kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

無理

2019-04-29 | 陸上競技
今日はとてもじゃないですがblogを書く気になりません。とはいえ訪問してくださる方がいるので申し訳ないですが。
 
 
気持ちが落ち着いたら書けるかもしれませんが。ちょっと無理。指導する事に関して、陸上競技に関わることに関して。今の生き方に関して。何をやっているんだろうという部分が大きすぎて。
 
 
指導観。人生観。全てを投げ出してしまいたくなる。何をやってきたのか。何をやっているのか。何をやっていくのか。気持ちが上手くコントロールできないのかもしれません。うーん。なんでしょう。
 
 
すみません。苦しすぎる。
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走るために

2019-04-28 | 陸上競技
半端ないストレス。誰もが同じような感じなのかもしれません。今の時代に生きていくには私のようなタイプは無理なのかもしれません。耐え忍ぶ。
 
 
練習、あれこれ考えることがあります。選手の状況を見ながら目指すところを決めてやっていく。走りの中で気になったところがあればそこに対応する。そういう中で見えてくることがあると思っています。
 
 
先日から女子の走りはかなり良くなって来ています。支部大会前とスピード感は変わらないのですが、力が出せるようになってきました。同時に体調にも変化が。腹痛などを訴える選手が複数出ています。私がどうこうではなくかなりのストレスを感じているようです。こちらもその要因についてしっかりと考えていきたいと思います。まずは競技に集中できる状況を作り出さなければいけないと思います。
 
 
女子は全体的にヒステリックな雰囲気になりつつありました。「強くならないと中国に行けない」というのがあります。それは分かりきっていることです。Toはこれまで練習を力で出しきれないところがありました。ここ最近は同時スタートにしたため力が分かります。Saと競り合う。体調もあり競り負ける。倒れこみますがそれでも走る。やめさせたいのですがなかなか。過呼吸気味になるので。自分がやらないといけない自覚。負けたくないという想い。この辺りがあるのだと思います。
 
 
土曜日の練習でバトン練習。3-4走のバトン、合いません。走力差があるのも確かです。しかし、Hoの出が安定しない部分、声をかけるタイミングが遅すぎる部分があるのでバトンが詰まります。距離を伸ばしてもバトンが詰まるというのは間違いなくタイミングの問題です。2本連続でミスをしました。その都度考えさせます。が、この時にSaが座り込んでいました。上級生が囲んでいたので本人がかなり感情的になっていたのだと思います。初めてその姿を見ました。何とかしたいけどできないもどかしさなのかなと。
 
 
しばらく見守っていました。立ち直った時に声をかけました。何故失敗したのかをきちんと考える必要があります。感情的になって何かを生み出せるのであればそれはそれでいいと思います。しかし、技術的なことをやろうとしている時に感情的になるのは何一つ良くない。冷静さを持たなければ課題が改善されません。こちらから気づいたことを伝える。少しずつ積み上げていく必要があります。
 
 
バトンをやって走練習をやる。その時にまたもToが倒れこむ。あえてそのような雰囲気でも流していましたがそろそろ良くないなと思って女子を集めて話をすることに。このタイミングも感覚的なものです。正解かどうかは分かりません。
 
 
練習を見ていると「強くなりたい」というのが伝わってきます。これまでと違って中学時代に実績がある選手がいるわけではない。それでも戦うというのは余程のことです。ある意味普通のことをしていたら勝ち上がれないと思います。しかし、今の雰囲気はどうだろうか。何となく悲壮感が漂っていないか。この雰囲気では楽しくないのでは??と。
 
 
空気があります。強くなるために練習する雰囲気。しかし、その雰囲気にどっぷりハマってしまうとヒステリックな感じになってしまいます。追い込んでいるという部分で良い練習ができていると勘違いする。涙を流しながらやっていくことで「自分たちは上を目指してやっている」という異常な雰囲気に酔ってしまう。本質的な部分とは違ってきます。
 
