kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

短い距離をする

2024-10-01 | 陸上競技

全く時間が確保できない中でどう活動するのか。多分、想像を超えていると思います。自分自身でも「もう無理だ」と思うことが多々あるからです。それなのに「依頼」がある。これにどのように対応するのか。一人でできることには限界があるのではないかなと思っています。

 

舎監→プロ編(宿泊)→舎監→総合型選抜のためのプレゼン準備。みたいな流れで先週を終えました。いや、これもなかなかだと思います。3日連続外泊。別に家だからよく眠れるというわけでもないのですが。あまりにも出事が多い気がします。10月は半分は家にいない気がします。山口県以外にいるのも中国新人で岡山に3日間。佐賀国国スポで6日間。U18で三重に3日間。その合間にやらないといけないこともたくさんある。生活時間の大半を奪われている感じがあります。

 

先週の練習で競技場に行きました。暗くなるのが早いので2時間程度で終われるように。最初のアップの部分だけ(バランス系とDM∞)だけ一緒にやってあとは完全にフリー。スプリント系は複数人で「スプリント練習」を。マークを使った練習をしましたがスティックマークから円盤マークに変更。従来、私はずっと円盤マークを使っていたのですがここ数年はスティックマークにしていました。色々と考えて(それほどの時間は掛けられていないですが)、円盤マークのほうがいいかなと思って採用。

 

ショートハードルは10歩と8歩、ユースと一般の高さを併用しながら練習を進める。これは個人的にかなり面白いですね。が、ショートハードル組はちょっとおまかせの部分がありました。前の週に全日本実業団に出場した選手に時間を割いていたので、この日は別の種目へと。この日はショートハードルが一番本数が多かったのではないかと思います。

 

300mHのための練習も。復調しつつあります。昨年度U18で10番目になった選手は春先の故障により調子が上がりませんでした。冬季練習中も体調不良などが重なり思うように上がってこない感じがありました。そこに故障での追い打ちでした。やっと走れるようになってきたかなという印象。この日は200mHをやってみましたが、昨年ベストを出して記録とほぼ同じくらいで走れていました。まだまだ課題があるので改善の余地はあるかなと。300mHで43秒前半が出せれば国スポの決勝が見えます。相手がどうこうよりも自分自身が力を出し切ることの方が大事だなと思っています。

 

専門練習の時以外は本当に「短い距離」の練習をメインにしています。この週は木曜日が「体験入学」でした。昨年は参加者が1名だけでしたが今年は複数名来てくれていました。ありがたいことです。山口県においては「競技はどこでもできる」というのがあります。より専門的に指導を受けたいという気持ちがある選手は少ない。今のうちであれば「ハードルやりたい」と思って来てくれた選手は2名だけだと思います。それ以外は私自身が勧誘に関わっていないというのもありますが。そう考えるとこうやって「体験入学」にきてくれるだけでもありがたい話です。

 

話がそれましたが木曜日は体験入学だったので全体の練習も50分程度で終わりにしていました。物足りない部分があるかもしれませんが、あまり大きな負荷をかけることは中学生にとって「壁」になると思いますし。生徒と話をする時間を確保しました。私がではなくうちの選手が。雑談です。

 

金曜日は短い距離のみ。前半部分で道具を使わなくていいような補強を入れてそこから「台ドロップ」やハードルドリルなどの基礎的なこと。久しぶりにやったのではないかなと思います。そこから加速段階T走を実施してバトンの並走。合流走まで実施。この日は90mを使っての並走。30m地点で待っていて合流。前走者は60m地点で終わり、次走者は90m地点まで。途中の30mが競争です。これもかなり好きな練習です。0から走ってきた選手は「中間の維持」が問われる。30m地点からスタートする者は加速段階の時に次走者に追いつかれそうになります。逃げるためにスムーズな加速をしないといけない。どちらもプラスになる練習です。

 

この手のことをきちんと理解してやってくれると力は上がると思います。単純に走るだけでは難しい。練習量に頼って強化するというのは面白くないなと思っています。もちろん、そのほうが短期間で見れば強化しやすいのかもしれません。が、あまりにもしんどいことばかりやっていたら気持ちが保てないかなと。短い距離で本数を重ねるというのもしんどいのでできるだけ絞りながらかなとは思っています。

 

雑記になっています。ひとまず陸上競技のことも少しずつ書けるようにしていきたいなと思っています。少しずつですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やることが尽きず

2024-09-27 | 陸上競技

なかなかの日程で生活しています。どうなのか。

 

