思うことを書いておきます。集団の在り方についてです。一つの集団に明らかに「考え方」「方向性」が異なる者がどれだけ混在できるかという部分です。かなり真面目な話なので読み飛ばしてもらって構いません。
よく肩の力を抜いて少しずつチームを作っていけば良いからと言われます。確かにそうだと思います。でも、「ダメなものはダメ」だと伝えないといけないのではないかという部分はあります。先送りして見過ごすことも出来ると思います。しかし、やはり教えないといけないことはあると思います。これまで当たり前だと思っていた事が当たり前ではないのです。本当は早い段階で指導をしておかないといけないのだと思います。ここは感覚的なものです。将来的に困る部分は誰かがきちんと教えないといけないんじゃないかと。
私のスタンスは標準的ではないのかもしれません。生徒や選手と関わればそれだけエネルギーを要します。一番楽なのは一定の距離を置いて様子を見ておくこと。でもそれではなにも変わらない。その場はやり過ごせるかもしれませんが、次につながりません。誰かのためにならない時間の使い方って本当に意味があるのか?受け入れがたい話ですかね。
「相手は子供なんだから」と言われる人もいるでしょう。子供だったらその辺りのことは許されるのでしょうか?クラブチームだったら技術的な事だけを教えればいいと言われるのかもしれません。部活はどうなのか?ここも差をつけるには難しい部分があります。「競技スポーツ」としてやっていくのか「趣味」としてやっていくのか。中学生であればこの2つは混在します。それゆえ難しい事がたくさん出てくると思います。高校での部活動も今は同じなのかもしれません。
かなり前に「陸上競技は個人種目なんだからもっと入りやすい雰囲気にしてもらいたい。軽く身体を動かしたい子もいるんだから。」と言われた事があります。その時はそれを受け入れる事はできませんでした。もちろん今も難しいですが、同じものを見ても感じる事が大きく異なる人はいるのです。「強くなりたい」と思う選手は一生懸命やればいい。「楽しく身体を動かしたい」と思う者はそれなりにやればいい。そういう見方も実はありなのかもしれません。それを受け入れれば「別にやれば良いね」という判断で終わるのかもしれません。実際にそういう考え方の方が主流なのかもしれません。私のような考え方が「変わっている」のだという気がします。
私の視点から見れば「強くなりたい」と思う者に力を貸していくことが必要だと考えています。しかし、そうではなくて「楽しくやりたい」という視点から見る人であれば「なんでそんなにまでして練習しなければいけないのか」と思うでしょう。犬を見て「かわいい」と感じる人と「怖い」と感じる人の違いだと思ってもらえれば言いたい事の意味は分かってもらえるかもしれません。同じモノをみても「捉え方」によって全く異なるものとして見えるのです。
なんでそんなに部活に一生懸命になるの?別に楽しければ良いじゃないか。そう思う考え方を排除することは難しい。そして排除するべきではないのかもしれません。でも、部活の中で「方向性」が明らかに異なればチーム作りという部分ではできません。そこをどう受け入れていくのか?「キツいことはしたくない」「時間は守れない」「自分のペースでやりたい」という者と「0.01秒でも速く走れるようになりたい」「強くなるためならキツい練習でもやる」「基本的生活習慣は最低条件」と思う者が混在できるのか。私は無理だと思っています。
ここに関して批判も受けるでしょう。しかし、「どのレベルに合わせるのか」という部分は出てくると思います。集団スポーツであるバスケで全国優勝を狙うチームがいるとする。そのチームに「自分はバスケが好きです。楽しくやりたいので入ります。時々遊びに行きたいので練習毎日は参加できません。バスケ好きだから良いですよね?」という生徒が所属することが可能か。結局はこの手の話は「どこにラインを置くか」なんだと思います。どの視点から見ていってどこにラインを引くのか。これにより集団は大きく変わっていくと思います。
何が正しいか。正解はないのかもしれません。しかし、私は「強くなりたい」と思う者に手を差し伸べたい。微々たる力ではありますがその力を必要としてくれる人達のために何ができるかを考えたい。そう思っています。このような考え方では「応援されるチーム」にはなれないのかもしれません。考え方が異なる人からすれば「なんなんだあれは」と批判されるかもしれない。集団について考えていきたい。
