kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ぼんやり

2024-06-24 | 陸上競技

ぼんやりしています。とはいえ、やらないといけない仕事はあるのでそこに関しては時間を要します。やるしかないので。

 

IHの申し込みやそれに伴う会議。そのほか外部との折衝などもあるので。練習に関しては月曜日、火曜日と休みにしました。ほぼ使い切った感があるので。100mH選手に関してては火曜日に少しハードルを跳んでくと良いとだけ話しました。トラウマにならないように。月曜日は「レースの動画を見ていない」と話していました。そうでしょうね。これを見て振り返れというのはあまりにも酷です。この状況を打破するためには時間が必要だと思います。

 

水曜日から金曜日までは「トレーニング」を中心に。もう一度原点に帰るという形にしました。3月以降、結局トレーニングが足りなくなっていたのではないかと思っています。技術的なことが増えてしまって基本となる部分が抜けてしまった。練習の最初に行けなかったこともあり「動きのきれいさ」はあるが「力強さ」が足りなくなっていた部分に気づけなかった。故障が続いた部分も筋力の低下からくるものだったかもしれません。上半身下半身と補強サーキットを交互に。全身筋肉痛になるかもしれませんが、先のことを考えるとやっておくしかないかなと。この時点で「もう競技をやらない」という選択肢もありだと思っています。こちらから何かを強制することはありません。かなりのエネルギーを使って取り組んできたことです。「目標達成」ができなかった時点で「もう難しい」と判断しても良いと思っています。

 

金曜日、練習が終わってから卒業生が会いに来てくれました。仕事が終わってからなので来たのは18時半くらいでしたが・・・。織田記念の日に連絡をくれて「今から行ってもいいか」と言われ「今広島」と答える。中国大会に行く日に「今日行ってもいいか」と言われ「鳥取に向かっている」と答える。タイミングが悪いですね。今回は集まりやすいということで金曜日に。近況報告を受けていました。研修に行ったときの話、学校で勉強している内容についてや先生の様子など。ほぼ笑い話にしかならない話をずっと。気が付けば20時を過ぎていました。このまま話し続ければ21時くらいまでできそうな勢い。とはいえ、そこまで引っ張ることはできないので。あっという間に時間が過ぎていました。

 

私が弱っているから来てくれたというのではないと思います。たまたま、このタイミングだったのかなと。それでもこの子たちと話をしているといつの間にか元気になります。一時的かもしれませんがエネルギーをもらえるというのはあります。バカ話をずっとすることができる。この子たちにとって「帰ってくる場所」として学校があるのかもしれません。私自身がこの子たちに慕われれているとは思いません。「お父さん」みたいな感じかもしれないですね。実の保護者であれば話しにくい部分でも私なら話せるというのもあるかもしれません。それでも「ありがたい」という気持ちが大きくあります。帰宅した時にはまたヘロヘロでしたが。

 

土曜日は自宅生が練習をするので学校へ。2時間程度練習を。前向きに練習をしていました。「たられば」ですが中国大会があと1週間遅かったら間に合ったかもしれないなという部分があります。これは受け止めるしかない。家では「中国大会」の話をしないということでした。今はしんどいでしょうから。練習後はテスト作成。5時間くらいやったでしょうか。外は雨。沈んだ気持ちで帰宅すると壁で車を擦りました。踏んだり蹴ったり。もうやる気もなくなってずっと寝ていました。食事もせず。日曜日も朝からずっと寝る。時々起きたと思いますが「何もする気がない」という表現しかできない感じでした。ダメですね。

 

ぼんやりしています。良いことではないですね。それでも時間は過ぎていく。そんな日々です。

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自問自答

2024-06-21 | 陸上競技

もうこれは今更なのですが。途中までかなり上手くいっていると感じていました。年度が変わったあたりから自分自身に余裕が全くなくなりました。尋常ではない仕事量。ブラック企業という話もありますが、それを越えるくらいの内容でした。実際、blogを書く時間の確保さえできない。帰ったら力尽きて寝てしまう。空き時間は全て様々な部分の対応。「空いている時間」というのがほとんどない状況でした。放課後も最初の1時間は練習に出れないことも続く。元々、タイムを計ったりすることもありませんから「動き」だけで判断する部分があります。ここも自分自身の足りなかった部分です。もっと何かを犠牲にすることができたら「グランドに行く時間」が確保できたのかもしれない。