今回、総合型選抜の受験をする生徒がいたので個別に対応。受験が目の前なのでかなりの時間を割きました。こういう部分、本来業務だと思っています。この対応で時間が確保できなくなるというのであれば本望かなと。本当に必要なことなのかどうか考えさせられる内容で時間を奪われることは苦痛ですが今回のような内容であればいくらでもという感じです。練習との兼ね合いもあります。全日本実業団にリレーで参加するというのもあったので練習の疲労を抜くために若干練習を減らしました。そのタイミングで総合型選抜の対応ができたという感じです。

 

単純な面接練習と総合型選抜の戦い方は違うと思っています。通常通りの「当たり障りのない面接内容」を指導する人もいると思います。しかしながらそれでは「注目されることはない」と思っています。進路指導をする中で「目的に合った指導」ができるかどうかは大きいと思っています。今回は「狙い」が明確でした。それに対してどのように自分自身を売り出すか。商業系の学習をしているので普通科の生徒と比べると「実体験」がついてきます。「将来こんなことをやりたい」という希望だけではなく「自分自身がやってきたこと」をベースとしてそれを大学でどのように発展させていくか。今回は「起業家教育プログラム」の内容も入れていきました。戦い方をどうするかだと思っています。無策で出たとこ勝負という生徒もいるかもしれません。それでも合格するのかもしれない。それは次にはつながらない。そうであれば「自分自身がやりたいこと」を明確にして言葉にできることが重要だと思います。

 

また、寮で面接練習をしています。1回目は「カウンセリング」的な内容。自分自身がどのような思いを持っているのかを聞き出すことが重要。それを踏まえてどうやって自己PRをするか。生徒によっては「確実に合格するだろうな」という子もいます。だから適当でいいというのではなく「将来のために考える」必要があります。将来、教員になりたい保育士になりたいと思っているのであれば「想い」を言葉にできないといけない。それができないのであれば大学に合格したとしてもそれから先はありません。本当に大切なのは「将来どうするか」だと思っています。この部分は重要かなと。これから陸上競技部の選手の指導もしていくつもりです。どうすれば大学に進めるか。ある程度の方向性を示しながらやっていくことが求められます。

 

なんとなくこの手のことをメインに生きてみても面白いなと思ってはいます。それ以外にもやりたいなと思うことが幾つかあります。エネルギーが限られているので対応するか。自分自身の力をどこで生かすかという話にもなってくると思います。現状を打破するだけのエネルギーがあるかどうかですが。

 

記録しておきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハードルのことを少し

2024-09-26 | 陸上競技

多忙。この中でどのように活動するのかという話です。処理能力がないからだと思いますが。

 

まったく競技のことに触れていませんが。多少なりと触れておく必要があるのかなとは思います。もともとはそのためにずっと書いていたのに、この状況では「自分自身の時間」の確保ができないのでblogを書くなんてとんでもない。自分自身を保つことさえ困難なのに情報発信するなんて。という今現在だというのだけは確かです。

 

今、100mH の選手が数人います。1人は中国大会の8台目をひっかけてIHに進めなかった選手です。これは本人にとってかなりしんどい状況だったと思います。その時までのベストが14秒14だったか。中国大会の予選準決勝で追い風参考ながらPBを更新していく。準決勝では13秒台に入っていました。が、それでもIHには届かない。苦しかったと思います。

 

地味に記録を更新しながらやってきました。7月に実施された国スポ予選では14秒13。8月の中国選手権で公認で初めての13秒台。13秒97。支部新人に参加して13秒96。本当に微妙にPBを更新してきました。スプリント力がほかの選手と比べるとありません。100mの今シーズンのベストは12秒78です。ハードルロス1秒2くらいですから(本当はもう少し走れるかなと思います)。また、別に県新人で2位に入った1年生、15秒97でした。この子もスプリントは14秒かかるのではないかという水準。そう考えると「ハードルロス」がどれだけ少ないかという話になります。スプリント力がないので最後バウンディングのようになってしまいますがそれでもギリギリ15秒台。

 

先日、全日本実業団が山口県で実施されました。ここでドリームチャレンジとしてうちの100mHの選手が出場。日本記録保持者の隣で走らせてもらいました。なかなか経験できることではありません。1レーンがうちの選手、2レーンが日本記録保持者(笑)。1台目までに置いて行かれました。離れているので他のレーンの選手と競り合うこともない。単独で走る感じになりましたが第2集団に少しついていけたかなという印象。結果は13秒91のPB。どうせなら一気に記録を更新してもらいたいのですが。これだけ安定してい13秒9が出せるようになっているのではまれば13秒7台が出せるのではないかと思っています。山口県記録が13秒82。今回国スポのランキング8位が13秒70。ここがターゲットになるのかなと思っています。近いような遠いような。

