EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊豫松山城本丸にひっそりと咲く花

2012年10月10日 | 伊予松山歴史散策
10月8日松山城ガイド当番で登城した。
案内したのは、岐阜市から来られた老夫婦で、松山城は20年振りの観光との由、天守、櫓、城門は変わってないが、売店が綺麗に改装されたのと、ゴミが落ちてない清潔感があり素晴らしいお城、鉄筋コンクリート造りの城よりも木造の城が私は好きです・・と言われた。

松山城天守の沿革を簡単に説明した。伊豫松山藩初代藩主、加藤嘉明が5層の天守を創建するが、3代目藩主松平定行が3層の天守に造り替えるが、天明4年(1784)1月元旦落雷で焼失、現在の天守は、安政元年(1854)に復興再建された天守で、現存天守では一番新しい天守ですと説明すると・・以前来た時にはその話は聞かなかったが、いい事を聞いたと言われた。

下城して、これから一日フリー切符を買い電車で市内観光をして明日帰りますとの由、県庁横に下りる道を案内し別れた。
途中本丸石垣の間から、可愛い草花が咲いて、この花はなんと言う花なのでしょう??・・お城に咲く花としては、打って付けの花、派手さが無く、控えめで、うっかりすると見過ごしてしまいそうな花だが、可愛いいい花ですね・・松山城にぴったりの花ですね・・との言葉を残され帰られた。

画像は、話題の花です・・残念ながら私は植物には知識が無く花の名前が分かりません。・・が是非見て下さい。
    お分かりの方はお教え下さい。


この日は松山秋祭り終了の翌日、天候もよく天守は青空をバックに映えていた・・岐阜市のご夫妻は、天守を見て瓦に「徳川家の葵の紋」が入っていますがどうして??由来を説明して納得して頂いた


この細い道を「隘路」と言うが、両側の石垣にも花が咲いている・・気を付けて見ないと見過ごししまう


板東三津五郎さんが、一番好きな松山城の風景・・ココにも花が咲いていた


秋山眞之が幼少の時に登った石垣で、櫓は「隠門続櫓」でこの石垣に画像の花が沢山咲いている・・高さ15mある


この花は石垣の間から育ち9月から10月になると成長して花を付ける


あまり栄養分も無い土の少ない場所から生命力が強く辛抱強い花だ




石垣の間から「撫子」のようにひっそりと、控えめに咲いている


何処から種子が飛んで来たのか??鳥類が運んで来たのか??松山城によく似合う花・・と言うよりも松山城の石垣を引き立て役の花・・と言った方がいいかも
コメント (1)
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