kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

自分の殻を破る

2019-10-31 | 陸上競技
思う事を。

ここ最近、ずっと考える事がありました。練習について。指導について。この部分は私を構成する要素の大半を占めています。この数年間、自分の中で様々な葛藤がありました。やろうとしている事が上手くできない。根本的な「考え方」が違う部分があるので今やろうとしている事、これまでやって来た事を理解してもらうという部分は難しいと思っています。

片田舎の地方国立大学出身の私がやっている事、やろうとしている事は「所詮地方大学」でしかない。まー別にそこにこだわりはないのですが。どこの大学を出たかで判断されたら我々は大した話はできません。競技実績で判断される世の中であれば私はインカレに出たというレベルなので「地方で強い選手」くらいの位置付けでしょうか。大した選手ではない。それは引け目なのかどうか。普通の選手です。

こうやってblogを書いている。まー興味関心を持ってくれる人がどれくらいいるのか分かりませんが。偉そうな事を書いていますが中央部の実績のある指導者から比べると「何もやっていない」という感じかもしれません。全国大会で予選通過する選手を育てたこともないというレベルです。まー普通。

否定的な書き方をしていますが(笑)。そう考えている中で「本当にやりたい事」をやっているかどうかを自問自答する機会がありました。やっている事は世間から評価されない。そんなものだと前から思っていましたが。自分の所の選手に対してある一定水準の指導サービスを提供するというのが必要だと思っていました。

実際、「やりたい」と思う事が全てできていません。前任校時代と比べると「徹底する」というのがなくなっていたのかもしれません。前任校では本当に徹底していました。意欲が高い選手が複数名いたというのもあると思います。スプリントのコンセプトは変わりません。が、方法論はかなり変化しています。あの頃は量に頼っていました。今は全く違う練習形態でやっています。

それを「仕方ないな」と思っている自分がいました。環境と時代が変わり、子供たちの性質も大きく変化している。それをなんとなく受け入れていた。学校が変わった時に「陸上競技をする」と思っていたのが「陸上部」になってしまっていたというのは否めません。練習に参加することから伝えていく状態が続いていたのでいつのまにか自分の中で「感覚が鈍る」という状態を生み出していました。

この数ヶ月間、自分の中での「モヤモヤ」がありました。学外で指導する事が多くあった。その場では「技術的な事」を伝えるだけ。それが理想的な指導だとずっと考えていました。指導する中で「この子が本気でやったら日本一になるな」と感じる選手も。一時的な指導ではなく継続的に指導できたら面白いなと感じる事が多々ありました。

無い物ねだりという部分もあったと思います。更にはリレーについて、練習についてやりとりをしたチームがそのメニューを中心に練習をしてくれて走れるようになった。うちの練習、きちんとやれば絶対的に力が上がると思っています。しかし、いつの間にか私自身が「これくらいで仕方ない」と妥協していた部分があります。本来的な練習内容になっていない。最大スピードを出すための練習のはずが「適度なスピード」になっている。その部分を突きつけられた気がしました。

そこに対して私が妥協をしていた。「今は仕方ない」という考えが多少なりともあったと思います。それでもスピードレベルがある程度上がってきていて春先14秒5くらいだったHoが12秒96で走る。それは何を意味するか。本当に必要な練習が徹底できたらもっとレベルアップしていたのではないか。そう考えています。

考えてみると今、こちらが「本当にやりたい事」をやろうとしてくれる選手がいます。そこに対して私自身が責任を十分に果たしているかどうか。今の指導でも他の指導者と比べるとかなりやっていると思います。そういう自負はあります。しかし、「本当にやりたい事」かどうかは別問題。自分の中で作っている殻を破っていない気がします。「これくらいでいいか」という感覚。

比較対象は「他者」ではなく「自分自身」だと感じました。自分の中で「本当にやりたい事」ができているか。「何がなんでも強くなりたい」と思う選手に対して最大限のメニューを提供できているか。メニューを削らないといけない事が増えていました。理由は明確。「休憩が長い」からです。うちの練習の本来の形を実行する。それができればこれから先どうなるか。

練習量が多いとは思いません。走る量は少ない方だと認識しています。それでも別の形で練習をしていけば結果は変わる。そのためにもう一度自分の中で整理しなければいけないかなと。親しい指導者からすれば「いや、結構やってるやろ」と全力の突っ込みが入るかもしれません。が、本当にやりたい事はある。そこを徹底する感覚が私の中に足りなくなって来ていたなと。

