kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ただただ思う

2023-07-31 | 陸上競技
思うことを。

別に私は思うことをひたすら書いているだけで。それはこれまでもこれからもずっと変わらないと思います。その考え方がおかしいという人もいるでしょう。それならそれでいいと思います。わざわざ私が嫌いならアクセスする必要はない。多くの人に共感してもらうつもりもない。しかし、現実は目の前にあってそれがどうなのか。そこに実際に立っている中で感じることはどうなのか。私の人生の中で陸上競技は多くの人との出会いも含めて非常に意味のあることだったと思います。しかし、それが全てではない。

これだけ過酷な状況の中で県内ではグランプリが開催されました。世界選手権前の最後のチャンスという感じだと思います。ここで得点を取って少しでも上の順位になる。標準記録を突破して代表になる。シビアな大会だと思います。しかし、実際運営するのは大変だと思います。県内の状況を考えると高齢化は進んでいて「これまでやっていた」というプライドが大きくなる。そうなると本当に効率的になるのか。

私はいつからか出発係という仕事をしています。拘束時間は長い。普段はそこまでではないのかもしれません。しかし、炎天下だろうがずっと働き続けないといけない。今回の大会、高体連の指導者はほとんど参加していませんでした。グランプリなので高校の大会ではない。別に強制されるものではないので手伝う手伝わないは任意です。私的には高体連の試合を手伝ってもらっているのでまた陸協の方々が困っているならやらないといけないと思っています。

最初は24人くらい審判がいると書いてあったのでそれなら手伝わなくても良いかなと思っていました。しかし、実際は8人です。この状態で「やらない」とは言えませんでした。私が休めば7人です。種目はずっと続くので他の人の負担が過剰になります。2グループしか作れない。そうなるとどちらかが仕事をしている間に他のグループは次の種目のスタート地点に行って対応しないといけない。実際のところ本当に休めないのです。こうなると悪循環。こんな過酷な審判をさせられるなら次は行かないと思う人が出てきます。本当にずっとやっておかないといけないので。他の部署が終わってもずっとやっています。高体連の試合の時もずっと最後までやっている。他の先生方には申し訳ないなといつも思っています。それでも「やらないと回らない」からやっている。

負担は大きい。笑い話でない。それでも「好きでやっているんだから」みたいな話ななっていつも先に進まない。どこの部署も大変だと思います。とはいえ、人数は増えない。これから先もっと人が減る可能性が出てくる。「陸上競技が好きだから仕方ないよね」っえいう話なのか。憤りを感じている部分が強くあります。

今回、バックストレートがスタートになる種目が幾つもありました。スタートの時に「スタート時は静かにしてください」という札を持っている補助員がいる。人が一人もいないのにその札を持って観客席に示している。審判に言われて。いや、なんでそんな行為をするのか。誰もいないのに。かなり憤りを感じていました。他の審判が「誰もいないからやる必要ないのでは?」と話すと「出さなくていいと言われていないから出さないといけない」という返答。あーきっと日本ってこういう国なんだろうなと心底嫌になりました。「意味があるかどうか」で議論するのではない。形式的な話が最優先になる。それならもうどうでも良いなっていう気持ちになりました。

今回は室内練習常で「道具を使って良い」となったようです。室内で練習をしていたらわざわざ私のところに「この大会は道具を使って良い」と言いに来られました。いや、それって私に対する当て付けですか?という話。まー何も言わなければよかったのかもしれません。間違っていることを対して指摘したら「嫌味」のように言われる。残念ながら今回は室内練習場のレーンの上にディスク型のマークを置いて練習している選手がいました。ここに関しては「占有」の形になるので「置いたらダメだ」と指摘する必要があると思います。他の人がそのレーンを全く使えなくなるのですから。

もっといえば、動き作りのような動きはどこのレーンでやるか。走るのはどこのレーンでやるか。ここは指定してやらないと危ない。そこに対してはまったく関係ない。これって私の感覚がおかしいんですかね?常識的に考えて何か発言すると「おかしい」と言われる。何が大切なのかという話だと思っています。

なんかそういう意味で誰かに協力するというのが嫌になってきている自分がいます。「高校生のために」「中学生のために」という「やりがい搾取」はどこに行っても変わらない。本当に私がやる必要がありますか?選手達が被害を被るのは違うとは思っています。様々な場面で。それでも本当にやるのは私ですか??という気持ちが強くあります。

この辺りに賛同してくれる若い人たちはいます。だからといって私が何かをするというほど余力がありませんし、声を発したところでどうにもならない感じがあります。無駄を省いて誰もがやりやすくする必要がある。そこってすごく大切なことではないか。そう思うこと自体が間違っているのかもしれないですが。

なんか本当に疲れました。炎天下で休む時間もなくずっと働き続けることの意味。そこまでしてやらないといけないことなのか憤りを感じます。

かなりオブラートに包みながら感情を押し殺しながら書いています。色々と思うことはあります。それでもストレートに書くのは避けています。なんか本当にしんどいなって思います。

何を感じるか。感じない人もいるでしょうし。まーもう良いんです。本当に。
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個人的に

2023-07-28 | 陸上競技

思うことを。

 

なかなかのバタバタ度のためできないことが増えています。それはどうなのかという話ですが。他の地区で「練習会」を実施されています。山防地区も実施しないといけないのかなと思いながら。しかし、どう考えてもできない。地区委員長と相談させてもらいました。冬にできたら・・・という感じでしょうか。申し訳ないなという感じですが。

 

ずっと「ハードル練習会はやらないのか」という問い合わせが何度かありました。本来であればシーズン中もやりたいのですが。県総体、中国大会、国体選考会、高体連記録会と続く中で時間を取って練習会を実施するというのは難しい。夏休みに入って三者面談、田島記念、インターハイ、合宿×2、中国選手権、支部新人、学校が始まる。この日程の中でやれるのか。試合があれば参加する生徒も少なくなります。無視して実施してもよかったのかもしれませんが。効果はあると思っています。ずっと高校生に特化して指導してきました。中学生も対応できます。しかし、「時間」という大きな壁があります。ひと段落着いたら。中学3年生が高校でも競技が続けていけるようにやりたいなと。

 

