kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

船頭多くして船山を登る

2015-08-31 | 陸上競技
船頭多くして船山を登る。この故事は有名だと思います。船頭さんというのは船の行き先を決めて指示を出す人。船員はその指示に従って舵を取り進むための努力をしていく。この故事では一つの船にたくさんの船頭がいることで方向性が定まらず、気がついていたら船が山に登っていたといっています。あれこれ指示を出す人が複数出てくると見当違いの事をやってしまうという例えですね。

先日のこと。本来では全くもってやる必要のない事だったのですが、自分のやるべき準備をするために避けて通れない事がありました。そこにおける責任の所在は明確ではなく誰もやらない。仕方ないので私が指示を出して行動をしていました。大人ですからそれなりに我慢して行動します。が、その途中に別の人が入ってきてあれこれ指示を出し始めました。それにより周りはどう行動したら良いのか分からなくなります。仕事はかなりの時間停滞しました。

私からすればかなり見当違いの話をされています。明らかにやりたい方向と逆方向の指示を出される。何度も説明をするのですがそれが上手く伝わらない。勝手に指示を出されるのですが、やればやるほど上手くいかない。そして気がついたらいなくなっている。で、一番最初の指示に戻してやっていくときちんとできる。これは本当にどうなんだろうかと考えさせられました。一定方向に進んでいた船に乗り込んで来て、進路を間違えたから船を降りる。結局かなりのロスをしました。

効率良く動きたいと思っています。時間には限りがあります。本当に進むべき道を周囲に邪魔されるというのはやはり心外です。これは他の部分でも多く感じます。本来やるべき人に任せておけばいいのに外野(責任がない人)が好きな事をいう。それぞれの立場と関係を把握しないといけないと感じた。まー世の中のトラブルというのはこういうところから発生するというのは明確ですね。発言だけしてその後どうなるかまできちんと考えないのでは有限の時間を浪費することにつながるからです。

こういうのは指導に関しても同じだと感じています。私は性格的に「広く浅く」というのは出来ません。生き方や指導に関してはある一定の軸を中心に進んでいます。特に技術指導に関しては師匠からの教えを軸に考えています。ここはブレないようにしたい。もちろん理解不足ですからオリジナルに勝てるというのは難しいと思っています。が、そこに軸を置いて進まなければどこに進むのか分かりません。

他県に勉強のために行くことがあります。その中で多くことを学びます。これまでとは異なる考え方、スタンスもある。それぞれ考えがあって指導されています。もちろん多くの事を自分の中に取り込んでいきます。本当に貴重な経験ですから。しかし、やはりベースは師匠からの教えに置きたい。様々な事をやってしまうとどこに進んだら良いのか自分自身が進むべき方向性を見失います。それにより船に乗っている船員が困惑する。船頭が迷えば船員は何をすれば良いのか分からなくなる。指導者が技術的な事でブレるのは良くないと思います。

指導方針も同様かなと。ブレてしまうと進めない。ひょっとしたら間違っている事もある。それでも信じて進んでいかないと周りが困惑する。所信表明とは言いませんがそれくらいの気持ちでやっていかないといけないのではないかと感じています。道は真っ直ぐではない。また、一つでもない。それは承知の上です。ブレまくっていたら貴重な時間をロスする。もちろん多くのアドバイスや指摘に耳を傾けながらになると思います。時には立ち止まるかもしれない。それでも進みたい。

なんとなく思うことを書きました。
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結果を求める

2015-08-31 | 陸上競技
スモールステップ。小さな目標を設定してそれを一つずつクリアしていく。クリアすればまた新たな目標を設定してそれを越えていく。この繰り返しの中で「達成感」を感じさせていく。いきなり大きな目標を掲げるのではなく、一段ずつ、一歩ずつ進んでいこうというもの。千里の道も一歩から。まずは前に進まないと遠い場所へは進めない。

毎日毎日練習をしていたらきっとこの部分を感じられなくなるんだと思う。目に見えて変化しているわけではないから「一歩進む」事が出来ているのかどうかを自分では分からなくなる。ドリルをやってもトレーニングをやっても自分自身ではよく分からないから。

これまでは大きな目標に進むためにはあまり考えなくても自然と進めていた気がする。が、改めて考えると「力がある付いてきたんだ」というスモールステップを踏む機会を与えることができていない部分がある。特にここ最近は「これまでとは異なることをやっている」のだから、選手たちも「本当にこんなことやって意味があるのかな」と感じる所もあるだろう。致し方ない所だと思う。

速く走れているというのは目に見えない。練習でタイム測定はしないから。トレーニングも同様。ウエイトをやるのであれば少しずつ重量が増えていくので分かるがそれもやらない。「力が付いてきている」というのが自分自身で把握できないのであればやはりモチベーションは上がらない。そこの部分を感じさせることが必要だと改めて感じた。

いきなり高いレベルの記録を求める気はない。身の丈にあった少しずつの記録を出していけば良い。それが目に見えてくれば自然と取り組む姿勢は変わっていくのではないかと期待する。与えられた意識付けではダメなんだと思う。自分自身が「成長しているんだ」と感じさせることも必要だと。当たり前の話ですが。