 

県記録会の時に400選手が「四頭筋が痛い」ということで400mの出場を辞めました。本人は走りたいと言っていたのですが「無理はさせない」という判断。この時点で怪しさはありました。その2週間後に支部大会。ヨンパ選手が「足が痛い」ということでレースに出れませんでした。年明けまではかなり動いていたのですが体調不良などがあって筋力低下。そのままかみ合わないまま冬季を終える。結局、支部大会に出れないのでリレーも個人種目も経験値を積めないまま。県選手権では100の選手がリレーの直前で大臀筋が痛いということで棄権。急遽、メンバーを変更して出場する。これまでの経験上、ここまでメンバーが安定しないレースというのはありませんでした。この時点ですでに「結果」として現れていたのかもしれません。情けない話ですが。どう対応することもできませんでした。

 

そのまま負の連鎖が続いて県総体前の状況になります。不安定でした。3走を任せている選手には本当に申し訳ない部分があります。リレーメンバーが安定しない。更には県総体直前に練習を全く見ることができにあ。不安の中での県総体。さらに中国ではほとんど走っていない状態での選手を投入しなければいけない。結果、走った選手も辛い思いをしました。これだけ負の連鎖が続くと「要因」を探ることができなくなります。極めつけは100mH選手が決勝で力を出せなかったことです。ハードル種目なので当然起き得ることです。しかし、ここまで順調に来ていて「IHで勝負」と思っていた選手がIHに進めなかった。指導者として失格だと思っています謝っても謝り切れない。許されるものでもない。

 

中国大会の1日目終了後。選手に申し訳ないなという話をしました。まだ終わったわけではありません。だからこそ「ここで辞める」という選択はできない。IHを目指してやろうという状況は変わらないからです。できるだけ感情を抑えて話をしました。私が不安定になったら選手はもっと動揺するからです。これだけ歯車がかみ合わない中でどう対応すればいいのか。自分自身に問いながらの時間でした。当然ながら夜は浅い眠りしかできません。県総体の前からしっかり寝ることができない。どうやって「試合に出るか」という部分を考えていました。「勝つか」ではなく「走れるかどうか」を考えていたからです。

 

本当はもっともっとしんどいこともあります。blogには書けないことも。できれば選手と指導者の関係だけであれこれできればいいなと思っていました。全く別のことに気を取られてやっていかないといけない部分が多々ありました。なぜそこに気を配らないといけないのか分からない。「競技に集中する」ということができない。何が必要で何が必要ではないのか。そう考えると本当に「自分たちのやりたいこと」ができたのかどうか分かりません。今シーズンの前半部分に関しては「惨敗」としか言えない状況です。それに対して「批判」もあるでしょう。それはすべて私の責任です。選手が言われることは絶対に避けないといけません。

 

今の3年生が1年の時。「中学校の時に県のトップだったんだからもっと活躍しないとおかしい」「何が原因なのか」と言われたことがあります。傍から見れば「結果を出して当然」と言われるのだと思います。私自身、今の学校で指導するからには当然背負うべき責任だと思っています。その責任を果たせなかったのだから批判をされるのも当然。そうであれば「指導者」としての私にのみ批判をしてもらいたいと思います。選手は関係ありません。私の指導が不十分だったため、選手の持っている能力を最大限に引き出せなかった。取り返しのつかない「苦しい思い」「辛い思い」をさせてしまったのです。この子たちの努力を結果として実らせてあげることができなかった。このことはどのような形で謝罪しても許されるものではないと思っています。

 

「次があるから」という言葉は一切発しませんし、発するべきではないと思っています。高校生にとってIHがどれだけの重みがあるかはこれまで見てきて痛感しています。だからこそ「自分に何ができたのか」「これからどうするべきか」は問い続けないといけないと思っています。正解がどこにあるのか。これは今の私には見えません。選手や保護者に対して何をどのような形で返せるのか。せめてもの救いは「マイル」でIHに進めたことでしょうか。3月末に4分1秒で走っていましたが中国総体の準決勝で3分57秒でしか走れませんでした。これでも「IHに進んだ」ことで選手の気持ちの一部分は「救われた」のかもしれません。

 