木曜、午後から本当に久しぶりに時間が作れることが判明。以前から何度も「練習を見てもらえないか」と言われているtnk先生のところの練習を見ることに。ハードル練習がメインですが短距離系も一s緒に。skyの1年生男子2名とhoshoの1年生2人。10人強くらいでしょうか。ハードルを使った基礎的な練習をやりながら。本当に「基礎」です。飽きずにできるように少し工夫をして。

 

2時間程度。ストレッチなども含めて。やはりハードル練習は効果は高い。そしてスプリント技術のことも少し。接地のこと、タイミングのこと、フォロースイングのこと。難しく説明せずにシンプル化して。走るということは誰でもできます。その中で「速い」と「遅い」を決めるのは何か。「数センチ」の部分。接地が前側に「数センチ」ずれるとブレーキがかかる。接地した時のフォローレッグが「数センチ」遅れると重心が後ろになるので遅くなる。結局その細かい部分をどうやっていくか。

 

どうやって練習に落とし込んでいくか。結局「正確にできるか」だと思っています。どこでも練習をやっている。それができるかどうか。指導者がその「ポイント」を押さえてみることができるか。全てを理解するとは思っていません。私のやり方が万人に通用するとも思いません。それでもある程度の効果はあるとある思います。走るために必要な動きに関しては差はありません。それをどのように選手に落とし込めるか。他校がどのようにやっているのかは分かりません。そこまで考えて伝えているかも分かりません。その中でどうするか。ここが重要なのかなと。どこでやっても変わらないかもしれません。大きく変わると思っていますが、判断するのは私ではありませんから。

 

まーこういう感じで指導するのは楽しいなと思います。他校の選手だからかもしれません。それでも「やろう」という姿勢があるというのは大きいかなと。無理やりかもしれませんがやろうとすることで強くなる可能性が出てきます。今何を求めるか。何をさせるのか。

 

端的に記しておきます。

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岸辺露伴ルーヴェル行く

2023-07-27 | 陸上競技
舎監だったので朝定例の散歩。朝焼けが綺麗でした。こんな時間さえ確保できていなかったのでちょっと気持ちが穏やかになりました。


ずっとドラマで見ていた実写版「岸辺露伴」シリーズ。これまでノベライズされたものも含めて全て読んできました。映画化されるというニュースを見て知っていたのですが、タイミングを逃していました。

で、やっと時間ができたので見にいきたいなと思って調べてみるとかなり前に上映が終わっている様子。県内ではどこも上映していませんでした。こうなると本当にプライベートの時間が確保できないんだなと改めて感じました。だった2時間の映画をみる気持ちの余裕さえないって。どうなんだろう。

とりあえず文庫本を購入。漫画もあるのですがそちらは読んだことがあるようなないような。漫画よりも先に文庫を読みたいなと。

少しだけですが自分のために時間を使いたいと思います。少しくらい好きなことをしても許されるだろうと思います。

とりあえず読み始めます。


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耐乳酸性のことを2

2023-07-25 | 陸上競技

前の記事の続きを。

 

「乳酸」をどれだけ出せるかというのは大きなことだと思っています。「乳酸」=「悪者」というイメージもありますが、「大きな力を出す」ことができないと「乳酸」は生成されません。爆発的な力を出せる=高いパフォーマンスの発揮という感じになります。そうであれば「乳酸をたくさん出せる能力」というのも必要になります。乳酸が蓄積しないように「ミドルパワー」を上げるというのではなく、「ハイパワー」を出せる練習が必要になる。これが以前から書いている「練習パターン」について考える中で重要なことだと思っています。どうしてもそういう形の練習ができていない。「質」を上げることは効果はあると思う反面、「量が・・・」という考え方がどこかにあるのだと思います。

 

もう一つは「乳酸が蓄積した状態でどれだけ動けるか」も重要です。乳酸はできるだけ出したくない。でも出さないと「ハイパワー」の状態にならない。相反する部分ですが。今度は「どれだけ乳酸を出せるか」に加えて「どれだけ動けるか」が重要になります。乳酸が蓄積した状態でなければその練習はできません。が、これは精神的にも肉体的にもなかなか難しい部分だと思います。よほどの「覚悟」がなければ実施できない。特に女子は1本目から力を出すことができません。ここは難しいですが「やるぞ」という強い気持ちをもって取り組んでもらう必要がある。1本目で「爆発的に乳酸を蓄積させる」ことができて初めて「乳酸耐性を高める」ための練習ができるようになります。「乳酸耐性」を高めるためには筋肉内に「乳酸」が蓄積した状態でなければ効果はないので。

 

「乳酸を出す力」と「乳酸に耐える力」のどちらもが重要だと思っています。ここで「テンポ走」などになると「乳酸」が出るほどの「ハイパワー」にはなりません。8割で走って乳酸が蓄積することは考えられないからです。有酸素系の練習になる。そうであれば「ショートスプリント」の能力を上げるというのはつながらないかなと。もちろん、有酸素系の能力は重要です。回復させるためにはやはり心肺機能が強くなければいけない。乳酸の閾値を上げるためにも最大酸素摂取量は重要です。そのあたりはサーキット系の練習で負荷をかけてもらうしかないかなと。走りの中で「最大スピード」を上げていくためには「量」に頼った練習ではなく「質」を上げていく感覚が必要になるのではないか。そう考えています。

 

ひょっとしたらどこでもやっているかもしれない「当たり前の練習」かもしれません。それでも「意図的にやる」というのが重要だと思っています。何となくやる練習、最後まで持たせるだけの練習では「最大限の効果」は得られないと思っています。限られた時間の中でやっていく練習になるのであれば、「費用対効果」を考えて「狙い」「意図」のある練習にしていかなければいけないと思います。

 

そう考えて「20秒走」が適切かなと思って実施ました。150mでもいいのですが。「ATP-CP系」が10秒程度と言われています。「解糖系(乳酸系)」が30秒。もちろん、その間に完全な境目があるわけではありません。どちらもが導入されています。本当に「乳酸をためる」ための練習をしようと思ったら「40秒走」を全力で繰り返すほうが良いのかもしれません。が、この時点で「オールアウト」してしまったら「乳酸耐性」を高める練習ができません。1本で出し切って終わると「蓄積した状態で動く」というのができないからです。今更感はあると思います(笑)。自分が肌で感じた150mのMax5本のきつさは半端なかった。その短時間で出し切るのは高校生には難しいかなと思っています。特に女子には。そう考えて「ATP-CP系」の10秒と「解糖系」の10秒で「20秒」という都合のいい時間がいいかなと。

 

