を
取っていただきたい、
というのが
個人的な願いでございますよ。

さて、
来年1月から
新図書館が開館。
本の数も充実するらしいから、
そいつに期待。

問題は、
駅から遠くなる、
ということなんだよなぁ。


明日に回すな─

2007年12月07日 | 凡日記

今日は早く帰れたっ!

疲れたのと
面倒くさかったから、
仕事を全部
明日の自分に丸投げして
早く切り上げただけ。

「今日出来る仕事は
 明日に回すな」

とは、
外国の諺でございますが、
その忠告を無視した
形を取ったわけです。

宜しくない。
分かってはいるのだけれども。
駄目だ自分。
うーむ。
もっと自分磨きを
果たしていかねば、
と自らを叱咤しては
いるのだけれども。

頑張らなくちゃ。
ね。
金曜の夜は
仕事の負担からいくらか
開放されるから、
少しは冷静な頭で
今の自分の状況を
見ることが出来るわ。


仏像と、地域

2007年12月07日 | テレビ

 早く寝たいのに、寝せてくれない番組が、4夜連続で放送された。
 「にっぽん心の仏像100選」というNHKの番組で、元々6時間の番組を4分割して再放送されていた。だから前にも見たことはあるのだが、ちゃんと見たのは初めて。

 なんとも年寄り趣味な…などと思わないで頂きたい。映像で映し出されたのは、単に仏像、では無いのだ。その仏像を取り巻く人々の信仰、そして普段の生業。もっと拡げれば、その地域の風土や景観。それらがなんとも美しく、心を和ませてくれる。
 仏像は、ホトケの姿を彫ったものなのだと安易に考えてはいけない。唐伝来の仏教と大和古来の神道の折衷に留まらない。その地域(クニ)、その集落(ムラ)毎の伝統や風習などが複雑に絡み合って、その体(てい)を形作っているのだ。または、信仰されているのだ。

 森の中にひっそりと佇む、地方の小さな寺院やお堂。実に良い。心癒される番組だった。


山を越えたら─

2007年12月06日 | 凡日記

とりあえずほっとした。
仕事はまだまだ残っては
いるのだけれども、
確実に山を越えた。

山を越えたら、
少し落ち着いた。
そして周りが
見えるようになった。
皆頑張っているんだ、
自分ばかりしんどいのでは
ないのだ、と。

家に帰り着いたのは
夜中の11時。
けれども、帰路の途中
まだまだ働いている
人たちがいるわけで。
電車は動き、
スーパーも開いている。

自分よりも
もっと頑張っていて
もっと苦しんでいる
人たちはごまんといるのだ。

でも俺も
頑張ってるし苦しいぞ!

明日が過ぎれば
2連休だ。
うち1日は
残業を片付ける予定。
仕事尽くめの師走だ。


無理なんですって─

2007年12月05日 | 凡日記

だからさぁ、
もう無理なんですってば。
無茶振りだよー。

自分に与えられている仕事が
完全に自分のキャパを
越えているように
思われるのですが。

しかも風邪ひいているから
かんなりしんどいんだっての。

さぁどうする明日。
ここを乗り切れたら
デキる男だ(仮説)。



追記。

今日のきつねうどん650円
美味かった。
社会人の束の間の
楽しみというところか。


ゴホゴホ→ゲホゲホ─

2007年12月05日 | 凡日記

風邪はまだ治りません。
月末処理もまだ終わりません。

うーむ。

色々と投げ出したくもなります。
腹を立てることもあります。

うーmゲホゲホ。


咳が

ゴホゴホ→ゲホゲホ

に格上げされました。
いや、マジで。


頑張れ、俺。
風雪に耐えて
強くなっていかなくては
いけないんだ。

そう、今は
鍛錬のためにあるのだ。
そうでも思っていないと
いま自分が生きているのに
無目的化されて
まずいんですって。


【爆問】束縛された世界より解き放たん

2007年12月04日 | テレビ

 今目の前に広がる世界を、
果たして「何」で
認識しているのだろうか。

 視覚か、聴覚か。
はたまた「概念」というものか。

 全てのものには
「コトバ」が供され、
それによってそのものを
 認識しているという。
言葉ありきの概念だと、
偉い学者は言ったらしい。

 さすればこの世界は
「コトバ」で埋め尽くされて
いるということか。
 見ているものは全て
「コトバ」なのか。


 「コトバ」って一体何なんですか。段々分からなくなってきたけれども、その一方で、幾分か納得できるところがありました。


 今日の「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)は、言語学。まさにコトバとは何かを、問う学問。