真面目過ぎですかね。そのうえ長すぎる。申し訳ありません。
よく肩の力を抜いて少しずつチームを作っていけば良いからと言われます。確かにそうだと思います。でも、「ダメなものはダメ」だと伝えないといけないのではないかという部分はあります。先送りして見過ごすことも出来ると思います。しかし、やはり教えないといけないことはあると思います。これまで当たり前だと思っていた事が当たり前ではないのです。本当は早い段階で指導をしておかないといけないのだと思います。ここは感覚的なものです。将来的に困る部分は誰かがきちんと教えないといけないんじゃないかと。
私のスタンスは標準的ではないのかもしれません。生徒や選手と関わればそれだけエネルギーを要します。一番楽なのは一定の距離を置いて様子を見ておくこと。でもそれではなにも変わらない。その場はやり過ごせるかもしれませんが、次につながりません。誰かのためにならない時間の使い方って本当に意味があるのか?受け入れがたい話ですかね。
「相手は子供なんだから」と言われる人もいるでしょう。子供だったらその辺りのことは許されるのでしょうか?クラブチームだったら技術的な事だけを教えればいいと言われるのかもしれません。部活はどうなのか?ここも差をつけるには難しい部分があります。「競技スポーツ」としてやっていくのか「趣味」としてやっていくのか。中学生であればこの2つは混在します。それゆえ難しい事がたくさん出てくると思います。高校での部活動も今は同じなのかもしれません。
かなり前に「陸上競技は個人種目なんだからもっと入りやすい雰囲気にしてもらいたい。軽く身体を動かしたい子もいるんだから。」と言われた事があります。その時はそれを受け入れる事はできませんでした。もちろん今も難しいですが、同じものを見ても感じる事が大きく異なる人はいるのです。「強くなりたい」と思う選手は一生懸命やればいい。「楽しく身体を動かしたい」と思う者はそれなりにやればいい。そういう見方も実はありなのかもしれません。それを受け入れれば「別にやれば良いね」という判断で終わるのかもしれません。実際にそういう考え方の方が主流なのかもしれません。私のような考え方が「変わっている」のだという気がします。
私の視点から見れば「強くなりたい」と思う者に力を貸していくことが必要だと考えています。しかし、そうではなくて「楽しくやりたい」という視点から見る人であれば「なんでそんなにまでして練習しなければいけないのか」と思うでしょう。犬を見て「かわいい」と感じる人と「怖い」と感じる人の違いだと思ってもらえれば言いたい事の意味は分かってもらえるかもしれません。同じモノをみても「捉え方」によって全く異なるものとして見えるのです。
なんでそんなに部活に一生懸命になるの?別に楽しければ良いじゃないか。そう思う考え方を排除することは難しい。そして排除するべきではないのかもしれません。でも、部活の中で「方向性」が明らかに異なればチーム作りという部分ではできません。そこをどう受け入れていくのか?「キツいことはしたくない」「時間は守れない」「自分のペースでやりたい」という者と「0.01秒でも速く走れるようになりたい」「強くなるためならキツい練習でもやる」「基本的生活習慣は最低条件」と思う者が混在できるのか。私は無理だと思っています。
ここに関して批判も受けるでしょう。しかし、「どのレベルに合わせるのか」という部分は出てくると思います。集団スポーツであるバスケで全国優勝を狙うチームがいるとする。そのチームに「自分はバスケが好きです。楽しくやりたいので入ります。時々遊びに行きたいので練習毎日は参加できません。バスケ好きだから良いですよね?」という生徒が所属することが可能か。結局はこの手の話は「どこにラインを置くか」なんだと思います。どの視点から見ていってどこにラインを引くのか。これにより集団は大きく変わっていくと思います。
何が正しいか。正解はないのかもしれません。しかし、私は「強くなりたい」と思う者に手を差し伸べたい。微々たる力ではありますがその力を必要としてくれる人達のために何ができるかを考えたい。そう思っています。このような考え方では「応援されるチーム」にはなれないのかもしれません。考え方が異なる人からすれば「なんなんだあれは」と批判されるかもしれない。集団について考えていきたい。
真面目過ぎですかね。そのうえ長すぎる。申し訳ありません。