上手く言葉にできないですし、直接的な表現ができない部分もあります。それでも記しておきたい。そう思って書いています。

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気力を振り絞り・・・

2024-06-20 | 陸上競技

中国総体が終わりました。本当に厳しい厳しい戦いでした。順調に来ていたはずが一気に流れが崩れ去りました。全ては私の責任だと思います。細かいことは選手たちの状況もあるので書きません。そうなるとこのblogの価値があるかどうかという話にもなるのですが。

 

前の記事にも書きましたが県総体の週にエース級の2人が走れなくなりました。個人種目でなんとか中国総体に進むためにやれることは全てやりました。本当に奇跡だと思っていました。何とか中国総体に繋げることができた。が、県総体終了後その2人が体調不良になりました。1人は土曜日までもう1人は日曜日まで練習ができない。怪我からの回復のために県総体の週は何もできませんでした。走れるかどうかの話だったので。その状態からほとんど動けない状況での1週間。心肺機能もですが筋力的な低下も著しいと思います。走ることができたのは中国総体の10日位前だったか。全く動けない状態からの練習。見ていて申し訳ない気持ちしかありませんでした。

 

中国総体、レースに出るだけという感じになってしまいました。個人種目は0。複数名が個人でのIHを狙っていたのでこれは選手たちにとって受け入れがたい現実だったと思います。最終日に「確実視」されていた種目でも決勝でアクシデントが起きてIHに進むことができませんでした。準決勝で追い風参考ながら13秒台に入る。決勝は優勝候補にも挙げてもらって途中まではかなりの記録が狙る走り。先頭とほぼ一緒のタイミングで走っていました。アクシデントが起きて結果8位。どのような言葉をかけたらいいかも浮かばない状況でした。本人は本当につらかったと思います。現実を受け入れることが難しい。

 

リレーも私自身の判断ミスでした。アンカーに故障明けの選手を投入。動きが緩慢ではありましたが走れると判断しました。が、最大スピードは出せませんでした。良いときの動きから比べると6割くらいの動きしかできない。走れると判断した私の責任だと思います。とはいえ、代わりになるメンバーがいないというのも事実でした。ここを目指してやってきた。それなのにこの舞台で納得できる走りをさせてあげられなかった。この時点でもう指導するべきではないかなという感覚さえありました。逃げるというのではなく「責任を取るべき」だと感じていたからです。それでも最後まで戦う姿勢だけは持たないといけない。どうするのか。

 

2日目のヨンパで全く走れない。それでもIHを狙うにはリレーに出場するしかない。メンバーを決めるときにかなり悩みました。2年生の100m選手とヨンパ選手。通常考えれば100m選手のほうが走れると思います。それでも最後は3年生の想いの強さに賭けたいと思いました。自己中心的な考え方だったかもしれません。何が何でもIHへという部分なら「リスクを負う」必要はないからです。それでも「責任は私がとる」という言葉かけをして3年生を使うことに。生徒たちにとって「IHに進む」というのは大きなことです。万が一、私の起用法で上手くいかなかったら・・・。責任を取るといっても何ができるのか。それでも「背中を押す」ことしかできなかった。予選、昨年度56秒台で走ったエースが全力で走って61秒8でした。本来の走りとは程遠い。この走りでIHを狙うというのは不可能に近い。それでも賭けました。

 

準決勝も全く同じ走順。1走と2走がかなり走ってくれました。ここで流れができたのであと粘ることができた。3走は60秒5くらいだったでしょうか。予選よりは・・・という感じですが本来の走りとは全く違う。アンカーに長距離選手を配置して乗り切りました。昨年と同じようにプラスでした。

 

この状況で「どうにかしてIHに進む」ということを考えました。アンカーは長距離選手のほうが良いだろうなと判断。6位になればいい。そうなった時に他のチームはアンカーにある程度の選手を配置している。3走までにある程度の差をつけておけば追いつかれても最後粘れるだろうなと。長距離にIHに連れて行ってもらうというわけにはいきません。しっかりと自分たちで走ってどうするか。レース展開は狙い通り。1走が粘ってくれました。最高の走りとは言えませんが今持てる力を全員が出し切ったという感じでした。倒れ込むくらいの感じでしたが本当に奇跡的に6番に入ってIHへ。感動しました。同時に申し訳ない気持ちしかありませんでした。

 

ありがとう。申し訳ない。この二つの言葉しか出てこない。この子たちのために何もしてあげられなかったという無力感。虚無感だけが自分を包んでいる感じがします。本当に情けない話です。IHで決勝、日本一へという目標を掲げていた個人種目でIHに進めなかったというのは私の責任です。どこかで振り返らないといけない部分あります。