練習に関してはある程度の事は出来ています。私がイメージする全ての事ができたかと言われると答えはノーですが、今できるであろうことは出来始めたかなと思っています。細かい事を言えば切りがない。大きな枠の中で取り組めているのだけは確かです。少しずつですが身体つきの変化も出てきています。筋力が弱い者はやはり故障してしまいます。そしてそれを繰り返してしまう。練習メニューが悪いのかもしれません。そこも思慮に入れながら考えていかないといけなくなる。身の丈に合った練習内容ではないなら、もっともっと考えないといけないと思います。

全てのレースで結果を求めるというのは難しい。狙った大会できちんと結果を出せれば良いと思っています。しかし、今の状況を考えると「やればできる」という自信を少しずつ持たせるための工夫も必要となる。実際問題、秋のレースに個人で出場できる選手は少なくなります。そうなった時にどうやってモチベーションを維持させるかというのも大切な要素になるのだと思います。

可能なら他にもレースを探して出るような形も必要かもしれません。それで良いと思います。上で戦うための下準備をしていく。そのためにはやはり心の部分をきちんとしていかなければいけなくなるから。今は参加して走る事に意義があるのです。これを少しずつ戦う事に意味を見いだせていけたらと思っています。

時には結果を求めることも必要。色々と考えます。
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急がば回れ2

2015-08-30 | 陸上競技
補足。

短期間で結果を出したい。それは誰もが思う事。当たり前です。少し練習をしたら結果が出るんじゃないかと期待してしまう。出なかった「面白くない」と思って諦める。よくあるパターンです。周りからは「kanekoが指導するのだから」と言われる事があります。別に私が指導するから強くなるとは思っていません。社交辞令として受け止めています。ひょっとしたら選手も「過大な期待」をしているかもしれません。残念ながら私には「いきなり強くする方法」を教える力はありません。もっと優れた指導者であればそれができるのかもしれませんが。

師匠が「1年生でインターハイに行くと良い事はない」と以前から言われていました。この意味分かってもらえないかもしれないですね。行けるものだったら1年生でもインターハイに進めた方が良いに決まっています。全国の舞台を経験する事で得るものはあります。が、同時に失うモノもあるのです。本来であれば一番大切にしないといけない1年生の時期。ここの期間をどう使うかで今後の結果が決まってきます。短期的な結果を求めるのか、長い目で見た時に戦えるようにしていくのか。これも指導者の考えだと思いますし、その感覚を共有してもらうのはなかなか難しいと思います。

まーこれまでそんな選手を預かった事がないので考えた事もありませんでした。それでも色々と見ていると師匠の言葉は「真」だと思いますね。なぜ、そのような言葉になるのか。今の指導スタイルの原点になると思います。強い選手を預かったとしても今のスタイルは変えるつもりはありません。長い目で見て取り組んでいきます。上を狙わないと言っているわけではありません。基礎的な準備をしていく延長線上で上の大会に進めればラッキーだという考え方です。1年生で性急に結果を求めてそこが高校時代のピークだったとなればそれからの2年間は楽しくありません。長い目で見ていく事の必要性。

「理由なき結果」を求めたくないと思っています。しっかりと準備をしていく中で「結果」を出したい。そのためには慌てて結果を求める必要はないのです。それは指導者も選手も保護者も理解しておかないといけないと思います。目の前の事だけを考えてしまうと一時的な満足は得られるかもしれませんがその後がしんどい。

前の記事にも書いています。しっかりと基礎技術を身につけ、基礎筋力を上げていく。そのためには時間がかかります。そこを理解してもらいたいと思っています。今の2年生には最初から話をしています。2年間でやらないといけない事を1年でやる必要がある、と。時間が足りなくなります。だからといって焦って詰め込む事は出来ません。身体と心が付いてこないからです。私から求められる事に対して順応できるまでに時間はかかるでしょう。流れがあるチーム状況と今の状況は異なります。今流れを作り出さないといけないのです。基礎的な事をやるための時間が不足する。ここをどうやって工夫するかですね。

毎年毎年話をするけど実施していません。入部当初と3年生になった時の身体の変化を記録しておこうというものです。明らかに異なります。これは1年くらいすると明確になります。それに伴って確実に走りが変わります。前の記事に書いていた高跳選手、高校に入学して腕立て伏せができるようになりました。それも10回くらいはできます。何を言っているのか?と思われるかもしれませんが。こういう事の意味が分かってもらえるかどうかだと思っています。とにかく時間がかかるのです。しかし、確実に変わります。

適度に補強しているわけではありません。かなり工夫をしてトレーニングを進めています。他校とは異なる。参考にはならないかもしれません。まだまだ負荷的には足りない部分もあると思いますが、徐々にやっていきながら順応してもらいたいと思っています。これまでやってきた事をベースにトレーニングの工夫をしています。まだ、目に見える変化はないかもしれません。それでもやらないといけない。

