kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

至福の時間

2024-08-25 | 陸上競技
19日月曜日。前日までのダメージから抜け出せないまま学校の練習へ。メニューはざっくりとしかイメージていなかったので早朝から作成。数名だけの練習でしたがやらないといけないことは変わりません。

練習終了後、週末に行われる支部大会のための準備を。今年から支部委員長になっているので試合の準備などをしなければいけません。性格的に運営ではなくて現場で何かする方が適していると思っています。が、年齢的なことも含めてそれができないのかもしれません。ほとんどのことを犠牲にしながらやっている。ここに対して「不平不満を言わずにやり続ける」ことが美徳なのかもしれません。他のこともアホほどあってその中で1人で運営準備をするというストレスは半端ない。感謝して欲しいとは思いませんが、私1人でできる範囲って限られてないか。ストレスMAX。

この日は夕方から食事にいく方に。我ながら無理をしているなという自覚はあります。が、この日は絶対にという感じがありました。私がtokushoの時に4継でインターハイに進んだ時の主力メンバーの2人。makinoとkanaと一緒に食事をすることに。こんな機会を逃したらエネルギーが枯渇してしまいます。

約束の時間は19時からでしたが19時になっても誰も来ない(笑)もうね、すごい話だと思います。この人達らしい。やはり「自由」というのが最も相応しい2人です。3人で同じ空間を共有するのは卒業して以来。10年ぶりです。

2人とも「一緒に食事をする日が来るとは思わなかった」と言っていました。当時、卒業生が私に会いに来てくれる事がありましたが「自分たちはそんなことないだろうね」と話をしていたようです。それがある程度時間が経過してから飲みながら話をするなんて(笑)

この子達の記憶は今でも鮮明です。私自信が成長させてもらった時間でした。「我慢する」という貴重な経験でした。あの頃のことはblogの当時のことを見てもらう方が良いかなと思います。毎日きちんと書いていましたし。伝説になるくらいの行動が多くありました。

kanaが「先生じゃなかったら絶対辞めていた」と話していました。学校には「練習するために行っていた」とも。まさにその通りですね。tokushoに進学するに当たって顧問の先生からは「絶対合わない」と言われていたようです。当時の私は周りから「厳しい人間」と思われていたと思います。めちゃくちゃ練習させるという噂も流れていたようですし。それでもtokushoを選んでくれた。makinoは「なんで声をかけてくれたんですか?」と何度も言っていました。それによって人生が変わったと。こういう話を聞くと当時めちゃくちゃ我慢して良かったなと思います(笑)

makinoは絶対的な「個人主義」でした。リレーは二の次。まずは自分が結果を出す事が最優先。100があるからリレーの決勝のためのアップをしたくないと言っていたくらいですから。kanaは「リレーで勝負したい」といえのが大きい。2年間のリレーでの失敗が大きく影響していたと思います。完全に真逆。当時は「大きなエース」「小さなエース」という書き方をしていました。驚くほど真逆。

当時のエピソードを色々と話していました。中国大会でリレーでインターハイを決めた後にkanaが「100は出たくない」と言っていた話とか。リレーで行くのが目標だったから100はどっちでも良いと。結果的に4位になってインターハイ決めたのですが。さらに200に関しては「絶対走らない」と言い張るので保護者と一緒に説得。最後の最後まで説得して渋々走る。そして4位になってインターハイへ。同じレースでmakinoは7位となりインターハイ出場を逃す。同じチームなのにmakinoは自分の結果に不満なので200のスタート地点までkanaを待たずにさっさと歩く。見ていてこちらが心配になるくらいでした。

その当時の話をするとmakinoが「本当に自分のことしか考えてなかったですね。恥ずかしい。」と。kanaに関しては「出たくないって。出たくても出れない人がいるのにそういう人の気持ちも考えられないのはダメだった」と。もう、この話だけで私はお腹いっぱいです。時間が経って当時のことを冷静に振り返る事ができるようになっている。大人になっているんです。あの当時の我慢や辛抱は意味があったんだなと。

