kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習を任せる3

2020-05-31 | 陸上競技

つらつらと。

 

練習は完全に任せる。時々気になったことがあるとその時だけ流れをいったん止めて「違うんじゃない?」ということだけ伝える。「自分たちでやる」といってもすべてができるわけではありません。「やりたい動き」をどれだけ正確にできるか。

 

例えば「スイッチング&スキップ」の練習をする。これは私の中では「重視」しています。その練習に入るまでに「縦の動き」「上から下」の感覚を作っているのでここからは「水平方向への移動」になります。ミニハードルを使っています。ミニハードルを使うのは極力避けてきました。「足が回る」からです。これも感覚的に分かる人にしかわからないのでしょうが。

 

ミニーハードルを使うと「避ける」ために足が後ろで回転する動きになりやすい。「直線的な足運び」を意識して練習をしています。「膝締め」も。その動きの中で「ミニハードル」を使った動きをするとよくない動きになることがあります。「ミニハードルを使えばいい」という話ではないと思っています。そこまでに徹底的に「縦の動き」や「直線的な足運び」をやっていてもこの段階になると崩れることがあります。、

 

原因は単純です。「ミニハードルの高さが怖い」というのと「重心移動が生まれてくる」からです。直線的に動いていても足を上げるときにミニハードルがあるとそれに「当たってしまう」という恐怖感があります。それを避けるために「回る」感じになる。さらに前に進み始めていますから直線的な足運びが難しくなる。ここをどうするか。それをずっと考えていて「ミニハードル」を避けていました。

 

が、「縦の動き」から「水平方向への動き」を考えたときに「ミニハードル」と使うことで「上から下」の動きを作っておいてそこから「水平方向への動き」へと切り替えていく。走るときには上下移動がないほうがよい。ロスがないほうが速いに決まっています。しかし、「感覚づくり」であれば「意図的にやる」部分もあります。「上から下」への意識をしておいてそこから水平方向へ。これは何度も説明をしています。そこまでの動きもです。

 

3年生が「先生、スイッチング&スキップのミニハードル低くしたんですか?」と聞いてきました。見てみると一番高さが低いミニハードルを使っていました。同じミニハードルでも段階に応じて使うものが違うと思っています。「スイッチング&スキップ」ではある程度の「高さ」が必要になります。上下移動を含みながら「上から下」の感覚を作るためです。低いミニハードルであれば「上から下」への意識が作りにくい。簡単に前に進めるからです。この部分は「感覚的なもの」なのですが。

 

例えばスイッチングランスプリントという練習をしています。これはハイスピードで入ってきて決められた距離を素早く動いて処理するための練習です。「タタタ」と言っていますが。この動きでは絶対に高いハードルは使いません。水平方向への移動が大きいからです。上下移動をなくしたいという考え方からすればここは「低いハードル」です。スティックでもいいと思っています。練習において「狙い」があってそれを実現するために「道具」を使います。

 

低いミニハードルでスイッチング&スキップをするのはアウト。全体を集めて話をしました。動き自体は大きく変わらないかもしれません。しかし、こちらが意図していることを「説明する」という機会になります。「なぜその練習をするのか」というのを理解せずに「やるだけ」というのが一番私が嫌いなパターンです。

 

選手は「一生懸命」やっています。準備等も含めて。今はやるだけで精一杯な部分があるのかもしれません。だからこそこちらが見守る中で「修正点」を見極めなければいけない。そして「違うこと」をやっている可能性もある。間違った動き、やりたくない動きを一生懸命にやることでマイナスになることもある。「放置する」ことが一番早速くなることもあります。「分かっていない」指導者が分かららないことをやり続けるよりも、「勝手に走っておけ」のほうが効率が良かったりする場合もある。ここは難しいです。

 

この1週間は「見守る」ことを中心にやっていきました。「もっとこうしたほうがいいのにな」と感じる部分はある。この1週間は様子を見るということ。細かいことをひたすら言い続けるのではない。こうやって少しずつ「進むべき方向」を考えていきたいなと思います。組織作りとして「強くなりたい」と思う雰囲気を作っていきたい。そのためには「やらされる」のではなく「速くなりたい」と思ってやっていけるかどうかが重要。そこに気持ちを向けられるかどうか。

 

考えていきたいと思っています。これから先のことを冷静に判断していくつもりです。

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練習を任せる2

2020-05-31 | 陸上競技

続きを。

 

「自分たちでやる」ということ。放置するわけではありません。これまで練習に関しては「意味があることをする」というテーマで実施しています。「走るメニューのみ」ということは1回もありません。指導者としては「走練習」を増やすことが一番楽です。技術的な指導は「本人が理解」していなければ伝えることができないからです。「他校がやっている」「専門誌に載っている」という理由で導入することはありません。そこに「価値」があるとは思わないからです。

 

