EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城本丸で「お城の夕べー七夕」が開催

2011年07月10日 | 伊予松山城本丸で「お城の夕べー七夕」が開
昨晩(7月9日・土曜日)伊予松山城本丸で七夕行事として、天守の夜間営業や特別ライトアップが実施された。

松山は、7月8日梅雨が明け昨年よりも9日早い、これから長い猛暑の続く夏の訪れである。
昨日午前中は曇天であったが正午を過ぎる頃から快晴となり最高気温は34、2度まで上った。午後7時20分に松山城天守に照明が点灯された頃は雲が出てきた。

今日は土曜日下界では土曜市が開催され浴衣姿で本丸(標高132m)にライトアップされた天守を見学に来て、用意された笹に願いを書き込んだり、松山市内の夜景を堪能したりして楽しんでいた。また天守にも上れた。


午後7時20分に点灯、ライトアップされた伊予松山城天守。
現存12天守のうち一番新しい天守「安政元年の再建」である。
天守最上階は標高160mあり昨晩は天守も開放され訪れた観光者は天守からの夜景を楽しんでいた。


ライトアップされた伊予松山城本丸、本壇に位置する天守&その関係櫓
照明ライトは、今年3月に以前の水銀灯からLEDに変更され綺麗な色合いで天守が浮き出ていた。
今年2月から2700万円を投資してLEDに変更、耐用年は20年で、10年で投資分を回収出来るとある。照明は、青、赤、緑等々様々な色で照らす事が出来、照明時間は日没から午後11時までである。


本丸広場には、通路にライトを置き特殊加工された和傘が置かれ七夕の雰囲気を醸し出していた。


伊予松山城「隘路」に仕掛けられた照明・・奥に天守、手前の櫓は、太鼓櫓。


昼間の松山城下街。


夜の城下街。




城下町にあるいよてつ高島屋屋上の観覧車。


松山空港に着陸する旅客機・・132m伊予松山城本丸から・・奥は瀬戸内海「伊予灘」。


伊予松山城「本丸・二之丸・三之丸」全体が国指定の史跡で、国でもここ松山だけにあるTV塔がある。
現在NHK総合、教育、南海TV(日本テレビ系列・共にアナログ電波)とNHKFM放送の電波が発射されている。
一部鉄塔上部が見えるが、緑色である。
普通は、高井構造物は、白・赤の塗装が行われるが、ここの鉄塔は史跡内にあるため文化庁の指示で目立たないように緑色である。
7月24日アナログ放送終了となるとこのTV塔も御役終了となる。文化庁はたぶん撤去命令を発令するのではないだろうか??
デジタルの電波は他の場所から発射されている。
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坊ちゃん列車1号機関車 静態保存展示

2011年07月04日 | 坊ちゃん列車1号機関車 静態保存展示
松山市梅津寺町にある伊予鉄道梅津寺公園に坊ちゃん列車1号機関車と客車が静態保存され展示してある。今日この写真を撮りにいった。
よく手入れが行き届きぴかぴかであった。

伊予鉄道は、明治20年日本最古の軽便鉄道を創設した。
明治21年10月28日 松山―三津間の鉄道(坊ちゃん列車)の営業を始め、営業開始時のレール幅は762mmだったが、昭和6年5月1日から現在のような電化になり電車が走り、レールの幅も1067mmと広くなった。

平成13年10月12日 市民の要望で、復活復元された坊ちゃん列車が1号機関車と14号機関車が路面電車の軌道を走っている。

なぜ1号と14号機関車かと言うと、1号機関車は、明治21年ドイツ国ミュンヘンのクラウ社製(甲1形)から伊予鉄道が最初に輸入、14号車は、明治41年ドイツ国クラウ社製から最後に輸入した機関車であるからだ。

梅津寺公園内に、静態保存されている1号機関車は、明治21年ドイツから輸入した本物で、3年に一度塗装を行い毎日担当職員が磨いているそうだ。

今日は、職員さんの了解を得て特別に写真を撮られて頂いた。機関車運転内部も特別に・・画像を見て下さい。
現在、松山市内に坊ちゃん列車1号機関車が3台静態保存されている。
1台は、本物が梅津寺公園に、2台目は、伊予鉄道本社前に2号車以降の機関車の部品を集めて製作、3台目は、米山工業が製作したもので、松山市喜与町一丁目に展示してある。
この3台を外観、運転内部を掲載したので画像で比較してみて下さい。