 

ここ最近の取り組みは「1台目までのアプローチ」でした。ここで置いて行かれるので何とかしなければいけない。いろいろ考えて「10歩」を取り入れることにしました。1台目までのアプローチを8歩から10歩へ。もちろん距離を伸ばして2歩増やしています。2歩増やすことで高いスピードで1台目まで入れます。これを繰り返す。複数台跳ぶときにも10歩から入る。できるだけ高いスピードで入れるようにしています。

 

これに合わせながら「5歩ハードル」と「12台ハードル」を。定期的にという感じではないですが単純に「1台目まで」「3台目まで」とかではなく様々な形で「ハードル」をとらえるようにしています。先日はアプローチ10歩で1台目をヨンパの高さに設定。よりスピードを上げて1台目に入る練習。これを数本やってから1台目を正規の高さにする。こうやって「積極的に入る」練習をする。3台目のの時は1台目を低くして2台目から正規の高さにする。かなり感じがよくなります。工夫しているとは思いませんが、「これをやったらよくなるだろうな」という流れの中で走っていくようにしています。

 

通常の練習パターンがどのようなものなのか正直わかりません。これまでヨンパに関してはあれこれ工夫をしてきましたが、ショートハードルに関してはほとんど選手がいなかったこともあり細かく設定するというのがありませんでした。今の学校に赴任してから必要に迫られてショートハードルの練習バリエーションを増やしてきました。本当はもっとドリルなどをやれるといいのかなと思いますが。自主的に朝練でやっている選手もいます。

 

どこに正解があるのかわかりません。どのようなパターンの練習があるのかわからない。陸上雑誌を定期購読していますがこの1年間、袋から出したこともありません。だったら買うなよという話ですが。読む時間の確保ができないというのもあります。もっとこうしたらどうだろうか?と見ながら気づくこともあります。グランドに出れればですが。

 

県内でこの手の話をすることはほぼありません。とりあえず記録しておこうと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週1回の更新ですね・・・

2024-09-18 | 陸上競技

全く更新できずですね。それなのに以上にアクセスが多い日がある。理由が分かりません。陸上競技に関してほとんど書くことができていません。となると、それ以外の閲覧者が増えているのか。とはいえ、なかなか更新する気になれないので今に至っているのですが。

 

仕事が上手く回せないというのもあります。「能力不足」と指摘されました。走なのかもしれないですね。人並には仕事ができると思っています。その状況下で「仕事が回せない」という現実。それが単純な「能力不足」であればもうやらなくてもいいかなという気がしています。一人でできる仕事量は限られています。全てを一人でやるのは不可能です。それぞれの価値観があります。教育者と偉そうに言う気はありません。それでもこのような状況下でやるのはしんどい。

 

更に腰痛が酷くなり歩くのも困難になっていました。その状況下で「県新人」がある。仕事の割り振りなどもしていました。1日目は最初、動けましたが立ち仕事というのもあり、歩くことができなくなりました。途中で帰ることにして鍼治療。変化なし。2日目も酷い状況。それでも最後まで仕事。途中、ファイテンショップの方にテーピングをしてもらう。周南で働いていたこともあるという事なので当時の話で盛り上がる。

 

こうなると「なぜやるのか」という疑問を感じます。自分の人生や健康まで犠牲にしてやらないといけないことなのか。陸上競技がすべてではない。これはずっと思っていることです。周りが「kanekoは陸上のみ」みたいに感じているのかもしれませんが、そこまでではありません。他にもできることはあります。多くの時間を「自分以外のモノ」に費やす。身体のケアも含めて「自分自身」に対する投資ができていない。それで本当に「充実した生き方」といえるのか。

 

日曜日の夜は愚痴の電話を親しい指導者にしました。色々な意味で限界だなと思うこともあって。かなりの時間話をした気がします。気持ちが前向きになることはありませんが。

 

月曜日はひたすら休みました。合間にサポーターを購入しようと思ってお店を回る。途中、教え子が治療院を開いているのでその前を通ってみると営業していました。治療依頼の電話をしてみましたが「20時以降なら」とのこと。忙しいのだと思います。それはそれで幸せだなと。最初の立ち上げの時はどうなるかと思っていましたが。こうやって軌道に乗ってくれると嬉しいですね。

 

火曜日は1日休みを。朝から整形外科でレントゲン。骨に異常はないという事でした。それなら他の治療法で対応できるかなと。WEB会議もあったのでその準備も。やはり腰が痛い。