 

事実は残しておきます。応援してくださった方々には本当に申し訳ない限りです。申し訳ありませんでした。

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書けることを

2024-06-12 | 陸上競技
前の記事。書いて良かったのかどうかは疑問です。実際に走れるかどうか不安に感じていた選手や保護者にとっては不快かなという気もします。しかしながら、今回「県総体」に出場できたことは本当に奇跡だと思っています。通常であれば絶対にありえないことだと思います。kd先生の力によるところが大きいと思います。ここは詳しくは書きませんが。

2人がレースを走ったこと。記録云々ではなく両リレーで勝てたこと。結果だけをみると「記録が出ていない」という事実しか見えません。その裏に本人達や周りの選手の苦悩がありました。現場でしか分からない部分だと思います。当事者だけが感じていた苦しさ。この子達の思いの強さに感銘を受けました。同時に自分自身の無力さを痛感していました。なんでこんな苦しい思いを選手にさせているのか。細心の注意をはらって関われていたらこんな辛い思いをさせなくて済んだのではないか。本当に無力だと思います。

最終日に100mHがありました。トップはKさん。これはランキング2位の選手とは1秒以上の差があるのできちんと走れるかどうかだけでした。3人が出場していましたが1人は前日400Hで決勝に残らなかったAさん。マイルも後半かなり苦しい走りをしていました。昨年度、上位選手が転倒して中国大会に進んでいました。今年は実力で中国に進んでもらいたい。スピードがありません。その中でどうやって中国進むか。予選は17秒4くらいかかってギリギリ準決勝へ。なんとか決勝に残ってもらいたい。少し課題について話をしました。1年生のSさんが9台目まで3歩で走れました。これまで5台目くらいがギリギリだったのですが。待ちタイムが17秒台でしたがいきなり16秒中盤まで記録を上げました。かなりの走り。

準決勝、Aさんが最後まで3歩で行きました。タイムが16秒4。周りの人には絶対に分からないと思います。この勝負のかかった場面で予選よりも1秒記録を上げました。どう考えても奇跡的な走りだと思います。これにより一気に中国大会ラインに入ってきました。記録ではないのです。高校生の秘められた力というのを改めて感じました。ほとんど100Hの練習はしていません。それでも前日の悔しさをここで晴らすことができる。考えられない走りでした。Kさんも14秒16のセカンドベスト。1年生が全体のタイム4番目で決勝へ。ここもかなり評価できます。

決勝。Kさんは途中から何度もハードルにぶつけて最後かなりバランスを崩す。14秒4。大会記録を狙っていただけに残念。しかし、他の2人がかなりやってくれました。タイム的には準決勝と同じくらいですが1年生が5位。3年生のAさんが6位。自分の力で中国大会を掴み取りました。周りからすれば「それがどうした?」と言われるかもしれません。これまでの待ちタイムなどを考えるとすごいことです。

数日前に走ることさえできなかった400系の2人が個人で中国に進んだ事と同様に待ちタイムが17秒だった選手こ大切な場面で16秒4を出して走ったことは誇らしいですね。私は何もしてあげられていないのに…。高校生の持つ計り知れない力を改めて痛感しました。表面的に見えてくる結果だけではない。もちろん、本当の勝負になった時には記録も必要です。今の状態では誰もインターハイに進むことができないという感じで県総体を終えました。高校生にとって県総体の持つ価値は本当に大きい。

そして私の力のなさに打ちひしがれました。情けない。無力。それでもやれることをやるしかない。そう思って自分の中にあるエネルギーを振り絞って前を向くようにしていました。こんな状態なので公なblogを書くほどの力はありませんでした。目の前で起きている悲劇に対して誠心誠意向き合うしかなかったからです。

無力。それだけが自分自身を覆っていました。情けない限りです。

面白くない内容ですが記録だけしておきます。今更ですが。
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不定期すぎますが・・・

2024-06-12 | 陸上競技

ちょっとだけ更新。

 

殆どの人に忘れかけられていると思います。すみません。毎日更新と謳っていながら殆ど更新できていない。詐欺ですね・・・。

 

どこまで書いたのかは分かりませんが。本当はもっと書きたいこともあるのです。が、状況としてあまり外に報告するというのは避けるべきだと思っていたので意図的に更新をしませんでした。すみません。

 

