EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

我が家から見た10月の雲

2012年10月15日 | 伊予松山歴史散策
10月が訪れ、今年も残すところ77日、一年の経過が特急列車の如く過ぎ去る。もう少しゆっくりと過ぎて欲しいものだ。
最近何故か空を見上げ雲を見ることが多くなった。

今日夕方我が家の東北の空に大きな虹が現れた。久しぶりに見る虹である。カメラを取り出し(28mmで)撮るも入りきれず、10mm~22mmの広角レンズに付け替え撮った。

10月も15日目その間にいろんな形の雲が現れた印象に残った雲を掲示してみた。
画像は、全て我が家から撮った雲である。


昨日14日、午後5時22分家族から大きな虹が出来た・・と連絡がありカメラを持ち出し撮ったが全部撮りきれず、
広角レンズに取替えて撮った・・画像は28mm!!これでは撮りきれない


急遽広角レンズに取替えて午後5時27分に撮った・・こんな大きな虹を見るのは超久しぶり・・
レンズは10mm~22mm


ホワイトバランスを変更して撮ってみたが、大分虹が薄くなっていた


これは虹が出来た同時間帯で、反対側の西の方角ではこんな状態・・午後5時35分


今年の夏は、どうしてか石鎚山は雲で隠れあまり姿が見えなかったが、10月になってから見えるようになった・・10月3日午後2時に撮った、石鎚山上空に形のいい雲が現れたので撮った


10月12日、夏雲のような雲が出来ていた


10月13日午後5時過ぎ、変わった数種類の雲が重なりあって現れた


10月8日午前10時過ぎ


10月8日午前10時過ぎ、雲の形は直ぐ変形する・・秋らしい雲


10月9日、午後5時55分の夕焼け雲・・左の黒い物体は、鳥で、塒の帰路についていたのかも??
鳥の種類は??烏よりは大きかった・・青鷺かも??
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大街道アーケード完成30周年

2012年10月14日 | 伊予松山歴史散策
今日、所要で行き付けのカメラのキタムラ大街道店に行った。
なんと大街道商店街は多彩な行事でにぎやか、何事があったのか聞くと、10月22日が大街道アーケード完成30周年を迎えるのを記念し商店振興組合と、松山三越が13.14日の両日共同でイベントを開催、今日13日が初日であった。

大街道商店街の全長は483m、幅15m、全体を覆うドームの高さ13m、全自動開閉式ドーム型で、昭和57年10月22日14億円を掛けて誕生した。
商店街の柱には、県花のミカン等を施したステンレスに模様をあしらい張られ、また、毎年開催される、全国高校俳句甲子園松山大会で優勝した高等学校の俳句と学校名が銅版で製作されたレリーフが名誉を讃え掲示されている。

今日の行事には新居浜市、今治市からも応援で展示支援をしていた。
画像は、今日13日の大街道の風景です。


大街道アーケード完成30周年記念「大街道を楽しもう!」掲示板


大街道アーケード完成30周年記念行事を楽しむ市民


以前は、大街道商店振興組合と松山三越とは敬遠の仲であったが現在は、共存共栄で振興を図っている・・
三越大街道入口は正装して祝っている


三越大街道入口には三越のシンボル「金のライオン」が設置されていた


柱のステンレスにあしらわれた「県花:ミカン」




全国高等学校俳句甲子園松山大会で優勝し高校の名誉を何時までも記念にと製作されたレリーフ


大街道商店街の「ギャラリータナカ」で第34回創作展・「絵夢彫金ジュリー教室」の生徒さんたちが仕上げた
作品展示が開催、その中の一つが私の目に留まった・・5円玉のペンダント・・ご縁玉ペンダント


ギャラリータナカで開催中「絵夢彫金ジュリー教室」の先生と生徒さん、一番左が藤島先生、
全国でも有名な先生・・今年のテーマは「遊・ゆう」だそうで


新居浜市からの展示で、別子銅山の写真展示があった・・これは貯鉱庫跡


昭和33年12月当時の鹿森社宅


昭和32年2月撮影、別子銅山の鉱山鉄道、この時は既に電気機関車になっていた・・その前は蒸気機関車で、
一部が伊豫鉄道に払い下げられ坊ちゃん列車として活躍した


昭和32年8月撮影、別子銅山の精錬所、上空からの「四坂島精錬所」全島
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伊豫松山城本丸にひっそりと咲く花・「名前判明」