この数ヶ月間、60mまでの距離とトレーニングしかしていません。それでも少しずつ変わってきます。高い質の練習を繰り返せるようになるまで時間はかかると思っています。急がば回れ。それは間違いない事実だと考えています。理由なき結果を求めるのではなく、きちんと狙って結果を出せるようにしていきたい。そう考えて指導しています。

頭の整理。blogを書く中で行っています。全くといって良いほど書く意欲を失っていましたが、少しずつですね。まだまだ、書きたい事があるのですが。書けたら書きますというレベルで。
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急がば回れ

2015-08-30 | 陸上競技
思う事を少し。これもそれぞれの考え方だと思っていますからこの考え方が絶対的に正しいとは思っていません。あしからず。

高跳選手に関して。個人が特定されると批判されるでしょうか。別に悪口を書いているわけではないので問題はないと思うのですが。これもあまりにもひどく批判されるようなら削除します。

高跳。はっきりいって専門的な指導はできないと思っています。前任校の選手が高跳でインターハイに出場しました。その選手に関しては1年間全く高跳をさせませんでした。これに関しては賛否両論あるでしょう。リレーを走るために1年間高跳を封印。高で153を跳んでいましたが、この記録ではインターハイを狙うには遠かったというのもあります。本人は高跳にこだわりがあったのですが話をして封印。結果的に2年生ではリレーでインターハイ、3年生では高跳でインターハイ。最高の結果を残す事が出来ました。これを正当化するつもりはありません。2年生でインターハイに行けなかったら?3年生で行けなかったら?と言われたら返す言葉はないからです。

しかし、153で高跳にこだわっていたら本当にインターハイに行ける可能性があったでしょうか?ここは考えないといけないと思います。結果オーライとは言いません。やりたい種目があるのにやらせてもらえなかったという不満を持たれる事もあるでしょう。当然の話です。批判的に捉えられる事もあるでしょうから私の指導を正当化するつもりはありません。「たら」「れば」になるから。結果的に良かったから評価を受けて、結果的に悪かったら批判を受ける。当然の話だと思っています。

こんな話をすればきりがありません。これまで指導してきた選手がインターハイに行った。が、これが他校に進学していたら本当にインターハイに進んだのか?競技に対して本気で取り組めたか?ここに関しても比較対象がないのであれこれ言えないと思います。他校に行っていたらもっともっと強くなって全国優勝していたかもしれません。中国大会に進んだ事がない選手であってもありえる話です。それは本人達が判断すれば良い事であり、外部があれこれ批評することではないでしょうね。

本論から少しそれてしまっています。今も高跳選手がいます。中学の時に150を1度だけ跳んでいます。すごいことだと思います。県総体では150をもう一度跳びましたがジャンプオフで負けてしまい中国大会に進めませんでした。かなり悔しかったと思います。そこから一切高跳練習を止めました。突貫工事で4月末から1ヶ月かけて高跳練習をしました。一からやり直すという感じでしたからかなり時間を要しました。上に進める可能性があるので一時的に高跳に特化するような形です。

が、そこから2ヶ月間、高跳練習はしませんでした。必要ないと考えていたからです。「技術的な部分」だけをやっても仕方ないから。他の指導者がどのように考え、どのように計画するのかは分かりません。が、「専門練習」という形にして跳んでおくだけでこれから先はないと思っていました。今でも思っています。競技場練習が少ない部分もありますが、専門練習するよりも前にやることがあると考えています。

ひたすらスプリントドリルをやり、短い距離を走りました。更にはトレーニング。身体を動かすための基礎筋力が不足していると最初から感じていてその話をしていました。この2ヶ月も走る練習はほとんど出来ていません。身体がついてこないから。自分の身体にあった筋力がないので走れない。だからやりたい事の半分以下の状態で進んできました。時には叱責する事もあります。これはこの子に限らずですが。やれる事をしっかりとやるという姿勢を全体に身につけてもらいたいからです。まだ自分の力を磨けていないから。

支部新人、一回も練習をせずに高跳に出場。146で終了。更に跳躍練習を全くしないで臨んだ市民選手権では150を跳びました。専門練習は全くしていません。これが何を意味するか。昨年一度しか跳なかった高さを一度も練習しないで跳んでいます。155も惜しい感じでした。結局は「小手先の技術」云々が求められているわけではないと思っています。この選手、しっかりと身体作りをしていって来年インターハイを狙います。

急がば回れ。短期的な結果を求められるのであれば私の指導方法は不適切かもしれません。スプリントドリルもすぐには身につかない。高校1年生だったらとにかく走らせておけばある程度走れるようになるかもしれません。でも長い目で見た時に力を出していく事を考えると基本的な事を丁寧にやっていく事が必要だと思っています。基礎的な身体作りをやっていくだけで力が上がります。「たまたま良い選手が来てくれている」という評価もあると思います。選手あっての指導者ですから否定しません。が、良い選手が右肩上がりに伸び続けるのではないというのは理解してもらいたいと思います。何を目指してやっていくかだと考えています。

長くなりました。補足はまた別に書きます。長過ぎると読むのが大変ですから。
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必要な時間

