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内田與作さんの血筋を受け継ぐ方が長野県松本市から秋山兄弟生誕地に来訪

2016年06月17日 | 伊予松山歴史散策


昨日(6月16日)内田與作さんの血筋を受け継ぐ方が長野県松本市から秋山兄弟生誕地にお越しになられました。
内田與作さんは、長野県安曇野市豊科で出生され日清戦争で秋山好古率いる騎兵第一連隊の隊員として従軍された方です。
馬術・銃鎗の技を修め戦地に赴き、斥候の任務に服し蓋平の戦いに於いて勇ましく戦い、二道溝栄口に敵を迎え撃つ激戦の末名誉な戦死をされた騎兵隊員さんです。
内田騎兵隊員さんの実父であられます茂市さんは息子さんの名誉な戦死をした事を内田家の後世に伝えるため秋山好古に揮毫を依頼し墓を建立されました。
揮毫したのは「内田與作墓」でした。
現在、好古揮毫の石碑は全国に52基発見されていますが、名誉な戦死をされた騎兵隊員に対して石塔に揮毫したのは初めてであり、3番目に古い石碑(石塔)です。
東京都世田谷区に秋山好古が建立した「日清戦争で戦死をした騎兵隊員の哀悼碑」の裏面に騎兵隊員15名の氏名を好古は自筆で刻印していますが内田與作さんはその内の一人であります。
その石塔は長野県安曇野市豊科にあり、私は5月31日、長野県安曇野市豊科に取材に行って来ました。その時ご案内して頂いた内田與作さんの血筋を受け継ぐ松本市在住の荻原さんが秋山兄弟生誕地にお越しになられました。


松山市歩行町にある秋山兄弟生誕地入り口にて。


ご先祖の内田與作さんの石塔の写真を入れて撮らせて頂きました。
秋山兄弟生誕地では全国に発見された好古が揮毫した石碑の写真展示をしております。


6月16日は松山雨天でした。秋山好古騎馬像前に立たれた。


秋山好古騎馬像の前で。




秋山両将遺邸の石碑に書かれている撰書を熱心に読まれておられました。


秋山兄弟生誕地にあるDVD映像を視聴されました。


宇都宮良治、秋山兄弟生誕地運営委員長の説明を真剣に聞かれておられました。
荻原さん、松山は初めてお越しになられこの後松山城を見学されました。
松本市には国宝松本城がありその天守には及びませんが坂東三津五郎さんがお好きだった松山城を是非見て帰りますと言われ私がご案内いたしました。
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