とはいえ、この2人はやはり変わってない。めちゃくちゃ楽しいんです。話をしているとあっという間に当時に戻った感覚でした。他のことも含めて当時の話ができたのは大きい。伝説の「タンポポバトン事件」のことは自分たちから話していました。

最初はなんで怒られているのか分からなかったと(笑)。先輩たちもめちゃくちゃ怒っていて。当時は「自分たちの方が速いし」くらいの感覚だった。でも、県総体の直前にめちゃくちゃプレッシャーがあって2人で階段で並んで泣いていたと。その辺りは私には言わないですからね。知らないところで大変な気持ちになっていたのでしょう。学年が上がるにつれて「なんで1年生きちんとできないの?」みたいな感覚になってイライラしたと(笑)あなた達の1年生の時に比べたらみんな可愛いものですよねって感じでしたが。

とにかく楽しかった。全てを忘れて話ができたなって。この子達が私を慕ってくれるとは思いません(笑)そういう関係ではないでしょうから。口うるさいオッサンってくらいでしょう。それで良いと思います。息子が小さい時にグランドに連れていってバスケしていたのも覚えてくれていました。本当に懐かしい。

当時の話をすると延々と話せる自信があります。またこのような時間があれば良いなと強く思います。誘ってもらってありがたかったですね。本当に。幸せでした。







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時間確保できず

2024-08-25 | 陸上競技
相変わらずです。時間の確保が難しい。

16日までのことを書いてから1週間以上経過してしまいました。無念。

16日登校日からそのまま島根へ。中国五県に参加するためです。本来であればあまり参加しない方向でやっていました。今年もあまり考えていなかったのですが、国スポの基準記録突破の最終がここまでということだったのでそれに合わせて参加したいという申し出があったので。おかげさまで強行日程になりましたが。

16日は移動日。島根に着いたのが14時くらいだったか。かなり暑い中で身体を動かすことになりました。ぐったり。大会自体は出雲でありますが宿舎の確保が難しいので宿は松江。他の人も同じような感じでした。

夕食はホテルに付いている無料のもの。選手に「ラーメン食べないのか?」と言われたので仕方なく散策。近隣で一番評価の高いお店へ歩いていきました。




残念ながら定休日。どうなんだ。諦めて歩いて広島風つけ麺のお店へ。それなりの辛さのものを。注文時に煮卵を付けようと思って大将に頼むと「今日は煮卵割引なんですよ!」と。ラッキーですね。






食べる量は抑えめに。が、残念ながら煮卵は完全に忘れられていました。他のお客さんとずっと話し続けていて私の存在は空気(笑)。どうしても煮卵食べたかったのでコンビニで購入。我ながら意味不明ですが。



大会1日目。4継、400、100mH、100と複数種目が。アップを見てレース、レースが終わったら他のアップの繰り返しでした。4継はなんとか決勝に残ることができました。記録的には大きな差をつけられていますが。もう少しそれぞれの力が上がらないと戦えないと思いますね。

400は350mまではかなり良い感じで走れました。トップ通過できると思いましたがそこから失速。3着に。バックストレートの向かい風が強かったのも影響していたかもしれません。結果的に記録としては全体の8番目でしたがプラスの関係で決勝に残れず。こういうところをなんとかしていかないといけないなと思います。

100は2人とも力を出しきれず。追い風をもらいましたが本来の力が全く出せない中でのレースになってしまいました。どこに課題があるのか。考えないといけないなと思います。

100mHはかなり狙っていました。予選は適度な追い風をもらいながら13秒97。やっと公認での13秒台です。ここはあくまで通過点。表彰台でメダル確保という目標がありました。決勝、スタートで他の選手に遅れをとる。更に隣のレーンの選手がハードルに引っかかって転倒。これにより全くレースが作れませんでした。14秒かかって5着だったか。課題は自分と同等の選手と一緒に走る時にどうするかです。中国大会の決勝も同様でした。1人で走るレースでは成功するが競り合ったら走れない。秋のシーズンに向けてどうするかです。