愚痴のようなblogになっていますが。これまでもかなりやってきました。それでも現状を見直します。これから数ヶ月、私自身も勉強し直します。今の選手達の潜在能力を最大限に引き出す事ができれば。周りからの評価云々がではなくまずは目の前の選手がどれだけ力を出せるようになるか。ここだと思います。自信はあります。突っ走る事になるかもしれませんが。

抽象的な内容になっているので余力があればまた書きます。自分の中の殻を破る。敵は己の中にあり。改めて感じています。
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考えること

2019-10-30 | 陸上競技
色々と考える事があります。

先日ある人と話していて「練習が古い」という話がありました。うちに対してではなく総じてという意味合いで。近畿などと比べると間違いなく練習が遅れているのは間違い無いと思っています。昔ながらのジョグをして体操をしてドリルをして流しをして...。教科書に書いてあるような流れなのかもしれません。

以前から行われている練習形態自体が「悪い」とは思いません。その流れの中でも結果を出している選手が存在するからです。とはいえ「必要な練習」をきちんとしていたらもっと伸びていたのではないかという考えはあります。「競技をやりたい」という考えがあるのに高校での指導スタイルが学校によって全く違うことを知らない選手が多すぎるという部分は確かにあると思います。

「情けは人の為ならず」。私が持っている知識や練習に対する考え方を「復伝」という形で県内の指導者に伝えていく方がいいのではないかという話になりました。ありがたいことに私のことを心配してくれての流れのようです(笑)。今やっている練習の流れや考え方は他校とは全く違うと思います。その事を他の指導者に知ってもらうことで回り回って自分のところに返ってくるのではないか。そういう話でした。

「十分な指導が受けられない」という不満はあると思います。高校でのその環境に入ってしまえばそれが「当たり前の練習」になる。これまで何人も「もったいないな」と感じる事がありました。正確性を欠いた練習や「明確な目的」が足りない練習を繰り返していても60%程度の成果しか出ない。その事に気付けるか。これも難しい話だと思います。

来月京都に行く予定になっています。インターハイで6年連続?4継で決勝に残っているチームを訪問させてもらいます。今のうちのチーム力からすれば本当に雲の上の存在。はっきり言って「足手まとい」になるのは明確です。それでも引き受けてもらえました。ここから学ぶことは大きいと思います。厚顔無恥だと言われるかもしれません。それでも学びに行くこと、その機会を与えてもらえることは大きな意味があると考えています。

「復伝」として帰って来てから練習などの紹介をするようになると思います。これは実際に目で見て肌で感じなければ絶対にわからない部分だと思うので「エッセンス」だけを伝える事になるのかなと。本質的な話をしてもほとんど「?」という感じになると思います。根本的な部分についてもっとディスカッションしなければいけないと思うからです。なぜその練習スタイルになるのか。そこに目を向けていかなければ「表面的な理解」にしかならない。表現的に難しい部分なのですが。

「他者な教える」こと。持っているモノを分け与えること。すごく大切なことだと思っています。しかし、「欲しているか」は大きな部分だと思います。この感覚はkjh先生といつも一致しています。「練習を見て欲しい」と言われて他校から来る事がある。専門性が高い種目であれば尚更です。投擲は特にその部分がある。来ることは全く問題がない。

重要なのは「自ら欲して来る」のか「指導者に言われたから来る」のかだと思っています。指導者だけが本気になって「教えてもらう」という姿勢では本質的な変化は生まれない。自ら欲してやろうとするから学ぶ事、身につく事がある。

gt先生と話をする中で「ずっと山口県で生活して来たのに県外の学校に行こうと思ったのか?」と聞かれた事があります。愚問(笑)。「自分が勉強したいと思ったから」というシンプルな話でした。福岡と大阪を経験したgt先生からすれば私の存在は異質なのかもしれません。しかし、本当に学ぼうと思えば待っているのではなく自ら行くべきだと思います。だから図々しく外に出る。出たからには本質的な部分を少しでも多く感じとるために見続ける。見て満足という部分はありません。

自分では「普通」と思っているのですがひょっとしたら「異質」なのかもしれない。突き詰めて学ぼうと思えば自然と「やるべきこと」が見えて来ると考えています。別に自分が特別だとは思いません。まだまだ学ぶことは多い。先日師匠が「選手の動きを見ていて勉強になった」と言われていました。いつまで経っても学ぶ姿勢、感じとる姿勢を持ち続けなければいけない。改めてそう感じました。

学ぶ事。それはやろうと思えば誰にでもできるかなと。学ぶ環境を与える。それは学校も同じかなと。環境は与えてもそこに座っているだけでは何も身につかない。学ぼうとする意欲があるかどうかで成績は変わってくる。そう感じています。

