kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

暑さの中でのトレーニング

2015-07-29 | 陸上競技
火曜日、この日は予定通りトレーニングとしました。天気予報では曇りくらいの予定でした。が、とにかく湿度が高い。これだけでヘロヘロになりそうな雰囲気。それでもやっぱりトレーニングをやっていかないといけません。前日比較的良い練習が出来たと感じていました。その勢いのまま練習が積めたら良いなと考えていました。簡単な事ではないですが。今の課題はこういう部分を継続する事。1日良い練習が出来たとしてもそれが次につながらないと意味がない。結局は毎日の積み重ねだからです。

トレーニングはいつも通り。特別な事はやりません。今やっている形態自体が特別な感じではありますが。思っている以上に効率よくできるようになってきました。慣れもあると思います。もう少し負荷を増やしたいところです。が、あまりやり過ぎるとしんどいと思うのでここは様子を見ながらなのかなという気はしています。単純に増やせば良いわけではない。すごく難しい部分なんですが。

2時間ちょっとで当初予定していた統一メニューはやり終えました。結構早くなってきましたね。スナッチも付け加えました。こうやって必要な負荷を入れていくことで大きな成長につながると思います。

前任校のトレーニングを見た選手が「ここで陸上競技をやるのは無理だ」と感じたという話も聞きました。当時はかなり負荷をかけていました。だからこそ安定して競技力が上がっていたのだと思います。それは避けて通れない部分です。が、なかなか精神的なマイナスイメージが大きすぎて覚悟が決まらなかったりするかもしれません。今はかなり工夫をしています。全く同じ負荷になっているかは分かりません。が、ある程度「気分転換」をしながらやっていかないと今は難しいのかなって考えています。

結局この部分が出来ないと結果はついてこないと思います。身体作りができるかどうかって本当に大きいですから。まー今のスタイルでトレーニングをするってなかなかできないと思います。他校がどれだけやっているかは分かりません。私的には効果的にメニューを配置してやっています。まだまだ工夫の余地はありますが。

で、そこからある程度統一の補強をやってからフリーで。ここになると各自の取り組みの意識が明確に現れます。以前であれば「きちんとやるように」と指示を出していましたが、もうここは「各自の意識」だと思います。この後に及んで「やらされる」というのでは強くなるのは難しくなります。フリーでも必要な事をやるという感覚を磨かないといけません。座っているだけの者も出てきます。ここの差は如何ともしがたい。ここで激怒してやらせる事は簡単です。今はそんなスタイルでやりたくないのです。

やりたくなければやらなければ良い。そこまでしてこちらがエネルギーを使うのは良くないなって。教育活動だから所属している者が全員良い方向に進むのが理想。でも、結局は「気づくこと」がなければ「一時的な話」で終わってしまいます。トレーニングに対する取り組みも同じなんです。強制的にやらせる事は避けたいと考えるようになりました。そこに結果が伴わなくなってもです。観察はしています。

かなり汗をかいていました。この辺りもしっかりと配慮しないといけない。これからもっと暑くなることを考えるとどうなるのか不安ですね。最大限の配慮していきながらやっていきたいと思います。少しずつ少しずつチームを作っていけたらと思いますね。

一先ず記録として残しておきます。なんかあれこれあった気がするのですが(笑)
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欲求段階

2015-07-29 | 陸上競技
これは練習とは全く関係ない話。思う事を少し。

心理学の分野では「マズローの欲求段階」によってそれぞれの欲求が表される。まー難しいはなしですかね。ピラミッド型の段階で下から「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「尊厳欲求」「自己実現欲求」になります。

一番底辺にある「生理的欲求」は赤ちゃんと同じレベルの欲求。食べたい、寝たい、というような思考云々ではなく「生まれながらにして持っている本能的な欲求」ですね。

その基本的な欲求が満たされると「安全欲求」となる。寝たいという欲求が風雨にさらされる事なく家の中で過ごす中で満たされる。ここの部分ですかね。これも本当に基礎的な欲求になると思います。