 

どこかで陸上競技のことも書きたいなとは思いますが。記録として。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辟易

2024-09-11 | 陸上競技

なかなかです。

 

金曜日に体育大会がある。その前後でやることは山積み。文化祭の販売実習の際に仕入れていた「飲物」を体育大会で販売することに。生徒は体育大会に集中するため販売準備などはこちらで。一人で3階から飲物と氷を下す。更に1階で飲物を冷やすためにクーラーボックスや発泡スチロールに水と氷を入れる。それは時間前に販売の場所に運ぶ。一人でやることになったのでこれだけで腰を痛めました。歩くのも辛いくらいの痛さ。それでも販売をしました。運動不足というのもあったかもしれません。とにかく腰が痛くて座るのもしんどい。

 

そんな状態の中で夕方帰宅しようと思ったら自己渋滞に巻き込まれて帰宅までに3時間以上。元々私が乗っている車は車高が低く腰が痛くなりやすい。3時間乗り続けたことで腰の痛みは悪化。車の中に閉じ込められている感じがあったので身動きできなかったことも大きな要因だと思います。本当に地獄。

 

次の日、練習を10時からにして学校に行きましたが歩くこともままならない。棒を杖のように使って歩く。これでギリギリ。寝ていても改善できない部分はある。練習後は帰って休もうと思っていたのですが、再び車のエアコンが壊れる。出てくるのは熱風のみ。弱り目に祟り目。それなりにきちんと生活をしているはずです。自己犠牲とは思いませんが、私利私欲のために生きているとは思っていません。それでもこんなことが繰り返される。不幸とかいう話ではなく。

 

結局、翌日ディラーで相談。もう24万キロ走っています。限界なのだと思います。ハイブリット用のバッテリーも以前買い替えています。今回のエアコンの修理だけで20万近くはかかるだろうと。もうどうなんだ。車は買い替えの可能性が高いのかなと。限界です。

 

月曜日は学校には行きました。どうしてもやらないといけないことが5時間目にあったのでそれだけやる。総合実践の反省。販売実習をやって終わりではない。このことはまた別に書きたいなと思っていますが。振り返りをするためにはそれなりの材料が必要です。日曜日に腰痛の襲われながらもPPTを作成していました。授業をするというのは大変です。特に今回のように「臨機応変にやる」ことが求めらえるときには準備する内容によって大きく効果は変わってくると思っています。教員側の裁量の部分もある。私がどれだけの能力があるかは分かりませんが、それなりにやらないといけないのは分かっています。メッセージが生徒に伝わるかどうかです。5時間目が終わってから帰宅しました。もう無理。

 

火曜日は朝から色々と。授業もある。総合的な探究の授業のためにCanvaの登録をする。主導は私が。こうなるとタブレットを忘れたという生徒が出てきたときに対応に困る。前回かなりの人数が登録できなくて困りました。これはネットワーク環境の問題も大きかった。Wi-Fiが弱い。Canvaの登録には私が個別に「招待メール」を送る必要があります。有効期間は送られてから10分程度だったか。タブレットを忘れた人がいるとまた個別にその生徒のアドレスを調べて別途やらないといけなくなります。これだけで大変な作業。結局昼食とれず。7時間目にオンラインで講義をするのでその準備も。授業終了後、当番で鍵閉め→寮に行ってボイラーを入れる→グランド→舎監。そしてさらに腰が痛くなる。

 

どうなのかな。こんな人生を送っていていいのかどうか。真剣に考えさせられます。はぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またも1週間ぶり

2024-09-08 | 陸上競技

全く書けませんね。色々と抱えている部分があって。それに対応するだけで自分自身のエネルギーが尽きているのが分かります。年齢的なものなのかもしれません。教員としての力不足もあるのかなと思っています。一人でできることとできないことがあって。それに対してどう対応するのか。自信がなくなります。

 

文化祭での販売実習を終えて。思うことがかなりありました。起業家教育プログラムを利用しながらの活動。「結果」をどのように評価するのか。もともと「プロセス」を重視している部分もあります。それでも足りないこと、課題になる部分が山積みです。今回は本当にショックを受けることがありました。商業教育を背負う気は全くありません。「山口県の商業教育のために」なんて気持ちが残念ながら持ち合わせていない。目の前の生徒がどのように成長していくのかを見たいだけです。

 