「20秒」であれば乳酸が蓄積しまくって動けなくなるということもそれほどないと思います。休息は5分として「血中乳酸濃度」が一番高くなる時間帯を選びました。前も書いたと思いますが「血中乳酸濃度」が高くなるということは「筋肉の中の乳酸」が血液中に出ているということです。そうなると「筋肉の中の乳酸」は減ってきています。だったら走れるのではないかという感じでしょうか。これは検証しているわけではないので勝手に私が思っています(笑)。10秒+10秒での20秒。20秒プラスするのは今回は避けておくべきだと思っています。ある程度の本数は消化しないと負荷をかけきれないので。

 

一気に負荷を増やすのは危険なので最初は「20秒走」を3本にしました。スタートの距離設定は「各自」で行わせます。どちらにしても「20秒間」走り続けるので距離は関係ない。ゴールしたら満足感もあるし目標設定としては頑張れるのである程度自分たちで決めるようにしています。乳酸の除去を考えないのであれば3分で回すともっと負荷は高まると思います。が、最大スピードが出せるかどうかというと難しくなるかなというのもあって休憩を5分にしているという側面もあります。

 

2回目は「20秒走×3本」を2セット。セット間は30分とりました。完全回復してからもう1回走るという感じです。このパターンにすると時間がかかります。休憩時間が必要になるからです。最終的には20秒走を5本1セットくらい走れると理想なのかなと思っています。一気に質を上げていくと身体も持ちません。精神的にもしんどくなります。そこも踏まえて「徐々に負荷を増やす」という形を選んでみました。インターハイまでの限られた時間の中で「スピード」と「乳酸耐性」を最大限に高めるためにという感じです。

 

乳酸が蓄積すると大変です。乳酸の除去のためには「酸素」が必要になります。そのため酸欠状態になると思います。それにも慣れていかないといけない。そうなるとやはり「有酸素能力」の向上も必要になる。様々な練習の中でバランスよく能力を高めていく必要があるのかなと。「テンポ走」がどのような位置付けて取り入れられているか。そこにどれだけの意味があるのか。ここは本当に重要なことだと思っています。意味があると思って導入するのであればそれは「正解」です。みんながやっているからという理由で導入するなら「間違い」だと思います。指導する側が「必要なこと」を取捨選択できるかどうか。その判断をするかどうか。

 

思うことはあります。というか、マニアックな話を書いていても誰も面白くないかもしれませんね。とはいえ、私は自分の頭の中の整理をするので必要なことかもしれないなと思っています。誰にも読んでもらえないかもしれませんが(笑)。また書けることを書いていこうと思います。

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耐乳酸性のことを

2023-07-24 | 陸上競技

なかなか更新する時間がありません。あれこれやっています。

 

先々週は「スピード」を強化するための練習をメインに据えていました。限られた時間の中でどうするか。バランスよくやっていくことも必要だと思います。が、中国大会以後はテスト期間や特別国体選考会などもあってまとまった練習ができませんでした。ここは本当にもったいない。余力があって戦える状況ではないので「強化」をしなければいけない。が、できない。難しいところです。

 

で、スピード重視の練習を1週間くらいやてから今度は「スピード持続」のための練習をすることに。ここも記録しておきたいと思いながらあれこれやっていたら時間だけが過ぎていっていました。真面目に三者面談をやっています。インターハイに行くまでの時間を有効に使っての面談。練習と面談と打ち合わせ。これはなかなかだと思います。時間の余裕がないなかで全てをやっていく必要があります。タフさが欲しい。

 

先週の頭から「専門練習」と「耐乳酸性」のトレーニングを入れています。「耐乳酸性」を上げるためには「テンポ走」のような感じでのんびり走るというのは効果はないと思っています。そもそも、乳酸の生成のシステムを考えれば当然の話だと思っています。少し前に「ATP-CP系」のエネルギー供給形態の話を書きました。これは10秒程度という感じです。それ以後は「解糖系」と言われる「グリコーゲン」を分解してエネルギーを供給します。30秒程度かなと。これも諸説あるのですが分かりやすく書いておくとそんな感じです。筋肉の中にある「グルコース」を分解してATPを作り出します。これは急激にエネルギーが必要になった時に使われる部分です。中程度以下では「有酸素系」のエネルギー供給形態が使われるので「高負荷」で「30秒程度」エネルギーを使う場合に使用される。

 

この時、酸素の供給は間に合いません。簡単にいうと「無理矢理エネルギーを作り出す」という感じです。効率的にエネルギーを作り出す「有酸素系」では酸素を使って長時間運動ができます。全力で動くことを40秒程度続けようと思ったら間違いなく「解糖系」の供給が行われる。その時に「無理矢理」なのでその借金みたいなものが生まれてきます。これが「乳酸」です。大きなエネルギーを使わなければ「乳酸」は生まれません。「乳酸」が蓄積するということは大きな力を出せたという証拠になります。が、「乳酸」が蓄積すると筋肉の収縮が阻害されます。無理やりやっているので「副産物」が生じるのです。それにより身体が動かなくなる。無理してますからね。

 

「大きなエネルギーが欲しい」部分と「乳酸が蓄積して筋肉の収縮ができない」という部分。相反していますがやるしかないと思います。「有酸素系」が優れている選手は「乳酸が蓄積しにくい」というのがあります。これはATといわれる「乳酸性閾値」が関係しています。最大酸素摂取量の70%(うろ覚え)を越える運動負荷になると乳酸が蓄積し始めるというものです。有酸素能力が高ければ当然ATが上昇しますから乳酸は蓄積しにくい。長距離の中ではこの考え方が一般的だと思っています。私の中では(笑)。

 

「乳酸」が生じないようにすることは当然大事なことだと思います。しかし、その手の練習をしていたら「爆発的に力を出す」ということができなくなると思っています。「練習量」に頼る練習であれば「有酸素能力」は上がるかもしれません。最大スピードで何本も走れるわけではないですから質を落として本数を重ねることになります。が、それでは本当に「乳酸」を生み出すための練習にはなりません。「無理矢理身体を動かす」ことで初めて「解糖系」が動員されて「乳酸」が出てくるのですから。「ミドルパワー」の強化ではなく「ハイパワー」の強化が必要です。そうなると「高い運動負荷」を加えていくことが求められる。

 