伊予鉄梅津寺公園に展示されている1号機関車で、明治21年ドイツ国ミュンヘンのクラウ社製(甲1形)から伊予鉄道が最初に輸入した機関車である。
昭和42年10月14日、日本国有鉄道から「鉄道記念物」として指定されている。




鉄道記念物に指定された記念碑。


日本国有鉄道から「鉄道記念物」として指定されている1号機関車。


伊予鉄道本社前に静態保存されている復元製作された1号機関車。


松山市喜与町に展示してある、米山工業が復元製作した坊ちゃん列車1号機関車。・・動きます。


梅津寺公園に保存されている1号機関車運転内部。


伊予鉄道本社前に静態保存されている復元1号機関車運転内部。


米山工業が復元した坊ちゃん列車1号機関車運転内部。


外観復元され現在営業走行している1号機関車の運転内部、運転席(左側)に前方安全確認のための液晶モニターがついている。


梅津寺公園に静態保存されている1号機関車と客車。


伊予鉄道本社前に静態ほぞんされている。2号車~13号車までの部品を集合して完成した復元機関車。


米山工業が昭和52年に製作した伊予鉄道1号機の復元機関車と客車。
復元機関車といえども実際に石炭を焚いて走行できる本物の蒸気機関車で、昭和63年5月 映画『ダウンタウン・ヒーローズ』撮影のためにJR内子線旧線五十崎駅付近で運転した。
松山市喜与町に静態保存展示。


復活し営業運転している坊っちゃん列車 1号車で、伊予鉄道がし平成13年にディーゼル方式を採用した坊っちゃん列車の復元を発表し運行開始した。列車は、往時の坊っちゃん列車をモデルにディーゼル動力方式を採用、汽笛は同社OBの協力を得、制服も当時のものを復元するなど、できるだけ本格的なものにしようとして外観復元した。
蒸気機関車ならではのドラフト音は車外スピーカーによって鳴らす方式を採用、煙突からは水蒸気を使用したダミーの煙を出す発煙装置を採用する等の工夫がなされている。

第1編成車両:ディーゼル機関車D1形  客車ハ1形 を2両連結
第2編成車両:ディーゼル機関車D2形  客車ハ31形 を1両連結
製 作 所 :新潟鐵工所 (新潟市)
エンジン  :日野ディーゼルエンジン 6,014cc搭載
客車の屋根には分岐点でポイント操作を行うトロリーコンタクターを作動させるためのダミーのビューゲル(進路制御装置と呼んでいる)が取り付けられている。
松山市にお越しの節は一度ご覧下さい。


3台共に共通のプレートが付けられている。


伊予鉄道が特別に子規堂に寄贈し展示している当時の客車。


創設当時の坊ちゃん列車客車内部で正岡子規、夏目漱石、秋山好古、秋山眞之も乗った。
定員12名である。


今日坊ちゃん列車の撮影をしていたら微笑ましい光景に出くわし思わずシャッターを押した。・・先週土曜日からはじまった四国随一のアーケイド付の商店街で土曜市が開催され、本日は土曜日で開催日である。親子ずれで訪れたのでしょうか??・・しっかりと手を繋いで・・いい光景だ。
親子関係も稀薄となりがちである昨今、この母子は何時までも強い絆で生きて行くでしょう。
最近こんな光景を見る事が少なくなった。・・何処からか「この街で」の曲が流れてきそうな感じ・・・。


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秋山好古 揮毫石碑 宇和島市吉田町「忠魂碑」再記

2011年07月01日 | 秋山好古 揮毫石碑 宇和島市吉田町「忠魂
 平成21年12月4日大阪から秋山兄弟生誕地に来られた(宇和島市吉田町出身)方から吉田町の安楽寺さんに秋山好古揮毫の「忠魂碑」がありますとお教え頂きました。早速、安楽寺さんに所在を確認したところ「あります」との連絡を頂き、平成21年12月6日取材に行ってきた。この時撮った画像がPCから削除され画像を失ったので、本日、平成23年6月30日再び写真撮影に行ってきた。