コミュニケーション能力の問題。様々なところでコミュニケーションが必要だと感じています。昔ながらの教育活動では成立しない。他の場面でも「誰を守るのか」という話が出てくる。本当に教員として今のままでいいのだろうか。そんなことを考えていたら「教員」も「陸上競技」も熱量を失う感覚があります。あと1か月ちょっとで48歳になります。だから何なのかという話。本当に自分自身が今のままでいいのか。教員という仕事が本当に私にあっている仕事なのか。

 

体育大会がありました。その裏でやらないといけないことが山ほどあって。それに対応する。総合的な探究の時間に関するプレゼンテーションをしないといけない。「何故学ぶのか」という部分。これが本質。それなのにそこではない部分に多くのエネルギーを使う。自分自身が評価されるためではない。そう考えると自分自身が「今のままでいいのか」という考えがあります。

 

「別の仕事に」という話もしました。息子が高校3年生なので難しいのかなという気もしています。今のままで本当にいいのか。文化祭も体育大会も卒業生が来てくれたりします。別に私に会いに来ているとは思いませんが。それでもこうやって「卒業後のつながり」があるというのもありがたいなと思っています。それでも「現実」をみると本当にきつい。「責任」や「引き継ぎ」という部分もあると思います。それを果たさず距離を置くのかどうか。

 

ちょっと真剣に考えています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化祭と起業家教育

2024-09-02 | 陸上競技
文化祭での販売実習が終わりました。

まー本当に大変だったかなと思っています。自分自身の時間を削ってでもやらないといけないことがある。この活動の中で自分自身考えることがありました。「私がやりたいと思うかどうか」という部分。誰かから強制されるわけではない。これはきっとこれからの教育活動に大きく影響するだろうなと。陸上競技、クラス運営、学校の仕事。全てにおいて今回の経験は大きく影響すると思います。

豪雨や台風の影響を受けながら準備してきました。本当に全てを予測して活動することは難しいなと思います。それでも様々なことを想定しながら計画をしてきました。中小機構の「起業家教育プログラム」の中で事務局な森本様、竹内様に力添えいただきながらやってきました。このプログラムのおかげで生徒だけではなく我々自身が成長する機会を得たと思っています。これまで気づかなかった事に気づける。新たな視点を得ながら進んでいける。他の教育活動よりも今はこの部分に力を注ぎたいなと感じる部分がありました。

台風の影響により販売実習の実施日が延期。販売実習ですから賞味期限などの関係も出てきます。本当に悲惨でした。元々30日に実施予定だったものが31日になる。それだけで致命的な影響を受けます。29日の午後から休校。30日は1日休校。過去最高のダメージです。その休みの合間を使って40分くらいかけて大量の氷を購入しにいきました。2日間。クーラーボックス5つ分。強風の中で購入。それも必要だと思うからです。




30日の金曜日は山口に宿泊することに。夜は食事に。本当に楽しい時間を過ごすことができました。3時間くらいでしたがあっという間に時間が過ぎました。教育活動に時間を割くという気持ちが強くなった気がします。至福の時間。

当日6時集合のために5時半から学校で色々と準備。過去一のトラブルもありましたが。実習を通じて様々な力が身についたのではないかなと思っています。高校生のやることですから全てが完璧に行くことはありません。それでもきちんと受け止めながらやっていく必要があると思います。5月くらいからずっと準備を進めてきました。そこに対して「楽しい」と思えるかどうかは全く別物ですが。実際に「準備」をしてきて「発表の場」が今回です。働くことの意味を感じてもらいたい。文化祭のバザー的な感覚ではなく「物販」をする意義、その難しさ。そこが分かるかどうかです。全ての生徒にそれが伝わるというのは不可能だと思います。どれだけの生徒に響くか。ここだと思います。



今回の販売実習。○○デパートのようにフレームがあってそれに乗っかってやっていくイベントではありません。それぞれのお店の立ち上げからコンセプト、取扱商品、店舗デザイン、広報などの活動を生徒が主体で行う。見ていて面白かったのが「それぞれが得意分野で力を発揮する」という場面が多かったこと。適材適所。向いている仕事、向いていない仕事を経験できる。これは昔からある「インターンシップ」よりも効果的。フレームワークではない「新しいものを作り出す」ことで見えてきたことがあるなと感じています。

起業家教育の中で「起業家マインド」を育てるという狙い。目に見えるものではありません。与えられたものを使いながらやるというのはある意味簡単です。何もないところから生み出す。その中で苦労する。机上の空論ではなく「実際に活動する」中でしか分からないことがあると思っています。別に起業させたいなんて思っていません。何かにチャレンジするスピリットを生み出すのだと思います。キッカケを与えられるかどうか。目に見える結果ではなく「見えない力」が身につくと良いなと思っています。

