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伊予松山城・三ノ丸の桜

2012年04月13日 | 伊予松山歴史散策
伊予松山城三ノ丸は、通称「堀之内」と呼ばれ二ノ丸に続いた西方の平地に構築された地域である。
寛永12年に第3代藩主松平定行になってから、松平2代藩主定頼、3代定長に至るまでは二ノ丸邸に居住するが4代藩主定直から三ノ丸に邸を新しく造営、そして13代藩主勝成は三ノ丸の続きに西ノ丸を新しく造営し居を西ノ丸に移した。

そして維新を迎え明治4年8月堀之内全域は兵部省の管轄となり明治17年軍備拡張に伴い松山に歩兵第22連隊の編成が開始され堀之内は兵営敷地にあたられた。
戦後GHQに接収され、昭和26年9月8日サンフランシスコ講和条約調印、GHQの占領が終翌27年4月28日日本の主権が回復、これが日本の独立。
松山の三ノ丸もGHQから開放され、文化・スポーツ施設が建設され現在に至っている。(スポーツ関連施設は移転)

参考に、松平が藩主になってからの松平氏の系譜を書いてみた。
初代藩主定行・ 徳川家康の甥。伊勢国桑名藩から転封、15万石となる。
2代藩主定頼・ 定行の嫡男であるが治世わずか5年で、寛文2年1月に江戸の中屋敷で落馬して急逝した。 

3代藩主定長・ 2代藩主定頼の次男。
4代藩主定直・ 今治藩第2代藩主松平定時の長男。
5代藩主定英・ 定直の3男、石手川の大改修をした。
6代藩主定喬・ 第5代藩主定英の長男で、「久万山騒動が勃発」
7代藩主定功・ 第5代藩主定英の次男である。
8代藩主定静・ 第4代藩主定直の5男の長男。
9代藩主定国・ 第8代将軍徳川吉宗の次男徳川御3卿の一つ田安家の党主・田安宗武の2男である。
          伊予松山藩は徳川親藩の色が濃いくなった時代である。・落雷で天守焼失
10代藩主定則・定国の子達は、早くして世を去り6男が継承。
11代藩主定通・兄定則が逝去したので、年僅か6歳で第11代藩主となる。
12代藩主定穀・薩摩藩主第9代島津斉宣(なりのぶ)の11男を養子とした(松平定穀・勝善)・・
          島津斉宣は、篤姫の祖父である。・・現天守再建完成(安政元年)
13代藩主勝成・定穀(勝善)にも子宝に恵まれず、讃岐国高松藩主第9代松平頼恕(よりひろ)の6男を養子
          とした。松平定成・勝成(以下勝成と呼ぶ)勝成は、第15代将軍、徳川慶喜の
          従兄にあたる。
14代藩主定昭・第13代藩主勝成も子宝に恵まれず、伊勢国津藩主第11代藤堂高猷の4男を養子として、
          松平定昭が継承する。藤堂高猷の祖先は、今治藩初代藩主の藤堂高虎で、
          伊予松山初代藩主加藤嘉明とは豊臣秀吉時代共に活躍した武将である。
15代藩主は、第13代藩主を務めた勝成が再び藩主となる。
16代藩主定謨・定昭も子宝に恵まれず、久松松平家系の旗本松平松実の3男を養子として迎え、
          久松松平家第16代当主になる。(16代から久松姓に帰る)
17代久松家当主・定武・妻の貞子は島津忠義公爵の娘。次男の定武は貴族院議員・参議院議員を経て
          愛媛県知事を5期務める。定武の長男定成(第18代)は元愛媛大学農学部教授で靖国神社
          崇敬奉賛会会長であったが平成20年10月4日逝去、82歳。香淳皇后(今上天皇の母)
          の従甥にあたる。
18代久松家当主・定成・元愛媛大学農学部教授で靖国神社崇敬奉賛会会長であったが
         平成20年10月4日逝去、82歳。香淳皇后(今上天皇の母)の従甥にあたる。
現久松家当主は第19代である。


本丸小天守から見た二ノ丸御殿跡と三之丸で二ノ丸御殿は海抜39mの山麓にあるが、三ノ丸は平地にある・・明治6年存続を願い伊佐庭如矢は、大蔵卿大隈重信に城郭を公園化する事で、庶民の観覧のためにと上申した。
維持費は地元で負担する事を条件で、内務卿大久保利通は公園化を条件で認め存続を許す事になった。・・平成のいま伊佐庭如矢が描いた通り本当の市民の憩いの公園として大きな花を開く事が出来た。・・現松山市民は意義ある歴史が秘められた三ノ丸を有意義に使って生きたい。心ない人はペットを連れ込み芝生に平気でオシッコをさせている。ペットの連れ込みは禁止にすべきである。


二ノ丸御殿跡、海抜39mから見た三ノ丸東側部分で埋蔵文化財発掘調査後公園として整備され植栽された桜等々の木々は未だ幼木で何十年後には桜の名所になるだろう


二ノ丸御殿跡、海抜39mから見た三ノ丸西側部分で埋蔵文化財発掘調査後公園として整備され市民の憩いの公園として利用されている


三ノ丸公園桜は幼木であるが、松山市民花見を楽しんでいた


この桜は戦後植栽された木で三ノ丸では古い染井吉野桜である


三ノ丸の外側、東堀端で奥に天守を見ることが出来るいい撮影場所である  


三ノ丸南堀端から本丸の太鼓櫓と筒井門を望む


三ノ丸の外堀は、水量が少なく水を浄化して利用していて、浄化された水を噴水状態にして堀に変化を与え楽しんでもらえるよう工夫をしている


三ノ丸東堀端の浄化装置と白鳥、奥のビルは愛媛県警本部


この日は松山お城祭りで、今治市から「バリーちゃん」が駆けつけてくれました
今ユルキャラの人気投票で全国2位だそうですよ


今治城「バリーちゃん」の生みの親・・若く中々の美人です・・伊予松山藩第3代藩主松平定行の弟が今治藩主松平定房なので、兄の地松山に応援に来てくれました


外堀、南堀端の夜景

三ノ丸から二ノ丸そして本丸天守を望む・・何時もはライトアップされてない、特別な行事に行う
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