4継は疲弊しまくっていて全く走れず。どこかできちんと走りたいなと思います。

この日の夜は選手はカレーを食べていました。これも宿からの無料提供。疲弊し過ぎて食欲がないとのことでした。仕方ない。

翌日はヨンパのみ。ここに関しては「出場する」ことで何か変わると思っていました。3年生になって故障のため思い通りの走りができない。ヨンパでもインターハイに届かず。そこからヨンパを避ける傾向がありました。もっというと走ること自体、競争すること自体から逃げる部分も。それでも今回はヨンパに出る。練習も十分とは言えませんが。レース時代も力を出し切ったとは言えません。最後はジョグのようなペース。それでもスタートラインに立ったことを評価したいと思っています。この子の競技人生にとって大きなキッカケになればなと。

終わってからそのまま帰ることに。少しだけ出雲大社に寄りました。歩くのもしんどいくらい暑かったですが。少しくらいは観光しないと。







ヘロヘロになりながら。それでも行った意味があったかなとは思います。自己犠牲(笑)





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近況

2024-08-20 | 陸上競技

また全く書けません。どうなんでしょうか。遊んではいないのですが。ここまで自分を犠牲にして何かをやらないといけないのかどうか。甚だ自分自身に疑問を感じます。いつ休むのか。休むって何か。

 

13日午前中は練習をしました。数人ですが。卒業生も来て身体を動かしていました。そこから実家へ。19時から高校時代の同級生と集まって食事をする予定になっていました。が、前日に陸上関係者から「12日に食実に行かないか」と誘われていました。12日の昼間に急に(笑)。そこは無理だったので時間が作れるのは13日の16時くらいからということで急遽食事に(笑)。どれだけ自分に鞭打って生きているのかという話です。我ながらよくやります。ぎりぎりまで食事して同窓会へ。ここにたどり着くまでにお腹いっぱいになっていたのでほとんど食べられず。卒業してから29年経過しています。当時の私の「おとなしさ」から考えたら今の現状は想像がつかないと思います。楽しい時間でした。ほぼ何も食べていませんが(笑)










 

14日。この日は午後から練習でした。午前中から職場に行って月末に行われる支部大会の準備。ずっと準備。途中でなんでこんなことをしているのか?!という疑問を感じるようになりました。自分自身のことは二の次、三の次。それでもやらないと回らない。負担大きくないか?という部分。夕方から練習をして閉寮期間中ですが寮生が宿泊するということで私も宿泊。一緒に食事に行きました。先日来てくれた卒業生が「バイト先に来てくれ」と言っていたのでそれに合わせて。大学時代によく通っていた「焼肉屋さん」です。当時はかなり食べていましたが今はもうほとんど食べられないという現状(笑)。調子に乗って頼んでしまって3人で満腹になる(笑)。食べすぎでした。












 

15日。朝から支部大会の準備など。先日の同窓会で「かき氷を作っている」という同級生がいたのでそこに食べに行こうと考えていました。前日に確認をすると「盆休みっていったじゃん」とのこと。自分の都合の悪いことは聞いていませんでした。それでもすでに「かき氷食べたい」という感覚になっていたのでネットで調べて食べに行くことに。注文した商品が届くと「kaneko先生ですよね?」と話しかけられる。店員さんが前任校での教え子でした。直接授業を教えていませんが。私が転勤する時に3年生だった生徒、現在大学4年生。驚きです。更に総合型選抜の面接準備をひたすらやった生徒が「教員採用試験の2次試験」を受験するという話を聞きました。店内で@「応援メッセージを撮影させて欲しい」と無茶ぶり。いやいや(笑)。仕方なくやりましたが。偶然ですがこんなところで教え子にあるなんて。





 

16日。登校日。学校が教員採用試験の試験会場になるので大掃除。そこから訳あって島根に行くことになっていました。バタバタです。詳しくはまた別に書きます。

 

なかなかの日程だと思います。我ながら・・・。

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国スポ合宿

2024-08-14 | 陸上競技

8月7日、8日で国スポ候補選手の合宿が実施されました。前の記事にも書いた気がしますが、学校の合宿と重なってしまったので私は山口に残ることに。日程が重ならないように早めに県外の合宿を予定していたのですが・・・。無念。

 

この2日間で「基本的なこと」をやりました。ここも考え方だと思います。普段やらないことをやってもあまり効果がないかなという気もしています。それもあって「基本的なこと」でいいのかなと。7日の午前中はハードルを使っての股関節周辺に刺激を入れることと接地などの確認を。今回はインターハイの男子200mで4位になった選手も参加してくれていました。お手本を。見ているととにかく「接地が強い」という特徴があります。実際に走るときにはそんなイメージはないのですがドリルなどをやるときにその特徴が顕著に出てきます。特別に指導を受けているわけではないので自分で必要なことを「SNS」を利用しながら考えているということでした。「メニューが与えられるのが当たり前」という感覚ではない。これは大きいと思いますね。

 

午後は軽く補強をしてから加速局面の練習。本人たちの感覚を確認しながらです。ハードル陣はハードルを跳ぼうと思っていましたが、一緒に加速段階の動きをしたいということなのでDMを使っての重心移動などを徹底的に。何本も何本もやります。屋外はあまりにも暑いので室内練習場で練習をしました。日中に屋外で練習するというの不可能だなと思います。練習をする以外のことに配慮を必要とします。危険な状態でやるのはやはり避けたい。ひたすらやりました。スタブロは使わずにマークなどを使って最初の5歩のリズムの安定を図りました。

 

翌日は身体ほぐしをある程度やってから専門へ。全体でカーブ直線をやりました。これもIH入賞選手に「200mで一番スピードが高いのはどこか」という質問をしました。こちらの意図したとおりの返答。感覚的なこともあると思いますがこういう会話ができるのは大きいですね。面白い。カーブ直線を3本+2本実施。最大スピードを出すためですね。今回はスピードが出たところにマークを置きました。きちんと「乗る」ことも意識させながらです。IH入賞選手は「自分でコントロールするように」という話を。あまり型にはめると上手くいきそうになかったので。そこからスプリント系はSDの確認、ロングスプリント系は「直線カーブ」と120mを3本。ハードルは通常の練習と5歩ハードル。300mHはホームに距離を測って実施。こうなると一人ですべてを見るというのは不可能です。それぞれに付いて動きの確認をしたり、指示を出したりしたい。全部一人でやるのはかなりしんどい。

 

ショートスプリントはずっとSDの確認をしていました。動画を撮りながら。それをタブレットに落として大きな画面で見る。話をすると面白いですね。自分がやろうとしている動きに対して何をしないといけないのかを考える。一人は頭を低く出るように言われてきたようです。それによりスタートの1歩目から爪先を擦ります。で、潰れて3歩目で崩れる。もう少し色々とやるほうが良いなと思いますね。はまれば出るかもしれませんがはまらなければでないでしょうし。毎日見るわけではないので難しいですね。

ロングスプリントは少し余裕を持って走るようにしました。レースペースです。普段は全力で走るということが多いですが今回は少し抑えてという感じで。男女2人ずつだったのでペースを合わせながらという感じですね。いいペースで走っていました。

 

午後からはフリーアップにして室内練習場で走る。これも少しスピードレベルを抑えてでした。それほどたくさん走っているわけではありませんが。前半でのピッチアップと身体を起こしていくのを合わせながら。最初から上げすぎると動きのコントロールが難しくなるので少し余裕を持って走って自分で動きをコントロールする感じにしたいなと。30mくらいでピッチマックスになってそのまま中間疾走。これでいいかなという感じでした。少し休憩を挟みながらトータルで6本程度走ったでしょうか。何人かは感覚がつかめたということでした。やって意味があるかなと。

 

普段はなかなかできませんが。やりたいことをやれたかなと。自分のところの選手もいたので普段よりも丁寧にできたかなという印象。こういう時間を大切にしたいなと思います。本当は普段からもっともっと丁寧に指導ができるといいなと思うのですが。私自身も競技のことだけ(本当はもっと違うことも考えましたが)に集中できる時間はありがたい。久々に幸せな時間だったと思います。