2012年10月12日 | 伊予松山歴史散策
先日から腰痛を患い休んでいたが、腰を庇いながら10月8日松山城ガイド当番で登城した時の事をブログに掲載しました。

その時の記事・・「20年振りに松山城を見学される、岐阜市からお越しになったご夫妻を案内・・下山する時に、本丸の石垣の間から、可愛い草花が咲いた。

この花はなんと言う花なのでしょう??・・お城に咲く花としては、打って付けの花、派手さが無く、控えめで、うっかりすると見過ごしてしまいそうな花だが、可愛いいい花ですね・・松山城にぴったりの花ですね・・と言葉を残され帰られた岐阜市から来られたご夫妻であった。

画像は、話題の花です・・残念ながら私は植物には知識が無く花の名前が分かりません。・・が是非見て下さい。・・お分かりの方はお教え下さい・・と書いた。

昨日早速メールで花の名前を連絡頂きましたので再度掲載します。
ご連絡お教え有難うございました。

花の名前は「蔓穂・ツルボ」だそうです。

WsVeで検索すると・・

「蔓穂・ツルボ」:ユリ科の花で、しばしば群生し、野に咲いていたりすると、なかなか見栄えがする。
一般的には蔓穂(ツルボ)の字が当てられるが、名前の由来ははっきりしない。
別名サンダイガサ(参内傘)で、公家が宮中に参内する時に従者がさしかけた傘をたたんだ形に花穂を見立ててこの名が有る。

ヒガンバナより少し早く咲き、ヒガンバナと共に飢饉の時に役立った植物である。
東京新宿御苑では、最盛期の頃は、あたり一面が淡紫色に染まり、秋の訪れを知らせるツルボの花を是非ご覧下さい。・・とあった。


撮影場所は、松山城本丸本壇の一ノ門南櫓の前


松山城本丸本壇の一ノ門東塀の前








松山城本丸、戸無門の西側にある石垣


伊豫松山城本丸・本壇の一部で、小天守東から見た城門と各櫓、「蔓穂・ツルボ」が一番沢山咲いている場所は、
一ノ門南櫓の前に生息している


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第21回「アマチュア無線全国縦断一斉マイクロ波帯大移動運用会」

2012年10月11日 | 伊予松山歴史散策
先日から腰痛を患い休んでいたが、腰を庇いながら平成24年10月6日・7日二日間標記の事項が開催されたなか、6日短時間だけ移動運用に参加した。

マイクロ波帯バンドの活性化と防衛に寄与する事を前提として全国のマイクロ波を愛好するアマチュア無線局が実験と運用と相互の友好を進めると共に、災害時の情報伝達を無線で行う事も視野に入れ、目的達成の為に日本アマチュア無線連盟の後援を得て毎年春と秋の2回実施し今回で第21回目となる。この日は、北海道から九州まで各地からマイクロ波帯電波の伝搬通信実験が行われた。

東日本大震災 3・11・・から2年が経ちましたが、東北方面ではまだまだ災害復興の途についたばかりです・・・アマチュア無線局の皆さんの中にも被災された方々がいらっしゃいます。そして福島「原発」被害で悪戦苦闘中の方々も多くいらっしゃいます。
また、富士山が噴火するのでは??東南海地震は何時発生しても不思議ではないと四国各県では津波対策を立てている。東日本大震災 3・11以前は、防災訓練も年中行事の一環として消化行事的に行われていたが、現在は各自治体本気になって行い考えている。

松山市では、先日内閣府より発表された南海トラフの巨大地震の発生を想定し松山市地域防災計画に定める総合防災訓練として地震津波災害から市民の生命を守る事を最大の目的として11月4日(日)午前9時から実施する。場所は、松山市梅津寺町、市立高浜小学校・外、この地区は海岸に近い場所で特に津波災害の訓練が必要な場所。
今回の防災訓練実施にあたり、我らが所属する「アマチュア無線クラブ」に松山市長から災害時発生に関する通信手段の一つとして防災訓練に参加して欲しいと要請があったので参加する。

アマチュア無線局は、あくまでも趣味の世界であるが、災害時には社会に貢献出来る様日頃から通信機器の管理と整備並びに通信技術の向上を兼ねて移動運用を行っている。今回の第21回「アマチュア無線全国縦断一斉マイクロ波帯大移動運用会」もその一環である。
画像は、10月6日・7日と2日間に渡り行われた第21回・全国(縦断)一斉マイクロ波バンド大移動運用会に参加した、JR5EEKの設備と、固定で使用している無線機&ANT群です。


今回使用した5600MHzと10,1GHz帯の無線設備ANT


今年春の移動運用に使用した設備、左から2400MHz・1200MHz・5600MHz・10,1GHzのANT


1200MHz帯の無線機に5600MHz・10,1GHZ帯のトランスバーターに接続して周波数変換し送受信する


5600MHz・10,1GHZ帯のトランスバーター
駅伝、マラソンのTV中継の電波は10GHz帯を使用し、高速道路料金所ETC処理は5600MHzの電波が使われている、家庭の電子レンジの電波は2400MHz帯


5600MHz帯から47GHZ帯までのANT


固定局として使用している無線機、HF帯からSHF帯まで送受信出来る様している



固定局として使用しているANT群、最上部に430MHzと1200MHzのGPANT、その下に2400MHz40E2列2段、その下に1200MHz60E×2、その下に430MHz18E×2、その下に80cm5600MHzパラボラANT、一番下が7、18、21MHzのANT


真下から見たANTとクランクタワー、最長18m、風力計を設置し風速6mになるとクランクタワーは自動的に8mまで降りてくるように設定
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伊豫松山城本丸にひっそりと咲く花

2012年10月10日 | 伊予松山歴史散策
10月8日松山城ガイド当番で登城した。
案内したのは、岐阜市から来られた老夫婦で、松山城は20年振りの観光との由、天守、櫓、城門は変わってないが、売店が綺麗に改装されたのと、ゴミが落ちてない清潔感があり素晴らしいお城、鉄筋コンクリート造りの城よりも木造の城が私は好きです・・と言われた。

松山城天守の沿革を簡単に説明した。伊豫松山藩初代藩主、加藤嘉明が5層の天守を創建するが、3代目藩主松平定行が3層の天守に造り替えるが、天明4年(1784)1月元旦落雷で焼失、現在の天守は、安政元年(1854)に復興再建された天守で、現存天守では一番新しい天守ですと説明すると・・以前来た時にはその話は聞かなかったが、いい事を聞いたと言われた。

下城して、これから一日フリー切符を買い電車で市内観光をして明日帰りますとの由、県庁横に下りる道を案内し別れた。
途中本丸石垣の間から、可愛い草花が咲いて、この花はなんと言う花なのでしょう??・・お城に咲く花としては、打って付けの花、派手さが無く、控えめで、うっかりすると見過ごしてしまいそうな花だが、可愛いいい花ですね・・松山城にぴったりの花ですね・・との言葉を残され帰られた。

画像は、話題の花です・・残念ながら私は植物には知識が無く花の名前が分かりません。・・が是非見て下さい。
    お分かりの方はお教え下さい。


この日は松山秋祭り終了の翌日、天候もよく天守は青空をバックに映えていた・・岐阜市のご夫妻は、天守を見て瓦に「徳川家の葵の紋」が入っていますがどうして??由来を説明して納得して頂いた


この細い道を「隘路」と言うが、両側の石垣にも花が咲いている・・気を付けて見ないと見過ごししまう


板東三津五郎さんが、一番好きな松山城の風景・・ココにも花が咲いていた


秋山眞之が幼少の時に登った石垣で、櫓は「隠門続櫓」でこの石垣に画像の花が沢山咲いている・・高さ15mある


この花は石垣の間から育ち9月から10月になると成長して花を付ける


あまり栄養分も無い土の少ない場所から生命力が強く辛抱強い花だ




石垣の間から「撫子」のようにひっそりと、控えめに咲いている


何処から種子が飛んで来たのか??鳥類が運んで来たのか??松山城によく似合う花・・と言うよりも松山城の石垣を引き立て役の花・・と言った方がいいかも
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