2015-08-30 | 陸上競技
夏休み、支部新人と市民選手権のレースに出場した。これまでとは異なる環境で何をするか。本当に悩んだ時間だったと思う。私も選手も戸惑いの中でやっている。お互いに「これまでとの違い」をどう受け入れていくのか。これが難しいところ。私のようなタイプの指導を万人が受け入れるわけではない。分かっている。でも必要としてくれる者もいる。逆に一挙手一投足が嫌だという者も出てくるだろう。

これまでは狙いとする大会以外は全く度外視していた。インターハイ路線がメイン。県新人も結果を残すという意味では大切にしないといけないし、次年度につなげるためにはやはり調整が必要になる。何年も前に支部新人を「上につながらない大会だからそれほど重視していない」と書いたときに「選手にとっては大切な試合なのだからそのような言い方は失礼ではないか」とコメントされた事がある。人それぞれ捉え方はある。どちらの考え方が正解かは分からない。どちらも正しいのだと考えている。が、基本的に指導者の考え方を優先してもらわないと進むべき道が示せない。そう考えている。

支部新人は散々だった。当然だと思う。土日に強化合宿があって水曜日に支部新人だったから。これまでであれば二日間空けばある程度回復して走れるようになっていた。が、それはそこまでに準備が出来ていたから。普段の練習が合宿に耐えられるだけの負荷をかける事ができてれば身体も順応する。しかし、それをするためには時間が足りなかった。少し負荷を増やそうと思ったが身体が耐えられそうにない者が多数いたので我慢していた。120mを数本走るようになったのも夏休みに入ってから。正直まだまだ記録を狙うという段階ではなかった。合宿では人生初の負荷だったと思う。肉体的負荷も精神的負荷も。「本気で強くなろう」と思う選手達との差をまざまざと目の当たりにしたのだから。

通常なら県新人を見据えてもうひと頑張りしないといけない夏休み後半。月末に市民選手権があるので練習量を少し抑えた。強化期間にしたいところだがあえてこちらも我慢。いや、私自身の感覚を少し変えないとダメだと気付かされたからの調整だったと思う。これまでとは異なる環境でやっている。それは私も選手も同じ。完全に落として月末のレースを迎えるというのは避けたかったからそれなりにやっていったが、本来やるべき練習の6割くらいに抑えた。理由は明白。これまでやってきた事を結果として示す必要があると感じたから。キツイことをやっている。何のためにやっているのか分からなくなる。毎日毎日今までの生活とは異なる練習をやっている。楽しめなくなっているだろうなと感じたから。長い目で見ていくことも必要だが、「目先の結果」も選手には必要なんだと勝手に感じた。

土曜日にレースがあった。結果はほぼ全員が自己ベスト更新となった。当然といえば当然。それだけのことはやってきているのだから。完全に調整したわけではないからもっと上がると思っている。が、まずは「結果」を示していくことを選んだ。もちろん、今のタイムで県内で勝ち上がっていくのは難しい。でも、いきなりそこを目指すのではなく自分達がやってきた事がそれなりに形になっていく事が分からないと先には進めないと思う。チームとして進むためにはそれなりにモチベーションを維持しないといけなくなる。

毎回記録が出るわけではない。当然の事。持ち記録が高ければ高いほどベストを更新するのは難しくなる。それでもきちんと記録を出していく事は大切な事だと思う。少しはやっている事の意味を感じてもらえたかもしれない。チームとして機能し始めるともっと高いレベルになる。そこまでたどり着けるかどうかはこれからだと思う。0.01秒でま記録を上げていく事が目標となる。少しずつの積み重ねでしかない。高校の段階で「伸び悩む」というのは余りないと思っている。故障をすると当然伸びは止まる。練習が出来なくならから。これも分かってもらわないといけなくなる。

でもある程度の練習が出来れば記録は出る。偉そうに思われるかもしれませんが、それくらいの事はやっていると思います。「たいした指導をしていないくせに偉そうに」と思われるならそれはそれでいいと思います。別に自慢する気も何もないですから。やるべき事を少しずつやっていくと事でしか変わらない。やるべき事をやらずにあれこれ言うのはフェアではない。きちんとやればある程度の結果は出るのです。

前に進むためには時間がかかります。しかし、これは必要な時間なんだと感じています。いきなり数段飛ばしで結果を求めるのは不可能だから。今の指導スタイルであればすぐに結果を求めるのは難しいと常々話しています。1年かけて基礎を作ってから勝負をしていくのがスタイル。基礎技術向上と筋力アップを考えているので時間がかかるのです。そこを理解して補ってもらえれば目指す部分につながっていく。言葉で示すのは簡単な事です。が、実際は難しい。

大きな結果を求めるつもりはありません。やっていれば強くなるというのを感じてもらえればそれで良い。そう思っています。勝負できる時がくれば勝負する。その気持ちを常に持っておきたい。

時間は必要です。急激な環境変化を求めていた気はします。0.01秒速くなればそれで良い。そのために何をするかを考えられるようになれば良い。これからだと思います。時間をください。そしてそれを見ていてください。

身の丈にあった事をやっていきたいと思います。
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速くなるためのヒント2

2015-08-30 | 陸上競技
前の記事で書きたかった事がいつの間にか別の話になってしまっていました。今度こそきちんと書きたいと思います。

「練習への理解」というのが実はすごく大切なんたと思っています。これは発達段階も大きく影響するので簡単に話しができるわけではないのですが。同じ事をしても効果が出るかどうかというのはこのあたりの部分が大きく影響していると考えています。

ここ最近何度か書いていますが卒業生が大幅自己ベストを出しました。あともう一歩で全国で戦っていける所まで来ています。なぜ大きく力が上がってきたのかという部分。意欲が高くなったというのもあると思います。その中で「これまでやってきた事に対する理解」があったのだと思います。基礎的な事をずっとやってきて、進学してそれをやらなくなっていました。時間的な事もあるでしょう。仕方ない事だと思います。伸び悩んで原点に戻ろうと思ったと話しをしていました。スタートは「高校時代の日誌を見ながら一つずつ確認していった」と。それにより加速段階が修正されてきてそのままはしれるようになったと。

もちろん、この話しの中には社交辞令的な部分もあると思います。本人がしっかりと練習をしたから速くなったのだけは間違いないと思います。が、技術的な部分は指導を受けるチャンスは少ないのでやはりこれまでやってきた事をベースに積み上げていくしかないのだと思います。二十歳を越え大人になっています。だからこそ「この練習は何のためにやっているのか」を考えるようになったのではないかと推測しています。高校時代には細かく説明をしています。それを日誌に誰よりも詳しく書いていました。それを見直すこと、どのような動きをやれば速くなるのかを自分なりに解釈して練習をしているので大きなレベルアップにつながっているのだと。

自分の感覚と練習で行う動きの擦り合わせが必要になるんだと思います。自分の動きを少しずつ理解してそれを改善するための方法を模索する。そして本当に必要な事を素直にやっていく。だから速くなる。「考えながらやる」から力が上がっていくのです。やるだけの練習とは大きく異なる。股関節周辺が弱いなと感じたら自分でメニューを加えてそれを走りに生かすための動きをしていく。この感覚が大切。そして頭で分かってもそれができない選手が多い中で本当にそれを行う。強くなるのは当然だと思っています。

高校時代にはなかなか「感覚」と「やっている事」が一致しない部分があったのではないかと思います。まだまだ自分の身体の動かし方をきちんと把握できていなかった可能性はあります。誰よりも一生懸命に練習に取り組んでいました。が、余裕がなかったのかなという私自身の反省もあります。そして「時間が足りなかった」という部分もある。もっと時間をかけて向き合っていけていたら早い段階で違う結果を出す事ができたかもしれない。これは私のエゴかもしれませんが。大人になったから出来るようになってきた事もあるんだと思います。

同じ事を高校生に求める事ができるか。答えは「ノー」だと思います。やはり練習の意味をきちんと考えながら取り組むというのは発達段階としては難しい。中学生になれはもっと難しくなる。「練習をやらせる」だけで精一杯の部分が出てきます。理想論としては早い段階から「練習の意味を理解して取り組む」事ができると良いがそれはやっぱり無理だと思います。ある意味「メニューを与えてやらせる」という練習方法も間違っていないのかもしれません。細かい事を考えながらやる事はやはり難しい。

だから今工夫しているのは「強制的に動きを作る」という部分。ある練習をしていたら自然に動きや感覚が身につくというようなところです。もちろん、基礎的な動きの意識はさせます。それが出来ないとやるだけの練習になってしまうから。「なかなか動きが改善できない」という話を聞きます。走っているだけでは変わらないと思います。動きを変えるための方法論を考えずに「変わらない」という部分だけに着目するのはいい事ではないのかなと。動きを変えるための技術練習をさせないと変わらない。

理解して出来る事が速くなるための理想。しかし、中学生に細かい事を教え込んでも理解できません。教えているという自己満足で終わってしまう。ここは私自身気をつけていきたいと思っています。丁寧に一定の練習を繰り返しやっていく事で確実に動きは変わると思っています。走っているだけで大きく動きは変わらない。もちろん高いポテンシャルがあれば変わっていくのだと思いますが、偶然の産物であったり、無駄に時間を要するのは避けたいと常々思っています。

時間をかける。この中でしかできない事があります。中高生を対象に指導をするのであればこちらも根気が必要です。足運びや重心移動の練習をするためには地味な事を繰り返す力も必要となります。しつこくしつこく声かけをしていかなければいけない。そのためには私自身のモチベーションの維持も必要になる。私がやる気にならないとそこまで丁寧に時間をかけて指導をしようという気にならないから。偉そうに取られるかもしれませんが、この部分も本当に大きな事だと思っています。動きを変えるための練習があってもそれをどのようにやっていけば良いか分からなければ出来ないからです。まーここはこれ以上触れません。