大正13年に建立し場所は、小学校の傍で、昭和20年11月に米英部隊が進駐して来てこれを見た将校から「連合国最高司令官マッカーサーの命令で撤去せよ」と撤去指示が出され、その時住職曰く、「私が罪を被るからわが寺に引き取り再建立する」と言われそれから安楽寺が護って来たと今日伺った。

安楽寺に行って見ると、山下亀三郎氏寄進の注連石があり由来を伺うと、山下家と安楽寺は、親戚同様の付き合いをしていると聞き、帰りに山下家にも寄ってみた。山下亀三郎氏は、庄屋山下家7人兄弟の末っ子で、山下汽船の創業者であり、秋山眞之は彼の箱根の別荘で亡くなったのである。眞之とは、生前深い交友があった。

忠魂碑を建立に当たって好古に揮毫依頼をしたのはたぶん山下亀三郎氏がお願いしたのではないですかと奥さんに伺うと「そうでしょうね」と語った。

また、好古揮毫石碑の話を聞くと戦後進駐軍の命令で撤去廃棄された好古揮毫の石碑が沢山あったのではないかと思った。愛媛県護国神社の石碑も松山市立清水小学校校庭にあった石碑「天壌無窮」は進駐軍の命令で撤去命令排除されたものである。・・・これは義務教育の場に揮毫者「陸軍大将」肩書きの揮毫石碑があるのはGHQとしては許しがたい事項だったのではないかと思う。

奥さん曰く、「現代の人々はこの時代のことなど関心がなくなりました。今回NHKで坂の上の雲が放映される事は、時代を振り返り良きものはどしどし取り入れて立派な国づくりの一翼になればいいですね」と語った。
私も同感である。これからも好古揮毫の石碑調査を継続して行く心構えを強くした。

平成23年6月30日に再度写真取材をした。

1.碑   文 :  忠魂碑
2.所 在 地:  宇和島市吉田町河内甲371  安楽寺
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日: 大正13年11月 
6.碑石大きさ: 高さ 1m56㎝  横幅 82㎝  厚さ 21㎝

昭和20年11月に米英部隊が進駐して来てこれを見た将校から「連合国最高司令官マッカーサーの命令で撤去せよ」と撤去指示が出され、その時住職曰く、「私が罪を被るからわが寺に引き取り再建立する」と言われそれから安楽寺が護って来たと伺った。・・・現在も安楽寺で祀っている。平成23年6月30日撮影。


安楽寺本堂。(臨済宗妙心寺派)


喜佐方小学校の表示板。


喜佐方小学校で、大正13年11月ここ小学校に建立された。


昭和48年5月27日、日清・日露・大東亜戦争戦役で戦死された合同忠霊塔が建立された。ある関係者が安楽寺住職に忠霊塔が出来たから忠魂碑はいらないのでは・・と言葉を発したら・・住職曰く忠霊塔とは訳が違うのだ・・と激怒されたそうだ。


山下亀三郎さんの生家。


宇和島市立簡野道明記念吉田町図書館の表示板。昨日6月30日伺ったら、月末整理休館日であった。


簡野道明記念吉田町図書館建設当時の館長さんが安楽寺の住職さんで、見学に来る方々は、館長さんが住職さんだから寺院様式で建築されたのですね・・と質問されるそうです。
図書館の建物は、明暦3年(1657)宇和島藩初代藩主、伊達秀宗の5男、伊達宗純が3万石を分地され、伊予吉田藩を立藩、翌万治元年(1658)伊予吉田藩の陣屋を築いた。昭和61年陣屋跡に漢学者、簡野道明を記念して京都市の二条城を参考にして陣屋風の建物として建てられた。・・と言われている。
また館長さんは、図書館建設の為に別府大学で司書の資格を修得され建設に尽力された。・・とも聞いた。

註:簡野道明(かんのどうめい):(本名:かんのみちあき) 慶応元年(1865~1938)
吉田町出身の漢学者であり、漢和辞典「字源」の著者である。

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