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振り返りを

2024-08-12 | 陸上競技
またも更新が滞っています。なんでですかね。やる気の問題というのもあるのですが。

インターハイから戻ってきての話は少し書いたような気がします。ざっくりですが。戻ってきてからすぐに今後のこともあって打ち合わせをしに行きました。インターンシップをどうするかです。その話し合いをすることで様々なことが変わってきます。カリキュラムそのものを変更する必要も出てきます。単なる座学から抜け出してどう授業を組み立てるのか。1時間半近く打ち合わせ。


翌週からもバタバタでした。次の週は月曜日火曜日と練習。火曜日は本当に久しぶりに細かい部分まで指導をしたと思います。ずっとやってきた事を説明しながら。台を使った動きや力を逃がさないことなど。よく考えたら今年度に入って初めてかもしれません。こんな生活で本当に良いのか?!という気はしています。

やはりこういう時間を大切にしたいなという気持ちが強くあります。それができない現状をどうするのかという話です。練習以外の時間は今後のことを打ち合わせ。他の人に助けてもらいながらやっている。間違いなく一人ではできないなという感じですね。これだけバタバタしていたら抜けも多くなってしまいます。実習に必要ならお金のやり取りなどは他の人のサポートで成り立っています。

そしてそのまま水曜日、木曜日が国スポの合宿。参加者は確定していません。候補選手という形です。参加したからといって実際に国スポに選ばれるとは限りません。逆も然り。中国五県までに記録を出せば選考される可能性が出てくる。そこも踏まえてこちらも対応しなければいけません。同じタイミングで学校の合宿も実施されました。早い段階で日程を決めて国スポ合宿と重ならないようにしたのに完全に被りました。候補選手になっている3年生は山口に残りました。1.2年生は大分へ。全てお任せという形です。

合宿のことは余裕があれば細かく書きます。

金曜日は3年生のみで学校で走練習。暑いので短時間で。氷を準備して最大限の対策を。この辺りもまた書けたらと。終わってから今度は中小機構の方とWEB会議。今後のことの打ち合わせです。話をすることで今後のイメージが湧いてきます。これをやらないと2学期以降とんでもないことになります。これも70分くらいだったでしょうか。会議の後は情報の共有のためにteamsに内容を打ち込んでおきました。1人で把握していても複数人でやっていることなので意味がなくなります。そしてこの日も終わり。

土曜日は本隊と合流して練習。かなり走っているようなので補強中心。2時間程度の補強。その後、夏休みということもあり卒業生が「話をしに来る」ということで11時半くらいから14時前後まで対応(笑)気分転換になります。8人が一気に来たのでそれぞれの話を詳しく聞けなかったのが残念。もう少し時間が必要になりますね。

で、懇親会が実施されるのでそのまま山口に宿泊。16時から22時半くらいまでだったでしょうか。あっという間に時間が過ぎました。

11日日曜日はオーキャンに行っていた3年生が不足分を補うということで朝から補強をするというのでグランドへ。一人でやっていて倒れたりしたら困るので。2時間程度やったでしょうか。

12日月曜日も同じくオーキャンで国スポ合宿以後、抜けていた選手が「走練習をする」ということなのでまたも学校へ。ここも安全第一です。最大の問題は自宅から職場まで行くのに最低でも1時間10分はかかるということ。もう少し近ければ良いのですが。こればっかりは言っても仕方ないですね。

という感じです。なかなかの日程で動いていると思います。もう少し余裕が欲しいですが。精神的にも大きなダメージがあります。仕方ないといえばそうなのかもしれませんが。

ひとまず大まかな流れだけ記録しておきます。
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書けてないな