うーん。何が書きたかったのか分からなくなってきましたが。記録だけしておきます。
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本当にやりたい事を

2019-10-29 | 陸上競技

思うことを。

 
この半年間、それ以上の期間かもしれません。とにかく長い間「本当にやりたい」という陸上競技ができていない自分がいました。競技力云々ではなく「成長を促すためか指導」というのができている手応えがない。ここは感覚的に分かってもらえないと思います。目の前で起きていることに対して「出立て」が見えない。霧の中で指導をしている感じが強くありました。その霧が晴れる感覚がない。
 
国体合宿などで指導する機会がある。ここに救われていた感覚。この場では「技術的な指導」に特化できます。そうなると選手に対して必要なことを伝えることができる。感覚のすり合わせをしながら次の動きをどうするか。それは胸躍る前向きな時間になります。
 
こういう場面だけで指導をするのは誰にでもできると思います。実際にチームを作って戦っていくことの難しさの方が大きくあります。チームとしての指導をする。その中で方向性がどこに向かうか。きちんとした方向に進むためには「考え方」が統一される必要があります。そこができなければ力の方向が定まらないからです。
 
国体に出場する選手は方向性が定まっています。試合で結果を出す。そのためにやるので細かい事を詰めて話す事ができる。ハードなメニューであっても目標に向かって進んでいく事ができます。ここは大きな話だと思います。今は「その気にさせる」というところからスタートしなければいけない。正確にいうともっと前の段階から指導しなければいけないパターンさえもある。
 
何人かは「強くなるために」を真剣に考えています。その選手達に救われている部分はある。ここの部分をもっと考えないといけない。多少痛みを伴う部分はあるのかもしれない。「競技力を上げたい」とうちの学校を選んでもらえるチームにするためには「その気になる」選手達を育てなければいけないなと。埋めがたい感覚の差はあります。それでもそこをどうするかを考えていかなければいけない。
 
県体1日目の終了後、短距離長距離を全員集めました。土曜日は長距離が試合に来ないので全体で集まって話をする機会はないからです。駅伝がありますが全体としてやるべきことを示しておきたいなと。今のままでは「戦うチーム」にはならない。今のメンバーで戦うためには「根本的な考え方」から作り直していく必要があると感じていたからです。
 
そこで年度当初に配布する資料を全員に配りました。そこに書いてあることは絶対条件。難しい話ではなく本当に「基本的なもの」です。そこがベースになって進んでいく。以下、配布資料の内容を載せておきます。ここをベースに考えていきたいと思います。
 
 
 

活動方針について

 

基本的生活習慣を身に付ける

「高校生」としての意識だけでなく、「社会人」としての意識を持つこと。

「速く走ること」は一時的なこと。競技を通じて「人間的成長」をすることが今後の財産となる。そのために、以下の項目を日頃から心がけて活動していく。

 

①一生懸命に物事に取り組む(全てのことで手を抜かない)

②自分で考えて行動をする(周りの人に気を配る)

③誰に対しても大きな声で挨拶をする(普段から大きな声を出す)

④ルールを守る(部活だけではなくすべての場面で)

⑤感謝の気持ちを持つ(やってもらって当たり前ではない)

 

トレーニングコンセプト

 

1.基礎の徹底(基礎技術・基礎筋力)

 技術的なものやスピードを支えるのは基礎体力・基礎筋力。特にバランスのとれたトレーニングを大切にし、全身筋力・全身持久力の向上を目指す。焦らず年間を通じて基礎的な部分を行う。走る練習も大切だか基本的なドリルに時間をしっかりとって練習をすることで確実に力が上がっていく。

 「運動ができない」選手はいない。今の運動能力は「身体の使い方」を自分がわかっていないだけ。毎日の練習の中で「身体の使いかた」を身に付けることで競技力は自分で思っている以上に上がる。

 

2.練習内容の理解

 「なぜこの練習をするのか」「この練習が走りにどうつながるのか」を自分で理解する。一番効果がない練習は「とりあえずやる」こと。指導者から「やらされている」という練習ではどれだけやっても強くならない。「強くなりたい」「速くなりたい」と真剣に思えば自分自身で努力できるようになる。走りの技術も「形」を真似するのではなく「実際の走りでどの部分で生かされるか」がわかってくると同じ練習をしても面白くなってくる。言われていることを理解する努力を。

 

「前に進む」ことだけを考える

  「形」だけにこだわり過ぎず、自分が「前に進む」ために何をするのか

 