 
特に上級生がそのような雰囲気を出すと1年生はどうしていのか分かりません。不安がある中でやっているのに更に不安が増す。それで試合に臨めるのか。練習についていくだけで精一杯の状態が生まれる。本当にやりたいこととは違ってきます。だからこそ冷静にならなければいけない。
 
 
そのあとは笑顔でやっていました。走練習も含めて前向きに取り組んでいました。周りの雰囲気に流されずにその時その時にやるべき事をやる。そこに尽きます。やれることをしっかりとやるだけで流れは変わってきます。
 
 
この子達のために出来ることをしたい。強くそう思います。
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何を求めるか

2019-04-27 | 陸上競技
よく分かりませんが疲労困憊。疲れを度数で示すことはできませんが。具体例を示すと分かりやすいかもしれませんが。昼に昼食を買いに行って部活前に車に戻るとエンジンがかけっぱなし。3時間以上放置されていました。ありえない。その日の夜は夕食も食べることなく力尽きる。そんな状態なのでblogを更新する時間の確保が本当に難しい。sri先生、他校の卒業生でヨンパをやっている選手から話があったのですが返信する余力なくあっという間に時間が過ぎてしまいました。遊んでいるわけではないのですが。
 
 
そんな感じで練習について触れておきたいという気持ちはあるのですがほとんどできていません。何を書いて何を書いていないのか。それさえあやふやです。火曜日の練習については昨日触れた気がします。水曜日はグランド状態が悪かったので走練習がきちんとできない。そんな感じだったような。
 
 
練習を開始して軽く補強をしてからすこし動きをやろうと思った時に複数人が「足が痛いので補強をする」と。これは仕方ないのかなと思います。新入生はほとんど身体を動かしていない。その中でどうするかです。実際一度も走っていない状況があります。完全に「補強部」です。その補強でまた足が痛くなるという状態。
 
 
部活動集会の翌日、長距離希望の子が軽いサーキットをした後にダウン。本当に軽い運動だったようです。翌日に「入部は考える」ということで別の部へ。このような状態があるのが事実です。入部希望者には話をします。陸上競技は他の球技のように面白さや派手さがありません。楽しくはない。自分自身が成長していくという部分に楽しさを感じられなければ続けていくことは不可能だと思います。ここは本当に難しい。
 
 
この日、足が痛いというので練習を抜ける。何人かは「体育の授業で足を痛めた」と言っていました。どれだけハードな体育だったのか分かりませんが。先日、ふと体育の様子を見たらある選手が全力で走っていました。ある程度走れるようになっているので学内の集団の中では圧倒的に速い。当然です。が、その後支部大会の1週間前から「足が痛いので整体に行ったら数日間走るなと言われた」と話してきました。足が痛いのに走らされたと言われたらこちらもしんどいので受け入れました。何のためにこれまでやってきたのか分からない。どこで力を発揮するのか。
 
 
練習を抜けた者を遠目に見る。数人は少し補強をしていますが何人かは座っているだけ。1時間半くらい経っても何もしていないので呼んで話す。「座っているだけなら家に帰った方が寒くないから今日は終わりでいい」と。どうぞ、バッシングしてください。この言葉だけを切り取って言われたら「練習に行ったら帰らされた」という話になるでしょう。別に走れないことを言う気はありません。痛いのに走らせるという気は無いからです。
 
 
しかし、出来る事は何もないのか。座っているだけならお互いに不幸になります。寒い中で座っている時間が勿体無いですし、その間に全力で練習をしている者もいる。それをどう感じるか。「練習に参加する権利」はきっと誰にでもあるのでしょう。しかし、周りに与える影響はどうなのか。本気で競技をやろうとしている選手がいる一方、まど状況が把握できない者もいる。この温度差はかなりキツいと思います。その辺りの話をしていますがほとんど伝わらない。最初だから当たり前という感じはあるのかもしれませんが。
 
 
感覚的に分からない部分はあると思います。競技をしようと思えばある程度以上のことをやらなければいけない。足が痛いなら3週間安静にします、というのが一番の回復かもしれません。積極的治療をしないで待っていてもそのうち治ります。しかし、競技にはならない。健康増進なら意味はあると思います。試合に出るとかではなく身体を適度に動かしたいという感覚なら問題はないのかも知れない。しかし、本当にそれで良いのか。本気でやりたいという選手に合わせて指導をするのは「悪」になるのか。
 