ここは書いたと思いますが、県総体の直前、400mのエースが四頭筋を痛めました。その前から様子がおかしかったのですが。4月にある県記録会は途中から出場を辞める。色々なトラブルが重なっていたので「急遽4継に出てもらう」ということが連発していました。そういう負担もあったのかもしれません。月曜日に走れない。そのまま火曜日は治療に専念。水曜日は補強のみ。木曜日の朝練で少し動いたら「流し」もできません。致命的な話です。同時にチームのエース選手が火曜日の練習中にハムストリングを痛める。歩くのもままならない。絶望感しかありませんでした。リレーに関しては「6位以内」に入ればいいと割り切りました。が、個人種目に関しては出場しない限り出場権を得ることはできません。400mの両エースを失ってどう戦うのか。それでもやるしかないなと。

 

誰にも言わずに対応してきました。やれることは全てやる。保護者と連絡を取りながら。400選手は金曜日の時点で劇的回復。もちろん、最大スピードは出せません。出すと痛いので8割くらいで走るしかない。400H選手はジョグができるかどうか。リレーを走るという話ではなくなっていたので400H選手は県総体1日目は治療に時間を割きました。

 

400m選手、県総体当日も足に痛みがあります。それでも400mに出る。予選は63秒程度でいいと話していましたが余裕をもって60秒。力には余裕があるようでした。準決勝は62秒台、決勝は向かい風の中で前半から積極的に。かなり走れていましたが、ラスト120mくらいで動きが崩れる。結局60秒台でフィニッシュ。本人曰く「内転筋が両方攣った」とのこと。よく完走したと思います。奇跡。

400H選手は何とかハードルを跳ぶ。本来であれば無理だと思いますが、ここで棄権するわけにはいかない。何とかして6番以内に入る。そこだけでした。完走できるのであれば17歩で前半から抑えていく感じです。本当に走れるのかどうかという話になるのですが。

 

4継に関しては「危機的」でした。ほとんど練習を見れていません。走るメンバーは気持ちが先走る。予選では3区間ともバトンが届かない。2走の時点で「オーバーゾーン」かと思うくらいの状況。3走に関しては完全に止まりました。それでも「ダメだ」と思うくらいのバトン。こんな状態は見たことがありません。失格を覚悟しましたが「バトンだけ残っていた」と言われたようです。奇跡。準決勝も2か所バトンがきちんと渡らない。それで48秒7だったか。「6番以内に入る」というところが目標でした。タイムは関係ない。まずは中国に進むこと。ここだけです。

 

2日目は400両選手が出場する。どちらも「痛み」や「違和感」はあります。それでも多くの人に支えてもらいながらレースに出場することができました。タイム的には全くですが1位と3位でなんとか中国大会へ。ここに関しては本当に「出場できない」と感じていたのでさすがに涙が出ました。保護者も選手も同じような気持ちだったと思います。なんとかつなぐことができた。「大げさに書いている」と思われるかもしれませんが、本当に「絶望感に包まれる」状況でした。あえて周りには言いませんし、言える状況ではありませんでした。

 

マイルの予選は「400選手なし」で出場。タイム的には2人が居なくても予選は通過すると信じていましたが不安要素の方が大きかった。人数が少ないので100m選手2名が走る。後の2人はいつもピンチになったら走ってくれる2年生とマイルを走ったことのない3年生。3年生に関しては通常の練習で後半大失速する場面が多い。走り切れなかったら大変なことになるというのはありました。それでもやるしかない。最後の120mくらいはジョグレベルのスピードになってしまいましたがよく走ってくれました。ギリギリのところで耐えてくれました。

 

マイルの決勝は本当にどうなるか。もちろん、勝ちに行くというのは必要なことです。400選手は投入。足の痛みもあるので最大スピードで走れません。それでも走ってもらう必要がある。申し訳ないなと。400mH選手は走ることも微妙なので。レースに関しては細かく書きません。しかし、アンカーの400選手が意地を見せてくれました。追いついて抜きつ抜かれつのレース。最後は同タイムで着差ありで優勝。タイムはとても書けませんが、きちんと走り切れました。400H選手の代わりは100H選手。何とか走り切ってくれました。

 

こんな状況でした。ハードルのことを別に書きたいなと思ってはいますが。が、ここでトラブルは終わらないという悲惨な状況が続きます。とりあえず、ここまでにしておきます。久々に長く書いたかも。すみません。