女子はたいてい「爆発的に力を出す」ことが苦手です。筋肉量の関係もあると思います。しかし、実際のレースでは「1本勝負」のところがある。3本目に強い選手がいたとしても「最初の1本」で力が出せなければ「予選落ち」になってしまいます。ここ最近書いている内容はここに繋がってくるのですが。まー本当に分かりにくいと思います。どうすれば「爆発的に力を出す」ことができるようになるか。以前はよく「グルグル150」をやっていました。休息時間が60秒くらいで「全力で150m」を走る。どうしてもスピードレベルが落ちてくるので後半は「有酸素系」の練習になっていた可能性があります。「ミドル」パワーなので乳酸が爆発的に蓄積することは少ない。そうなると「狙い」とは異なる部分の強化になってしまう。

 

tokushoの後半部分は「150m」をリレー形式でやるようにしていました。休憩が3~5分。これも大学院の時に人体実験(被検者:kaneko)で150mをSDから5本全力でやった時に乳酸がめちゃくちゃ蓄積して「ケツ割れ」が酷かった。当時は「血中乳酸濃度」を自分で調べてやっていました。「5分後」くらいが「血中乳酸濃度」が一番高くなるというのがデータとしてあったので。今は変わっているかもしれませんが。「乳酸」自体は筋肉中に蓄積します。それがしばらくすると「血液中」ににじみ出てくる。その濃度が高くなるのが「5分」くらいだと。つまり、「乳酸」が筋肉中にたまりまくっていた部分から「5分後」くらいには血中に出ているので「筋肉」は少し回復しているのだと認識しています(笑)。だから「Rest=5分」という設定。「感覚的にこれくらいかな」というのもありますが、一応「データ」として「5分」くらいが提示されているのでそれくらいがいいなと。

 

こうなると「1本目にどれだけ力が出せるか」が重要になります。出し切れないと単純に「走っただけ」になります。ミドルパワーでの「テンポ走」とかよりも「最大スピード」を出し切れるギリギリの距離を設定するほうが良いのかなと考えています。運動時間が「解糖系」のエネルギー供給時間が「30秒程度」となっていますが、「30秒」ギリギリまでエネルギーを使ってしまうと次の1本が走れない。そして女子はその30秒が長すぎる。気持ちが保てないなと思っています。この辺りも「感覚的」な部分と「科学的」な部分のすり合わせなのかなと。「ミドルパワーしか出せない」という選手であれば本数を増やしていく必要もあると思います。しかし、勝負することを考えると「ハイパワー」をどれだけ出し続けられるかは重要だと思います。

 

「気持ち」を作っていく必要がある。「なんとなく走る」というのでは「乳酸」は生成されません。爆発的な力を出して初めて乳酸が蓄積する。ここは「乳酸耐性」とは少し違うのかもしれませんが。まずは「乳酸を出す」ことができる能力を磨く必要がある。これは間違いなくロングスプリントだけではなくショートスプリントにも生きてきます。前から書いている「練習の地域差」も影響していると思います。なぜ、他地区は1本勝負で戦えるのか。それに見合うだけの「練習パターン」が必要になると思っています。ミドルパワーで戦えるほど全国は甘くない。そうであれば「ハイパワー」への対応が必要になると思います。

 

分かりにくいですね。かなり簡単に書いているつもりですが混乱が生じる可能性大(笑)。もう少し書いておきたいので記事を替えておきます。

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これからどうするか

2023-07-22 | 陸上競技
思うことを。

今私が僻地であれこれ考えていても何かが変わるかどうかはわかりません。それでも「自分の中での答え」が見つかれば自分自身の行動が変わるのではないか。そう思っています。誰かに何かを言われてやるというのは個人的には面白くないので。

前の記事に「練習パターン」について触れました。練習に関して「地域差」もあるのかなという部分です。関東の強豪校ではめちゃくちゃ走り込みをするという話も聞いています。が、そのあとにどれだけ伸びるのかは別問題。「量」を追うことで一時的に伸びますがそれ以後のことを考えると「それ以上に量を追わないといけない」ことになるので難しくなります。中学校の長距離で結果を残すとそれ以上の負荷をかけながら高校で伸ばさないといけない。故障のリスクが大きくなりながら競技人生を送ることになるのかもしれません。

どこかで「既成概念をぶち壊す」というのが必要だと思っています。関東や近畿では周辺の強豪校が「質」を高める練習が中心になるので周辺校もそれに似通った練習になるのだと思います。そこに「本質」があって理解して「質」に移行しているのかどうかは別として。地方の学校でもそれに類する練習が「正しい」と思ってやる部分もあると思います。陸上専門誌などに「本校の練習」として強豪校がやっている練習が載っているのでそれを真似てやるというのもあるでしょう。県外の学校に練習に行ってそこの練習を真似ながらやるというのもあると思います。山口県は閉鎖的なので「他県の練習」を取り入れる確率は低いと思います。県外に練習に行く指導者自体が少ないのもあると思います。これを「他者批判」ととらえられるかもしれません。現実問題として「他校と一緒にやる」ことさえ少ない。そこを打破するかどうか。今でも「一緒に練習をしたい」と言われることは県内では「皆無」に近いと思います。私のような人間と一緒にやるという人はほぼいないでしょうね。「異質」ですから。

自虐的な話はさておき。「エネルギー供給形態」 の話や「練習の地域差」について色々と考えます。以前のskyでは「練習量が少ない」という時期が続いていたと聞いています。県内のトップ選手がほぼすべて集まってくる。リレーを組んだらCチームまで49秒台だったとか。そういう状況であれば「少ない本数」で負荷をかけられる選手も何人かはいたと思います。それにどれだけの「トレーニング」と「技術」が付加されていたのかは分かりません。「強い選手が集まる」という前提の中で「量を追わない」というのは「一部分」に対しては正解だと思います。それ以外の選手がどうだったのかは不明ですが。今は県内の選手自体が圧倒的な強さがない。それが分散するのですから「インターハイで決勝を狙う」というのはほぼ不可能なのかもしれません。それで「もう無理だ」とあきらめるのか、チャレンジするのかだと思います。

そう考えたときに「練習パターン」について再考する必要があると感じています。これまでとは異なるスタイルで「最大限の効果」を出す。もちろん、その中では「心」の部分や「高い目標意識」が必要になります。「質」を上げる。その反面「量」や「本数」を減らすことになります。それなりの意識の選手が「質」を上げるといって「本数」を減らす。これは単純に「練習負荷」が減っていくだけの話にしかなりません。これまでの経験上、「普通の選手」であれば力を出し切ることができません。特に女子選手は「守る」部分がありますから「すべて出し切る」ことが難しくなります。だから「量」で対応する必要性が出てくる。これまでの「経験」に頼るのはよくないというのはあります。しかし、現場ではそうでした。