2024-08-09 | 陸上競技
すみません。相変わらずです。

明日以降少し時間が取れるかなと思うので。うん?明日から支部大会のことをやらないといけない気もしてきた😖まー少しは時間が取れるかなと期待しています。

国スポの合宿もありました。この辺りのことも記録しておきたいなとは思うのですが、やはり時間が足りないなという印象。やるしかないのですが。

とりあえず最近食べたものを載せておきます。

博多駅で食べたラーメン。


戻ってきて食べたラーメン屋さんのラーメン。結論としてここが1番好きだなということで。

合宿中に食べたつけ麺。

あまりの暑さにラーメンを諦めてぶっかけうどんを食べる。


食べ過ぎ。反省。




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インターハイ終わる

2024-08-04 | 陸上競技
いつ始まっていつ終わったのか。それさえも記録できていませんが。

なんとかたどり着いたインターハイがもう終わってしまいました。中国大会から一ヶ月半。全く走れなかった選手が少しずつ復調。まだ全開とはいきませんでしたが。ある程度走れるようになっているという手応えを得ながら。

インターハイ前の最後のポイント刺激。250mを1本。この時選考会を兼ねようと思っていましたが2年生のスプリンターが腰に違和感があって動けそうにない。結局長距離選に再びアンカーを任せる形になりました。色々難しい部分があります。それぞれのプライドも尊重しながら。全員が33秒くらいで走りました。これならそれなりにタイムが出せるなと。

昨年は北海道に行きましたが4分00秒かかりました。全く力を出せない。今回は絶対に力を出させてあげたい。そう思って臨みました。暑さ対策も含めて競技場にいる時間は最小限にして、身体を動かす時だけホテルから競技場に向かう。移動時間に50分くらいかかる糸島の宿泊。それでもやれることは全てと思っていました。

アップが終わって準備万端。準決勝に進むというのもありますがまずは力を出し切ること。選手を送り出す時に「後悔のないレースをするように」と伝えました。

が、いざスタートとという時にトラブルが。レース前の流しを1本したところで選手が戻されます。理由は分かりません。最初はその辺りに立って待たされていましたがダグアウトの方面に戻される。理由が分かりません。20分以上経過して「次の組を先にスタートさせる」とい放送。TICに確認に行きますが「総務が判断しているのでまだなにも言えない」とのこと。どうなんだ?!戻って放送を待てと言われたので再びスタンドへ。しばらくして監督は本部に集まるようにという指示。

行った時にはすでに他の監督に説明をしてしていました。まだ全員が揃っていないのに。結論としては再招集をかけて8組目の後にレースを行うということ。他のチームに負傷者が出た。負傷した理由が「不可抗力」だからそのチームを救済するためにレースを遅らせる。というもの。再招集は10分後。すごい話です。もう先に来ていた監督さん達が「それでいい」と言っていたので我々が意見を挟む余地はない感じ。

アップが終わってから1時間後に再招集。待たされている間走ることもできていません。いつどうなるかも分からない状態でです。せめて身体を動かす時間を確保してほしいと要望。混乱の中なので選手に声をかけたいと思って招集場所に行くと「もう召集しているから会うことはできない」とのこと。いやいや、こんな状態でレースさせるの?と抗議。他のチームの監督はなにも言わずに中に入っていたのに。

呼んで来てもらって少しだけ声かけ。落ち着くこと、身体を動かすことだけ。

全てのチームが同じ条件で走るのだから文句はないだろうと言われるかもしれません。が、力のあるチームは多少タイムが落ちても予選通過するでしょう。うちは「チームベストを更新したい」という目標できています。そんなレベルでインターハイに来るなと言われるのかもしれません。うちにとっては去年のリベンジ。さらに消化不良だった今シーズンのフラストレーションをぶつける大会。うちのチームにとっては大きな意味がある大会です。

それぞれよく走ってくれたと思います。3分57秒4。予選落ちです。それでも中国大会よりは記録をあげました。最初の時間にきちんとレースをさせてもらえていたらもっと違う結果だったかもしれません。予選通過はできなかったと思います。それでも後もう少しずつ記録を短縮できたのではないか。悔しさを晴らすためのレースができたのではないか。

インターハイが終わりました。特別な報告はできません。それでも中国大会からの取り組みは形になったと思います。万全の状態でレースを走らせてあげたかった。トラブルに巻き込まれたのは仕方ないという気にはなりません。本人たちに申し訳ない気持ちのみ。

情けない話です。何かできたかもしれません。本当に申し訳ない。それだけです。
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