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波乱は続く

2024-06-03 | 陸上競技
県総体が終わってなんとか乗り切ったと思っていました。しかしながらまた次なる波がやってきました。県総体前ほどのビッグウェーブではありませんが。

県総体前は「スタートラインに立たせる」ことだけを考えていました。それも1人ではなく2人。スタートラインに立ってもきちんと走り切らなければいけません。本当にkd先生のおかげです。kd先生がいなければ県総体前に全てが終わっていました。感謝しても仕切れない。

ひとまずその波がおさまったらまた別の波が。回復するのに多くのエネルギーを使っていたのだと思います。免疫力は間違いなく低下していた。そんなこんなでまた1週間様々な形で悪戦苦闘。流石に私自身の心身に不調を来すのではないかというレベル。それでもやるしかないのですが。

面白いことがかけません。私自身が他のことにエネルギーを使っているので自分のことは三の次くらいです。息子の最後の県総体も終わっていました。結局、一度も試合を見ることがなかった。息子が見にきて欲しいとは思わないと思いますが、一回くらいは見たかったなと。

そういう職業だと割り切るのかもしれません。自分のことよりも他のこと優先。まー目の前の状態をみて他のことをやれるほど私自信が冷めていないというのもあるとは思うのですが。

せめて食べたラーメン🍜でも載せておきます。久しぶりに昼ご飯を食べた気がします。




やれることをやり続けます。私に力をください。

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生きた心地がしない

2024-05-28 | 陸上競技
県総体が終わりました。また書きたいなとは思っていますが。私自身がこの1週間夜もほぼ眠れない時間を過ごしました。やれることは全てやると決めていましたが、それでも今回の県総体は過去一で肉体的にも精神的にもしんどい部分がありました。

月曜日の時点で400選手が足が痛くて動けない。火曜日に400mHの選手が足を痛めて歩くのもままならず。こんな状態の中で県総体を迎える。自分自身のダメな部分だけ浮き彫りになって。リレーはなんとかなると思っていました。しかしながら個人種目に関しては出場する以外の選択肢はありません。流しができないのにレースに出れるのか?歩けないのにレースに出れるのか?

自分自身がもっと視野を広く様々なことに対応できる人間だったら何かが変わっていたかもしれません。とにかく選手には申し訳ないなという気持ちしかありませんでした。そちらへの対応に追われていたので他の選手とは会うこともできない、会話もできないという状況。よく耐え忍んでくれたと思います。

kd先生の力をお借りしました。やはり一番頼れる方に頼るしかない。kd先生に出会ってから20年以上経ちますが今回が一番ご迷惑をおかけしたと思います。私自身がやれることは全てやると決めていました。その中でスタートラインに立てたというのは本当に奇跡だと思います。周りには絶対に分からないと思います。記録とか順位とかであれこれ言われる方もいると思います。甘んじて受け入れます。全責任は私にあると思っています。

それでまたスタートラインに立てた。上位大会への出場権を得ることができた。これが今回の1番の収穫です。全ての種目に関して生きた心地はしなかった。足元から崩れ去るような場面が何度もありました。

乗り切れました。本当に感謝しかありません。本当に。本当に。

また書きます。たぶん。
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まー

2024-05-24 | 陸上競技
全く書く時間と余裕がありません。

それでもこの日を迎えました。この数日間の記憶はほぼありません。ここに今書く話ではないことが山積しています。

私は彼女たちの力を信じたいと思います。やれることは全てやっていると思っています。過去最大の試練を与えられながらもやらないといけないことは変わりません。

やるかやらないかの選択ではなく「やるしかない」のです。そこだけは確か。
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どうにかこうにか

2024-05-19 | 陸上競技

無理やりでも時間を作っておかなければいけないなと思っています。最近は5時半前後に自宅を出るようにしています。朝のうちに色々な仕事の段取りをしておきたいなというのもあるので。この時間帯に出ると1時間程度で職場につきます。6時くらいになると1時間15分くらいかかってしまう。無駄な時間になってしまうので。身体が持つかどうかの話になりますが。

 

