ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

三殿台

2017年02月21日 | Weblog

横浜市磯子区に三殿台遺跡という縄文時代、弥生時代、古墳時代の3時代にまたがって集落が形成されたあとがあります。
発掘された集落の住居跡の一部は建物で保護された状態で展示され、そのほかの大半の住居跡は埋め戻されて保存されています。
埋め戻された芝生地は地面の下にある住居跡の竪穴の形がわかるように色違いのコンクリート製の杭を並べて打ってあります。
集落の周辺にはごみ捨て場(貝塚)がありました。

三度目になりますが、最近は2月19日(日)に訪れました。
台地の上にありますが、大昔は北東に伸びた半島の付け根部分にあり、西北側および南東側は海だったようです。
敵がいたかわかりませんが、半島の付け根部分は、天然の要害であったと同時に外部に通じる大きな道に出るのに便利な位置であったと思います。

3時代にまたがって集落が維持されたということは当時は比較的生活がしやすい場所であった証拠と思います。
見晴らしがよくて気持ちが大きくなれる場所です。
富士山が美しく大きく見えます。

この遺跡に立つと、大昔の人になったような気持になります。
食料不足、病気、争いなどに苦しむことがあったと思いますが、総合的には単純な生活の繰り返しであり、概して平和であったのではないでしょうか。
外との交流もあり、それが刺激となって生活を改善したのではないでしょうか。
現代人は高度な文化文明を楽しんでいますが、生活の基本は大昔の人と同じではないかと思います。
本能的に生きたいと思って生き、どうしようもない病気や衰えで死にます。

三殿台は小学校の教科書にのるほど有名ですが、普通の観光地ではないので訪れる人は少ないようです。
私が訪れたときは、老婦人と中年の身障者(母子)しかいませんでした。
老婦人は、子を施設にあずけているが、土日はできるだけ施設から連れ出し、一緒にいろいろなところを訪れていると言っていました。
ただ子の世話をするだけでなく、いろいろなところを訪れることで自分も刺激を受けるように工夫していると言っていました。
訪れたところでいろいろな人に出会い、お話をすることも楽しいと言っていました。

身障者の子は、何度も芝生広場を歩き回り、すぐ母のところに戻ってきて、母の手をとり、電車に乗ろうと言いました。母親が私と話していると、やはり気になったのではないでしょうか。
老婦人の人生は厳しいものであったと思います。
身障の子とよく生き抜いてきたと思います。

事務所に行くと、若い職員が、昔の土器の色付け(ベンガラによる着色)を利用して土器のペンダントをつくっていました。
大昔の人はこうやっていたと言って、半乾きの粘土の表面に湿ったベンガラの粉末を置き、貝殻の凸面で粉末を粘土面にすりこんでいました。
こうして焼き上げると、ベンガラの赤い文様が浮き上がってくるそうです。
このペンダントをお土産として売って、遺跡の維持費にあてているそうです。