BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【爆問】束縛された世界より解き放たん

2007年12月04日 | テレビ

 今目の前に広がる世界を、
果たして「何」で
認識しているのだろうか。

 視覚か、聴覚か。
はたまた「概念」というものか。

 全てのものには
「コトバ」が供され、
それによってそのものを
 認識しているという。
言葉ありきの概念だと、
偉い学者は言ったらしい。

 さすればこの世界は
「コトバ」で埋め尽くされて
いるということか。
 見ているものは全て
「コトバ」なのか。


 「コトバ」って一体何なんですか。段々分からなくなってきたけれども、その一方で、幾分か納得できるところがありました。


 今日の「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)は、言語学。まさにコトバとは何かを、問う学問。

 認識も、思想も、欲望も、全ては言語によって支配されているのが人間だといいます。言語があるから、眼前の事物を把握でき、情報や感情を伝達することが出来るからだそうだ。
 でも、言語を獲得する前の人類は、どうだったのか。言語を持たない他の動物はどうか。
 そこはうまく出来たもので、例えば目とか尾など体を使って感情を伝え合ったり、フェロモンや超音波を使って欲望(食や性など)にそぐおうとしている。
 そしてかつての人類は、岸壁や洞窟壁に多彩な芸術を残した。言葉以外のあらゆるツールを使って、持ちうる言語以上の表現を可能とした。

 翻って現代人は、言語以外のもので表現をすることは可能だろうか。
 本に始まり、インターネットにいたる情報社会は、完全に言葉によって包囲されている。言語という「檻の中」に、現代人は閉じ込められているのだという。
 そのようななかでこそ、現代美術が今盛んになっているのを見受けられるように、言語の「支配」に抗おうとしているのだろうか。「檻の中」という意識が明瞭になってきた今だからこそ。


 ところで、普段使っている日本語であるが、わが言語でありながら、どうもしっくり来ない表現も多々ある。
 特に長年納得行かなかったのは、「目がしょぼしょぼする」という表現だった。
 いかなる状況を指すのかは把握しているものの、その時の表現として「しょぼしょぼ」はどうもしっくり来ないのだ。けれども、それ以外の表現方法を知らないので、仕方なく「目がしょぼしょぼする」といって症状を訴えるしかない。

 小学校の頃、英語で犬は「バウワウ」、鶏は「クックドゥードゥー」と鳴いているように聞こえることを知った。そこでまた考え込んだ。確かに、犬は「ワンワン」とは鳴いていない。鶏も然り。
 (信じなくて結構だが)自分がネコと会話するとき、「ニャー」などとは言わない。喉の奥を甲高く震わせて、「あー」に近い声で喋っている。「ニャー」という「コトバ」から早いうちに解き放たれたからこそ、なせる業かな、と思っている。

 さてこれら昔抱いた違和感が、己の言語に対する懐疑の始まりでもあった。
 どうもしっくりこない。でもしょうがない。ここで諦めることが無かったら、自分も言語学の道に進んでいたのかもしれないが、
 まぁよい。今日まさに、出会うことが出来たのだから。実に興味深い学問だ。また一つ、世界の見方を変えてくれそうだ。「コトバ」というフィルターを取り払って、明瞭な世界を目にすることを。


 といいつつ、この記事もふんだんに言語というものを活用しているのですがね。世界を束縛すると同時に、利便性がある。全てはトレードオフの関係なのか。


コンコン→ゴホゴホ─

2007年12月04日 | 凡日記

咳が、

コンコン→ゴホゴホ

に格上げされました。


風邪を拗らせて
早1週間。
悪化の一途を
辿るばかりです。

日曜も会社だったし、
今週の土曜は
会議の予定と相成りました。
今日決まりました。

ゆっくりと休む
暇がありません。

社会人というのは、
とかくエネルギーが
必要なものなのですね。

今は鍛錬のとき、
と開き直って、
残すところあと
1ヶ月となった2007年、
やり過ごして参りましょう。



それにしても
2007年は問題がありすぎた。

猛暑日だけでなく
食品偽造や年金問題続きで
どんだけぇ~
ハニカミ世代に増える
ネカフェ難民やら
健康に鈍感力な大食いブームは
どげんかせんといかん
でも
そんなの関係ねぇ

個人的な今年の
流行語大賞は、
「しょうがない」だ!
この元大臣の
出身地では、
「しょうがない」は
一種の方言なのだそうだ。

おい(俺)と
出身地が一緒やけんw
えらいウケたけんね、
こいは
方言やったとばいね。

でも辞めて欲しくは
無かったなぁ、
まぁしょうがない。