前の記事に書きましたが「課題」と「思い違い」の部分があってそれを何とか修正したいと思っています。そのためにはできる限りグランドにいるということを最優先しないといけない。テスト週間に入っていたこともあり限られた時間でしたがグランドに出るようにしていました。間に県総体のプロ編なども入ってきたので全てが計画通りという感じにはなりませんが。動きの課題も気になっていましたが「筋力の低下」も気になっていました。時間の確保ができずに補強系が不足しているのではないかという印象。それぞれ必要な補強をやるようにと指示をしていましたが、徹底的にやるというのができていませんでした。ここも甘さだと思います。もっと私がその部分を徹底しないといけない。ここは大きな課題だと思っています。

 

3月末に鹿児島でマイルを走って4分1秒でした。この感じからすれば3分52秒くらいには届くだろうなと思っていました。が、そこからベストメンバーでマイルを組むというのができない状況。さらに自分たちのやるべきレースができない。4継に関してもシーズンベストが48秒8という感じです。トップスピードを出せていないというのもありますし、こちらもきちんとしたメンバーでリレーに出れていないというのもあります。大きな故障などはありませんが体調不良であったり、その日になって「足が痛い」という状況が生まれたりします。人数が多くて誰が走ってもという感じであれば問題ないのですが残念ながら「どうなるか分からない」という状況下でのレースになります。不安が大きくなると思っています。安定してレースに臨めるようにしたいなと思っています。

 

考査期間が水曜日に終わりました。そのまま2時間程度の練習を。ここは専門練習も入れながら。かなりやった後に初めて「単独走」で300mを走りました。学校のタータンでやったので変則的な300mになります。500mトラックなのでカーブが急だったりします。それでも「自分でペースを作って走る」という部分をやっておく必要があるなと。その前にある程度走っているのでその状況下で単独でどれだけ走れるかです。まずまずかなという印象。ペース配分なども含めてある程度の形になりそうかなと。

 

あとは徹底的に「加速段階」の動きの修正。更には全身が筋肉痛になるであろう位の補強を。これは1時間程度と決めて考査期間3日目に実施していました。翌日の水曜日は全身筋肉痛だとずっと言っていました。それでも長いスパンで考えたときには必要なことだと思っています。筋肉痛だから300mが走れないというのでは勝負することは難しくなります。そんな感じの中で水曜日走って木曜日は完全にオフ。金曜日にスピード練習をしてからもう一度補強。この辺りは相談しながらですが。本当はスプリント練習の前に補強をある程度入れたかったのですが回復が間に合っていないということで「ここに補強を入れたら走れない」という申し出もあったので最後に回しました。

 

こんな感じでどうにかこうにかやっています。自分自身を削ってでも消耗してでも今はやるべきことがあるかなと思っています。やれることをやります。また後程書けたらと思います。たぶん。

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やらないといけないこと

2024-05-17 | 陸上競技

バタバタは相変わらずです。処理能力が追い付きません。昨日遠方の知人と連絡を取り合ったのですが同じような状況に置かれていることが判明。自分一人ではないという安心感。同じような状況でもそれぞれやるべきことをやっているという感じでした。救われます。

 

ほとんど記載できていませんが。GW後に色々と精査して優先順位をつけています。練習が見れないというのをできるだけ避けたい。特に動きの部分が見れていないというのが大きなネックでした。そこまで細かいことをしなくても走れる選手は走れると思います。が、今のうちのスタンスであれば「順序だてていく」というのがメインです。4月は練習の最初の部分に参加できないので「やりたい動き」ができなくなっていることに気づきませんでした。指導者としてダメなことです。選手に申し訳ないなと。

 

それで休みを返上(元々ないけど)して「やりたいこと」を文書化しました。これを選手に配って今やっていることに対する「理解」を深めるという時間を作る。もちろん、それだけでわかるとは思いません。何度も何度も話をしながらです。無理やり最初の局面で勝負しようとする。早い段階でトップスピードに上げようとする傾向がでていました。スイッチングランと前半マークの狙いが違うことが1か月の間に見失われていました。「中間でのピッチの維持」と「スタートからの加速」という明らかに目的が違う練習を入れています。これが混同してしまって「とにかく早く動く」みたいな流れになっている。一生懸命にやろうとすればするほどこの辺りの混乱が生まれるのだと思います。

 

そこに関して文書化して「頭で理解」する。そこから走りに落としこむ。これまでやってきたことと同じです。意識の持ち方でずいぶんやりたいことと変わってしまう。だから「トップスピード」がでない。この局面をどうするか。時間が足りるかどうかの部分ですが、やりたいことを徹底的にやっておきたいと思います。

 

という感じです。また書きます。

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