私自身が理解する。それをきちんと選手に理解させる。この流れの中で「競技の楽しさ」を実感してもらいたいと思っています。「友達と一緒に過ごす」ことを「楽しい」と思うのであれば今のうちの取り組みとは全く違います。「練習が楽しい」という意味。表面的な意味ではない部分を重要視していきたい。「変わっていく自分」「成長していく自分」を楽しんでもらいたい。「できない」を「できる」に変えていく。そこに「楽しさ」を見つけて欲しい。そう思っています。

 

前任校。競技に対する理解は選手に求めていました。が、今と比べると・・・。どちらかいうと「量」で勝負していたところがあります。技術的なこともかなりやっていましたが今と比べると・・・という感じです。今は「量」ではない部分をしっかりと身に付けさせる。そのプロセスの中で「考える」能力が高まると思っています。当時はこちらが完全に主導権を握っていました。選手が個人的に質問してくることはほぼない。「言われることをやる」ことで「強くしてもらう」という感じが強くありました。

 

もちろん、それが全てダメだとは思いません。「何もないところからスタート」でした。県で決勝に残ったことがない選手がインターハイに進む。通常ではないと思います。それが実現できたのは「指導者主導」でやっていた部分があるからだと思っています。しかし、それだけではこれから先やっていけないなと思っています。いつの日からか「スタイルの変更」がなされています。

 

今、選手が「話を聞きに来る」ことが増えました。「今のはどうだったか?」とか「もっとこうしたい。どこに意識を置けばよいか。」など、「与えられる」のではなく「求める」のです。こうなると組織としては変わってくるかなと思っています。女子はこれができます。男子は微妙です。この「差」はどこから生まれるのか。私が「女子中心に指導する」と思われているからかもしれません。実際は違うんですが。「本気になれるかどうか」です。

 

1・2年生が中心に活動をする。そうなったときに「キャプテン」を「女子」にしました。この子はどこに出しても「きちんとやる」選手です。試合があればかなり走ると思います。しかし、「一生懸命」「真面目」なので「幅」がない。負担は大きいですがあえて「キャプテン」にしました。そのHoを中心に「1週間練習を任せる」ということにする。そうなると「今までとは違う部分」が見えてきます。これにより「チーム」自体が大きく成長するのではないかなと感じていました。

 

「自分のこと」に一生懸命にやる。それだけではなく「周りのためにも一生懸命にやる」という形になる。それにより「キャパオーバー」します。それを経験させる。そして「どうすればいいか」を考えさせる。初日、見ていると「一人でやろう」とする部分が目立ちました。当然でしょう。その様子を見てこちらが「問題点」を指摘する。「これで本当にいいのか?」と。

 

3年生。それぞれ役割がありました。Toがキャプテンとして動く。Saが「準備」などを率先してやる。それぞれが自分たちで「何をするか」を考えて行動していました。成長の幅は大きかったと思います。結局、「一人ではできない」のです。それを身をもって体験させたいと思って1週間という期間、「完全に任せる」ことにしました。

 

1か月は「自分で計画して自分のペースでやる」という流れでした。開始時間も間の時間も自分でやる。練習の道具はほとんど使えないので「準備」も「片付け」もそれほどない。しかし、学校で練習をするのであれば「次に何をするか」を考えて動かなければいけない。準備も片付けも「練習」だと思います。効率よく練習を進めていくこと。これが求められています。

 

さらに「声を出す」こともこの数か月間、ほぼやっていません。しかし、「やればできる」ことは徹底したい。距離感は保ちながら「声を出す」という行動が必要。見ていると「声を出す」選手は限られています。出さない選手は「自分なり」にやっている。これは練習の内容も同じです。「やっていはいる」が、そこに「意味がある」かどうかは別問題。そういう部分を「見る」ことができる期間かなと。特に「疲れてくる」と声が全くでなくなります。当然です。そこで意識して「行動」ができるかどうか。成長するために必要なことだと思っています。

 

まとまらないまま書き続けています。こんなのでいいのかな??まー誰に咎められる話でもないでしょうし。また合間を見ながら書いていきます。

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練習を任せる

2020-05-31 | 陸上競技

一応、「陸上日記」というテーマなのでそのあたりのことも書いておきたいと思っています。毎日更新する予定でいるのですがなかなか・・・。20時過ぎに眠くなるとblogを書く余裕がなくなります。どうするか。

 

前の記事にも書きましたが「学校再開」に伴って練習を再開しました。他の学校がどのようにしているのかは全く分かりません。今回、「自宅待機期間」が終わってからの1か月間、全員が「自分で計画を立てて行う」という流れにしていました。そのための準備をこちらがやって選手は「目的に沿って」計画をしていきます。

 

この1か月の取り組みの様子を見ようと思って「自分たちで考えてやる」という流れにしました。「やらされる」練習から抜け出すにはどうするかなという部分があったので。

 

この新型コロナで世界中が「停滞」した時期。終わったら「これまで通り」という人もいるかもしれません。否定はしません。が、私は「別の生活様式」で活動をしていく必要があると思っています。「競技」だけをやって「進学」を目指す。そのような形はこれから先はもう「通用しない」のではないかなと。もちろん、これまでもそんなことはほとんど考えていませんでした。が、「競技をやっておけば進学ができる」という考えの指導者もいるのだと思います。