そこを「変えよう」とせずに「このほうが手っ取り早い」と思っていた自分もいます。それが自分の中での「転換期」を逃していたのかなと。「量」を減らして「質」に移行するためには「競技に対する意識」も重要になってきます。本数がこなせない選手というのは「中国大会」で戦えないというのもありました。それを打破する考え方を自分自身が持たないといけないと思います。「過去」にとらわれない。もちろん、「それに見合うだけの意識」が必要になります。「インターハイで戦いたい」というのであればそれに見合うだけの「努力」と「意識」が必要です。きついのでやりたくない、手を抜くというのでは余程の能力がない限り「インターハイで戦う」ことは難しい。「中国に行けた」というので満足できるならそれは十分な話だと思います。私は「中国を目指す」という考え方を否定しません。何とかして「中国大会に進みたい」というのが最大目標であればそれに合った練習をすればよいと思います。「全国」と「中国」は完全な別物です。

中学時代に実績があったとしても「高校で力がつかない」のであれば上では戦えません。それを選択するのであれば「仕方ない」のかなと思っています。これから「戦う」ことを考えたときに、「skyでやり続けるか」と「クラブチームを作るか」の二択かなと思っています。学校が変わるときは「部活動」がなくなっているかもしれません。転勤することになれば学校の部活動にこだわらず「クラブチーム」で「本当にやりたい」という選手に対して何かできればと思っています。「skyでやり続ける」のであれば上を目指す指導をしないといけないと思っています。ここも否定されるのかもしれませんが。

これまでやってきたことを自分の中で「全否定」する気はありません。意味のあることだったと思います。それは「普通の選手」を「上の大会に進ませる」というレベルの指導だったのかなと思います。もちろん、これはこれですごく楽しいですし工夫の余地があります。が、残りの「生きている時間」を考えたときにそれで本当にいいのかなという気持ちになっています。もちろん、「本気でやる」という選手がいてくれて初めて成立する話ではありますが。「知識」「経験」「工夫」などを全て組み合わせて何かを変えていきたいと思っています。それが独り歩きするのかもしれません。他者から疎外されるかもしれません。「異質」というのを自覚しながらです。村社会で育って「当たり障りない」生活をすることに慣れてきました。それが自分の中での「生き辛さ」の要因だと思っています。

変えたい。変えなければいけない。それは「練習パターン」だけではなく「考え方」の根本からの変更になるのかなと。綺麗事ではない。やるべきこと。そう考えています。

まとまりませんが。頭に浮かんだことをそのまま言葉にしておきます。
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練習パターンの違い

2023-07-21 | 陸上競技

思うことを。

 

少し真面目に考えている部分があります。ここは何人かに話をしますがほとんど興味を持ってもらえない部分です。別にどうでもいい話な野かもしれませんが。大きなヒントが含まれていると思っているのですが。これまで通りの練習をしている限りこれから先の県内の陸上競技が飛躍的に発展することはないだろうなとは思っています。そこをどれだけ求められているのかは分かりません。

 

krk選手や山口県から関東の大学に進んだ400mHの選手と話をする機会がありました。日曜日の練習を一緒に学校でやりました。別にわざわざ書く必要はないことかもしれませんが。しかし、話をする中で「見えてくる部分」があります。このことはこれまでも何度か書いていると思います。その意味が分かるかどうかは不明ですし、「形だけ真似をする」のでは意味がないというのは重々わかっています。それでも何が必要なのか、これから先どのようにして「練習」について考えていけばいいかの指標になるかなと思っています。

 

関東の大学での話。練習時間が1コマ目が始まる前の1時間半しかないということでした。午後は他のパートが入ってくるのでごった返して練習することができない。だから人が一番少ない時間帯に練習をする。授業があるのですべてを1時間半で終わらせるということでした。それにより「体力が落ちた」と感じている。実際にショートスプリントはある程度実績が上がっているが、ロングスプリントは4年生になって走れるようになる感じがあると。ここで単純に「練習量が少ない」というのはあると思います。1時間半で何ができるのかを考えたときに必要な要素の中で優先順位をつけてやっていくことになるからです。補強もやってドリルもやって、スプリント練習もやって・・・となると間違いなく時間が足りなくなります。短時間で「力を出し切る」という練習スタイルなのだと思います。

 

これは大学生だからできるのか。多分、関東や関西の高校であればそれができるのだと思います。高校時代の練習が「スマートな練習」なので大きな違和感がなく移行できるのかなと。中国地区などはどちらかというと「練習量」が多い学校が多いイメージがあります。大きな違いがあるかなと。これは「ブロック大会」の仕組みにも要因があると思います。中国地区はブロック大会が「3日間」です。そのなかで「予選・準決勝・決勝」がすべての種目で実施されます。それにリレーも絡んでくるので1日に何本も走らないといけない。そうなるとそれに耐えられる「練習量」が求められる。自然と毎日の練習の中で「量をこなす」という形になります。どうしてもそのような風土で育っているので「感覚」が変わらない部分はあると思います。

 

大学に行ったときに「練習が少ない」と感じる選手もいると思います。「もっと走らないとだめだ」という部分。これも難しい部分ですが「能力」的にかなり高い選手であればそれほど本数をこなすような練習をしなくても「出力」を上げていけば強くなるのだと思います。短時間でバランスよく身体づくりをしていくことで自然と強くなる。練習量を追わなくても十分。または、元から「出力」が高い選手はそれほど本数をこなすことができないというのもあると思います。関東の大学で競技をする選手であればかなり力があるという選手が多いでしょうから「少ない練習量」でも力が上がっていくのかなと。「走れ走れ論」でずっとやってきた選手にとってはこの「ギャップ」は大きなことだと思います。順応するまでに時間を要する。もっといえば「考え方」を換えられないので「以前の成功体験」の形にこだわって上手く走れなくなる。

 