 認識も、思想も、欲望も、全ては言語によって支配されているのが人間だといいます。言語があるから、眼前の事物を把握でき、情報や感情を伝達することが出来るからだそうだ。
 でも、言語を獲得する前の人類は、どうだったのか。言語を持たない他の動物はどうか。
 そこはうまく出来たもので、例えば目とか尾など体を使って感情を伝え合ったり、フェロモンや超音波を使って欲望(食や性など)にそぐおうとしている。
 そしてかつての人類は、岸壁や洞窟壁に多彩な芸術を残した。言葉以外のあらゆるツールを使って、持ちうる言語以上の表現を可能とした。

 翻って現代人は、言語以外のもので表現をすることは可能だろうか。
 本に始まり、インターネットにいたる情報社会は、完全に言葉によって包囲されている。言語という「檻の中」に、現代人は閉じ込められているのだという。
 そのようななかでこそ、現代美術が今盛んになっているのを見受けられるように、言語の「支配」に抗おうとしているのだろうか。「檻の中」という意識が明瞭になってきた今だからこそ。


 ところで、普段使っている日本語であるが、わが言語でありながら、どうもしっくり来ない表現も多々ある。
 特に長年納得行かなかったのは、「目がしょぼしょぼする」という表現だった。
 いかなる状況を指すのかは把握しているものの、その時の表現として「しょぼしょぼ」はどうもしっくり来ないのだ。けれども、それ以外の表現方法を知らないので、仕方なく「目がしょぼしょぼする」といって症状を訴えるしかない。

 小学校の頃、英語で犬は「バウワウ」、鶏は「クックドゥードゥー」と鳴いているように聞こえることを知った。そこでまた考え込んだ。確かに、犬は「ワンワン」とは鳴いていない。鶏も然り。
 (信じなくて結構だが)自分がネコと会話するとき、「ニャー」などとは言わない。喉の奥を甲高く震わせて、「あー」に近い声で喋っている。「ニャー」という「コトバ」から早いうちに解き放たれたからこそ、なせる業かな、と思っている。

 さてこれら昔抱いた違和感が、己の言語に対する懐疑の始まりでもあった。
 どうもしっくりこない。でもしょうがない。ここで諦めることが無かったら、自分も言語学の道に進んでいたのかもしれないが、
 まぁよい。今日まさに、出会うことが出来たのだから。実に興味深い学問だ。また一つ、世界の見方を変えてくれそうだ。「コトバ」というフィルターを取り払って、明瞭な世界を目にすることを。


 といいつつ、この記事もふんだんに言語というものを活用しているのですがね。世界を束縛すると同時に、利便性がある。全てはトレードオフの関係なのか。


コンコン→ゴホゴホ─

2007年12月04日 | 凡日記

咳が、

コンコン→ゴホゴホ

に格上げされました。


風邪を拗らせて
早1週間。
悪化の一途を
辿るばかりです。

日曜も会社だったし、
今週の土曜は
会議の予定と相成りました。
今日決まりました。

ゆっくりと休む
暇がありません。

社会人というのは、
とかくエネルギーが
必要なものなのですね。

今は鍛錬のとき、
と開き直って、
残すところあと
1ヶ月となった2007年、
やり過ごして参りましょう。



それにしても
2007年は問題がありすぎた。

猛暑日だけでなく
食品偽造や年金問題続きで
どんだけぇ~
ハニカミ世代に増える
ネカフェ難民やら
健康に鈍感力な大食いブームは
どげんかせんといかん
でも
そんなの関係ねぇ

個人的な今年の
流行語大賞は、
「しょうがない」だ!
この元大臣の
出身地では、
「しょうがない」は
一種の方言なのだそうだ。

おい(俺)と
出身地が一緒やけんw
えらいウケたけんね、
こいは
方言やったとばいね。

でも辞めて欲しくは
無かったなぁ、
まぁしょうがない。