教員が全てを準備して「生徒が自主的に活動している」ように見せかけるのではなく「本当に自分たちでやる」ことをサポートするだけで良いかなと。方向づけをすれば生徒は自分たちで動ける。勿論、失敗もありますがそれも「財産」になるかなと。

私は全体を観ていました。良い部分も悪い部分もあります。クラスの展示に関しては完全に生徒任せ。ほとんど協力していません。販売実習のグループも力になれたかどうかは分かりません。ほとんど自分達でやってくれました。うちのグループのテーマは「学校の給食」というもの。これも自分達で決めて仕入れる商品を全て考えています。







もう少し写真を撮っておけば良かったですが。小学校の教室をイメージしてランドセルを持ってきたり、習字を貼ったり。懐かしいというコンセプト。面白かったですね。ずっと付いていたわけではないですが情報発信も含めてかなりやっていました。noteやInstagramを使っての情報発信。ここはこの子達の特色を生かしながら。観てきて飽きなかったですね。販売部門での最優秀賞をもらいました。全て生徒の活躍ですが。


今回の取り組みが何かの足掛かりになると良いなと思います。起業家教育。これはキッカケでしかない。起業家を育てようというイメージではありません。「起業家教育」を通じて生徒たちにこれから先に必要になる「見えない力」を身につけてもらいたいなと思っています。面白くないと思う生徒もいたと思います。コミュニケーションが取れない生徒も出てきます。周りが大変でと助けてあげるということができない生徒も。それ以上にこちらが求めることをしてくれている生徒がいました。全てのダメージから回復する感じがあります。

おかげさまで3万4千歩歩きました。久々に。気持ちが乗ったらもう少し触れたいと思いますが。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至福の時間

2024-08-25 | 陸上競技
19日月曜日。前日までのダメージから抜け出せないまま学校の練習へ。メニューはざっくりとしかイメージていなかったので早朝から作成。数名だけの練習でしたがやらないといけないことは変わりません。

練習終了後、週末に行われる支部大会のための準備を。今年から支部委員長になっているので試合の準備などをしなければいけません。性格的に運営ではなくて現場で何かする方が適していると思っています。が、年齢的なことも含めてそれができないのかもしれません。ほとんどのことを犠牲にしながらやっている。ここに対して「不平不満を言わずにやり続ける」ことが美徳なのかもしれません。他のこともアホほどあってその中で1人で運営準備をするというストレスは半端ない。感謝して欲しいとは思いませんが、私1人でできる範囲って限られてないか。ストレスMAX。

この日は夕方から食事にいく方に。我ながら無理をしているなという自覚はあります。が、この日は絶対にという感じがありました。私がtokushoの時に4継でインターハイに進んだ時の主力メンバーの2人。makinoとkanaと一緒に食事をすることに。こんな機会を逃したらエネルギーが枯渇してしまいます。

約束の時間は19時からでしたが19時になっても誰も来ない(笑)もうね、すごい話だと思います。この人達らしい。やはり「自由」というのが最も相応しい2人です。3人で同じ空間を共有するのは卒業して以来。10年ぶりです。

2人とも「一緒に食事をする日が来るとは思わなかった」と言っていました。当時、卒業生が私に会いに来てくれる事がありましたが「自分たちはそんなことないだろうね」と話をしていたようです。それがある程度時間が経過してから飲みながら話をするなんて(笑)

この子達の記憶は今でも鮮明です。私自信が成長させてもらった時間でした。「我慢する」という貴重な経験でした。あの頃のことはblogの当時のことを見てもらう方が良いかなと思います。毎日きちんと書いていましたし。伝説になるくらいの行動が多くありました。

kanaが「先生じゃなかったら絶対辞めていた」と話していました。学校には「練習するために行っていた」とも。まさにその通りですね。tokushoに進学するに当たって顧問の先生からは「絶対合わない」と言われていたようです。当時の私は周りから「厳しい人間」と思われていたと思います。めちゃくちゃ練習させるという噂も流れていたようですし。それでもtokushoを選んでくれた。makinoは「なんで声をかけてくれたんですか?」と何度も言っていました。それによって人生が変わったと。こういう話を聞くと当時めちゃくちゃ我慢して良かったなと思います(笑)

makinoは絶対的な「個人主義」でした。リレーは二の次。まずは自分が結果を出す事が最優先。100があるからリレーの決勝のためのアップをしたくないと言っていたくらいですから。kanaは「リレーで勝負したい」といえのが大きい。2年間のリレーでの失敗が大きく影響していたと思います。完全に真逆。当時は「大きなエース」「小さなエース」という書き方をしていました。驚くほど真逆。