何のためにやっているか。それを理解して取り組む。または、理解できていなくてもそれを最大限に取り組む。この中で確実に力が上がっていくと思います。「自分は理解している」というように思い込んでもらったらこれはこれで困ります。何度も何度も感覚の擦り合わせはしていかないといけません。速くなるためにはやはり理由があると思います。私自身ももっともっと考えながら取り組む必要がある。

私の指導スタイルが万人に受け入れられるかどうかは分かりません。が、ヒントは少なからずあるんだと思います。それを私自身が理解していかないといけない。速く走るため。ここにこだわっていきたい。技術的な事だけではなくまだまだやる事はあるんですが。これはまた別の機会に。

結局まとまりがなくなった気がします。文才がないので仕方ない。
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速くなるためのヒント

2015-08-29 | 陸上競技
本当に色々と考えるようになった。特別な事ではなくごく当たり前の事をもう一度しっかりと見直していこうと思っている。

速く走る。ここにこだわってやっていきたいと思っている。単純に速く走る事を考える。実際はそれだけではなくそこに辿り着くプロセスの中で人は大きく成長する。そこに辿り着くために何をするかだと思っている。持ち上げてなだめすかして選手を速く走らせる事を目指しているわけではない。なかなか分かってもらえないかもしれないが。陸上競技という部活動が終わってから選手に何が残るか。そこを考えたいと思っている。不平不満は少なからず誰にでもある。でもそこだけに執着したら先には進めない。私自身思い通りにならない事の方がたくさんある。だから考える。それが出来なければ練習をする意味はなくなると思っている。

陸上競技は基本的に個人種目だと言われる。一人強ければインターハイに進む事だってできる。でもそれは長続きしない。たまたま強い選手がいるだけで次の年も同じレベルで競技が出来るかというと全く違う。目標の共有ができないから。だからずっとリレー中心のチーム作りを頭に置いてきた。複数の人間がそれぞれの役割を果たしていく事でリレーが走れる。決して一人ではリレーは組めないから。ここをチーム作りの中心に置く事でそれぞれが成長していくと考えてきた。これはこの先も変わらないと思う。

勝てるからリレーを組む。そんなつもりはない。一つの事を全員でやり遂げるためにリレーをすると考えている。人は1人では絶対に強くならない。特に中高生ではかなりの確率で誰かの助けが必要となる。それは顧問かもしれない。または一緒に競技をしている仲間かもしれない。間違いなく誰かの力を必要とする。それを一番感じられるのはリレーだと考えている。強い選手が1人だけいてもリレーは組めない。絶対に4人は必要。「あのチームはエースが1人いるから勝てる」と揶揄されることもある。それは違う。他の3人がいなければその選手はリレーに出場することさえできないのだから。

リレーへのこだわりがある。私自身のためではない。誰のためなのか。これはblogに書き続けてきたつもりだし、普段から口にしているつもりだ。理解はしてもらえないかもしれない。それはそれで仕方ない事だと捉える。万人に理解を求めるのは不可能だから。みんなで一つの事をするチームを作りたいと思うし、作らなばいけないと思う。それが「速くなるため」に必要だと考えるから。

最初に書こうと思った文章と全く違う内容になってしまった。忘れなければもう一度別に記事を書こうと思う。忘れなければ、だが。
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ステイタスとは

2015-08-28 | 陸上競技
思うことを少し。

数年間、様々な場面で指導をさせてもらっている。これに関しては面白い部分もあるし難しい部分もある。一番丁寧に練習をやっているはずの自分の学校もあれば、県合宿や国体合宿のように数日間しかみない場面もある。更には卒業生のようにしばらく直接指導をしていなかったのにまたタイミング良く指導することもある。それぞれの場面で色々と学ぶことがあるのです。

様々な場面で指導をする。今年は県で中四合宿の引き受けのためそこでも指導することになるという話。ある意味名誉なことなのかもしれない。本当は指導したくてもそういう機会を与えてもらえない指導者もいるかもしれないので。基本的に自ら進んでそこの場面に出たいとは思わない。要請があっても断る人もいると聞いている。他者の目に晒される場面となるので「指導方法の評価」を受けることになるだろう。それを嫌だと思うのは当然かもしれない。他県で指導を見たときにそれなりに感じることがあるので、同じように見られるのだから。

大きな場面で指導をする。これによりある意味「地位の確立」というのが成立するのかもしれない。「あの人はすごい」と認められる部分が出てくるから。私自身ははっきりいってどうでもいい。これまた批判されるかもしれないけど。そこにステイタスは一切感じない。誰かに認められるためにやっているわけではないから。管理職志向というのと同じなのかもしれない。私はそういうものに全く興味がない。偉くなろうとか他者から認められたい、人の上に立ちたいという願望は全くない。「スタンドプレーが多い」と言われるかもしれない。他者との調和が取れていないと言われるかもしれない。そうだとしても「大切なものは何か」という部分を自分の中で持ったおきたいと考えている。

教えたくてたまらない。そういうもの感覚もない。誰かに何かを教えて優位に立つという感覚もないから。誰かに何かを伝えてそこで変化があるというのを目の当たりにするのは楽しい。選抜合宿などになると「競技の指導」だけをしておけば良いから特にそう感じる。細かいことをいう必要がないから。クラブチームなどの指導も同様。取り組みの姿勢や生活指導はないから楽だと思う。関わりが深くなればなるほど細かい所の指導が必要になるので軋轢が生まれる。当然のこと。

こういう感覚を他者に求める意味はないと思っている。指導するスタイルが違ったり価値観が違うので。だからこそ私の指導スタイルを貫きたいと思っている。あれこれ言われる可能性はあるが。どこを基準にするかという話になるんだと思う。他者の基準に合わせて指導する事も時として必要だと思う。が、100人いたらやはり求められる所は違ってくる。1人だけを指導して99人を指導しないというのは通常ありえない。が、意欲というか強くなりたいと前面に出してくる選手と受け身で指導を受ける選手を全く同等に扱うのは難しいと思っている。「不平等」だと言われるかもしれないが、逆に何を持って「平等」だとするのか。これはそれぞれの価値基準でしかない。

私の指導を受けたいという選手もいる。逆も然り。特別な場面での指導はあくまで「非日常」でしかない。「日常」の指導の中で何をするかって話になる。「非日常」で指導と「日常」の指導では大きく異なる。合宿などで「指導を受けたくない」と言われてもなかなか難しい所がある。人生の中で一度だけ合宿の練習で最初から最後まで指導に乗ってこない選手がいた。中国合宿だった。これはこれで考えさせられた。コミュニケーションがほとんど取れない中で進めていく感じだったので。本人は合宿中、ずっと絵を描いていた。もっと上手いアプローチができたのかもしれない。

何の話か分からなくなってきたが、様々な場面で指導する事で学ぶ事はある。が、そこでの指導にステイタスは感じない。指導したから認められるという気にもならない。まー特別な事ではなく当たり前の事を当たり前にやっていきたい。

雑文。
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手術する

2015-08-27 | 陸上競技
先日、ふくらはぎになんだか分からない膨らみがあることが判明。全く気づかなかったのだが国体合宿中に指摘されて初めて分かった。特に痛みがあるわけではないから全く分からなかった。「病院に行った方が良いですよ」と勧められたのでなんとなく大変なのかなと。

職場の同僚に相談してみると良い病院があるということで紹介してもらいました。わざわざ予約まで取ってもらい本当に感謝ですね。先週の金曜日に行ってみると「下腿静脈瘤」の典型的パターンだったとのこと。「静脈」というのは身体中に酸素を運んだ血液を心臓に送り返すもの。こんなこと書く必要はないんですが(笑)。エコーで見てもらうと右足の股関節周辺にある静脈のところで血液が逆流していた。逆流しないための弁がきちんと機能していなかったらしい。なんでこんなことになるのか分からないが。不摂生が祟ったのかなー。

急遽手術をすることになった。早い方が良いということで翌週の火曜日に入れてもらった。これまで手術なんてものは受けた事がない。まー不安しかない。手術する事が決まった瞬間からふくらはぎが痛い気になってくる。病は気から。間違いなく過剰に意識していたから違和感を感じていたんだと思うんですが。

そんな不安な日々を過ごしながら迎えた火曜日。ご存知の通り台風直撃。手術を受ける病院がある防府はかなりの被害があり停電しているとの事。不安になり親しい指導者に連絡してみるが復旧したとのこと。安心して病院に向かうと途中で信号が曲がっていて電気がついていない。え??これって手術できるの??懐中電灯で手術する事になったらどうするんだろう。無駄な心配をしながら到着すると病院は全く問題なし。

前回病院に行った時に採血をしていたのだが、その部分で注意を受ける(笑)。静脈瘤云々より肝臓の値が悪いと。気をつけなさい!!と言われました。確かにこの夏は例年になく夜の会が多かった気がする。基準値は大きくオーバーしています。そのため毎日の生活の中で身体を動かすのがかなりしんどい。毎日過剰な晩酌をしているわけではないんですけどね。ここも気をつけないといけません。

手術は1時間程度で終了。麻酔が効いていたのでほとんど痛みはなかった。足の付け根からふくらはぎにかけて4ヶ所メスが入りました。多分メス。怖すぎてずっと目を閉じていたので分かりません(笑)。部分麻酔だから手術をしている部分以外は全く問題なく動きます。クシャミをしたらどうしようか、身体がピクってなったらどうしようかと内面の中で不安を抱えていました。問題なくだったようです。術後数時間して病院から電話があり状況報告。出血もなく順調だったようです。最初は2回に分けて手術をすると聞いていたのですが、大腿部とふくらはぎに両方メスが入ったので一回で終わったんじゃないかと安心していました。

翌日、もう一度病院を訪れる。かなり順調だという事。安心しました。これで大丈夫なんだろうなーと勝手に思っていたのですが「今手術した所が落ち着いたら今度は反対側ね~」と伝えられ「え??」ってなる。話によるとふくらはぎにある静脈瘤は今回手術した静脈ではなく、別の静脈瘤からきているとの事。そちらの手術をして初めて下腿静脈瘤はなくなるとのこと。あーだから2回に分けるって話だったんだなと。勝手に都合の良い方向で解釈していました。