「Good Loser」となる

  「やるだけのことをやった」と負けた時に自信を持って言える人間になる。

  そのためにできることは全てやる。「be a good loser」

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あいもかわらず

2019-10-27 | 陸上競技
色々バタバタ。疲れていてなかなか元気がありません。毎年この時期はこんなものなのかもしれませんが、今年は本当に身体がきつい。最近は「疲れている」としかblogに書いていません。何のためのblogなのかすでに怪しい話になっていますが。

一応県体が終わりました。結果としては「今の状況で走れたかな」という感じです。まずまず。とはいえ、女子リレーは4着となり表彰台に乗れず。今回の最高順位がここでした。バトンの精度について考えさせられます。

県新人が終わってたから親しい指導者にうちのメニューを送りました。リレーのことで悩んでいたので私がやってきた事をまとめている資料をプレゼントしました。細かいやりとりやポイントを伝えながらそれを続けてくれていたようでした。結果、大幅ベスト更新で5着でした。いや、素晴らしい。どうすれば渡るかを考えるだけではなく「リレー練習」はきちんとしてやれば最高のスピード練習です。絶対に手が抜けないので。効果は間違い無くあります。

10バトン、25並走。これがきちんとできていないという状況です。やりたいことではない練習になっている。緩めて渡したり詰まっていたり。渡らなかったり。狙いを無視した練習をどれだけやっても効果が出ないという典型的なパターンだと思っています。私の本当にやりたいことがどれだけできているか。100%の練習がしたいのですが60%くらいしかできていない感じがあります。ここに意味があるのか。考えさせられます。

Hoが12秒台で走りました。まだまだですが。ここに関しては出るべくして出たと感じています。取り組みの部分を見ていたら宝がついていくのは間違いないながらです。不器用なので時間がかかりますが言われた事を丁寧に丁寧にやっていきます。陸上競技ときちんと向き合える選手です。こういう選手といっしょにやっていけるというのは本当にありがたいことです。荒んだ気持ちになる時もありますが、Hoの直向きな姿を見ていたらこちらもきちんとやらなければいけないなと感じます。

krk君がついに110mHで県記録を更新。14秒26。これまで向かい風や雨、追い風参考できちんとした記録が残っていませんでした。ユースハードルの結果からすればいつ出てもおかしくないなという感じがありました。途中豪快にハードルを引っ掛けました。他のレーンに転がっていくくらいの勢い。それでも転倒せずに走り続けての記録。ユースハードルのイメージがあるので低くなっていたのだと思います。それでこの記録。きちんと走れれば14秒0台がでるのではないかと思います。これにて全てのハードルで県記録保持者になりました。関わらせてもらえたことに本当に感謝したいです。

余裕があれば少しずつ書いていきたいと思います。もう一度原点に帰って取り組みたいと思います。
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ちょっと・・・

2019-10-24 | 陸上競技

更新できず。かなりエネルギーが尽きています。こんなことではよくないのですが。

 

日曜日が田島記念。月曜日は振替授業で7分の6の授業。余力がないまま。火曜日は祝日でしたが練習をしてから下関へ。貴重な時間を過ごす。水曜日は朝からきらら浜で駅伝の準備などなど。色々なことが舞い込んでくることに。うーん。

 

思うことがありすぎます。感情をコントロールするという話になるのかもしれません。自分自身をうまく保たないといけないなと思っています。陸上競技と真剣に向き合いたい。その思いはずっとあります。それを阻害する要因もたくさんある。その中で今自分が何をするのか。ここは保ちたい。

 

面白くない記事ですが。とりあえず記録しておきます。生きています。43歳になりました。

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学び続けること

2019-10-21 | 陸上競技

思うことを。

 

金曜日、色々と感じることがありました。師匠とやり取りをする中で「学ぶこと」「感じること」の大切さを改めて考えさせられました。

 

前の記事にも書いていますが。色々と「与えること」などについて最近よく考えています。何も考えなくても「速い者は速い」というのがあります。火曜日のミーティングでも選手に配布しましたが「世の中は不平等」なのです。「みんな等しく」という理想論が掲げられますが「走る」ことに関して、全員が10秒台で走れるわけではありません。女子全員が12秒台になるわけでもない。努力をしたとしてもそこに対して「結果」が伴うかどうかわからない。ここは忘れてはいけない事実だと思っています。

 

が、指導をすることによっていくらか変わってくる部分がある。これもまた事実。私は昔から「指導」についていろいろと勉強させてもらっています。様々な場所に訪問させていただきそこで「何をしようとしているのか」を見続ける。一番は師匠との「競技談義」の中で培っていると思っています。普通の選手が勝負するためには「徹底した指導」が必要になると思っています。10年前にやっていた指導方法で走れるようになってきたといっても今も同じことができるとは思いません。選手の気質も大きく変わってきています。そうなると「目の前で起きていること」に対しての対応が必要になる。