当時のエピソードを色々と話していました。中国大会でリレーでインターハイを決めた後にkanaが「100は出たくない」と言っていた話とか。リレーで行くのが目標だったから100はどっちでも良いと。結果的に4位になってインターハイ決めたのですが。さらに200に関しては「絶対走らない」と言い張るので保護者と一緒に説得。最後の最後まで説得して渋々走る。そして4位になってインターハイへ。同じレースでmakinoは7位となりインターハイ出場を逃す。同じチームなのにmakinoは自分の結果に不満なので200のスタート地点までkanaを待たずにさっさと歩く。見ていてこちらが心配になるくらいでした。

その当時の話をするとmakinoが「本当に自分のことしか考えてなかったですね。恥ずかしい。」と。kanaに関しては「出たくないって。出たくても出れない人がいるのにそういう人の気持ちも考えられないのはダメだった」と。もう、この話だけで私はお腹いっぱいです。時間が経って当時のことを冷静に振り返る事ができるようになっている。大人になっているんです。あの当時の我慢や辛抱は意味があったんだなと。

とはいえ、この2人はやはり変わってない。めちゃくちゃ楽しいんです。話をしているとあっという間に当時に戻った感覚でした。他のことも含めて当時の話ができたのは大きい。伝説の「タンポポバトン事件」のことは自分たちから話していました。

最初はなんで怒られているのか分からなかったと(笑)。先輩たちもめちゃくちゃ怒っていて。当時は「自分たちの方が速いし」くらいの感覚だった。でも、県総体の直前にめちゃくちゃプレッシャーがあって2人で階段で並んで泣いていたと。その辺りは私には言わないですからね。知らないところで大変な気持ちになっていたのでしょう。学年が上がるにつれて「なんで1年生きちんとできないの?」みたいな感覚になってイライラしたと(笑)あなた達の1年生の時に比べたらみんな可愛いものですよねって感じでしたが。

とにかく楽しかった。全てを忘れて話ができたなって。この子達が私を慕ってくれるとは思いません(笑)そういう関係ではないでしょうから。口うるさいオッサンってくらいでしょう。それで良いと思います。息子が小さい時にグランドに連れていってバスケしていたのも覚えてくれていました。本当に懐かしい。

当時の話をすると延々と話せる自信があります。またこのような時間があれば良いなと強く思います。誘ってもらってありがたかったですね。本当に。幸せでした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間確保できず

2024-08-25 | 陸上競技
相変わらずです。時間の確保が難しい。

16日までのことを書いてから1週間以上経過してしまいました。無念。

16日登校日からそのまま島根へ。中国五県に参加するためです。本来であればあまり参加しない方向でやっていました。今年もあまり考えていなかったのですが、国スポの基準記録突破の最終がここまでということだったのでそれに合わせて参加したいという申し出があったので。おかげさまで強行日程になりましたが。

16日は移動日。島根に着いたのが14時くらいだったか。かなり暑い中で身体を動かすことになりました。ぐったり。大会自体は出雲でありますが宿舎の確保が難しいので宿は松江。他の人も同じような感じでした。

夕食はホテルに付いている無料のもの。選手に「ラーメン食べないのか?」と言われたので仕方なく散策。近隣で一番評価の高いお店へ歩いていきました。




残念ながら定休日。どうなんだ。諦めて歩いて広島風つけ麺のお店へ。それなりの辛さのものを。注文時に煮卵を付けようと思って大将に頼むと「今日は煮卵割引なんですよ!」と。ラッキーですね。






食べる量は抑えめに。が、残念ながら煮卵は完全に忘れられていました。他のお客さんとずっと話し続けていて私の存在は空気(笑)。どうしても煮卵食べたかったのでコンビニで購入。我ながら意味不明ですが。



大会1日目。4継、400、100mH、100と複数種目が。アップを見てレース、レースが終わったら他のアップの繰り返しでした。4継はなんとか決勝に残ることができました。記録的には大きな差をつけられていますが。もう少しそれぞれの力が上がらないと戦えないと思いますね。

400は350mまではかなり良い感じで走れました。トップ通過できると思いましたがそこから失速。3着に。バックストレートの向かい風が強かったのも影響していたかもしれません。結果的に記録としては全体の8番目でしたがプラスの関係で決勝に残れず。こういうところをなんとかしていかないといけないなと思います。

100は2人とも力を出しきれず。追い風をもらいましたが本来の力が全く出せない中でのレースになってしまいました。どこに課題があるのか。考えないといけないなと思います。