他地区ではブロック大会が「4日間」です。そこまでタイトな日程ではなくなる。または「3日間」であっても「予選・決勝」という形になるので2本走れれば対応できる。とはいえ、予選が厳しくなるので1本目から力を発揮できる形の練習が必要となる。そうであれば「走る量」をそこまで求めなくても「出力を高める」ための練習ができれば対応できるのだと思います。山口県では「力のある選手」は「予選」は軽く走っても通過します。「通過儀礼」みたいな感じで「とりあえず走る」だけで通過してしまう。そうなると「最大出力」を高めるような練習がなくても「3本目に強い」という部分で勝ち上がることもできます。

 

書いてしまえば「そんなことは当たり前」と思われると思います。しかし、どれだけの人がそのことを考えてやっているのか。「最大出力を高める」ことよりも「走る量」で選手を強化していくというほうが「簡単」ではあります。走っていたらそれなりに強くなります。「それほど強くない選手」が強くなるためには「徹底的に筋力を上げる」ことと「がっつり走りこむ」ことで「チャンス」が生まれてきます。県内であればそこまでエネルギーを注いでやるチームは多くないので「やったらやった分だけ中国に近づける」というのがあります。細かい技術指導ができなくても「走る量」で補うことはできるかなと。感覚が鋭い選手であれば何本か走れば感覚を作れるかもしれません。そこまで鋭くない選手が技術を身に付けるためには「練習量」でカバーしないといけないのかなと。反復練習で自然にできるようになるまでやっていく。ここは「工夫」とかではなく「忍耐力」だったりします。飽きずにどれだけ繰り返せるかだから。

 

そう考えたときに「どうやって戦うか」は重要だと思います。これまで通りの「練習量」に頼った練習パターンでは間違いなく頭打ちになる。もちろん、「能力」があって「意欲」もある選手であれば「練習量」が多ければかなり強くなると思います。が、「最大出力」の部分でどうなのかは分かりません。指導者がほとんどいない状態のチームで選手が出てくることもある。これはよく分からないので「1本全力で走る」みたいな練習が多くなることで「最大出力」が上がるのかもしれないなと感じています。こうなると「指導」や「技術」がどうこうではない。「速い奴は速い」というのが助長される気がしますが。棒高跳や投擲種目のように「技術的な要素」が高い種目と「スプリント種目」では大きな違いがあると思います。

 

そこに対して「どう戦うか」を考えていくと面白いなと思っています。「クラブチーム」でそれができるのかどうか。どうしても「技術的な指導」を求められます。お金を払って「負荷の高い練習」をするよりも「動きが少し変わる」方が「効果」が出ている気がします。トレーニングをすることに関しても同様です。お金を払って「補強」や「サーキット」をするのであれば、「ハードルを跳ぶ」方が間違いなく「やっている」という実感があります。長期的な視野で継続的にできる「クラブチーム」であれば問題はないと思います。今は「枠組み」をどうするかだけではないと思っていますが。

 

本当に書きたいことと話がずれてきています(笑)。もう一つ記事が書けたらと思っています。多分。

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エネルギー供給形態に触れながら

2023-07-20 | 陸上競技

考えていることを。

 

多分、共感を得ることはできないかなと思う部分です。この手の話を真剣にしても誰も興味を持たないでしょうから。日常的に話をすることはありません。意味がない。練習計画の中に「何故その練習をするのか」という説明ができるかどうかです。「感覚的」にこれがいいなと思う練習もありますが、「何故その練習をするのか」という部分で相手に対してきちんと説明ができる練習をしたいと思っています。逆に「説明」ができない練習はやりたくない。合宿などで「めちゃくちゃやる」という日であれば関係ないと思います。「殻を破る」という練習の中に「論理性」はなくてもいいかな。これは全く根拠がない部分かもしれませんが。

 

例えば60mを走る。60mを全力で走ったら疲れます。当然です。この「疲れ」というのがどのレベルなのかという話です。単純に「気持ちが疲れた」というのもありますし、「筋肉が疲れた」というのもあります。しかし、「エネルギー」の問題としてこの短い距離であれば「ATP-CP系」と言われるエネルギー供給の形で身体を動かします。炭水化物が「エネルギー源」と言われますが、実際はそれを「ATP(アデノシン三リン酸)」の形で利用します。「ATP」から「P(リン酸)」を切り離して「ADP(アデノシン二リン酸)」になるときにエネルギーが発生します。「ATP」は分解すると無くなってしまいます。なくなると活動が停止してしまうので、人の体の中では常に「ATPの再合成」が行われている。「ATP-CP系」「解糖系」「有酸素系」という3つの「エネルギー供給形態」により活動するためのエネルギーが供給されている。「運動強度」「運動時間」によってその「主たる供給形態」が変わってきます。「主たる」と書いたのはここを詳しくかくととんでもないことになるので(笑)。

 

なかでも「ATP-CP系」は「ATPを作る」ためにクレアチンリン酸を使用します。クレアチンリン酸は筋肉中に存在していて、「爆発的な力の発揮」をするときに利用されます。競技力を高めるためにサプリメントの「クレアチン」を摂取して筋肉中のクレアチンの量を増やすのもそのためです。一般的には「ATP-CP系」のエネルギー供給は「10秒程度」と言われています。かなり短時間。短時間の爆発的な運動に「クレアチンリン酸」が利用される。これは時間が限られている。さらに使用した「クレアチンリン酸」はしばらくすると筋肉中に貯蓄されます。色々な文献があるのでどれが正解か分かりませんが、運動終了後30秒で約70%程度の回復するといわれています。

 

かなりめんどくさい話を書いているので分からないと思いますが。で、60mを走ったら「疲れる」けど「まだ走れる」というのはこういう部分です。走り終わって少し休んだら「エネルギー」が筋肉中に戻ってくるのでまた全力で走れる。「走れない」というのは「肉体的」な部分ではなく「精神的」な部分であったり、「心肺機能」の部分だったりします。その部分を考えながら練習をどのように組み立てるかというのは大きなことだと思っています。単純に「走ればいい」というわけではない。もちろん、何も考えずに「60m×3」という感じでメニューに入ることもあると思います。ここの「狙い」がどこにあるか。単純に60mを全力で走れば同じ効果があるかもしれません。なぜ「60m」を設定するのかは重要なことだと思います。

 

前置きが長くなりましたが、メニュー的には「60m」を休憩時間が60秒で2往復、3往復、2往復で実施しました。休憩時間のほうが走っている時間よりも圧倒的に長くなります。「ATP-CP系」のエネルギー供給のことを考えると1本につき3分程度とるほうが「筋肉中のクレアチンリン酸の回復」は良いということですが。どちらにしても「最大負荷」をかけられるかどうかは練習の意味を分けていくと思います。どちらにしても「キツイ」部分があるので選手自身がどれだえけ「力を出すか」は大きな問題になります。60秒であれば「回復」します。出そうと思えば出し切れるのです。問題は「出し切る」という強い意志があるか。きつさに負けてスピードを緩めてしまったら効果はなくなります。そこに対してどれだけ意識を向けられるか。覚悟を決められるか。

 

難しいのは「選手の意識レベル」によって「負荷の強弱」が大きく変わってしまう練習が存在するということです。指導する側の「意図」がきちんと選手に浸透していてそれを「実行」してくれるかどうかだと思っています。単純に60mを走ればいいのではない。「往復走」という形でやるので30秒に1本というのも考えられます。こうなると「心肺機能」の負荷になるかもしれません。「最大出力」にはならないので「身体を動かす」ことがメインになる練習なのかもしれません。今の時点では「意図」はそこにありません。「練習がきつかった」という選手自身の感覚であれば間違いなく短時間で何本も走るほうがきついと思います。それは「効果」としてどうなのか。ここは考えるべきだと思います。

 

あえて「エネルギー供給形態」について触れていますが、「練習」には色々な意味があります。どうしても「技術練習」が好まれる傾向があります。「やった感」があるからです。何かを教えてもらってそれをやった。その中で少しできるようになった。しかし、本当の意味での競技では「練習効果」を考える必要があります。嫌かもしれませんが「耐乳酸性」の練習も必要です。地味ですが「補強」をして効率よく地面に力を伝える&推進力を生み出すための土台を作らないといけません。でもこれは「地味」です。そこに関しても「腹筋」「背筋」だけを何となくやっているというのでは「本多王に必要なこと」は身につきません。色々なことが「なぜやるのか」という部分に繋がっていきます。

 

まとまっていませんが。記録しておきます。

コメント (2)
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段階的に

2023-07-19 | 陸上競技

思うことを。

 

色々と思うことがあります。断片的には書いていますが。まーどこまで書くのかという話もあります。別に「怒っている」とかではありません。怒りをぶつけるというのは意味がないので。「おかしい」ことに対して指摘をする。それがどのような意味を持つのか。そこも含めて考える必要があります。怒って指導をしないというのではなく、「必要ない」という判断の中で行動するだけです。ここに対して「否定的」にとらえられるかもしれません。しかし、「お互いにどうするか」だと思っています。求めていないことを過剰に与える必要性はないですから。

 

特別国体選考会が終わってから「微妙」な感じがありました。その前から感じていた部分ですが。インターハイが決まる。インターハイに行けないことが決まる。その中でどうするのか。雰囲気的に「何が何でも」という部分が足りなくなる。最初から「インターハイに行く」ことだけを目標にしてきたわけではありません。「戦う」ことを目指している。その中で「中途半端な取り組み」を許すことはできません。何度か選手には投げかけました。「別に私が指導する必要はないのでは?」というところ。「目指す場所」が高いのであれば指導が必要かもしれませんが、「それなり」であればこちらも「それなり」でいいと思います。メニューだけ作って渡しておけばそれでいいというのであれば別にグランドに行く必要性もありませんし。それくらいこちらも「覚悟」を持ってやる必要がある。そうでなければ「誰がやっても同じ」でしかない。

 

まーいろいろと過剰なストレスを感じながら。特別国体選考会の1週間後に「高体連記録会」が行われることになっていました。当初はそれに出場することも考えていました。しかし、「必要なこと」を検討した結果、「インターハイに向けての準備」を優先することに。当然と言えば当然ですが。強化練習ができる期間が限られています。その中で何をするか。数日間を70点くらいの練習になってしまいましたが。本人たちが「どれだけ上を目指すのか」というのが明確にならないとできない部分もあります。中途半端な週の前半の練習を切り替えながらでしょうか。

 

2週間の「強化練習」ということになった時、「筋力回復」と「ショートスプリント」の向上を課題に挙げました。今回はロングスプリント系でのインターハイです。だから「スピード持続」をメインにするという考え方もあるかもしれません。しかし、「ショートスプリント」がしっかりと走れないとどれだけやっても勝負できません。それだけでも「賭け」みたいなところで勝負をしようとしています。意識的に「最大スピード」を取り入れてそれを次の週に「耐乳酸性」の練習に切り替えていきたい。「段階的」にやっていくことが近道だと思っています。

 

メニュー的には「トレーニング」を増やしながら「短い距離」を優先的に。今回は「加速段階」からの作り直しだと思て、「タイヤ押し」と「加速段階T走」を入れました。スムーズに加速するためにどうするか。動き的なものも含めてです。足運びと重心移動。これを組み合わせながらです。地面に力を加える角度がどうか。一歩目でどれだけ重心が移動させられるか。ここを考えておきたいなと思っています。「中間」に繋げる前にそこを上手くやっていく。さらにそこから「50mT走」を数本。T走をする中で前に進む感覚を作る。接地場所とフォロースイングのタイミングの習得。そこから「前半マーク」と「中間マーク」の組み合わせ。そこから補強というのが1日のメニューでした。

 

別日は補強を入れながら「ドリル」と「スプリント練習」をやって短い距離を走ってからBT-T-DM-Sの組み合わせでの練習。ここに関してはかなり効果的だと思っています。「段階的」にやっていく練習です。BTでは重心が後ろに引っ張られる&腕が使えない。Tでは後ろに引っ張られるけど腕が使えるようになるので推進力を生み出せる。DMになると重心が前側になる&腕が使えないので膝の引き出しで進む。Sはやってきたことを統合して走る。距離も20mから少しずつ伸ばしていくという感じの練習です。個人的にはかなり効果が高いと思っています。冬季練習でもしっかりやりたいところですし、同じようにシーズン中でもやりたい練習。T走はシーズン中にやらないという学校が多いと思います。私は効果が高い練習なのでシーズン中でもやります。これは私がそう思っているだけなので正しいかどうかは不明ですが。

 

細かい技術的なことをやりたい。しかし、時間が足りない。そうであれば「どうすれば楽に速く進めるか」を考えるだけではなく、「強制的」に「できないと進めない」という状況を作ればいいと思っています。フリーで走るというのは結構難しいと思っています。「型にはめる」というのではなく「自分が一番進みやすい動き」を身に付けることが重要。もちろん「足運び」などは重要だと思いますし、やるべきことを身に付ける必要があるかなと。だからといって「それだけ」をやっていると時間が足りなくなる。こちら側としては「速く走れるようになる」ことが重要だと思っています。手段はどんなものでも構わない(もちろん、ドーピングなどは論外)。

 

書いていたら微妙に長くなりました。また書けたら書きたいと思います。競技に対する考え方は人それぞれだと思います。あくまで「私見」です。ここにこだわりすぎる気はありません。

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伝えること

2023-07-16 | 陸上競技
思うことを。

「伝えること」について。これも人それぞれの「価値観」があるので何が正しいかは分かりません。私自身が考える「伝えること」について触れておきたいと思います。

かなり前の話。tokushoでインターハイにリレーで出場し、100mで2人出場。国体にも2人選ばれて同級生同士でバトンを繋ぎました。これは誇らしいことだったと思います。異動の話があり、hoshoへ。別に「競技の指導」で求められて異動になったのではありません。初任で13年いたので「最優先人事」くらいの勢いで転勤になったのだと思っています。元々、hosho自体は「陸上競技」が強いわけでもなく「一般的な学校」でした。時々運動能力が高い選手がいてその子が個人で中国大会に進むというレベル。

転勤してすぐにある程度の指導をしました。当然ながら「大反発」でした。そんなことは求められていないんです。「中国大会」に進みたいとか「全国大会で活躍したい」と思っている選手はいない状況でした。将来的に全国大会で活躍できる選手を育てたいと思っていたので学校ジャージの背面に「山口」と入れたいと話したら当時のマネージャーに「山口と入れなくてもhoshoが山口にあるというのは誰でもわかります」と言われました。いや、残念ながら誰も知りません。それでも「戦えるようにしたい」と思っていたので大反発でした。保護者会を開くことになり2時間くらい「処刑台」に立たされているくらいの批判を受けました。

今考えると「あの時辞めておけばよかった」というくらいの気持ちではあるのですが。「何月何日の何時にこういう発言をしている」とか「17時に終わるといわれて迎えに行ったのに20分くらい待たされた、時間を返せ。」とか。なんか、この時から思っていたのですが「何もやらないほうが良い」という部分があります。何度も書いていますが「雉も鳴かずば撃たれまい」です。何もしなければ何も言われない。学校での生徒指導も部活動での指導も「やる」ことで損をする部分のほうが多い。やってもやらなくても「給料」が同じ。それなら「通常業務」を淡々とやるほうが「効率的」です。

そう考えると「自分がやってきたこと」自体がすでに「間違い」だったのかもしれないという気がしています。もちろん、「目標に向かって進む」という取り組みをする中で人生が大きく変わった選手もいると思います。今でも定期的に連絡をくれる子もいます。何かあれば報告をしてくれる。それと同じくらいに「嫌われている」というのがあるでしょう。「良い想い」をした生徒と同じくらい「嫌な想い」をした生徒もいる。もちろん、様々な捉え方があるのは確かです。

「本気で競技をやる」というのはどのレベルでの話なのか。私が考える「本気でやる」というのと生徒が考える「本気でやっている」というのは違うのだと思っています。何人かは伝わるかもしれませんが、なかなか本気に対して温度差があるというのは間違いない事実だと思っています。どちらかに合わせるというのが正しいのかどうか。間違いなく弊害が生まれてきます。そこに対して何をするのか。何もしないのか。

私は100を目指したいと思っています。とはいえ、全員がその100を目指すわけではない。私が今やりたい事は正しいのかどうか。今の学校で「60%」でいいのであれば指導を必要とされないという事だと思います。

この辺りまで数日前にかいていたのですが力尽きてそれ以上書かていませんでした。間が開くと意味がないという気はしています。

練習メニューの最後の部分を気になっている事、意識してもらいたい事を文字として書くようにしています。それをみて何か感じることがあるか。少し前に適当な練習になった日があります。インターハイが決まってからテストに入り、なかなかしっかりとした練習ができてないというのもあったかもしれません。かなり話をしました。これもひょっとしたら自己満足でしかなく、組織には求められていない部分なのかもしれない。そう思いながら話はしています。



やるからには「最大限」のことをやる。「何のためにskyに来たのか」をもう一度自分の中で確かめる。「6~7割」の練習でよいなら他の学校でやっても同じ。徹底的に練習をすることができな ければ「逆転」は絶対にない。「ウサギとカメ」の話。「カメ」が逆転できたのは「ウサギ」が休んでいたから。「全力で取り組むウサギ」がいたら追いつくことはできない。自分たちが「ウサギ」 に追いつくためには「80%の練習をしているウサギ」に「100%の練習をしているカメ」で 勝負するしかない。一気に追いつくことはないが確実に差は埋まる。「80%の練習をしているカメ」が勝てるほど甘い世界ではない。
苦しい時に最大限の負荷が掛けられないようでは「80%」の練習にさえならない。全国で「66 人」だけがインターハイに行ける。全国で「24 人」だけが準決勝に進める。全国で「8 人」だけ が決勝に残る。全国で「1 人」だけが優勝できる。そんな厳しい戦いをしているのであれば「しんどいから楽をしよう」とか「できないけど仕方ない」「これくらいでいいや」という練習にならない。高校 3年間しかない。無駄に使う時間はない。
「60%」でやっても「80%」でやっても「余力がある」のは同じ。自分でやっても指導を受けても同じレベルの話。「徹底的にやる」という感覚で「練習の狙い」を理解してやっていくこと で「練習の効果」を最大限に高める。本当にやるのかどうか。

なかなか伝わらないかもしれないですね。口頭で話すだけでは分からないと思って文字にしています。文字にすることのリスクはあります。それでも必要かなとは思っています。

こんな事を話しても本当に意味があるのか。求められているのか。強制的に「本気でやる」と言わせるのか。ここは全く意味がないと思います。やりたくないならやらなければいい。そういう話をするのは今の部活動のシステムでは求められていないのかもしれないなと思っています。

自分のスタンスがどうなのか。そこに関しては話をしてきました。これまでもずっと。学校が変わったとしても。「強くなりたい」といのが本気なのかどうか。心から求めているかどうか。そしてそれが時代に合っているのか。環境に合っているのか。そこまで感じながらかなと。
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