 

技術的に「やりたいこと」がある。だとしても「基礎筋力」がなければできません。筋力を上げることを考えると「ウエイト」もその手段の一つになる。が、そこに着目し続けると偏った結果になる。師匠が昔から「普通の選手にはウエイトよりも補強のほうが効果がある」と言われていました。ウエイトでは負荷が足りない部分もありますし、意識によって筋力の上下が違ってくる。

 

「大きな筋群を鍛える」というのがウエイトの主眼になる。が、やはり忘れてはいけないのが「体幹補強」だと思います。師匠と話をする中でその部分の重要性が再認識される。「シャフト補強」か「ウエイト」かという談義もかなりしています。この部分でも「正解」がどこにあるのかを探していかなければいけない。一長一短あると思います。近畿地区はあまりウエイトをしているという話は聞きません。やっているのかもしれませんが。競争の激しい近畿地区を勝ち抜くために「創意工夫」がかなりある。そこに学ぶことは数限りなくあると思っています。

 

正直、「世の中は不平等」です。きちんとした練習計画が立てられなくても速い選手がいるというチームはいます。計画があっても技術的な指導が不足すればもともと早い選手であっても「伸び悩む」というのがある。そんな状況の中で指導する私たちが何をするのか。試行錯誤しながら「本当に必要な練習」を組み立てていくしかないのかなと感じています。

 

全国で活躍する強豪校。「基礎基本の徹底」という指導をされていると聞いています。師匠の紹介で近いうちに訪問させていただけることになりました。どのような意図があってそのような指導スタイルなのか。根本的な部分は「走りに共通する基本的な部分を身に付ける」ということだと思います。中学時代に速いといってもそれがある意味「我流」でしかない。そうなると高校で伸びが止まってしまう危険性がある。オーソドックスな走りを身に付けていくことで安定した力が発揮できる。

 

その中に「基礎筋力の向上」であったり、「ボディコントロール」があったりする。ウエイトをする効果はあると思っています。短期間で競技力を上げるためには「筋力アップ」が一番かなと。しかし、これを支える「体幹の強さ」があるかないか。地道に身体を作っていくことで安定していくのではないか。師匠が「指導をしていて気づいたこと」について言われていました。このことを「反省している」と。かなりの年齢です。多くのことを見ながら学びながらやってきた師匠がこの歳になって「反省している」と感じる。本当に頭が下がります。どこまでやっても追いつける気がしません。

 

私は本当に学べているか。学習できているか。それを選手に還元できているか。競技指導をする中で誰かにプラスの影響を与えることができているか。考えさせられます。国体のコーチとしてかなり長い間関わらせてもらっています。当初から比べるとかなり「分かる」ようになってきたかなと思っています。自分の感覚だけではなく頭を使って考え、多くのことを学びながらやってきた。指導という意味では大きく成長できているのかなと思っています。

 

学ぶ姿勢。この姿勢が少ないなと思うことが多い。私だけではなく周囲を見渡しても。もっと有効にできることがあるのではないか。学ぼうとすれば全てから学べるのではないか。そう思っています。今の自分が何を学んでいるのか。学び続ける姿勢を学んでいる気がします。自省しながら前を見ていきたいなと思っています。

 

まとまりません。思うがままに書きました。また書きます。たぶん。

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バタバタバタ

2019-10-21 | 陸上競技

思うように時間が取れません。目標は毎日更新のblogなのですがそこまでのエネルギーが残っていません。これは大丈夫なのか。休むということができるのかどうか疑問を持ちながら。

 

先週の土日、中国新人。これについて振り返る余裕はなく。翌日、居残り組の練習を。これはかなりの量を。といっても120mを5本だったのですが。男子の大半はぐったり。全てを走ったのは数人だったと思います。負荷をかけるという部分も必要なのですが。練習後は不在時に行われたテストの採点。

 

火曜日は土曜日にテストが行われていたのでその代休で休み。練習をしました。この日も少し走ることに。テスト週間があり「走り込み」といえる量が出来ていません。140mTをやってから120m-120m-90m。この日の練習開始時に少しミーティングを。「問題解決能力」について。これがどれだけ実施できるか。「与えられる」のではない。そこが分かるようになるか。難しい話かもしれません。

 

水曜日。この日の記憶が曖昧です。スタート局面の練習をした気が。前日に走っているので。2時間近くバタバタしていたので練習に参加したときにはほとんどのことが終了していました(という気がします)。声は出て元気よくできていたような。こういう部分で変化がありそれが本物になるかどうかは見守っていきたいと思います。続くかどうか。

 

木曜日。臨時の会議。2時間近くかかりました。この日は感覚づくりにしていました。私が参加した瞬間に練習は終わり。どうでしょうか。良いのか悪いのか。本人たち次第かなという感じでした。

 

金曜日。雨予報。朝から雨でした。放課後は休養日にしようと思っていました。選手よりも私がきつい。これは如何ともしがたい事実。早めに帰宅して寝ました。

 

土曜日。この日は競技場で。kdm高校がいたので男子は一緒に走らせてもらうことに。今の男子にとっては他校と練習をすることはいい刺激になります。自分たちの競技力を突き付けられる状況になる。単純に「速い」「遅い」だけではない。うちの練習ではそれほど走り込みをしません。本数も少ない。他校であればある程度の距離と本数を走ります。その中でどうするか。かなり弱っていました。

 

日曜日。田島記念。例年になくトップ選手が参加していました。うちの女子は100mと4継に出場。記録的には「グランド雰囲気が重いな」という感じがあり全体医的に低調。もう少し走れてもいいかなと思いながら。リレーはなんとか3位。練習では過去最低レベルでバトンができませんでした。色々と原因は考えられます。

 

何人かの先生方と話をすることができました。情報交換。ここも重要です。リレー終了後、学校の仕事で急いで競技場を離れる。バタバタ。

 

なかなかの日程です。自分でも大丈夫かなと感じる部分があります。仕方ない。やるしかない。という感じですね。中身はないですが記録だけしておきます。

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「与えること」「与えないこと」のリスク

2019-10-18 | 陸上競技

思うことを。これも私の考えなのでどうかと思いますが。

 

「知っている」と「知らない」では意味が大きく異なってきます。当然です。が、「知りすぎる」と「知らなすぎる」でも意味が違ってくる。ここは非常に難しい。

 

競技について。かなり勉強してきたつもりでいます。時間をかけて各地を渡り歩きながらどうすればいいのかを考える。やっている練習を見ながらその意味を考え、狙いを感じ取る。ある一定の知識が身についたところからは自分で練習方法を考えるようになる。「狙い」が分かればその方法論は数限りなくあるからです。「速く走るために」という視点からメニューの組み立てをするようになりました。

 

私の高校時代。学校で競技について教えてもらった子は一切ありません。大学も同様。ほとんど自分が思うがままに練習をしていました。陸上競技の雑誌を買いあさったり、トレーニングの本を読んでそれを「真似る」という形で実施。それが正しいかどうかは分かりません。正解を教えてくれる人が周囲にはいなったからです。だから自分の身体を「実験台」のようにしてやっていく。客観的な視点からのアドバイスはないので「正しい動きをしているのかどうか」さえ分からないままやっていました。

 

私の走り方はどちらかというと「膝が開く」「膝から下を振り出す」というような走りでした。今考えると恐ろしい話ですね。それを「強引な努力」によってそれなりのレベルに持っていった。ごり押しです。勉強していく中で「今の考え方で自分自身の走りが作れたら」と思うことは多々ありました。後悔しても遅いのですが。恵まれていなかったと嘆いていても仕方ない。その「遠回り」があったから今の自分があるなと思います。

 

そういう経験があったので「技術的な部分」に関しては指導を徹底している感じがあります。「型にはめる」というまでではないと思いますが「技術的な部分」は一定方向で進めています。「知っている」からその情報を提供する。知識の安売りとは思いませんが、これまで見てきた経験や感じたことをその場で極力伝えるようにしています。「知っている」から「与える」という形です。

 

「知らない」から「与えられない」というのが大半かもしれません。素人だから分からない。だから何も言わずに見守っている。それは一つの方法かなと思っています。が、選手のためにはならない。これも価値観なので押しつけはできません。が、せっかく選手が競技をやろうと思っているのであればそれに対して「最低限の情報」の提供はできるかなと。

 

人によっては「知らない」けど「与える」というのもあります。受け売りで「どこかがやっている」からそれを真似てやる。その本質的な部分が分かっていないのに「練習とはこうだ」と自信をもって伝える。メニューをやっていたら人によっては強くなるという感じだと思います。意味が分からないから動きが崩れたら戻すために何をすればいいかは分からない。「与えられない」からどうしたらいいのか見えてこない。それでも「これをやればいい」と押し切れる強さはすごいなと思っています。私にはできない。

 

更には「知っている」けど「与えない」というのもある。今自分自身に必要な要素はここなのかなと感じています。「近道」はある。しかし、何も考えずに「答え」だけを提供すると考えるという力は身につかない。もちろん、一定水準までは「与える」ことが必要になると思います。「考える」ための材料がないのに「考えてやりなさい」というのはあまりにも無謀。が、常に「与える」ことが本当の意味での成長を阻害するのではないか。「言われている通りにやれば結果が出る」という考え違いをする可能性がある。「言われたとおりにやったのに上手くいかない」とこちらに矛先が向くこともあります。

 

今までは「知っている」から「与える」という形が自分の中で「絶対的」でした。が、ここ最近感じているのは「与えられる」ことが「当たり前」になって少しでも「与えられない」とそこに対して不平不満が生じるのではないかという部分。前の記事にも書きましたが。「誰かが何とかしてくれる」という錯覚。そこから抜け出すための道が本当はあるのではないか。


技術的なことであれば「知っている」けどあえて「与えない」というのはあります。今その動きをすると狙いとしている動きから離れてしまう。だからそこは目をつぶっておく。将来的な修正は必要ですが今やるとかではないという判断をすることもある。


指導スタイルについて考えさせらる。本当の意味での「感覚作り」をするためには時間が必要になる。短期的に結果を出そうとするのではなく身体作りと含めて「感覚作り」をしていく必要があるのではないか。


中国新人の時にたまたま手にした本があった。「問題解決」についての本。これは高校生でも分かりやすいなという内容だった。が、今考えるのは「問題解決能力」の前に「問題発見能力」の方が大切ではないかなということ。問題解決について考える前に「今の問題は何か」を見つけなければいけない。そこができなければ「練習をやっているのに結果が出ない」という不平不満だけが生まれるのではないかと感じている。


「与えない」ことは伸びるチャンスを失う。「知らない」ことで「与えることができない」というのは、私の中では問題外。「知らない」のであれば「知っている」状態になるまで学べば良い。そこをせずに指導するというのは違うと思う。しかし、「与えすぎる」ことも成長を阻害するのではないか。そう思って師匠に相談をした。この年になっても未だに頼っている。こういう部分で私にとって唯一無二の存在。いつまで経っても学ばせてもらっている。


人によって関わり方が違う。「与える」方が良い場合もあるし「与えない」方が良い場合もある。選手を見ながら見極めていくことが必要になる。それを周りから見るとあの選手には「与えている」のに他の選手には「与えていない」と批判される部分はある。嫉妬とまではいかないが「あの人は言われているのに自分は言われない」という不満が生じる。ここにも大きなリスクがある。人それぞれの見方だから。


まとまらない。それでも考えさせられる。もうすぐ43歳になる。40歳で「不惑」と言われるがいまだに惑い続けている。10年前の自分が今の私を見たらどう思うだろうか。当時の私は今の私の考え方を「知らない」のだから想像することもできないだろう。


また書きます。多分。 

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教えることの意味

2019-10-18 | 陸上競技
色々と考えさせられています。教育そのものについても。今までの指導スタイルの見直しも含めて考えさせられています。「教育」は「教え育てる」ことです。何かを伝えていくことで変化が生まれる。変化を待つ間、かなりのストレスを感じることがあります。更には変化が感じられない部分が続くとこちらも「もういいや」という気持ちになる。

何度も書いていますが我々は聖人君主ではありません。普通の人間です。学校で全てを負担するのは間違っていると思います。このご時世、発言の一部分を切り取ってそこに対して「問題だ」と取り上げる。その前後の流れは一切関係なくなる。自由度や裁量などはほぼなくなりつつある。

教えること。話をする中で疑問が湧くようなことがあった。「教えて欲しい」と求められる。それに対して教える。それに対して「1人だけ教えるのは不平等だ」という流れになる。聞いてきたから教える。聞きに来なかった者には教えるチャンスがない。個別に聞かれて伝えたことに対して不平等だと言われたら「教える」ことは放棄せざるを得ない。

この話をある人にすると「ご飯お代わり無料」の話になった。ニュースになっていたらしい。あるお店が「ご飯お代わり無料」にしていたら利用客からクレームが付いたとのこと。自分はお代わりをしない。お代わりをしている人は自分たちよりもたくさん食べてサービスを受けている。不平等だ、と。お代わり無料はその食事の値段に「お代わり代」が含まれている。一杯しか食べない人と3杯食べる人では量が違うので不平等だと。

それによりお店は「ご飯お代わり無料」を辞めたとのこと。ここに対して「当然だ」と思う人もいれば「別にいいではないか」と感じる人もいる。この感覚の差なのだと思う。自分以外が幸福感を感じることを許容できない世の中になっている。それは強く感じる。自分がお代わりをしないのだから、他の人がお代わりをするなら有料にして高くしろ。一理あるかもしれないが全てを許容しない傾向が強くなっている。

教員は「サービスを提供する」という位置づけになっている。全員に平等に与えることが当然だと言われる。それが本当なのか。

かなり前。就職試験の面接練習をする約束をしていた。日時を指定していたが来ない。何度か時間指定をしていたが来ない。私の用事があって早く帰宅しなければいけない時に「明日試験だから面接練習して欲しい」と言いにくる。これまでの経緯を伝えて断ったら保護者から電話があった。「子どもが面接練習をして欲しいと申し出たのに断るとはどういうことか」と。これまでの経緯を伝えても「やってもらえない」ことに対して不平不満が生まれる。その前段階は全て考慮されず「サービスを受けられなかった」ことに対しての怒りをぶつけられる。

「教える」ということ。「与えられる」ことが「当たり前」になる。サービスを受けられるのが当たり前になっている。受けられないことに対しては怒りを示す。お代わり無料を許せない部分と根底で繋がっているのがはないか。

こうなると最初から「やらない方がいい」ということになる。やってクレームを付けられるのであれば必要最低限のことだけを提供してそれ以上のことをやらないようにする方が自分自身の身を守ることができる。本当に窮屈な世の中になっていく。ノイジーマイノリティ。声高に不平不満を掲げる人の意見が全てを代表しているかのような正義感があるのかもしれない。

今、職場に来たら生徒が外から入るための門を開けている。元々これは私の仕事ではない。7時前後に来るので早く来た生徒が入りやすいように「サービス」で開けているだけの話。別に開けなくても問題はない。善意でやっていることだがヘタをすると「来たのに開いていなかった」と不満を言われる可能性がある。「開いている」のが当たり前なのでそのサービスが受けられないことに対して「どうなっているんだ」という意見が出る。それなら最初から「やらない方がいい」という話になる。

教えること。何をもって「教える」ということになるのか。大きな疑問を抱きながらやっている。答えは今のところ見つからない。息苦しい世の中になりつつあるのだけは確か。考えさせられる。
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中国新人・・・

2019-10-17 | 陸上競技

振り返る余裕もないまま今を迎えています。とりあえず簡単に。

 

国体から戻ってきて対応を要することがあったのでそれを。時代の流れもあると思います。こちらが話す内容をかみ砕いてかなり分かりやすく話していく必要性があるなと感じています。「意図をくみ取る」というのは難しい時代になっているのかなと。ここに関しては考えさせられます。

 

バタバタの中で中国新人へ。台風の影響も心配されました。本当に走ることができるのか。ここも考えさせられる部分でした。少人数の中でやっています。一人でも欠けるとレースに出ることさえできない。欠場になることだけは避けたい。リレーを走れるのは4人だけしかいません。万が一に備えて長距離選手の名前を借りていました。4人のうち1人が走れない状況になったら棄権することになる。怪我をするリスクもありました。万が一に備える。それだけはやっておかなければいけないなと。

 

台風の影響もありリレーは実施が危ぶまれました。これも「何しに行ったのか」という話になるので。運営側もかなり気を使われたことだと思います。強風でしたが競技をすることができました。初めての中国大会。中学時代に経験したことのない中国でした。その舞台で走る。これだけで大きな意味があると思います。個人で中国を経験したことのない選手たちの集まり。この春、県総体で勝ち上がれず中国を経験できなかったというのは痛い。だからこそ途切れさせてはいけないなと思っていました。

 

勝負という意味では参加させてもらえませんでした。これが今の実力だと思います。それ以上でもそれ以下でもない。バトンが云々ではなく根本的に「力がない」という部分。中国の舞台に立てて「力がない」ことを肌で感じ取れたことは大きなことだと思います。これで「高いレベルで戦いたい」と思うか「無理だ」と思うか。それぞれだと思います。中国新人はこれ以上上がありません。春の中国総体はさらに上がある。そこを目指すためのスタートラインなのかなと思っています。

 

参加できた。走ることができた。これが財産です。本当は決勝に残って勝負したい。それでも今は難しい。リレーで戦うことを考えれば「個」の力が必要になります。県レベルでは何とかごまかせても上のレベルでは誤魔化しが効かない。ここも痛感しました。

 

結果として何かを残せたのかといえばわかりません。しかし、経験した選手の中には「今のままでは戦えない」と感じることができた者もいるはずです。それを今後にどのように生かすか。きっかけにはなったと思います。それがどのような形で出てくるか。集団としての強さを求める部分と「戦える個」を育てていかなければいけないと思っています。

 

思うことが多かった中国新人でした。本当に考えさせられました。

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