 
強い弱いではない。その時その時に何をやるのか考えてもらいたいだけ。それは求めるレベルが高すぎるでしょうか。必死にやろうとしている選手の姿を見てどう感じるでしょうか。遊んでいるわけではない。そのことだけは譲れない。
 
 
雉も鳴かずば撃たれまい。毎回のことです。それでも記録しておきたい。変化を期待したいとは思っています。
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あれこれ

2019-04-26 | 陸上競技
ここ最近のことを。若干のストレスを抱えながら生きています。本当に若干なのか。よく分かりませんが。色々と考えながらやっていますが、大半のことは思い通りに行かないと思っています。耐え忍ぶ。
 
 
練習は火曜日から再開。天気が微妙。雨が降るのではないかという感じがあったので当初作ったメニューを変更しながら。リレー練習を中心にすることに。あまりにも精度が低いので。ここは見直しが必要になります。今の状況で戦って行けるほど甘くはない。簡単に勝ちあがれないのは分かっています。このメンバーで戦う。余力はない。足搔けるだけ足掻く。それだけだと思います。
 
 
練習開始時からすでに小雨。翌日は雨予報でしたからこの日に走っておかなければ間違いなくグランドで走ることはできない。鉄は熱いうちに打て。打てるかどうか分かりませんがやれることはやっておかなければいけません。メニューを省略しながら。バトンに関して全くできません。やりたいことができないもどかしさ。私自身が説明する時間が圧倒的に減っている部分があるかもしれません。伝統というものは存在しません。少しずつあやふやさが増えていく。
 
 
久々にTBDMを。この辺りから競争形式にしました。ここは大きな課題でした。1人で走る時には好きに走れます。全力を出しているようでも実は最大スピードで走れていないのではないか。綺麗に走ることがメインになっていて力を入れて発揮するという部分が足りなくなっているのではないか。そう感じていました。正解かどうか分かりませんが。意図的にSaとToを同走させました。前半型のToと後半型のSa。この2人を競り合わせることで何かしら化学変化が生まれるのではないかと。
 
 
ライバル関係です。特にToは負けたくないという部分が強い。そこを完全に避けていました。負けることで気持ちが下がる。練習全体の雰囲気が悪くなります。これを避けるために意図的に競争形式はしないようにしていたのですが。しかし、そこを避けていたらダメだなと。向き合わせないといけない。性格的なものも考えながら対応していたつもりですが。互いに「負けを認める」ことから先に進めるのではないか。そう感じていました。
 
 
最後に女子全員で120DM-120-90を。この頃にはかなりの雨になっていました。この日はやると決めていたので最後までやることに。前半Toが飛び出していく。それをSaが追う。80mくらいで並ぶ。最後はSaが先行してフィニッシュ。それに他の者が必死について行くという感じでした。段差スタートでしか練習をしていなかったのでこの手の真剣勝負は見応えがあります。
 
 
大した話ではありません。どこでもやっているようなメニュー。それを普通にやっただけでそれを書くというのもどうかと思いますが。これまではそれぞれが気持ちよく走る部分があったと思います。力を使い切るほどの負荷にはなっていなかったのではないかと。しかし、今回はかなり負荷をかけることができました。最大スピードを出し切ることができた気はします。
 
 
これまで出してきた最大スピードは最大ではなかった。そう感じました。それなりに走れるようになる練習と力を入れて出し切る練習は別物。こういう練習が少し入るだけでも違ってくるのかなと。分かりませんが。
 
 
まとまりませんが。とりあえず記録しておきます。余力があればまた書きます。たぶん。
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たぶん

2019-04-25 | 陸上競技
思うことを。共感を得ることはできないかもしれないが。
 
 
色々と話をする中で「テントを立てることができない子供達が増えている」という内容が出た。大会準備をする時に自分達でテントを立てられない。組み立てができないだけではなく脚を曲げて下ろしていたテントを立てることができない。
 