ある程度の事が満たされていくと「社会的欲求」が大きくなる。大きな集団に属したい。多くの仲間に囲まれて過ごしたいという欲求。この欲求が大きくなる頃は多分学校という集団に属する頃なのかなと思います。その中で部活動に所属したいという欲求が出てくるのだと思います。仲間と共に時間と空間を共有して楽しい時間を過ごす。逆にその「社会的欲求」が満たされないと寂しさを感じるようになる。

ある程度集団に属していたら「尊厳欲求」が出てくる。これは「承認欲求」ともいう。とにかく自分がやっていることを他人に認めてもらいたい。外部から「すごいですね」「尊敬します」と言われる事で満たされる欲求なんだと思います。実はそこの部分がメインになってしまう人って多いと感じています。私自身blogに「こんなにすごい指導者なんだぞってアピールするblogを書くのを辞めろ」とコメントされた事があります。そう感じられる人が少なからずいるという感覚を持っておかなければいけないと思います。そんなつもりはなくても周りからそういう目で見られるという部分。本当に気をつけたいと思っています。

ある一定の集団の中にいるから「他者から認められたい」という欲求が生じてくる。一人きりの生活の中ではそれは生まれないのだと思います。陸上競技をやっているのであればそこの中では「他者から認められたい」と思う。そんな感覚なんだと思います。

最終段階は「自己実現欲求」です。これは「自分の目標達成のために何をするかです。自分のやりたい事を達成するのは簡単な事ではない。自分の中の可能性を最大限に引き出してどこまでできるのかにチャレンジしたいという感じでしょうか。これも難しいところですね。他の人に認められたいから最大限の努力をする!というのとはまた違ってきます。自分自身がやりたいからやる。この感覚なんだと思います。

大学の4年生以降はこの気持ちが強くありました。ある程度の競技場レベルまで行った。それでも全国では予選落ち。力が出し切れない。きちんと力が出せればもっともっと良い記録が出せる。そう信じていました。結局勢い余って膝を痛めそれをかばいながら走るから肉離れを繰り返す。何とか復調はしましたが「全国で戦いたい」という希望は果たせませんでした。少し後悔してるかもしれません。

今、自分がどこの段階にいるだろうか。自分が走らなくなって指導する立場にいる。自分自身が全国で戦うことは不可能なのです。だってもう走れないから。その「夢」を勝手に選手に託している。最初の頃はそんな気持ちが少なからずあったと思います。自己顕示欲という部分。特に実績もなくチームもできていない最初の数年なんてひどかった気がします。

ある程度落ち着いてきて少し結果が出た。初めてインターハイを本気で目指す。この時は完全に「自分の夢を選手と共に果たす」という感じだった気がする。こちらの「インターハイ行きたい」という感覚が強すぎてチームにヒステリックな感じがあった。マイルでインターハイを逃した時「先生をリレーでインターハイに連れて行けなかった」と涙する姿を見てやりきれなかった。選手に必要以上の気持ちを背負わせていたんだと。

ここ最近思う。私は選手がいるから指導をさせてもらえるのです。私が認められるためではない。また、こちらの「夢」を背負わせるものでもない。選手自身がもっと自分の可能性を引き出す事を手伝うためにいる。磨かれていない原石を磨くキッカケを与える。これが今のわたしの「使命ではないかと考えている。別にいい格好をしようというつもりはない。結構真剣に考えている。多分なかなか理解してもらえないだろうし、理解してもらう必要はないんだと思う。だって私が勝手に思っているのだから。私の生き方、考え方を第三者にあれこれ批判される筋合いはない。

これが「尊厳欲求」なのか「自己実現欲求」なのかは分からない。人に認められるってすごくありがたい事だと思う。でもそれが全てではない。認められたくないという気持ちが全くないのかというと多分ある。でもそれは師匠だと思っている方に「まーできるようになった」と言ってもらえるかどうかのレベル。褒め称えられる事を求める気は一切ない。

多少なりと今の私を競技場面において必要としてくれる人がいる。それだけでありがたい事ではないか。それにより指導をするという場を与えてもらえるのだから。真剣にそう思っています。

何となく書いてみました。何となく(笑)。
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