100mHはかなり狙っていました。予選は適度な追い風をもらいながら13秒97。やっと公認での13秒台です。ここはあくまで通過点。表彰台でメダル確保という目標がありました。決勝、スタートで他の選手に遅れをとる。更に隣のレーンの選手がハードルに引っかかって転倒。これにより全くレースが作れませんでした。14秒かかって5着だったか。課題は自分と同等の選手と一緒に走る時にどうするかです。中国大会の決勝も同様でした。1人で走るレースでは成功するが競り合ったら走れない。秋のシーズンに向けてどうするかです。

4継は疲弊しまくっていて全く走れず。どこかできちんと走りたいなと思います。

この日の夜は選手はカレーを食べていました。これも宿からの無料提供。疲弊し過ぎて食欲がないとのことでした。仕方ない。

翌日はヨンパのみ。ここに関しては「出場する」ことで何か変わると思っていました。3年生になって故障のため思い通りの走りができない。ヨンパでもインターハイに届かず。そこからヨンパを避ける傾向がありました。もっというと走ること自体、競争すること自体から逃げる部分も。それでも今回はヨンパに出る。練習も十分とは言えませんが。レース時代も力を出し切ったとは言えません。最後はジョグのようなペース。それでもスタートラインに立ったことを評価したいと思っています。この子の競技人生にとって大きなキッカケになればなと。

終わってからそのまま帰ることに。少しだけ出雲大社に寄りました。歩くのもしんどいくらい暑かったですが。少しくらいは観光しないと。







ヘロヘロになりながら。それでも行った意味があったかなとは思います。自己犠牲(笑)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近況

2024-08-20 | 陸上競技

また全く書けません。どうなんでしょうか。遊んではいないのですが。ここまで自分を犠牲にして何かをやらないといけないのかどうか。甚だ自分自身に疑問を感じます。いつ休むのか。休むって何か。

 

13日午前中は練習をしました。数人ですが。卒業生も来て身体を動かしていました。そこから実家へ。19時から高校時代の同級生と集まって食事をする予定になっていました。が、前日に陸上関係者から「12日に食実に行かないか」と誘われていました。12日の昼間に急に(笑)。そこは無理だったので時間が作れるのは13日の16時くらいからということで急遽食事に(笑)。どれだけ自分に鞭打って生きているのかという話です。我ながらよくやります。ぎりぎりまで食事して同窓会へ。ここにたどり着くまでにお腹いっぱいになっていたのでほとんど食べられず。卒業してから29年経過しています。当時の私の「おとなしさ」から考えたら今の現状は想像がつかないと思います。楽しい時間でした。ほぼ何も食べていませんが(笑)










 

14日。この日は午後から練習でした。午前中から職場に行って月末に行われる支部大会の準備。ずっと準備。途中でなんでこんなことをしているのか?!という疑問を感じるようになりました。自分自身のことは二の次、三の次。それでもやらないと回らない。負担大きくないか?という部分。夕方から練習をして閉寮期間中ですが寮生が宿泊するということで私も宿泊。一緒に食事に行きました。先日来てくれた卒業生が「バイト先に来てくれ」と言っていたのでそれに合わせて。大学時代によく通っていた「焼肉屋さん」です。当時はかなり食べていましたが今はもうほとんど食べられないという現状(笑)。調子に乗って頼んでしまって3人で満腹になる(笑)。食べすぎでした。












 

15日。朝から支部大会の準備など。先日の同窓会で「かき氷を作っている」という同級生がいたのでそこに食べに行こうと考えていました。前日に確認をすると「盆休みっていったじゃん」とのこと。自分の都合の悪いことは聞いていませんでした。それでもすでに「かき氷食べたい」という感覚になっていたのでネットで調べて食べに行くことに。注文した商品が届くと「kaneko先生ですよね?」と話しかけられる。店員さんが前任校での教え子でした。直接授業を教えていませんが。私が転勤する時に3年生だった生徒、現在大学4年生。驚きです。更に総合型選抜の面接準備をひたすらやった生徒が「教員採用試験の2次試験」を受験するという話を聞きました。店内で@「応援メッセージを撮影させて欲しい」と無茶ぶり。いやいや(笑)。仕方なくやりましたが。偶然ですがこんなところで教え子にあるなんて。





 

16日。登校日。学校が教員採用試験の試験会場になるので大掃除。そこから訳あって島根に行くことになっていました。バタバタです。詳しくはまた別に書きます。

 

なかなかの日程だと思います。我ながら・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする