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秋山好古揮毫石碑紀行 16 松山市和気浜の碑 

2015年12月09日 | 伊予松山歴史散策
 
松山市和気二丁目・和気海岸に石碑がある。
この石碑は、大正15年6月海南新聞社(現、愛媛新聞社)主催で読者投票によって選定
された愛媛県の名所名勝で、和氣は第12位に選ばれた。
此れを記念して、旧温泉郡和氣村大字和氣濱、和氣村青年團が昭和2年10月建立した記
念碑である。

1.揮毫碑文  :伊豫十二景之碑 和氣
2.所在地   :松山市和気二丁目・和気海岸
3.建立年月日 :昭和2年10月
4.揮 毫 者 :好古
5.建立者   :和氣村青年團
6.碑石大きさ :高さ・1m78㎝ 横幅・83㎝ 厚み・45cm

参考資料1:伊豫十二景は、大正15年6月海南新聞社主催で読者投票によって選定された愛媛県の名所名勝である。
2ヶ月の投票期間に120余の候補地があがり総投票数70万5315票の中から伊予史談会幹事6名の立会いのもと開票され、結果第1位に鹿島・2位以下は、白猪の滝・極山の薬師・歌仙の滝・砥部銚子の滝・麻生金毘羅権現・久万の台・宮内天満宮・仙波ヶ嶽・重信河口・重信橋・和気浜の順である。13位から24位までは「裏伊豫十二景」として発表された。
 なお、裏伊豫十二景は、樽滝・面河・祇園公園・湧ヶ渕・松山城・八幡浜八幡・臥龍・法ヶ津峠・生石八幡・石手川長堤・志々満ヶ原・波止浜公園であった。

参考資料2:和気二丁目の町名沿革は、和氣郡和氣濱村から明治22年12月15日に和氣郡和氣濱村大字氣濱となり明治30年4月1日、温泉郡和氣村大字和氣濱、昭和15年8月1日松山市と合併、昭和17年9月1日和気町二丁目となる。


平成19年2月、写真撮影に行くと石碑の前に釣り人の車が駐車してあり写真が撮れなく改めて3月13日、に行き撮影した。
石碑の前は瀬戸内海です。


石碑左側面には、建立年月と、建立者の名前が刻印されている。
私が撮影する前に何故か文字に墨が入れられていた。


伊豫十二景之碑・和氣の裏面


伊豫十二景之碑 和氣の直ぐ近くに「御即位奉祝林」と揮毫された記念があった。
この海岸には瀬戸内海から吹き付ける風を防ぐ「防風林」が植栽されているが、昭和天皇が即位した事を祈念して植栽し石碑も立てたのでしょう。


「御即位奉祝林」碑の裏面、世話人、須賀豊三郎と書かれている。
その横にも文字が書かれているが判読困難。
 

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