 
あれこれ話を聞くと運動会などでのテント設営は保護者がするらしい。危険だからという理由もあるのかもしれない。見ていた感じからすればきちんと組み立てられずに倒れてしまい下敷になるかもしれないなと感じる部分まであった。今は保護者がやってくれるので良いのかもしれないがこれから先はどうするのか。本当にそれで良いのか。分からない部分がある。
 
 
今の子供達は我々の高校時代とは違って情報機器の操作にはかなり優れていると思う。生まれた時から携帯がありパソコンがある。スマホを触れば分からないことは情報として出てくる。こういう部分では30年前と比べると圧倒的に力がある。
 
 
が、実体験が少なすぎるのではないか。学校教育では「何かあったら」という考え方の下、全てを準備して与える傾向が強くなっている。安全管理という部分がメインになるだろうから当然だとは思うが。「体験学習」というものもあるが大半が「作られた環境の中」でやることが多い。世の中は理不尽なことが多いにも関わらず、教育現場では順路をたどっていけばゴールにたどり着けるというものを提供する。
 
 
どう動いて良いか分からない。そんな子が増えている気はする。大会がある時、私自身はかなり働く。部署以外のことも気がつけばやる。人によっては「それは自分の部署の仕事ではない」と公言して少しのこともやらないという場面もある。テリトリーの考え方もあると思うが、そんなこと言っていたら何も進まない。
 
 
以前と比べて大会においても「顧問」になる人が「初めてやる」という人が増えている。跳躍審判、投擲審判などあるがある程度決まった流れの中でやっていける。が、私が担当している部署は現場でのトラブルに対応することが多い。定型業務ではなくその場その場で対応することを求められる。私がやらなくてもいいことであってもやらなければ回らない。だからやる。競技場面における視野はかなり広い。指導場面では「視野が狭い」と言われるが。
 
 
状況判断をする能力が全体的に低くなっているのではないかと感じる。今では私達より若い顧問が大半を占める。与えられた仕事をするのだが正確に分かっていない中で何となくやっていくことが出てくる。別に仕事が好きなわけではない。動かなければその方が楽で良い。しかし、そうはいかない。やらなければ大会が滞るから。その時その時に何をするべきかを考えておかなければいけない。
 
 
生きている中で基本的にトラブルに巻き込まれることが多い。指導に関しては自分から種を蒔いていると言われるが。単に時間を過ごすために参加しているはずではない。本来的に何を求めてグランドに来るのかという部分。そこは指摘しなければかなり楽。片目を閉じて人と関われば良いのかもしれない。が、そこに何かの意味が存在するか。私には分からない。やるからにはしっかりとやるべきだと考えている。
 
 
大会の時にも若い顧問には何度か指摘した。明らかに間違っていることを押し通すと支障があるから。別に運営に命をかけているわけではない。が、流れが悪くなったりきちんとした大会にならない可能性がある。そうであれば煙たがられても言わなければいけないと思っている。大きなミスになる前に防ぎたい。
 
 
現場で経験しなければ分からないことが多いと思う。師匠がよく「決められた部署でしか役員をしないから他の部署のことがわからない」と言われる。その通りだと思う。それぞれの部署がその部署の仕事を果たしていたらなんとなく大会は終わる。他の部署は仕事が一切ない時がある。私はいつも最後までやらなければいけない。部署を代わりたいとずっと言い続けているがそれは叶わない。
 
 
理不尽。まさにそこに尽きる。が、それをやらなければ何も進まない。ブラック企業の考え方なのかもしれない。働き方改革や労働者の権利が声高に叫ばれる。いやいや、実際はどうなの?ということの方が多い。変えていかなければいけないのだろうとは思う。今は変えられる部分がどこにあるのか分からない。
 
 
こういう正確なので周りに迎合することはしない。そういうタイプを受け入れられない人は沢山いるだろう。嫌われる、受け入れられない。当たり前だが人からあれこれ言われるのは楽しくない。しかし、迎合して生きていくのであればそれは私らしい生き方ではない。批判する人は延々と批判するだろう。それでも良い。
 