 

そうであればどのように「部活動」の意味を考えるか。「練習をさせる」ことだけでいいのか。多くの指導者が「生活指導」や「人間的な成長」を重視しているのだと思います。しかし、それが「本質的なものかどうか」は別物だと思っています。指導者の顔色をうかがいながらやっていく活動は「旧態依然」ではないか。

 

「やりたくないならやらなければいい」とずっと言ってきました。これは今も昔も変わりません。選手が練習をすることで私にはメリットはありません。色々なところを見ていると「指導者自身が部活動に依存している」姿が見られます。生徒が来なければ「部活ができない」ので「早く再開するべきだ」とか「早く代替試合を開催するべきだ」と声を大きくする。

 

私自身、「部活動中心の生活をしている」と言われます。確かにそうでしょう。練習や合宿などもあるので休業期間中は大きく生活様式が変わりました。が、別に「部活動」が全てではない。授業準備や「これまでの取り組みを進める」ことができる期間です。部活動に依存し続ける意味はありません。元々、PCを使ってwebページを作ったり、画像加工や動画編集を得意としていました。「定型業務」というよりは「発想を生かして動く」ほうが得意です。自分のやりたいことを見つけてあれこれやる。それでいいと思っています。それでも「表面的」には「部活動ばかり」と言われるのでしょうが。別に「本質的なこと」が分からない人にあれこれ言われても関係ないなと思ってはいます。

 

今回、「自分たちで練習をする」という期間が1か月。この期間、選手がどのように過ごしていたのか。もちろん、練習計画は立てさせました。その「内容」には差があると思います。しかし、そこを大きく変更することはしませんでした。「自分で決めたこと」をどのようにするか。「強くなりたいな」と思えば「しっかりやる」でしょうし、「それなりに」と思うのであれば「適度にやる」と思います。

 

学校で部活動をやる。生徒によっては「雨が降る」ことを喜んだりします。「今日は練習が休みだ」と。私の感覚からすれば「練習ができないことを喜ぶ」というのであれば最初からやらなければいいんじゃないのか??と思います。「競技力を高める」ことをするのであれば「必要な練習をする」ことが求められる。「趣味で身体を動かす」のであっても「できない」ことを喜ぶのであれば「競技」ではないなと。そう考えると「無理矢理やらせる」ことに意味はないと思っています。誰も幸せにならない。

 

この1週間は「取り組みを確かめる」時間にしました。私自身、授業もあるので練習に付けない時が出てきます。1・2年生は3時間授業でしたから午後から授業があるときにはいくことはできない。その中で「何をするのか」を考えさせました。

 

3年生が不在の中で練習をする。この中で「何をするのか」です。強制的にやるわけではない。しかし、「組織」としてやるからには「一定のルール」を決めていく必要があります。正直、今の2年生男子は厳しい部分があります。それは以前からです。「基本的なこと」を指導してきていますができないことが多い。グランドレベルでの話ではなく「前段階」ができていないことが多い。そうであれば「競技をする必要はないのでは?」という話は何度もしています。

 

今回の「新型コロナ」の流れの中で「変わるチャンスではないか」という部分を感じていました。選手に「成長するチャンス」を与える。もちろん、できていない部分に関しては徹底的に指導する。「やりたくない」と思えば止めない。強制させられるほど面白くないものはないですから。

 

うーん、まとまらない中で長くなっていますね。また書きます。

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やるべきこと

2020-05-29 | 陸上競技

学校が再開になったとの同時に「練習」も再開となります。3年生のこともあり「どうやってすすめていくかな」と考えていました。

 

学校が始める前にGoogle meetで1・2年生だけのミーティング。こちらが考えていることを伝えました。学校再開1週目は1・2年生と3年生で授業の終了時間が違います。それを調整する必要があるかなと思いましたがやめる。どちらに対しても「練習計画を作らない」ことにしました。これまでの1か月間、自分たちで計画を立てて練習を進めてきました。他の選手たちがどのようにしているのかは分かりませんが、ある程度の下準備をしてから「自分たちで考えさせる」という部分です。

 

指導者であっても「経験則」だけで計画を作ることがあります。どれだけの指導者が本当の意味を理解して計画をしているか。順序だてて練習を考えているか。順番にしてもそこにその練習が配置されている意味が説明できるか。ここも重要な要素だと思います。今の段階でこちらが作った「練習の組み立てのベース」をみながらやっていけています。多分、内容自体は「かなりの水準」だと思っています。

 

そうであれば「1週間は自分たちで考えなさい」でいいのかなと。自分たちが何をするのか。何をしたいのか。目的は?この部分がわかっているかどうか。重要な要素だと思います。私的には「どのような取り組みをするのか」を見ていこうと思っていました。

 

「なにをやるか」だけではなく「どのように取り組むか」という部分が優先かなと思っています。「練習をする」ことだけではない。そこに向き合う姿を知りたい。3年生が「戦う場」を失っています。その気持ちをどれだけ感じ取れるのか。ここを徹底しようと思って。明らかに差が出ます。それは当然。

 

初日の朝、DMの真上投げで捻挫する者が。この数か月の生活の中で私自身も「考え方」が変わってきた部分があります。「強制的にやらせる」という部分はなくなってきています。これは何年も前からなくなっている感覚なのですが。これまで以上に無くなっています。真上に投げるだけで捻挫するというのは。それ以上は触れず。「やめておくように」というだけ。

 

別の日。雨が降りました。ドリル中心にメニューを組み替えていました。ほとんど言わず。台ドロップをやっているときに気になることがあったので練習を取りやめて「図説」しました。「なぜその練習をするのか」という部分です。「やるだけ」ではない。その動きには目的があります。その部分が分からないのであれば何回練習をしても変わりません。

 

「縦の動き」をする。その意味は何か。なぜその動きをするのか。それに対して自分のやっている動きがどうなっているのか。ここが分からなければ効果は上がりません。今やっていることに対して自分自身かなり手ごたえはあります。ここ数年で「走るために必要なこと」が固まってきた感じがあります。できるだけシンプルにしていきたい。しかし、外せない要素がある。それをどうやって徹底していくか。身に着けさせるか。

 

「普通の選手が速くなるために」というのがコンセプトです。ある程度、理解して身に着けてくれば中学時代の実績は関係なく逆転できると思っています。取り組み自体も差があるとは思います。徹底する部分。「意欲の差」は「競技力の差」に直結すると思っています。「何もしなくても速い」という選手はいます。しかし、私が目指すものとは違う。

 

そこを踏まえてどう組み立てるか。私自身、考え方や取り組み方に変化はあります。それをどうやって選手の行動に落とし込むか。落とし込めない選手も存在します。求めていない者には何を与えても上手くいかないのだと。

 

今年、県総体が実施されていたら本気で100mでのワンツーを狙っていました。まー、他の人からすれば「できるわけない」と思われるでしょう。本気でしたし可能性がかなりあったと思います。実施できなくなった今何をするのか。ひとまず12秒40を切るくらいが今年度の目標になるのかもしれません。来年度インターハイで勝負する。これは「夢」みたいな話かもしれません。それでも実現可能だと思っています。秋にきちんとレースがあってその時に走れればもう一度ワンツーを狙うレベルに達するかもしれない。そう感じています。

 

そのための取り組みをする。そこをどうやって作っていくか。気負いはありません。競技だけが全てではないからです。でも、「勉強があるから競技は二の次」というのは違うかなと。どちらも全力でやるからこそ意味が出てくる。「競技だけ」でも面白くないし、「勉強だけ」でも面白くない。これまで勝てなかった選手に勝つ。これも重要だと思っています。その可能性はある。

 

多くは求めません。が、譲れない部分は絶対に譲りません。そのスタンスをどのようにして作っていくか。自分次第なのかなと思います。

 

少しずつ競技のことも書きます。元々、このblogは「陸上日記」です。それが中心になる日が戻ってきてもいいかなという気はしています。少しずつ。少しずつ。

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エビ生活

2020-05-29 | 陸上競技
これも興味がない人が多いと思いますが。作物を育てるのと同じタイミングでレッドビーシュリンプを育て始めました。
 
最初の2か月間はかなり順調。☆になるエビはいませんでした。しかし、ある時から「ぽつぽつ死」と言われる状態になっていました。毎日1匹ずつ☆になっていく。これは本当につらいものがあります。育てるのをやめようかと思うレベルになっていました。ショックが大きすぎて。
 
原因は複数考えらえました。最大の要素は「ヒーターを切ったこと」だと思っています。まだ暑くないのに数日間切ってしまった。それにより一気に水温が下がってしまったこと。レッドビーシュリンプは繊細なので温度差が出るとどうしても衰弱してしまうということです。いろいろなサイトを見てみると2℃の温度差さえ危険だと。これはかなり難しい。
 
そして一度衰弱してしまったエビはなかなか復調せずに☆になってしまう可能性が高い。生き物を育てるという中で「配慮不足」があったと思います。甘かった。
 
それもあってもう一度しっかりと勉強してみることに。
 
他の要因を考えると「酸素不足」もあったのかなという気はしていました。エビは底のほうで生活をします。そこにきちんと酸素が届いていなかったのではないか。これまではろ過装置を水に浸かるようにして循環させていました。しかし、これでは空気をそこまで送ることができない。ろ過装置の位置を上げて「滝」のように上から水が落ちていくような形に。
 
そうやって勉強している中で気になることが。
 
エビを育て始めるときに「30Cmキューブ」(水槽の大きさ)で育てるという話をしていました。そこで進められたのが「流木」に「ウィローモス」を括り付けて配置するということ。進められて購入して入れていた流木が下の写真。
 
 
 
分かりにくいかもしれませんが。水槽の大きさの割に「流木が大きい」のです。これにより水槽内で「流れ」が悪くなっていたのではないか。ろ過装置の吸水口のところに流木が重なっています。それにより、ろ過装置の反対側の部分に「流れが止まっているところ」ができているのでは??と考えました。
 
調べてみると「止水域」というのがあるようです。水の流れが悪くなりエビに悪影響を与える「有害物質」が蓄積していく。生き物が生活をしていくと「アンモニア」などが発生していく。それをバクテリアが分解していくのですが、バクテリア自体が不足していると分解が進まない。その部分もあるのかなとは思います。
 
また、えさをあげるとその食べ残しなどをバクテリアが分解する。まだ、水槽を立ち上げて2か月です。そのバクテリアが不十分だったのかもしれませんどうしても「餌」をあげたくなってしまうので水槽の中に餌の食べ残しが生まれます。それを分解できない状況が生まれる。
 
その部分が「止水域」に蓄積していたのではないか。確かにろ過装置を流木が邪魔をしていました。☆になり始めたころから流木の反対側(写真の手前側)にエビが来なくなっていました。
 
そこで思い切って流木を取り除く。小さくて循環の妨げにならないものを配置しました。流木は隠れ家にもなりますし、ウィローモスはエビたちの餌になります。必要ですが「水槽の大きさ」にあっていないものを配置することで悪影響だったのかなと。下の写真のような大きさに変更しました。
 

 
さらにはろ過装置の下に「ろ過材」を置く。ここにバクテリアが生息しやすい環境を作りました。このろ過材にバクテリアが住み着くことで水の中の有毒物質を分解していきます。もうしばらく時間がかかると思いますが、エビだけではなくバクテリアにとっても過ごしやすいことが大切。
 
 
そしてエビ水槽の環境を整えるために別の水槽を準備していました。その水槽を使いながらあれこれやっていたので。使わないと勿体ないなと思ってペットショップへ。魚を育てようと思っていたので「ベタ」を購入。これはあまりエアレーションが必要ないので。本来は必要なのかもしれませんが。ひとまずヒーターだけで対応できる生き物を。
 
 
 




ベタは「闘魚」ともいわれるので単独での飼育が必要です。その辺りも調べながら。これもまた書いていきたいと思います。
 
かなり勉強しました。必要な知識なのかどうか分かりませんが。とにかく調べまくりました。色々なことがつながっていきます。別の知識を「やりたいこと」に生かしていくことができる。様々なことが生かせる。そう思っています。
 
地道にやっていきます。
 
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菜園生活

2020-05-28 | 陸上競技
ほとんどの人が興味がないと思いますが。先日から育てている作物のことについて触れておきます。
 
朝、世話をしていると近隣の方に「大きな菜園ですね」と声をかけられました(笑)。現状としては花壇2つ分しか使っていません。それ以外はボールが飛んでくるので使っていません。翌日には「誰が食べるんですか?」と声をかけられる。こういう部分でも「関り」が生まれています。
 
トウモロコシ。大きくなっています。雄花が開いてきました。背丈も大きくなっています。茎の中間部分に「雌花」らしきものが出てきています。いつ実るのかよく分かりませんが、「トウモロコシはカラスに食べられる」といろいろな人言われます。せっかく育てているのでそれだけは避けたい。
 
 
 
ということで「100均」でネットを買ってきて設置。朝練の時間を有効に使って行いました。複数人で。少しずつ「それっぽく」なってきています。2種類のトウモロコシを植えています。ここも様子を見ながらですね。

 
かぼちゃ。気が付けばどんどん大きくなってきています。花が咲くタイミングが違うのでここも難しいのですが。ツルが伸びていきます。とりあえずフェンスに巻き付きながら成長しています。

 
人工授粉させていきました。余計なツルは取り除いていく形で。ずいぶんすっきりしました。栄養が葉っぱに行っているのでそれを阻止するという意味もあります。

 
雌花の下にある丸い奴がかぼちゃになるのだと思います。1回目に咲いた雌花は受粉ができていないので小さいままでした。ミツバチがいてくれたらいいのでしょうが、残念ながらそこに至ることはありませんでした。そのため、手で取り除く。一つのツルから多くの実を期待するのは良くないと思っています。栄養が分散しないようにする。正解なのかどうなのか分かりませんが。
 
そしてトマト。こちらはプチトマトです。

 
「すずなり」と書いてあったのでそれにひかれて購入(笑)。結構実っています。これとは別にまだいくつか実をつけています。トマトもカボチャと同様に「不要な葉」を取り除きました。「育つ」ということに喜んでいたので本来であれば「不要」であった葉も残していました。というか、取り除くいうのをしらなかったのですが。かなりの量になりました。
 
こちらは「大きなトマト」です。どう育てたらいいのわからないままですが、実がなりました。少し勉強をしなければいけないかなと思っています。他の実を取り除くほうがいいのかどうか。おいしくないと面白くないので。



順調なのかどうかわかりません。一応育てています。日々勉強。これまで知らなかったこと、興味関心がなかったことを学ぶ。重要かなと思っています。
 
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なんか疲れている・・・

2020-05-28 | 陸上競技

かなり疲れています。近況報告をしたいなと思いながらも20時過ぎにはかなりの睡魔に襲われています。起きておくことができない。年齢的な部分というのもあると思います。が、疲れている。

 

色々あって授業再開。これは他校と比べるとずいぶん違うと思います。我々も生徒も。先週クラスの生徒は個人面談を実施。それでも疲れていましたが、実際に授業が始まることでダメージがあります。生徒も同様だと思います。私自身は生活リズムを崩さないように活動をしていたつもりですがそれでもこれだけの疲労感がある。昼夜逆転している生徒もいたようでした。規則正しい生活をするというだけでかなり疲れるのではないかと思いますね。

 

今回のことでいろいろなスタイルを変えることにしました。これまで座学は教室で黒板を使って行っていました。普通です。しかし、今回「いつ授業がなくなるか」というのを目の当たりにしました。予告なしに学校に登校できなくなる。オンラインの授業などもしたことがない。それに対応するために「PC教室」でモニターを使いながら授業を進めていくことに。オンラインとは違いますが「慣れておく」ことが必要かなと。

 

これまでは「板書」をしていました。それにより「ロス」が多少なりと生まれる。もちろん、それが「良さ」だったりするのですが。これも考え方だと思います。「今から先のこと」を考えると「板書」して示すことがどれだけ重視されるのかは分かりません。それを授業の中でやっておこうと。「従来通り」から抜け出して「やれることを準備していく」ように切り替えました。それも疲労感の要因の一つではないなと思っています。かなり授業準備に時間をかけています。

 

マスクをしていることもあり「大きな声」がでない。まー私は声が大きいのでそのあたりの心配はそれほどないのですが。それでも「PC教室」を使いながらどうやっていくかを考えていく。リモコンを使いながらパワーポイントを利用した授業。それぞれがモニターに内容が表示されます。この辺りは「新しいからやる」のではなく「効率よく授業をする」という部分を考えてみました。限られた時間のなかで「演習」をさせなければいけない。「文字」で認識させるのであれば「モニター」で一目でわかる。さらに「図」や「イラスト」も使いやすくなる。「イメージ」で理解させられる部分が出てくるかなと。

 

プロジェクターを使うのではなく意図的に「モニター」です。プロジェクターを利用するためには「部屋を暗くする必要」がでてきます。そうなると「メモ」が取りにくい。そこを克服するためにはやはり明るい教室で「モニター」を使うほうがいいかなと。「動画」で示すのではなく「アナログ」かもしれませんが、話をしながらパワーポイントで示していく。多くの情報は載せずに「必要なこと」だけを示していくようにしています。短縮授業になっているのですが気持ち余裕が持てるようになっています。その時間を生徒の「活動時間」に充てていく。

 

今回の新型コロナウイルスの影響ですべての生活様式が変わると思います。「今まで通り」で物事を進めていくことはできない。これはすべての人が「変わっていく必要性」を求められているのだと思います。「これまで通り」ではない。すべてのことが「変わっていく」というとき。そこに乗り遅れるわけにはいかない。もちろん、「新しいことをやる」というのに特化するつもりはありません。「方法論」が変わっただけ。やりたいこと、伝えたいことは変わりません。その中で「どのように理解させるか」という部分が変わった。それだけのことです。

 

そんなことをしていたら思った以上に疲労してしまう。慣れかもしれません。何をするべきか。これから先のことを考える。自分自身で見つけていきたいと思います。

 

また書きます。多分。

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やり場のない想い5

2020-05-24 | 陸上競技

書き続けています。何の意味があるのか。それさえも分かりません。しかし、記しておきたい。強くそう思います。

 

「代替の試合」が実施される。それはそれで意味があると思います。しかし、忘れてほしくないのはこの子達は「インターハイ」を目指して、「中国大会」を目指して、「県総体」を目指してやってきたのです。その「想い」というのはどのような形であっても「消化できない」と思います。「走って終わればいい」という単純なものではない。「これまで頑張ってきたのだから」という理由で「代替の試合」を作る。甲子園が中止になる。「県で独自の大会をする」と声高に宣言する。高校生にとっては「高校の試合」だから必死になれたというのはあると思います。「試合をする」ことだけを求めて競技をやってきたとは思いません。

 

コメンテーターが甲子園中止に対して「新幹線を貸切って移動させてあげればいい」というようなことを言っていました。「本当に頭、大丈夫ですか??」と言いたい。表現は悪いかもしれませんが本音です。何が何でも「甲子園」をやる。そこが本当に大事なのか?現場を知らない人があれこれ言っても「机上の空論」でしかない。「身体を動かす程度」で「部活動をやる」という子供たちもいます。これは当然「あり」だと思っています。同時に「必死に自分の限界までやる」という子供たちがいることも「あり」だと感じています。

 

「大人が一生懸命にやれることをやってあげる」ことが大事だとコメントしていました。インターハイの代替試合をどのような形でやっても「インターハイ」ではないのです。当初、昨年度のランキングや「7月中旬までの記録」でインターハイを実施しようとしていました。インターハイは「日本一」を決める場です。国体もU20も同じ「日本一」ですが、「インターハイ」での「日本一」は子供たちにとって全く別ではないかなと思っています。支部大会、県大会、ブロック大会を勝ち抜いてのインターハイ。「記録」だけではない。「仲間」と一緒に目指していく場所。だから意味がある。

 

中学時代に実績がなくても「きちんとレースを走る」ことで勝ち上がっていける。「1発の強さ」ではなく「安定した強さ」を目指してやっていくのが「インターハイ」です。その代わりになるものは申し訳ないですが「提供できない」と思っています。だからこそ「言葉にならない」なと思っています。

 

「大学に進学する手段として競技をやっている」という選手はほとんどいないと思います。高校生にとって「目の前のインターハイ路線」は何物にも代えがたいのです。「結果を出せば大学に進学できる」という「想い」で競技をしている選手はいないと思っています。これは「プロ」がある種目でも同様ではないか。もちろん、活躍をすれば大学などから注目されます。しかし、「記録を出す」ことだけを求めてやっている選手というのがどれだけいるのか。

 

「やればいい」という話ではない。「今もこれから先もずっとなくならない」とキャプテンが書いていた。まさにこの部分だと思います。「県総体」をやればいいのか。もちろん、最初は「走る場所」を与えてあげたいなと私自身強く思っていました。この子達の努力が何の形にもならないで終わってしまうというのは避けたいなと。だから「7月末」にでも試合があればきっと「消化できる」と思い込んでいました。

 

が、それは全く違う。今の3年生にとって「県総体」はもうないのです。「試合をやる」ことを目指していたのではなく「仲間とともに進む」ことを目指してやってきた。「県総体」で勝ち上がって「中国大会」に進み、「中国大会」で勝ち上がって「インターハイ」に進む。ここを目指していたのです。

 

7月末や8月に「代替試合」がある。実際は夏休みが短くなって授業時間に充てられている時期です。同時に進学を目指す進学校の子にとっては「その時期に試合があっても続けることはできない」のです。「大人が一生懸命にやってあげる」とコメントしていた人たちには分からないと思います。子供たちは「現状の把握」ができています。そこを分からない人たちが「もっともらしい」意見を公言するのはどうなのか。絶対に分からないと思います。

 

「日本一を目指していた」選手にとっても「県総体で勝ち上がりたい」選手にとっても「現実」は辛いものです。そのことに対して我々がかけてあげる言葉は少ない。「戦う場」を失った選手たちにとって「消化不良」はずっと残るからです。

 

しかし、私は今の選手たちと一緒に競技に取り組めたことを「誇り」に思います。こうやって選手が「自分の考え」を示す時に「成長できた」と言葉にできる。他の選手、後輩たちに気遣いができる。自分が一番つらいはずなのに私に対しても配慮してくれる。本当に涙が出ます。号泣しました。この感情は他の人には分かりにくいかもしれません。選手と向き合ってきた自負はあります。「技術指導だけしておけ」とコメントされたこともありますが、「こちらが伝えたいこと」は選手に少しずつ伝わっていたのだなと感じました。

 

世界中が大きく変わりました。この中で「大切にしたいこと」の確認はできました。さらに「人の本性」という部分も見えてきます。「表面的」ではなんく「本当の姿」がどうなのか。ここは重要だと思います。きれいごとではない。

 

まとまりません。やり場のない想いが心の中にあります。それでも止まっていたら何もできません。しっかりと考えていきたいと思います。長文になりました。相応しくない表現があったかもしれません。

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やり場のない想い4

2020-05-24 | 陸上競技

まとまりません。言葉で表現できない感情が自分の中にあります。書くことで吐き出しているという感じがあります。

 

もう一人、3年生から連絡が。本当は直接伝えたかったけど難しいので文章で・・・と。この選手は「不器用」で「ハードルドリル」をやったら手と足が一緒になるという感じがありました。他のことをやってもなかなか上手くできない。上級生が全くいない中でやっていく。「乱される」ことはあっても「お手本」として「真似る」ことがない中で競技をしてきました。何度も何度も私に呼ばれて指導される。これは下級生があまりにも酷かったのでそのことに関して指導するという部分でした。練習をきちんとしない。それに対してどうするのか。時間を守らない下級生。練習をしない下級生。そこに対してかなりのストレスを感じている部分がありました。よく耐えていました。

 

そんな選手から・・・。

 

高校から陸上を始めて正直ここまで陸上に本気になるとは最初は思いませんでした。高校生活1番頑張ったことは陸上だと思っているし、ここまで本気でやってきたからこそ自分の納得いく形で陸上生活を終えたいと思っています。今まで何回かやめようと考えたことがあったけどここまで頑張ってきたことを崩したくなかったし、陸上が好きなのでここまで続けてこれました。自分がここまで本気で取り組んできたからこそ今のままで終わったら悔いが残ると思ったのでどこまでやれるか分からないですけど続けていく方向にしました。

