マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

神社の系譜

2006-06-14 19:57:38 | 読書
光文社 (2006/4/14) 新書 宮元 健次 著

伊勢、出雲、鹿島、靖国…そこには壮大な「意図」と「仕掛け」が表されていた「八百万(やおよろず)の神」と言い表されるように、日本には多様な神が祀られている。元来、神社には神の家である本殿はなく、神奈備(かむなび)あるいは三諸(みもろ)と呼ばれる山や、神籬(ひもろぎ)と呼ばれる木、磐座(いわくら)と呼ばれる石などで祭祀を行い、そこに神が宿ると信じられてきた。いいかえれば、自然そのものに神が融合していた。
このような自然=神といった概念は、どこからきたのだろうか。
本書は、神社の系譜を考える上で従来はあまり用いられなかった「自然暦」という視点を取り入れ、新たな切り口から神々の系譜について考える。

なぜこの本を読もうと思ったかと言うと、「ダヴィンチコード」はキリスト教のタブーに挑戦して、西洋の人たちは自分たちの思想のルーツにとても熱心なのに、日本人である私はあまりにそういう精神的なものに希薄ではないかな、と常々思っているからです。
この本は、そういう私のほのかな疑問に、かなりの部分で答えてくれる本でした。
将門の首塚の謎などは、ダヴィンチコードも真っ青なくらいの面白さでした。
古代神社から靖国まで、その位置によって存在の謎を解き明かそうと挑戦している本です。

日本人は仏教徒と言われていますが、私は神道の精神が生活習慣に生きていると思っています。
昔、お寺の仕事をしていて、お正月もお盆も先祖をお祭りする、神道の行事から来ていることを教えてもらいました。
お彼岸もそうです。
日本人は、仏もキリストも八百万の神の一つに加えてしまうし、将門や菅原道真という中央に逆らった人もたたりを畏れて神様にしてしまう。
秀吉や家康のような権力者も神様になれる、特異な思想哲学を持った民族と言えるのではないでしょうか。
七福神も、元は外国の荒ぶる神だと聞きました。
その精神がしたたかで、強いと思うのです。

でも、今の人たちは、私も含めてそういう自分たちの精神的な背景に、とっても無関心です。
それでも、強く正しく生きて行けたら問題はないのですが、迷子になっている人も多そうなので、ちょっと自分の足下を見るつもりで、この本が神道の精神や成り立ちを考える一端となれば、と思います。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
宗教 (ひろぴん)
2006-06-15 06:22:41
私も日本人の宗教感覚に疑問を持っていました。

神道、仏教を上手く取り入れ、クリスマスを楽しみ、教会で結婚式をあげる私たち、こだわりがないと言ってしまえばそれまでですが・・・。

ブログに書きこみありがとう。

嫌われ松子、見にいきたいです。

下妻の土屋アンナよかったですものね!
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ひろぴんさんへ (よう)
2006-06-15 09:36:21
キリスト教に関する映画を見るたび、違和感を感じるのよね。

日本人から見ると、小さいことにこだわって争っているように見えます。

日本人は、怖いものはなんでも神にして祭り上げたらしまい、しかも、都合のいいときに呼んで、丁重にもてなして帰っていただく。

でも、これからの世の中、こういう柔軟性も必要じゃないかなあと思っています。



「嫌われ松子」にも土屋アンナがちらっと出てきます。

いろんな人がちらっと出てきて面白いよ。
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