 
テントの立て方を知らない。普通の生活をしていたらテントを立てることなんてない。だから知らなくて良い。たしかにそうだと思う。が、何がプラスになるか分からない。
 
 
たぶん、私の考え方は一般的ではないのではないかと思う。私がおかしいのかなと感じることは多い。が、客観的にみてみると何が大切なのか。そこは常に考えたい。
 
 
まとまらない。
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考えさせられる2

2019-04-24 | 陸上競技
特に深い意味があってタイトルを書いているわけではありません。が、気がつくと少し前にも同じタイトルの記事がありました。あれこれ考える日々。そこから何か生み出されるのか。何も考えずにやるよりは意味があると信じています。
 
 
前の記事の続き。今回のレースのことを振り返りました。変化があるのにそれが結果へと繋がらない。私以上に本人達はもどかしいと思います。全くダメなのか?と問われると微妙なところですが。Saは向かい風の中で自己ベストを更新していると思います。追風が吹けば12秒台に入るだろうなという感覚。普通に考えれば悪くないなという感覚なのかもしれません。が、明らかに練習での走りと記録に差があります。これで「よく走れたね「とは言えない。
 
 
これまでの練習の振り返り。ここ最近のメニューというより前任校でのことを振り返りました。この数年間、明らかに自分自身甘くなっていたなと感じる部分があります。厳しい指導という部分が何をもって判断するのかですが。どちらかというと「綺麗な練習」が大半を占めていました。量というだけではなく本当に「綺麗に走る」ことを求めてやっている感覚がありました。ここは物足りなさを感じる大きな原因だと痛感しています。
 
 
この数年間、競争するという感覚が全くありませんでした。一緒にスタートして競争するという練習はほぼ皆無。それをすることで何人かが明らかに嫌な雰囲気を出す部分があったからです。勝ち負けが明確になるといのは嫌なものです。目の前にいるライバルに負けることで試合で負けるのではないかと思うのではないかと。あからさまに嫌だという感じが強くありました。ここに私の甘さがあったと思います。そういう雰囲気になるのを自ら避けていた。
 
 
本来であればそこに対してきちんとした指導ができなければいけないのです。技術的な指導をする事に力を注ぐ部分が増えていてそういう「基本的な部分」が疎かになっていたと思います。負けて不貞腐れるというのを避けるのではなく、そういう時にどのような行動をしなければいけないのか、どのように考えなければいけないのか。そこをきちんと伝えていかなければいけなかったのではないか。
 
 
そういう部分が明らかに欠落していました。このblogを読んでいる読者がこれまでの経緯を見られるとなんとなく感じてもらえる部分なのかもしれません。それは私の根本的なスタンスとは異なる。ある程度力がある選手であればそれでも何とかなるのかもしれません。しかし、普通の選手が戦っていくには本当に必要な要素が不足しているのだと思います。
 
 
前任校ではmakinoとkanaを一緒には知らせることはありませんでした。それぞれの性格を考えてです。話が矛盾するかもしれませんが。一緒に走ることはしませんでしたが、それぞれが走る時には他のメンバーとは必ず競合わせていました。ここが全く違う。一斉スタートするというようなどこでもやっている練習。それを全くやっていなかった。そんなレベルの話なのか??という感じですが。
 
 
単純な話です。競争すれば負けたくないので自分の持っている力を入れ出し切ります。それだけで練習負荷が高くなる。しかし、一人でスマートに走る練習では「気持ちよく走る」という形になり最大スピードで走り続けることができない。本人達は「最大スピードで走っている」はずです。動きが崩れない程度の最大スピードで。それは選手の責任ではない。私自身が根本的な部分を見逃していただけです。
 
 
少し前から物足りないものがあって加速走のタイムを取るようにしました。このタイムだけを見ればそれなりです。が、実際に走ってみると思ったように走れていない。そこは大きな課題がある。単純に一人で走る時には普通に走れる。それが周りに人がいるとそれができない。競り合った中で力を発揮することができないのです。前半マークなどは自分の動きを作るためにやるメニューだと思っています。しかし、綺麗に走れてもそれが試合で出せないのであれば意味がなくなります。
 
 
さらに競合いをすることで自分の限界を超えることができる。今の走りが最大スピードだと思っていても実はもっと出せる。トーイングなども筋肉に刺激を与えることになりますがそれとは少し違う気がします。生理的限界と精神的限界の話だと思います。他の者と一緒に走ることで自分が限界だと思っていたスピードを越えることができる。
 
 
どこでも普通にやっていること。実はそれは無意識に力を上げるための練習になっている。こんなこと力説する必要がないくらい当たり前のことをなのだと思います。技術指導などに関係なく一番手っ取り早い方法。そこの部分が明らかに欠落していました。考えることでいつのまにか大切なものを見失ってしまっている。そのことをきちんと認識する必要があったと思います。自分の指導の幅の狭さ。情けない話です。
 
 
ちょっと吹っ切れました。何が足りないのか。視野が狭くなっていることに気づけた。この部分は自分の中で処理していきたいと思います。
 
 
また書きます。たぶん。
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考えさせられる

2019-04-23 | 陸上競技
今回の支部大会、数名入賞しましたがこちらが考えているものとは随分異なる結果でした。力を出し切れない。その感覚がすごくありました。
 
 
練習に関して大きな失敗をしているとは思えませんでした。流れの中でかなり動きは変化してきました。走り自体は良くなっていると感じています。それは私の「走りを見る目」が鈍っているだけなのかもしれないというだけなのかもしれませんが。手応えはありましたし、本人たちも感覚が良くなっている。それと試合での結果の差は大きいなと。
 
 
リレーに関してはアンカーを変更するだけで0.6秒上がることになります。とはいえそれくらいのタイムで走ってもとても太刀打ちできない。その明確な原因が分からなければ先には進めないと考えていました。
 
 
この数年間、力のある選手がいてくれました。そこに合わせてメニューを作っていた部分があります。毎年毎年洗練されていく。必要なメニューを取捨選択しながら。その中でいくつかの必要な要素を切り捨てているのではないかと一人で考えました。誰かと話をしながら気づくというのではなく1人引きこもりながら考える。
 
 
その要因の一つ。ある一定水準の競技力になった時、確実に練習量が減ってきていた。前任校では上手く言いくるめて走らせていました。走る量は今の倍はあったでしょうか。この数年間は明らかに減っていました。走練習を嫌がる傾向があったというのもあります。これは私の甘さだと思います。以前であれば有無をいわさず走っていた。今は選手の表情を見ながらそこに合わせていくいう部分が少なからずありました。
 
 
最大でも120を2本。そんな感じの走練習になっていました。時としてそれくらいで良いのかもしれない。しかし、本来的な動きが維持できるための基礎ができていない。これは精神的な部分にも繋がると思います。自信を持てるだけの走練習ができていなかったのではないか。走りが変わったが、それを維持するだけの部分が足りない。スピード持続にも繋がるのかもしれません。ここが足りない。長い距離を走る気はさらさらありませんが、やはりある一定量の走練習は必要なんだと思います。
 
 
動きが変わっていくのは指導する側としては面白さを感じます。やりたい動きを身につけていくことで走り自体が明らかに変化する。技術的な要素は指導者としてはやりがいを感じます。「走り込みで走りを作るのではない」という視点で考えている部分はあります。しかし、それが極端に減ってきているという部分がある。環境を言い訳にしている部分もあると思います。走れないから仕方ないと私自身が言い訳を作っていたのではないか。
 
 
本当に私の指導が明らかに間違っているという可能性もあるのかもしれません。そうであれば指導から距離を置くべきなのかもしれないなと思っています。方向性が間違っている。それは選手に申し訳ないですから。何も考えずに走る練習をしているだけで強くなることだってある。私自身は全員に納得できる形で結果を残してもらいたい。「力がないから」という言い訳はしたくない。必ず走れるようになる。そう考えています。
 
 
もどかしさがあります。量が減ったという要因以上にレースに影響している要因があると思っています。そこに関してはまた別に書きます。少しずつ頭を整理したいと思います。すみません。
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支部大会終わる

2019-04-22 | 陸上競技
土曜日、日曜日と支部大会でした。今回は予め厳しいレースになるというのは分かっていました。この冬、最上級生が一人という中でやってきました。部員は5人。最小人数。なかなか前向きにならない時期もありました。それでも一生懸命に練習はやってきました。
 
 
大会準備などもありアップも見ることは出来ず。女子のリレーのアップの途中でアンカーに予定していた選手が全く走れていないということでした。バトン練習で落ちたと。見ていないので分かりません。本人達の話を総合してメンバーチェンジ。急遽でした。バトン練習はほぼやっていない中でのレース。かなり厳しい。
 
 
レース自体は全ての区間で「待て」がかかる。これまで一度もリレーをやっていないメンバーでの初レース。圧倒的な経験不足です。状況の判断が全くできない。52秒3かかりました。最低目標が51秒1に設定していました。メンバー変更があったとしても流石に厳しい。あと2秒上げなければ中国大会はありません。現実的ではない話かもしれませんね。それでもやるからにはそこを目指す。それしか考えていません。
 
 
個人レースも手応えを感じる事が出来ない展開でした。一生懸命にやってきた選手達に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。これまで上手くいっていた部分が歯車が噛み合わないとこのような事になる。情けない話です。偉そうなこうやってblogを書いていますが、結果に繋げられていない。そこは自分自身の行動や指導のあり方を考えさせられます。
 
 
条件があまり良くなかったとはいえ13秒2、13秒4、14秒0、14秒5、14秒6の5人で組むリレー。簡単な話ではありません。あと1ヶ月でどこまでできるのか。
 
 
今感じていることは練習のあり方です。ここに関してはまた書きます。選手に合わせた練習でなければいけない。強くそう思います。考え方を変えなければいけない。未だに自分の中で正解が見つけられない。
 
 
思う事がかなりありました。申し訳ない。そう思います。心から。
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考えさせられる

2019-04-19 | 陸上競技

思うことを。

 

 

競技指導をする。このことに何かしらの意味があるのか。今のご時世、部活動にこだわってやっていく必要性があるのかどうか。別に部活をやらなくても責められるわけではない。何十年も前は「部活動で生徒の面倒を見る」というのがあったのだと思う。放課後に放っていてたら問題行動を起こす危険性があるので部活動で時間を決めて面倒を見る。組織づくりの基礎だったのかもしれない。

 

 

「やりたくない」と希望する者に強制的に何かをやらせるというのは面白くない。先日、ニュースで中学校の部活の記事が取り上げられていた。保護者が部活動に所属している生徒を何人か殴ったというもの。そこにいた顧問も何もなかったかのようにこうどうしていたという内容。記事に書いてあるだけなのですべてではないと思う。マスコミは切り取って「悪」を作り出すのがうまい。それに乗っかる人も多い。事実かもしれない。違うのかもしれない。そこは分からない。

 

 

中学校では「専門外」の人が部活動指導につくことが多い。「教育活動の一環」という考え方で担当する顧問に「ボランティアを強制する」ことになる。好きでやっている人はいいかもしれない。そうでない人もいるというのを我々も理解しておく必要がある。そして、「善意の行為」に頼って部活動が成立するという時間が過ぎてきた。強制的なボランティアになる。やりたいからやるという部分とはかけ離れている。それが今の時代の部活動。

 

 

「物言わぬ教員」がいたからこそこれまでそのシステムが成立していた。これからはどうなんだろうか。興味関心がない。本来業務とはことなるというドライな考え方が主流になれば今の「部活動」というシステム自体が崩壊するのは目に見えている。元々「善意」という不安定な土台の上に成り立っていた組織。崩れ去るのは目に見えていた。それでもずっと続いている。そこをどうとらえるのか。

 

 