無理はできないなーという気持ちもあります。が、手術翌日はこの上なくお世話になっている2人との会食になっていました。断る道理かない。そのため駆け付けました。最初は少し節制しようと思っていましたがやっぱり無理でした。まだまだ自己コントロールが甘い(笑)

無理をしないように最大限に考えていきたいと思います。ストレスを感じる生活を送るとやっぱり身体に影響が出てくるのかな。できる限りそうならないようにしていきたいと思います。あーまた手術しないといけないと思うとかなり気持ちが落ちます。

それでも早目に気付けて良かったのかなーとは思っています。身体を大切にしようと切実に感じた日々でした。
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熱意があるかどうか

2015-08-27 | 陸上競技
この月曜日、私のblogを以前から見て頂いていたO先生がわざわざ大阪から山口まで練習を見たいということで来られました。いや、うちに来なくても大阪の方が良い指導者がたくさんいるでしょう!?と話をしたのですが「是非」ということでした。いや恐縮です。うちの学校の予定もあり、月曜日の午前中は練習をする事が出来ませんでした。申し訳ないので師匠にお願いをして急遽二人で練習見学をさせてもらう事にしました。ここ最近、見てもらう事が増えていたので客観的に他の指導を見るという事が少なくなっていました。これを機会にもう一度原点に戻るという感覚を持ちたいなと。

私の指導を多少なりと評価してもらえるのであれば、やはり原点となっている師匠&先輩の練習を見てもらう方が良いと思っていました。他校がどのような練習をしているのかは良くわかりませんが、かなり細かい事を地道にやっていくスタイルです。約10年間一緒に指導させてもらったBOSSの指導方法も「積み重ねの中で動きを作る」ものです。だから、私からすればこのスタイルが「当たり前の指導」です。メニューを与えてやっておくだけというのは合わない。これも考え方だとは思いますが。正解はどこにあるのか分かりません。私は私の信じた道を進んでいく。これだけ。

課題とするスタートの動きをひたすら見る事が出来ました。やはり細かい部分はまだまだ勉強しないといけないなって感じました。加速段階の動きは多少できるようになってきましたが、やはりスタブロからの出は難しい。ひたすら見ていく事しかありません。やる事が多くて時間が足りなくなりますね。

夕方からは防府に戻ってきて練習。ここで午前中のおさらいのように練習をしていきました。かなり時間をかけて細かくやる。大切な事だと思います。本当に一から段階を追ってやっていきました。普段よりも丁寧に。せっかく見学に来てもらえたのですからこちらができる事は全てやっておきたい。別に隠す必要はないですし。情熱を持って「選手に還元するために何をするか」を考えている指導者に対してこちらもできることは最大限にやりたいと思います。綺麗事ではありません。

私の指導を否定的に捉える人がいるとする。技術的な質問をされてもちょっと答える気にはなりません。逆にここまでして「何かを学びたい」と思っている人がいるならやはりこちらもできる限りのことをする。当然の話ではないでしょうか?技術論を交わす。ここ最近はあまりなくなっています。すごくたのしいことだたのしいことだと私自身は認識していますが、なかなかそういう感覚の人と話をする機会がない。話をする中で見えてくることもあるんですけどね。

偉そうに感じられたらすみません。が、今私は県の強化に関わらせてもらっています。これは以前からblogにも書いていますし、選手には当初から話をしています。その立場を理解してもらえないかもしれませんが。自分の学校だけではなく必要とされる場面では指導をして行く必要があると考えています。今回は県外の指導者ですが、こうやって勉強してもらうことで何かが変わっていくと思います。選手でも技術指導が必要であれば教えることは「悪」ではないと考えています。学校が異なったり、カテゴリーが違えばやはり難しい部分はあります。それでも実は「本当は小さなこと」だと思っています。

私は頼れるところには頼ります。自分の手に負えなくなった時には師匠に頼ります。選手のことを考えたら「自分が育てた」というようなどうでもいいプライドは持たないようにしています。必要であればどれだけでも頭を下げます。頼み込んで練習させてもらうこともたくさんあります。そうしないと自分自身も学べないから。選手も伸びないから。

私は優秀な指導者だと周りから思われる必要はないと思っています。だって私は走らないから。良い記録が出たらそれは全て選手の努力、悪かったらこちらのアプローチが悪いからだと考えるようにしています。同じ事をやってもきちんと伝えられないから結果に結びつかない。選手を「その気」にさせられないのも結局は私自身がダメなんだと思っています。

でもO先生のように「学ぶ姿勢」や「何とかしよう」という気持ちがある指導者の情熱からは学ぶ事があります。技術指導云々もですが、選手はきっとこういう「物事への向き合い方」を見て変わっていくのだと感じました。情熱なき指導はエゴでしかない。選手から尊敬されるために指導をするつもりもない。情熱を持たなければ何も生み出せない。改めてそう思いました。私自身が学ばせてもらった気がします。誰のために指導をするのか?ここを忘れてはいけないと思います。

なんだかまとまりのない文章になってしまいました。
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