 

これも涙なしには読めませんでした。1年生の時には400mで60秒くらいかかっていました。それが2年生になって52秒台に入る。この冬は「50秒台を出して中国大会」という目標を掲げていました。周りが見たら「無理だろう」と思うかもしれません。しかし、ひたむきにやり続ける。短長で苦しい場面でも前を向こうとする。冬季練習の時に「TVでバスケット選手のニュースをやってたので俺も膝に手をつきません」と言っていました。そういう姿。大きな成長だと思います。

 

実際、目の前に試合がありません。「納得」がどのような形なのか。これは誰も想像できません。本人が進むべきことをやっていく。それでいいと思います。

 

「日本一」を目指してやっていた選手もいます。同時にこうやって「何もないところからスタート」した選手もいる。ここはすごく大切な部分だと思っています。「強い選手だけ」が注目されるのではない。高校生にとって「県総体」は大きな意味があるのです。他の大会とは明らかに違う。「学校」があるからできる。一人ではなく「仲間」と一緒にやっていくから「意味」があって「本気」だから見えてくる景色がある。そこは間違いない事実だと思っています。

 

続いて書いていたのですがさらに長くなりそうだったのでいったん切ります。すみません。

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やり場のない想い3

2020-05-24 | 陸上競技

続きを。

 

また、別の選手からも連絡が。キャプテン。この選手も色々な「想い」を抱えていたと思います。昨年度悔しい想いをしてきた。この冬は誰よりも真剣に練習に取り組んでいました。この時点ではチーム内で一番強いかなという感じでした。昨年県新人で4位に入った選手と遜色ない。スタートの部分があるので勝つのではないかなという感じで冬季練習をやってきました。幼い部分もあったので何度も何度も衝突しました。過去最高レベルの衝突だといってもいいくらいだと思います。それでも「速くなりたい」という気持ちは誰よりも大きい。それだけは分かっていたので向き合ってきました。

 

その選手からも連絡が来ました。

 

この状態で自分自身、やりきったってまだなかなか。引退っていうのが言葉で言えても頭の中ではなんかつっかかります。陸上が大好きなので陸上を離れるっていう選択がまだできません。大会がなくなり目標がないまま続けるのも辛いけどそれ以上に今まだ、曖昧な気持ちで陸上を離れるのはもっと辛いです。・・・本気で目標に向かって追い込むのは無理ですが、自分が今年活躍できなかった分、後輩に活躍して欲しいので、自分もやりながらもドリルなど自分ができる範囲で教えていきたいです。・・・まだ引退しますとは言えないので気持ちの整理がつくまで納得がいくまで陸上部にいます。

 

さらに。

 

一回インターハイを経験しているからこそ、もう一回先生とみんなとインターハイに行きたかったです。これは本当に今でもこれから先もずっと思うとおもいます。

 

この言葉。本当に胸に突き刺さりました。これまで「自分」が中心で進んできた。それがキャプテンになり学年が進んで大きく成長したと思います。自分の辛さも周囲への気遣いもできるようになっている。「速くなりたい」という「想い」が大きくあったからこそ成長できたのだと思います。涙が止まりませんでした。

 

競技を通じて人は成長する。今のご時世、「部活動不要論」はあります。やる必要ない。そう主張する人も多い。競技をするなら「社会体育でやればいい」と。私自身も少し前までは「やりたくないならわざわざ入ってやる必要はない」と思っていました。「人間的な成長」を求めていく部分がある。

 

「オンライン」が「今の教育だ」と声高に叫ぶ教育評論家。「学習」がどれだけ大切なのかを主張する。もちろん、大切な部分だと思います。しかし、「部活動」で成長していく子供たちがどれだけいるのか。「勉強」さえしておけばいいのであれば「学校不要論」がメインになります。塾に行って勉強だけすればいい。経済格差が懸念されるなら「オンライン授業」の内容を文科省が買い取ってそれをひたすら流せばいい。

 

学校でしかできないことがある。うちのキャプテン、中学時代は単独でやっていました。「競技は一人でできる」という感じがあったのだと思います。それが2年間の時間を過ごして上述のようなことが言えるようになる。「後輩」に対しての「想い」も口にできる。それが「学校」や「部活動」が持つ「教育効果」なのではないか。気づかなかったことに気づけるようになる。それは我々が「教え込む」のではなく「実体験」を通じて肌で感じていく。だから人は変わる。真剣に衝突することもある。それも「現場」だからできることではないか。そう思っています。

 

うーん。また書きます。まとまりません。この子達の「想い」は永遠に消えない。それだけは確かです。こうやって「成長」や「想い」を聞けること。これは私にとって本当に大きな部分です。私自身もこの子達のことは絶対に忘れられません。・・・。また書きます。

 

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