色々な話をする。考えさせられる。こうなったら「クラブチーム」のような形が一番良いのではないかという話になる。競技を通じて人間教育をしていくという考え方は変えない。競技から学ぶことは多い。それでも今の事態は「楽しいこと」が自分の身の回りにたくさんある。運動をしなくてもいい。多趣味な子がいてもいい。そうであれば「強制的な活動」になる意味はない。誰も幸せにならないから。

 

 

週休2日の部活動。平日2時間の部活動。それが「一般的に受け入れられるもの」なのかもしれない。そこまで本気になってやらなくてもいいじゃないかという感覚。実際問題、「部活動」というシステムがあるから競技をできる生徒が多いというのは事実だと思う。「クラブチーム」を設立してその活動だけで指導者が生計を立てていくことを考えると「会費」が必要になる。ある程度お金に余裕がない状況であればクラブチームに所属して活動することも困難になる。部活動は「ボランティア」だから。担当する顧問に特別な資金が提供されるわけではない。完全に「善意」というものに頼っている。

 
 
スポーツの普及という意味では部活動が果たしてきた意味合いは大きい。これからはどうなのか。変わってくると思います。格差が生まれるのは確かです。一攫千金という感じで陸上競技をやる選手は元々いません。道具が必要ないから始めやすいというのはあったと思います。クラブチームになれば投てき種目の道具を各自で買うことになるのかもしれない。そうなると始めることさえ難しい。
 
 
誰かの犠牲の上に成り立っている部活動。私自身は好きでやっていると思います。しかし、そうであればやはりやりたいチーム作りをしたい。それが困難になるのであればクラブチームを作ってでもやるしかない時代が来るのかもしれません。私のような無名な指導者がチームを作ったところで人が集まるとは思えませんし。難しい時代です。
 
 
今からどうするのか。しっかりと自分自身考えていきたいと思います。クラブチームを作っても形骸化するようでは意味がなくなる。やる事が大切ではないですから。考えさせられます。
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なんだか

2019-04-19 | 陸上競技
よく分からない間に時間が過ぎていきます。バタバタ。やりたいこと、やらなければいけないことがあるのですがそれが本当に出来ているのか。考えさせられます。
 
 
水曜日は練習を落としました。試合に出ない者は関係ないのである程度。1年生だけですからそこまで大きな負荷をかけることはできない。まー様子を見ながらやらせるしかないのかなと。
 
 
試合がある者は今の力について考えさせました。今の自分の力を把握する。どれくらいで走れるのかを考える。記録に大きな差がというのでは力の把握ができていないということになります。実際、レースに出れるのは限られています。分かりきっていたことですがなかなかです。戦う所までたどり着けない選手がいる。スタートラインに立つことさえできない状態になる。考えさせられます。
 
 
話し合いに関しては任せました。私が介入する話ではないと思っていたので。練習メニューは指示を出しています。トレーニング中心にしてひたすら実施。当たり前ですがこちらの求める水準には届きません。こちらも我慢しながら見守る。そして今年度購入する備品について考える。記録測定をするためにタイム測定装置を買おうかと考えていました。が、実際に見てみると明らかに準備が面倒。ケーブルなどで繋いで設定しなければいけない。こういう形になると絶対に使わなくなります。
 
 
他のパターンの測定装置も見てみました。以前otk高校に訪問した際に使っていたものです。これはかなりセッティングしてが簡単。ケーブルなどもありません。これなら面倒ではなく使えるのではないなと感じました。しかし、よくよく考えてみると「タイム測定」自体をほとんどやらない。毎日やるメニューでもない。そう考えるとコスパが悪すぎる。どちらにしても練習の時に準備に時間がかかる。うちのように少人数でやる練習で準備するために練習がストップするのは避けなければいけないのではないか。そう感じたので結局断念。めちゃくちゃ調べたのですが。
 
 
使うかどうか分からないものに対して時間を注ぐ。そして費用がかかる。あったら良いかもしれないがなくても困らない。そうであればわざわざ購入する必要はないのではないか。考えものです。その辺りのことを考えながら時間を過ごしました。
 
 
ちょっと頭の整理がつきません。時間にも余裕がなく。少し落ち着いたら書きます。多分。多分。
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